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ヒアシンスハウスの夢

2019年10月30日 | アート


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I ヒアシンスハウスまで
朝の濃い霧も晴れて秋晴れになった今日、やっと念願のヒアシンスハウスを訪ねることができました。奇しくも今年は立原道造の没後80年です。

ヒアシンスハウス(風信子荘)は、建築家で詩人の立原道造(1914-1939)が構想した5坪足らずの小さな週末用別荘です。別荘というよりも小屋です。彼は埼玉県浦和の別所沼畔に用地を求め、建築用の入念なスケッチを50枚も残しましたが、実施には至らず24歳の若さでこの世を去りました。そして、彼が夢見たヒアシンスハウスも眠りについたのです。

それから長い時が過ぎ、詩人の夢を引き継ぐように地元の建築家ら有志が立ち上がりました。基金を募り行政と協議を重ね、建設に向かってプロジェクトが進み始めました。立原が遺したスケッチをもとに設計図が引かれました。ヒアシンスハウスには構想図やスケッチしかありませんから、図の中にある短い記述や残された作品などから読み取るほかはありません。不明な細部などは関連資料から推測して補うなどの努力の末、ついに、若き建築家、詩人が夢見た小さな別荘が形となったのです。希望していた別所沼のほとりにヒアシンスハウスが建ったのです。没後65年を経た2004年のことでした。

私がヒアシンスハウスを知るまでだいぶ時間がかかりました。
インターネットで見る限り、小さいながらもしゃれていて無駄が無く非常に好ましい建築に思えました。それ以来、この建物が見たくてたまらず、いつか実物をこの目で見てみたいとその機会を窺っていたのですが、なかなかその機会が巡って来ませんでした。ようやく、見ることができた詩人の夢の空間は想像以上に素晴らしいものでした。


中村真一郎編 『立原道造詩集』(角川文庫)1981年.
私と立原の最初の接点です。文庫本ながら捨てもせずよくもったなあと思います。黄ばんだページに時の流れを感じます。



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II ヒアシンスハウスの形
わが目で見たヒアシンスハウスは、モダンで美しいものでした。極めてシンプルで割り切った設(しつら)えに興奮すら覚えました。立原の若すぎる晩年は日本が戦争に突き進んでいた時代でしたが、そんなことは全く感じさせない感性が読み取れます。


【写真1】
東南側の近景です。小さな箱のような外観です。片流れの屋根がこの建築を特徴づけています。
最も目立つのは、東南のコーナー窓です。指定された緑灰色(灰緑色)がよい雰囲気を作っています(窓・外壁上部)。この色は、眼に付きますがうるさくなく、立原らしい繊細な色使いと言えるのではないでしょうか。しかし、微妙な色彩が写真で再現できているかどうか、いささか不安です。

吊り戸式の雨戸の十字の切り抜きの意匠がモダンで眼を惹きます。小さな刳り貫きですが、このデザインが窓枠の色彩とともに小屋を引き立たせています。鳥好きの私から見ると野鳥観察小屋に似ています(笑)。ただし、立原が選んだ土地は現在の位置とは異なり沼の反対側にありました。従って、このコーナー窓は彼の芸術家仲間が住む里の方向を向いていて、沼は西側の小さな出窓から見ることになっていたそうです。


【写真2】
この小屋に主がいることを示すために設けた旗と旗竿です。これも立原のアイディアでユーモアを感じますが、なにやら海賊のようでもあります(笑)。近くの芸術家仲間に到着を告げる信号だったのでしょう。これを合図に手に手に食べ物や飲み物を持って集まり、にぎやかに芸術談義が盛り上がるのを想定していたのでしょうか。
この日も旗が上がり、三角の旗が風に揺れて歓迎してくれました。旗のデザインは画家に依頼したのですが立原は原案を見ることなく亡くなってしまいました。


【写真3】
雨戸の十字は明り取りですが、当時はとてもハイカラで洒落たものだったことでしょう。立原のセンスと最新の海外の建築デザインを吸収していたことが窺えるようです。


【写真4】
立原のスケッチどおりにポプラの木が西側に植栽されています。北側の窓の内側にはデスクが、西側の小さな出窓側にはベッドが設えてあります。そして、そこから見える沼の風景は立原の心と身体を慰めるはずでした。


【写真5】
ヒアシンスハウスの前から沼を見た風景です。当時から大きな変化を遂げ、対岸には住宅やビルが迫っています。本来、立原が計画した小屋の立地は対岸側だったそうです。ロケーションは逆になりましたが、建築家の夢の小屋が実現できたことは素晴らしいことだと思います。

週末住宅であるヒアシンスハウスには台所、浴室がありません。
週末だけに立ち寄る別宅だったので想定していなかったのでしょうか。何らかの方法で調達あるいは供与を目論んでいたのでしょうか、それができる環境だったのかも知れません。それともそのような芸術とは無縁な要素は切り捨てたのでしょうか。

あくまでも私の妄想ですが、このヒアシンスハウスは第一期工事で、様子を見て第二期工事を行い、アドホック的にバスやキッチン、食堂のあるもう一つの小屋を増築する考えだったのではないでしょうか。
まあ、謎と言えば謎で想像だけが膨らみますが、もう謎ときは永遠にできません。夢の設計図には無粋な詮索は不要なのかも知れません。


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III ヒアシンスハウスの室内空間

5坪程度のまさに小屋で4,5人も見学者が入れば身動きがとれない極小の室内ですが、不思議と狭いという感じがしません。それには開放的な東南角の広い窓の存在が寄与しているように思います。


