
この曲に関しては、以下のとおり今まで大きく5度!曲に関して新鮮な気持ちにさせられるタイミングがあり、その都度自身で惚れ直しました。私には、今だに当たり前の様に聴き続けている、彼の鉄板バラード曲とは少し異なり、ヘビーローテーションで聴くブームが、今までに、何回かに分かれて、何年も間をおいて、数回起こった変わった係わりのある曲です。
【1回目:Chicago17と出会った高校時代】
・この曲と最初出会った当事、アルバムChicago17のB面最初ということで、A面最後の
「Remember The Feeling」で静かにフェードアウトし、カセットテープがB面に変わって、気持ちもリフレッシュして、さあ!行こうって感じになるのが良かったです。また、その当事(Chicago16~17、Solitude/Solitaire当たり)は、自身で彼のベスト盤テープを作ると、どうしても静かなバラードばかりとなるため、静かで暗い雰囲気のテープ(少なくとも当事の自分の精神状態には・・・)になるところを、ダンサブルなこの曲をアクセントに入れたのでした。彼の歌声での「ダンサブルなノリのある曲」も心地良いですよね。
※【H22.5.22加筆】当初リンクし紹介してた、Peter Cetera在籍当事の貴重なライブ映像が残念ながら削除されてしまいました。以下にあるビデオクリップのyoutube映像のバックで流れています。その下にあるジェイソンバージョンと聴き比べて見てください。
【2回目:リリース数年後初めてビデオクリップの存在を知った時】
・大学入学で地方から都会(と言っても京都でしたが・・・)へ移り住む事は、民放のTV局数が増え、当事見られなかった洋楽番組がタイムリーに見られるようになる事を意味しました。そして憧れの「Sony Music TV」も視られるようになったのですが、実は図ったかのように、私の入学前の引越しのタイミング(1986年3月)に「Pick Up Artist」というコーナーでChicagoビデオクリップ集(当事は非売品だった殆ど見た事の無かった物)がOAされたのでした。結構ギリギリの日程で、これもまた私の彼の曲との運命なのか???
来日公演に合わせたオンエアでしたが、苦学生生活スタートだったにも係わらず、生涯で最初のローンを組んでビデオデッキを購入し、その番組を録画保存したのでした(この時のエピソードはまた別の機会に詳細を紹介します・・・)
Chicagoのビデオテープなんて、ライブも含め公式には一切売っていなく探していたので、そのビデオは私の宝になり、週末になるとビデオを流しながら部屋の掃除をしたり、行き詰まったり、思い出したりすると、流して時間を過ごした記憶があります。
大学時代は何度視たことか・・・。
そして、その中にあるこの曲のビデオクリップ(シングルバージョンの音源も)を初めて観て感激したのでした。映像の作りがストーリー仕立てになっていて、映画「カサブランカ」や「インディージョーンズ」ばりの冒険物ストーリーで面白い内容となっています。
【3回目:カナダのホームステイ先にて・・・】
・高校の時から夢であったホームステイ!それは、大学2年の春に叶ったんですが、その際のホストファミリー元へ、何故かバツイチで子持ちの女の子が下宿していた。土日の朝になると、彼女が必ず流すテープの中にこの曲が入っていて、当事、自分の意図しない所での彼の歌声が登場するのが心地良く、その子のイメージやカナダでの生活がこの曲と重なるものとなりました。(そういえばあの時にカナダの中古レコード屋でも1stとシカゴ14を探したのを思い出しました・・・その時のトピックスはまたいつか記事にしたいです)
【4回目:生まれて初めてのChcagoのコンサートでオープニングにて】
・1987年のChicago来日の時で、確か大阪の厚生年金会館!Peter Ceteraは居ませんでしたが、この曲がオープニングを飾っていて、生まれて初めてのコンサート(しかもそれがシカゴ)だったのと、Jason盤だった事、そしてサビの部分のボーカルが下のパートを強調している構成だったため、とても新鮮に感じられ印象に残り、当分改めてこの曲を聴くきっかけとなったのでした。
↓↓大阪ではないですが当事の同じ音源の映像をリンクしておきます↓↓
【5回目:Dance Mixをハートオブシカゴで入手した時】
・この曲にはDance Mixというのがあって、日本国内限定の企画アルバム「ハート・オブ・シカゴ のイエロー/1982~1998II」の中に収まっています。そのアルバムを入手した時に、初めてDance Mixを知ったのでした。オリジナルとかなり雰囲気も違い、更に乗りの良い構成となっており、途中から聴くと違う曲かと思わされる程の作りでした。そのリズムが当分耳に残り新鮮だったのを記憶しています。彼の歌声の新しい曲ですから、それから当分聴き入りましたね。ご存知ない方は是非一度お聴される事をオススメするバージョンです。。。
これをシングルカットするとき(かな?)、たぶん『ベストヒットUSA』だと思いますがピーターがインタビュー受けてましたよね。
PVのことを
『カサブランカ』と『レイダース・オブ・ザ・ロスト・アーク』を足したみたいなイメージの作品作ってます…これからオーディションで。(たしかその日が相手の女優さんのオーディションだったような)
と自ら説明していて、ウキウキしながら観たのを覚えています。
ほとんど“パクリ”じゃん(笑)と思いつつ、使われた2つの映画をたまたまどちらも見てあったことに感謝していました。
当時高校生でお小遣いも少ないですから映画とアルバムじゃあ当然アルバムを選択しますよね(笑) まして『カサブランカ』なんて女子高生見ませんよふつう。
『Chicago17』では“いかした彼女”と本当にいかした邦題で…
カラオケで題名を見た瞬間、娘が「“いかした彼女”って…」と笑い出し、しかし曲の出だしをきいて「なぁんだ、これかい!?」と…
それ以来、車でこの曲をかけると受けます。
1曲105円のレコチョクで着うたをゲットしてあります。とある男の子(娘の幼馴染で私とも友達です)のメール指定曲にしてやりました(笑) メールくるたびに "Then along comes a woman..." です。
今の私より若いじゃないか…。
ギターのクリス・ピニックも映っていますね。
ドラムのダニーもいる!
