改めて思うが
栃木県も
まだ
震災は終わっていない、ということを。
喜連川。
シンボルともいうべき「お丸山公園」が
あの2011年3月11日の東日本大震災で
甚大な被害を受けた。
以降、立ち入り禁止は続き
懸命な復旧作業を続けてきたが
のちに台風で南面が再び崩落。
計画は度々変更され
いまだ復興の見通しは立っていない。
そんななか・・・
さくら市役所を訪れた際
僕は意外な情報を耳にすることとなる。
「期間限定でお丸山に立ち入ることができる」と。
さくら市の広報紙に小さく掲載されていたらしく
僕は当然、初耳であった。
「これは行かなくてはならない」
・・・
僕の手元に残る喜連川の写真は
1999年のものが最初だ。
シャトルエレベーターが1994年に完成し
スカイタワーが翌年95年にオープンしたらしいが
まだ
当時の僕には
そこへ行くきっかけがなかった。
その後
何度か桜の名所ということで
一人でドライブに来たことはあったが
まだまだネットもデジカメも持たない頃。
その証明となる画像は
何一つ残ってはいなかった。
桜の定点観察で早乙女の桜並木を毎年通うようになり
相方さんと知り合うことになって
喜連川・お丸山公園は
さらに近い存在となったが、
一緒にスカイエレベーターに乗り
スカイタワーに上り
孔雀と遊具と露店を眺めたのが
奇しくも震災の前の年・2010年の春。
これが
最初で最後のお丸山、となってしまったのだ。
「また来年」と
撮影も簡単に済ませたことが
いまでも悔やまれる。
お丸山公園でお花見をすること。
僕らが一番楽しみにしていたこと。
それができないことが
もっとも寂しい。
だからこそ
3年ぶりに
一部でありながら公開されると聞き
僕はやってきた。
2014年4月7日。
限定公開の「初日」
しかも
開場時刻の午前9時に。。。
すでにクルマが止まっていた。
僕は5台目であった。
しかし
よく見ると
前の4台は
観光協会、仮設トイレ設置業者(2台)と商工会。。。
つまりは
一般人では「僕が1番目」だった様子。
次から次へと
後ろにクルマがやってくるが
待てずに引き返すクルマが数台。
それもそのはず。
広報に書かれた「午前9時から」・・・・が
9時を過ぎても入れない。。。
僕、車の外で待ちぼうけ。
もちろん説明もなし。
行政としては「しかたなく」やっていることなのだろうか?
結局、予定より10分遅れて開場。
僕は4年ぶりに
入ることを許された。
うれしい。
まずは
うれしい。
青空市場。
僕が足を運んだときには開いていた記憶がない。
トイレ。
現在も使用はできないまま。
スカイタワー。
4年前よりも
小さく見える。
あのとき持っていたカメラでは
すべてを写すのに大変苦労した。
あのてっぺんに再び上ることは
もうできないが
もう一度
ここに戻ってくることを
僕は願っている。
廃止され
道の駅に移設された「足湯」の跡地。
僕は3回目にして
湯につかることができた思い出の湯。
それも1回限りであったけれども。。。
喜連川城温泉・老人福祉センター。
今回は
3階が公開されることとなった。
しかしながら、もちろん温泉の営業は廃止となっている。
スカイタワーに近づく。
あのてっぺんからの眺望。
また見ることはできないものか。
震災の爪痕。
駐車場から先
公園の部分は公開されなかった。
シャトルエレベーターは
つい先日、撤去が決定された。
橋を渡ってすぐに
孔雀小屋。
ここでたくさん写真を撮った。
懐かしい。
サクラがとてもキレイだった。
どこを撮ってよいか
僕は迷った。
だから
思った枚数、残すことができなかった。
「また来年も来るからいいや」
そんな甘えが悔やまれる。
写す、ということは
その瞬間を残す、ということなのに。。。
物産センター。
一人で入ったことがあった。
だが
独りでは欲するものがなかった。
あれで
相方さんがいれば
また違ったのかもしれない。
冬場はアイスクリームの販売がお休みになるのも
お丸山流だった。
甘酒。
スカイエレベーターの市街地側のりば前にあった売店の案内。
喜連川の母、という当たる占いのお母さんがいたらしい。
僕はやはり独りで入ったことはあったが
なにも買わないで出てきた。
いまは売店の建物は撤去され更地になっている。
4年目の記憶がないが
木々が崩落し
当時の様子とは明らかに異なっていると思われる。
物産センターは
ここでは廃止となり
現在は道の駅きつれがわで営業を再開している。
スカイタワーの入場口が
この時は開いていたのでガラスの外まで寄ってみた。
受付は当時のまま残っていた。
このクイズの「3月」とは
もちろん震災のあった2011年3月をさす。
僕らはサクラを眺めた後
このタワーを登った。
サクラはちょうど満開を迎えていた。
つぎに
このサクラを愛でることができるのは
いったいいつのことだろう。。
喜連川温泉に
入ることにする。
事務所と温泉の券売機。
大人300円。
部屋を利用すると+300円だったらしい。
スタンプカード。
いまも有効なのだろうか?
