※ 菱の実
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本日、和菓子の名前に関するお話③(最終回)
その② その①
ひなまつり・桃の節句
3月3日のひなまつりは、女児の節句、弥生の節句とも呼ばれています。
起源は古く平安時代で当時の書物に美しい小さい男女の人形を持って遊ぶのを
「ひいなあそび 」と呼んでいます。
上巳の節句というのは、旧暦の3月3日が十二支の上の巳の日なので
こう呼んだもので、この節句には紙で人形を作りこの「ひとがた」で体を撫でて
身の汚れをそれに負わせ海や川に「はらえ」という習慣のあったことが源氏物語
や栄華物語にも書かれています。
この厄払いの身代り人形がのちに雛人形となり雛祭りとなりました。
「ひし餅」が飾られるようになったのはインド仏典の説話にならったものと
されています。昔インドのある川に橋を掛ける工事 が行われていました。
度重なる洪水で工事は捗らずそれは川底に住む竜の怒りということで、竜を
鎮めるために女児を犠牲として捧げなければなれませんでした。
竜の使いとして子供を選んだのは天狗でした。
その年も川は荒れ天狗は女児を捜し見つけましたが、その女児はすでに7人の娘
を竜に捧げたある農夫の末娘でした。農夫は天狗に懇願し替わりに子供と同じ味
がするといわれる菱の実を差しだしました。その後川は静まりそれ以降人々は
菱の実を捧げるようにしました
菱餅を雛祭り飾るのは子供の命を救ってくれた菱の実に感謝することからきている
とされています。よもぎの緑と桃や紅花で色付けした赤、そして白の三色は健康
と魔除と清浄を表していますが、古くは赤には竜に捧げられ犠牲となった女児の
血を意味しているともいわれています。・゜・(*ノД`*)・゜・。
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本日、和菓子の名前に関するお話③(最終回)
その② その①
ひなまつり・桃の節句
3月3日のひなまつりは、女児の節句、弥生の節句とも呼ばれています。
起源は古く平安時代で当時の書物に美しい小さい男女の人形を持って遊ぶのを
「ひいなあそび 」と呼んでいます。
上巳の節句というのは、旧暦の3月3日が十二支の上の巳の日なので
こう呼んだもので、この節句には紙で人形を作りこの「ひとがた」で体を撫でて
身の汚れをそれに負わせ海や川に「はらえ」という習慣のあったことが源氏物語
や栄華物語にも書かれています。
この厄払いの身代り人形がのちに雛人形となり雛祭りとなりました。
「ひし餅」が飾られるようになったのはインド仏典の説話にならったものと
されています。昔インドのある川に橋を掛ける工事 が行われていました。
度重なる洪水で工事は捗らずそれは川底に住む竜の怒りということで、竜を
鎮めるために女児を犠牲として捧げなければなれませんでした。
竜の使いとして子供を選んだのは天狗でした。
その年も川は荒れ天狗は女児を捜し見つけましたが、その女児はすでに7人の娘
を竜に捧げたある農夫の末娘でした。農夫は天狗に懇願し替わりに子供と同じ味
がするといわれる菱の実を差しだしました。その後川は静まりそれ以降人々は
菱の実を捧げるようにしました
菱餅を雛祭り飾るのは子供の命を救ってくれた菱の実に感謝することからきている
とされています。よもぎの緑と桃や紅花で色付けした赤、そして白の三色は健康
と魔除と清浄を表していますが、古くは赤には竜に捧げられ犠牲となった女児の
血を意味しているともいわれています。・゜・(*ノД`*)・゜・。