5年後1989の来日の時のほうが頭が若返ってることには、確か、触れてはいけないんでしたっけ?(笑)
ジョーさんがコンサートデビューしたこの公演が、ダニーの、シカゴとしての最後の来日だったんですね。
チャートアクション的にもこの時期が最後のピークであることも考えると、
一つの節目になった公演かもしれませんね。
実は1989の映像収録の日に、ここにいました。
前回の1987公演では武道館のアリーナ席にいた私も、この年はスタンド席になり、
公演前からハンディやクレーンカメラがやたらに目障りだった記憶があります。
収録は有難いけど、ずっとカメラクルーに付き合わされて視界を遮られるのかとモヤモヤしていましたが、
そんな感を吹き飛ばしてくれたオープニング曲でした。
しかし、「いかした彼女」って邦題、私もイマイチ感があります。発売当時から、何とかならないかなぁと思ってましたよ。
何と!!!「ピーターがインタビュー受けていた映像」の新しい情報!
PeterがAlong Comes A Womanについてのそんなコメントをした事があったなんて~!もしそれがホントにベストヒットUSAでの事なら、私がこの20年以上もの間、知らなかった新事実。
実は私は「ベストヒットUSA」のファンでもあり、以前の記事でも触れた事がありますが、旧番組でのPeter関連映像探しと、復活後の新番組での彼の登場に向けたリクエスト活動にも勤しんでいるんです。
小林克也さんの声で彼の名前が読み上げられ、いろいろコメントされる情報が有意義でたまりませんねえ。
実は昨晩その関係で彼が'88年に来日した際のスタジオ映像を20年越しに入手した所で、昨晩はその映像を何度も何度も観ていて、それに関してレポート記事を早速起こそうとしていた所でした。
それとこの曲のカラオケがあるなんて初めて知りました。一度、PeterとChicagoの曲を歌いにカラオケに行きたいなあ・・・
ウェインさん>
'89日本公演収録日に行かれていたんですね!すごい~。私は今でこそ、究極の所まで到達しましたが、あの頃熱狂的なファンであっても、Peter抜きのChicagoライブにデビューしたばかりの「ひよっ子」でした。
ところで「いかした彼女」確かに独特の訳ですよね。自身も以前、タイトル訳を考えてみた事がありました。
素人訳ですが、私の趣味でタイトルつけるとしたら「現れた女性」ってのはどうかと思ってます。。。誰かプロの方の意見も欲しい所ですが、英語の学力だけでなくセンスや趣向もある世界でしょうから歌詞そのものと違いタイトルの和訳に「正解」なんて無いんでしょうけどね。。。
ちなみに、いつもブログで付けている私の対訳も、彼の曲を勝手に自分の人生に当てはめてしまっている癖?から、思い込み・こじ付け訳になっている事もここで言い訳させて頂いときます。
『Apr.13.'85』となっています。
“イングリッド・バーグマンみたいなブロンドのキレイな女優さんがいいなとか、オーディションはメンバーの中ではPeterだけが参加”とか、彼流のお茶目全開です。
『Chicago17』の次のアルバムアイデアについての問いにあまり反応が良くなく、今聴くと“あぁ、なるほどね”で、なんとソロアルバムについてもほのめかしています。
この時期、彼はFMでせっせとインタビューうけていてカセットに録音したものを見つけました。『Sept.13.'86』Peter誕生日に O.A.番組とかもありました。
ですから映像の記憶は『ベストヒットUSA』ではなくて…テレビ神奈川のプロモビデオをひたすら1時間流す番組~グループサウンズの植田さんが司会だったやつ~かな…?“ラジオで言ってたよ”と思ったんです、カサブランカとレイダース足して2で割る…
ぬか喜びさせてしまって本当にごめんなさい!
当時音源ならともかく、映像は残しておけなかった時代で~我が家にはビデオデッキがずっとなく~記憶だけがあるのです、すみません。
ついでにそのFM番組で1曲目にかけたのがなんとまぁ『Manipulation』(爆)
あと質問ですが、『Good for Nothing』って何のキャンペーンだったか覚えていらっしゃる? 寄付なんぞする気がさらさらなく、アルバムはいらないと思って音だけ拾ったようです。
そのカセット群から河合奈保子発見です(笑)
あの当時はホント情報が無い上、田舎に住んでいたのでTVなラジオの情報は乏しく、都市部にお住まいの方が羨ましいかった。あの頃の自分には涙物の情報だったでしょう。
さて、Good For Nothingですがいつかブログ記事として取り上げるつもりですが、言わずと知れた米国アーチィストのチャリティーアルバムWe Are The Worldの中に収まった曲てす。この曲も良く聴きました。
そう言えばWe Are・・・については、最近新盤がリリースされたり、来週はベストヒットUSAで取り上げられるみたいなので情報まで。。。
てか、1984年の大阪厚生年金…僕も居ました!
初Chicago!当時、高校生やった僕は一緒に行く連れもなかったけど一人で行って感動で半泣きしながら居ました!
偶然っすよねぇ
でもあの頃は、なんでPeterCeteraじゃないんやぁって新ヴォーカルにまだ戸惑いながらのコンサートでした。