廃止されてしまったのが
とても惜しまれる。
・・・この先
3階まで上るのですが
ここからは
明日に続く
栃木県も
まだ
震災は終わっていない、ということを。
喜連川。
シンボルともいうべき「お丸山公園」が
あの2011年3月11日の東日本大震災で
甚大な被害を受けた。
以降、立ち入り禁止は続き
懸命な復旧作業を続けてきたが
のちに台風で南面が再び崩落。
計画は度々変更され
いまだ復興の見通しは立っていない。
そんななか・・・
さくら市役所を訪れた際
僕は意外な情報を耳にすることとなる。
「期間限定でお丸山に立ち入ることができる」と。
さくら市の広報紙に小さく掲載されていたらしく
僕は当然、初耳であった。
「これは行かなくてはならない」
・・・
僕の手元に残る喜連川の写真は
1999年のものが最初だ。
シャトルエレベーターが1994年に完成し
スカイタワーが翌年95年にオープンしたらしいが
まだ
当時の僕には
そこへ行くきっかけがなかった。
その後
何度か桜の名所ということで
一人でドライブに来たことはあったが
まだまだネットもデジカメも持たない頃。
その証明となる画像は
何一つ残ってはいなかった。
桜の定点観察で早乙女の桜並木を毎年通うようになり
相方さんと知り合うことになって
喜連川・お丸山公園は
さらに近い存在となったが、
一緒にスカイエレベーターに乗り
スカイタワーに上り
孔雀と遊具と露店を眺めたのが
奇しくも震災の前の年・2010年の春。
これが
最初で最後のお丸山、となってしまったのだ。
「また来年」と
撮影も簡単に済ませたことが
いまでも悔やまれる。
お丸山公園でお花見をすること。
僕らが一番楽しみにしていたこと。
それができないことが
もっとも寂しい。
だからこそ
3年ぶりに
一部でありながら公開されると聞き
僕はやってきた。
2014年4月7日。
限定公開の「初日」
しかも
開場時刻の午前9時に。。。
すでにクルマが止まっていた。
僕は5台目であった。
しかし
よく見ると
前の4台は
観光協会、仮設トイレ設置業者(2台)と商工会。。。
つまりは
一般人では「僕が1番目」だった様子。
次から次へと
後ろにクルマがやってくるが
待てずに引き返すクルマが数台。
それもそのはず。
広報に書かれた「午前9時から」・・・・が
9時を過ぎても入れない。。。
僕、車の外で待ちぼうけ。
もちろん説明もなし。
行政としては「しかたなく」やっていることなのだろうか?
結局、予定より10分遅れて開場。
僕は4年ぶりに
入ることを許された。
うれしい。
まずは
うれしい。
青空市場。
僕が足を運んだときには開いていた記憶がない。
トイレ。
現在も使用はできないまま。
スカイタワー。
4年前よりも
小さく見える。
あのとき持っていたカメラでは
すべてを写すのに大変苦労した。
あのてっぺんに再び上ることは
もうできないが
もう一度
ここに戻ってくることを
僕は願っている。
廃止され
道の駅に移設された「足湯」の跡地。
僕は3回目にして
湯につかることができた思い出の湯。
それも1回限りであったけれども。。。
喜連川城温泉・老人福祉センター。
今回は
3階が公開されることとなった。
しかしながら、もちろん温泉の営業は廃止となっている。
スカイタワーに近づく。
あのてっぺんからの眺望。
また見ることはできないものか。
震災の爪痕。
駐車場から先
公園の部分は公開されなかった。
シャトルエレベーターは
つい先日、撤去が決定された。
橋を渡ってすぐに
孔雀小屋。
ここでたくさん写真を撮った。
懐かしい。
サクラがとてもキレイだった。
どこを撮ってよいか
僕は迷った。
だから
思った枚数、残すことができなかった。
「また来年も来るからいいや」
そんな甘えが悔やまれる。
写す、ということは
その瞬間を残す、ということなのに。。。
物産センター。
一人で入ったことがあった。
だが
独りでは欲するものがなかった。
あれで
相方さんがいれば
また違ったのかもしれない。
冬場はアイスクリームの販売がお休みになるのも
お丸山流だった。
甘酒。
スカイエレベーターの市街地側のりば前にあった売店の案内。
喜連川の母、という当たる占いのお母さんがいたらしい。
僕はやはり独りで入ったことはあったが
なにも買わないで出てきた。
いまは売店の建物は撤去され更地になっている。
4年目の記憶がないが
木々が崩落し
当時の様子とは明らかに異なっていると思われる。
物産センターは
ここでは廃止となり
現在は道の駅きつれがわで営業を再開している。
スカイタワーの入場口が
この時は開いていたのでガラスの外まで寄ってみた。
受付は当時のまま残っていた。
このクイズの「3月」とは
もちろん震災のあった2011年3月をさす。
僕らはサクラを眺めた後
このタワーを登った。
サクラはちょうど満開を迎えていた。
つぎに
このサクラを愛でることができるのは
いったいいつのことだろう。。
喜連川温泉に
入ることにする。
事務所と温泉の券売機。
大人300円。
部屋を利用すると+300円だったらしい。
スタンプカード。
いまも有効なのだろうか?
廃止されてしまったのが
とても惜しまれる。
・・・この先
3階まで上るのですが
ここからは
明日に続く