【写真6】
コーナー窓の雨戸、ガラス窓を引き込んで開け放ち別所沼(奥)を望んだところです。上述のように、計画では沼とは反対側を望むことになっていましたので、当時の里の風景が展開したのだと想像されます。自然を取り込む日本建築の伝統をも思わせます。

東南側のスペースには、テーブルとベンチ、椅子があり、芸術家たちとの語らいを意識したようなプランを感じます。この茶室のような空間は数人が集う格好のサイズではなかったでしょうか。そして、散会後はデスクに向かって詩を書いたり、デッサンをしたり。そして、疲れたらベッドに横になり孤独を楽しむ。そんな使い方を想像させます。

私は東南側でチェロを弾き、飽きたらデスクに移動して本を読み、疲れたらベッドで休むという使い方を夢想してしまいます。あるいは一日何もしないでベッドでうつらうつらと。おっと、完全な「弾き籠もり」願望(笑)。(サイズは少し大きくなりますが、G. マーラーの水辺の作曲小屋を思い出しました)

一方、西側はデスクをはさんでベッドのあるプライベートな空間になっています。そこには小さな出窓がついています。ヒアシンスハウスは沼の反対側に立地するはずだったので、出窓からはポプラ越しに別所沼が望めたわけです。これも建築家のこだわりだったことでしょう。


【写真7】
東南側から西側を見たところです。手前から、テーブル、出入口ドア、デスク、ベッド、出窓へと続く内部空間です。狭いようですが不思議と落ち着きます。世の中のしがらみや雑音から逃れて一人で詩作や読書に集中するには十分でしょう。隔絶感と同時に開放感が味わえる稀有な空間かも知れません。


【写真8】
室内は壁や床に杉材が用いられています。中央の造り付けの机は杉の無垢材です。手前のテーブルは栗材を用いているそうです。

私事ですが、私は杉の机が欲しくて探していたのですが、結局よいものがなく諦め、通販で今風なものを買ってしまいました。ところが、ここにある杉の机はまさに私が求めていたそれでした。小ぶりで横に長く、無垢の一枚板の天板は厚く丈夫そうです。そこで過ごす時間が楽しみになるような逸品です。こんな机が欲しかった(笑)。


【写真9】
立原の構想図には細かい指定がありません。このようなドアノブもそうで、建築にあたっては考証に苦慮したそうです。当時の商品目録などを参考にし相応しい金具を探し出たとのこと。あたかも立原自身が現れそうな佇まいではないでしょうか。


【写真10】
栗材のテーブルと椅子。床は杉材が密に並べられています。西洋化した今から見ると西洋的なコンセプトと日本の素材がマッチしているようにも思えますが、もし、立原の計画どおりに昭和初期に竣工していたらかなりハイカラに見えたはずです。


【写真11】
机から西側奥のベッドへとつながる空間(左側は押入)。まさに小屋裏部屋の空間です。おそらく、当初計画では、目覚めると朝日に輝く湖面が見えるというシチュエーションだったのではないでしょうか。隠れ家としては素敵過ぎますが、体の弱かった立原には作業と休憩が近接していることが必須だったことでしょう。


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IV ミニマムの魅力
ヒアシンスハウスは狭小、いえ、極小ですが、不要なものが一切ありません。生活感を醸し出すものと言えば西側のベッドと北側のトイレ(現状は物置)くらいしかありません。
このような簡素で清潔な空間は詩作には好適な場所となったでしょう。週末にふらりと訪れ、旗を揚げて到着の合図をし、好みの空間、好みの設えに囲まれて過ごす。芸術家が集まれば芸術談義に花が咲き、疲れれば休む。あるいは旗は揚げずに一人詩作に没頭する。そして、十分リフレッシュをして翌週の仕事に就く。立原道造はそんな湖畔の過ごし方を夢見ていたのかも知れません。人と談笑したい、一人だけで考えたい、という矛盾する行為を融合させた建築がこの小屋なのかも知れません。現在ならばスタイリッシュな隠れ家とでも形容することでしょうが、このような発想が昭和初期にあったことに驚きます。

装飾や豪華な設備などがなくても考え抜かれたレイアウト、品質があればそれだけで居心地のよい空間になることがこのヒアシンスハウスを見て分かりました。それに詩や音楽が加わればより豊かな空間になるのだと思います。建築は奥が深いものなのだと感じました。

また、この小さなヒアシンスハウスの存在自体がひとつの奇跡のように思います。建築家の夢の中にあった建物が地元有志や多くの建築家の努力によって現実のものとなったこともまるでドラマのようです。
この小さな建築が語るものは大きいと思います。ヒアシンスハウスが存在することに感謝し、これからも見守っていきたいと思います。


見学に当たっては、案内役の三浦様に貴重で丁寧な説明をいただきました。末文ながらお礼申し上げます。

◆所在地 埼玉県さいたま市南区別所4丁目12-10
     さいたま市営別所沼公園
◆竣 工 2004年11月
◆公 開 外部は常時公開。
     内部は、水・土・日・祝日、10:00-15:00、無料。ハウスガイドあり。
◆駐車場 公園に付属して有り(ただし、狭く台数は限られます)
     (2019年10月30日現在の情報です)

参考文献
・「ヒアシンスハウス・ガイド」、ヒアシンスハウスの会、2015.
・「風の詩」、ヒアシンスハウスの会・会報.2008-.





やっとこの目で見ることができたヒアシンスハウス。
わがチェロハウスとヒアシンスハウスを比べては納得したり悔しがったり、とどうしても夢ではなく現実で考えてしまうのは私に詩人の資質が乏しい故でしょう。ため息がもれます。
窓辺のヒアシンスに慰められて帰路につきました。


Nikon D500/AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6 G VR II
AF-S DX NIKKOR 10-24mm f/3.5-4.5G ED


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