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チェリビダッケの小箱

音の出るパンケーキ

Dvorak:Symphony No.7&Dukas:L'Apprenti sorcier

2008-01-28 22:04:39 | "0" "0" "0" CLASSIC
・Dvorak:Symphony No.7 in D minor, op.70
Munich Phil/1982.10
・Dukas:L'Apprenti sorcier
Munich Phil/1982.10

レーベル:"0" "0" "0" CLASSICS(TH 006)


演奏評価
・Dvorak
☆☆☆☆☆☆☆
・Dukas
☆☆☆☆☆☆☆

録音評価
・Dvorak
☆☆
・Dukas
☆☆☆☆


ミュンヘンとのドボ7。
ミュンヘン初期の演奏で、スタイル的にはシュトゥットゥガルトのイメージに近いです。
シュトゥットゥガルトととのドボルザークといえば新世界が有名ですが、確かな構築性と音の凝縮力、推進力などは似たものを感じさせてくれます。

しかし、如何せん録音の質があまりにも劣悪。
おそらく物凄い演奏であったであろうことは伝わってきますが、やはりマニア向
けアイテムの範疇でしょう。

ARTISTS盤は未聴ですが、どうなんでしょうね。


デュカスは幾分まともな録音。
標準的な演奏より少し遅めくらいのテンポ設定で、録音の影響も大きいと思いま
すが凄絶な演奏です。

晩年はブルックナー振りのイメージが強いですが、ミュンヘン以前のチェリビダ
ッケはドイツ物よりもフランス物やロシア物に定評があったと言われます。

それだけに、こういう色物系は実に聴かせるのが上手いですね。

ロンドン響との演奏もありますが、演奏の出来自体はこの盤の方が上かもしれません。
ただ、やはり録音の質がネックでしょうか。

Mahler:Kindertotenlieder

2008-01-11 01:43:31 | "0" "0" "0" CLASSIC
・Mahler:Kindertotenlieder
Munich Phil/mezzo-sop:Fassbaender/1983.06.30

レーベル:"0" "0" "0" CLASSICS(TH 017)

演奏評価:☆☆☆☆☆☆
録音評価:☆☆



「わたしはマーラーを指揮したことは一度もないし、今後もないだろう。マーラーは音楽史の中でもっとも痛ましい現象のひとつだ。」

(『私が独裁者?モーツァルトこそ! チェリビダッケ音楽語録』p.79)



そう言っていたチェリビダッケが一度だけ振ってしまったのがこの「亡き子をしのぶ歌」。


チェリビダッケという御仁は物凄く口が悪いことで有名で、いろんな作曲家がボロボロに言われてるんですが(賞賛されているのはチャイコフスキーとブルックナーくらい)、その中でも特に酷い言われようなのがグスタフさん。



(以下、マーラー好きの方は気分を損ねる可能性大なのでご注意を!)




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
グスタフ・マーラーは限度というものを知らない。
たしかに彼は器楽法とひびきのすぐれたヴィルトゥオーゾではあった。
たとえそうだとしても、それが今日彼がウケている理由を正当化するものではない。
それともそこからなにか新しいものが出てくるとでもいうのかね。
彼は混乱した人間だった。
足と腕のついたさなだ虫さながら。
彼は自分の能力にまったく釣り合わない巨大さへの衝動に突き動かされていた。
彼は格好よくはじめるが、そうしたらもうそうするのをやめられない男だ。
いつも嘘ばかりついてきた無性格な男、つまりに人にすぎない。
彼の≪交響曲第五番≫の第一楽章を理解したと主張するものはほら吹きで詐欺師というほかはない。
マーラーなんかいなくってもまったく気にならないね。
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(『私が独裁者?モーツァルトこそ! チェリビダッケ音楽語録』pp.79-80)




そんなチェリビダッケが振ったこの「亡き子」。

録音の質はイマイチですが、歌が素晴らしいですね。
終始弱音に徹しきってるオケもいいですが、もうちょっと響きがあってもいいような気がします。
多分に録音の問題なのでしょうけれど。



そういえば、チェリビダッケが敬愛していたフルトヴェングラーもマーラーは「さすらう若人の歌」しか振っていませんね。


ところで、チェリビダッケがマラ9を振る予定があったという話を聞いたことがあります。
どこで聞いたのか忘れてしまいましたが。
プローベまでやったのに、結局本番はやらなかったとかなんとか。

もし振っていたら、どんなマラ9になったんでしょうか。