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公園にて

2023年07月21日 | その日その日
街中の公園は子供の遊び場です。
子供がいる公園は、若い頃は、子供が嫌いなわけではなかったのですが、騒々しく疎ましくも感じました。ところが、ある年齢になると子供が眩しく見えるようになりました。

今もそれに変わりはないのですが、決して戻ることのできない自分の子供の頃を思い出すからか何となく哀しくなります。子供の頃の自分を見ているような、小津映画の笠智衆になったような(笑)。
公園は子供の天国ですね。人生における天国かも知れない。





私が子供の頃は公園というものはありませんでした。あったのは原っぱや山と空き地。そういう場所で遊んでいましたが、あっという間に家が立ち団地になったりして消えてしまいました。その代わり狭い四角い公園が現れ、そこには決まったように青や赤や黄色に塗られた派手な遊具と呼ばれるものが置かれていたのでした。


今でも散歩の道筋に公園を通ると昔のことを思い出します。
昔と違うのは、もうそこで遊ぶことはないということ。
そして、ベンチで休むことが多くなったと気付くこと。



4 コメント

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Unknown (watanabe_march)
2023-07-22 13:56:40
子供が寄り付かない公園は公園ではありません。少しおかしな存在です。
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Unknown (cellisch)
2023-07-23 13:41:34
@watanabe_march さん、いつもご覧いただきありがとうございます。
おそらく、最後の2行のことと存じます。「遊ぶことはない」のは私のことで、子供ではなくなった自分の感慨を述べてみました。写真の公園には実際は子供たちも多く遊んでいたのですが、偶然、誰も写っていない写真になりました。

しかしながら、数ある公園の中にはどうしてこんな所にあるのか、狭すぎるのではないかと思う公園もあり、たいがい遊ぶ子供もいません。細かい法律もあると思いますし、無いよりはましですが、どうかなと思うこともあります。
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Unknown (fuyu325)
2023-07-24 00:10:23
私が子どもの頃も公園はありませんでした。
どこで遊んでいたのかと思い起こせば、原っぱと山と田んぼでした(笑)
なので、小学校に入学したとき、校庭にある眩いくらいの遊具に夢中になりました。楽しかった思い出です。

今現在も、田舎なので徒歩圏内に公園はありません(^^ゞ
近所の子どもたちが何をして遊んでいるのかわかりませんが
昔の何もなかった頃の、私たちの遊びの方が刺激的で面白かったと思います。
散歩で遠くまで歩いた時、公園があるとブランコに乗ってみます。
ビュンビュンに漕いでから飛び降り、飛距離を争っていた子供の頃を思い出し笑ってしまいました。
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Unknown (cellisch)
2023-07-24 14:52:23
@fuyu325 さん、コメントありがとうございます。
あの頃は、どこも似たような環境だったのですね。小学校の頃は遊具の記憶がありませんが、中学で急に校庭の周りに遊具ができたと思ったら、サーキット・トレーニングと言って周回して雲梯やらステップ昇降やらをやらせられました。僕は雲梯で落ちました。今では、もっと努力しておけばよかったと思っています(笑)。

ブログを拝読している限り、fuyu325さんのご近所は、ほぼ自然公園のようで、うらやましい限りです。人工的な公園は無いほうがいいかも。
私の地域は平地は住宅で埋まり、木の生えているところは崖くらい。そこは、ほぼゴミ捨て場で、まさしく「人新世」が進行中です。

ブランコの立ち漕ぎとか、みんなで競っていましたね。懐かしい。あの鉄の鎖の手触り、木製の腰掛。そして、その下の地面はえぐられていて雨の日は水たまり。楽しかりし歳月です…
多分、今ブランコに乗ると、映画『生きる』の主人公のように「ゴンドラの唄」を歌ってしまいそうでこわい(笑)。(その前に、座れないかも…)
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