一線を越えている・・・
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1本の線を引いてみた・・・「これを越えたらダメ」という線、
そういう「一線」というものがあるはずである。
「一線を画す」という言葉がある。
「境界線や区別をはっきりさせる」という意味がある。
その「一線を越えた」破廉恥な行為が、今回の金正恩第1書記の暗殺を
題材にした『コメディー映画「ザ・インタビュー」』 だろう。
「表現の自由」の名のもとに、国家元首をコメディアンとして侮辱することは、
「表現の自由」を逸脱しており、あってはならない所業である。
まさに、「一線」を越えてしまっている。
北朝鮮が反発している、ということだが、例によって、黒いオバカは
「表現の自由だ。屈することなく上映を」と、それがアメリカの正義だと、
ほざいているようだが、アメリカという国はそれで戦争を招くことが
軍事産業等の振興策であり、金儲けの策でもあるのだ。
「アメリカはなんでも正しいのか?」と、武田邦彦 氏(中部大学)が
言うように、フセイン(イラク)を陥れたときも、かつて日本を戦争させるよう
仕向けたのも、そして今、ウクライナをけしかけているのも、最初は全て、
「挑発」から始まり、反発したところを武力攻撃の理由として大量虐殺まで
持って行く、というアメリカの常套手段である。
拉致問題の当事者の北朝鮮だからアメリカのほうが正しい、なんて思ったら
それこそ思うつぼだ。
そういう存在である北朝鮮であっても、ここは、最高指導者や国民を
侮辱された北朝鮮のほうを支持すべきだろう。
いや、北朝鮮にはテロ予告を取り下げさせ、アメリカには他国への侮辱を
「表現の自由」という名でごまかすな、と世界中に発信すべきだろう。
日本が、もしもそういう声明を出すことができたら、アジア諸国(例の2国は
除く)や、中近東・アフリカ諸国、中南米諸国から絶大な支持を得られるだろう
・・・・・・希望的観測にとどまっているが (>_<) 。
実は、今回の事件も日本にとって他人事ではない。
「〈人食いの風習〉があり、〈生きたまま人肉を食べた〉」という
日本兵を描いたとされる反日映画「アンブロークン」も、2014年12月25日に
公開されたのだ。
これ、外務省からでも非難声明を出さなきゃダメじゃないか !!
(来年のWW2終息70周年に向けた、真珠湾攻撃のウソを
事前に封じ込めておくことが目的、と見ているのだが・・・。)
「表現の自由を最重要視するアメリカ」は、完全に「一線」を越えている。
アルカイダによるとされている2001年9月11日の同時多発テロ事件も、
アメリカは被害者面しているが、その前に多くの侮辱や虐殺、空爆などを
繰り返し行ってきており、テロ事件なんか、それらに対するささやかな抵抗
みたいなものじゃないのか?
窮鼠猫を噛む、のとおり、追い詰めてしまえば テロという形で、
しっぺ返しがあるのである。
・・・・テロの容認ではない。
「表現の自由」に規律を求めるものである。
1988年に発表されたという「悪魔の詩」も、作者はイギリスの作家だが、
わざわざイスラム教を侮辱するためにだけかかれた、としか思えない。
・・・・・その「死刑宣告」は、今も取り下げられていない。
「広島と長崎への原爆投下を人類に対する犯罪として認める必要がある」と
ロシアが表明しているが、全くそのとおりである。
付け加えるなら、原爆投下後も空襲で数百万人が殺されたのである。