キリストのあかしびと 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。

聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ  ◆、その生い立ち(3)

2017-03-31 01:01:49 | 聖リカルド・パンプーリ
『聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、5

◆、その生い立ち(3)

 このトリブールシオ村には、学校がありませんでした。それで六才になったエミリオは、小学三年生になるまで一キロ離れたとなり村の学校に毎日通うようになりました。この村には、小学校は三年までしかなかったので、四年と五年のためにトルリーノから四キロも離れたカゾラテ村の小学校まで毎日通うことになりました。もちろん、いつも歩いてです。当時の先生ルイジ・バルビが伝えたように、冬や天気の悪いときは、とてもつらい道でしたが、一日も欠かしたことはありません。どんなことがあっても、勤めを忠実に果すことをこうして子どもの時からよく教育されていました。

 当時の先生は、エミリオのことをこう書き残しています、「この子は、生まれながらといえるはど良い気質で、すぐ喜んで従いました。勉強にも非常に熱心で、どの面からも文句のつけようのない生徒でした。口かずは少なかったがみんなを明るいほほえみで迎えていました。その時からすでに、おちついた精神と神の恵みにみちた心のしるしを、示していたのです」と。

 エミリオは七才のとき、すなわち一九〇四年に堅信の秘跡を受け、九才のとき一九〇六年四月五日の聖木曜日に初聖体を受けました。

 一九〇九年には中学校に入学するため、ミラノにあった兄の家に移り、そこで一隼だけ過しました。なにかうまくいかないことがあって、勉強も思った通りできませんでした。

 トルリーノの叔父たちは、それに気づくと、かれをもっと近くのパビヤ市の聖アウグスティーノ学院の寮に入れることにしました。ここは良い環境に恵まれたので、精神的にも勉強においてもよく進歩しました。

 勉強については数学や幾何が得意で、学友たちが答えられないむずかしい問題も楽に解くことができました。

 精神的な面では、さらにすぐれていて、学友たちが感心するほどでした。寮の指導司祭もかれの信心深さを次のようにあかししています、「かれはたびたび告白の秘跡にあずかって心を清め、毎日聖体拝領をしていました。それで、かれのようにしていなかった学友たちは、"パンプーリ君はこの学校の聖アロイジオだ"といっていました」と。


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