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つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

朋友

2017年06月04日 | 随想

 「朋」は同門の友、「友」は同志の友「朋友」の意味

 

韓国人に生まれなくて良かった」という本が売れているようで、Amazonランキング(1時間ごとに更新されるので、順位が入れ替わっているかもしれないが、2017年6月4日現在)では1位となっている。

 

何しろ、著者が元駐韓大使だということで、これは説得力がある。

どこかで見たようなタイトルだなぁ・・・、っと思っていたら、2017年2月14日付けのダイヤモンド・オンラインに「韓国人に生まれなくて良かった」元駐韓大使が心底思う理由 という記事が載っていた。元駐韓大使・武藤正敏の「韓国ウォッチ」というシリーズの1つである。


産経新聞前ソウル支局長「無罪判決」に見える韓国の焦りとメンツ(2015年12月19日)から始まり、ほぼ1ヵ月に1,2回の定期的なアップがあるシリーズであるが、興味深いものもあれば不愉快極まりないものもある。まぁほとんどが、読み出してすぐに反感と落胆と厭わしさと疎ましさが湧いてきて読み進めるのをやめてしまう内容ではあるのだが・・・・。

個人的には、朝日新聞の捏造記事が元となっている被害者ビジネス(via 元・売春婦)というか、どちらかというとゆすり・たかりの部類でしかないはずのものなのだが、ここまで国際問題化したことに対して、書いた本人の息子が良心の呵責に耐えかねて激白した父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白の本のほうをお勧めしたい。

産経新聞出版からの発刊だが、本来なら朝日新聞社から出すべきなんだろうよ。

最近、読み終えた本に、朝日は今日も腹黒い(高山正之/著)がある。文句なしに面白いし、なぜ日本が戦争に巻き込まれたのか、なぜ原爆や無差別空襲に遭ったのか、などという原因の根本の一端が理解できてくる(第一章 米国は「原爆で日本人虐殺」を誇りに思っている、・・・、第三章 朝日が書かない本当の歴史、・・・etc. )。

ちょうど、この本を読み終えた矢先に、インディ500で優勝した佐藤琢磨に対して米人記者が日本人ドライバーが優勝したことはとても不愉快、とツイートしたという話題がネッット上で盛り上がり、「まだ先の戦争を引きずっているのか・・・」というコメントが多かったとのことのようだが、なぁに、アングロサクソンの本音が思わずポロッと出ただけのことである。どうして・・・という理由も、ちょうど読み終えた本に明確に出ていたので、物議を醸し出したツイートの、理由も内容も、さもありなん、と理解できていた。

安保条約があるから日米は理解し合えている、などということは決してない。確かに、東日本大震災における「トモダチ作戦」では、米軍が迅速かつ感動的な活躍をみせてくれたが、ただ、それをもって、アメリカという国が根底から日本と対等な友人関係にあると位置づけているということではない、ということは厳格に認識しておくべきことだろう。

たまたま、2017年6月4日の日経新聞ラストページ(32面)に、「朋は同級生、友は同僚」という阿辻哲次の連載が出ていた。

転載すると、

「朋有り遠方より来る、また楽しからずや」。いうまでもなく『論語』冒頭にある有名な文章だが、ここではいまの日本人におなじみの「友」でなく、「朋」という漢字が使われている。これについて『論語』のある注釈は、「師を同じくするを『朋』といい、志を同じくするを『友』という」と説明する。現代風にいいかえれば、「朋」は学校の同級生、「友」は会社の同僚、ということにでもなるだろうか。論語では「友」ではなく「朋」がやってきたというのだから、昔の同級生が遠くからはるばるやってきたというわけだが、では彼はどのようにしてやってきたのだろうか。なにせ孔子の時代だから、鉄道や車などはもちろん使えず、歩いてやってきたにちがいない。また通信手段とてほとんどなにもない時代だから、その「朋」はおそらく事前の通知もアポイントもなく、いきなりやってきたのだろう。それはきっと、とてもうれしかったことにちがいない。

「朋」は《月》が並んでいる形になっているが、この《月》は《貝〉が変形したもので、「貝」は古代においては財産のシンボルであった。「朋」はそんな財産の象徴であった貝をいくつも紐でつないだ形で、多くの財宝を意味する文字だったのだが、それがやがて「友だち」という意味で使われるようになったのは、「朋」が「鳳」と同じ発音であったからだという。

鳳は地上に理想的な平和が実現された時に出現する想像上の鳥とされるが、画数の多い漢字なので、古い時代には「鳳」のかわりに、より簡単に書ける「朋」でその鳥のことを表すこともあった。鳳は鳥の中の王様であって、王様であるかぎり、大勢の家来がつきしたがう。そのことをふまえて、中国最古の文字学書であり、漢字研究の聖典とされる『説文解字』は「朋」と「鳳」を同じところに配置して、「鳳飛びて群鳥従うこと、万をもって数う、ゆえにもって朋党の字となす」と記している。朋(=鳳)が飛びたつと、1万羽以上もの鳥があとにつきしたがう。それで「朋」の字に「朋党=仲間」という意味ができた、というわけだ。   (漢字学者)

 

後半の「鳳」に話題が移る過程や内容が今ひとつ理解できてないのだが、前半部分の、師が同じなら「朋」、志が同じなら「友」というといことは理解できた。と、いうか、そういうものらしいが、じゃぁ、「級友」(同じ学級の友達)っちゃぁ何?と、思ってみたら、クラスメート、同級生という意味らしい。言い回しに理屈をつけても意味ないことなのだが、これは「級朋」ではないのか、というような気もするのだが、そんな言葉はどうも存在しないようだ。

「朋友」は「友達」ではないというサイトがあり、そこでは、「友達」の「友達」は「友達」だが、「朋友」の「朋友」は「赤の他人」 である、という面白い言い回しを紹介している。何でも、中国でのお話のようで、だから中国には「友達の輪」というものが無い、という。滅ぼし亡びつづけてきた土地柄である。理解し合えないのはアングロサクソンばかりではない。