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よかったら読んでいってください!

空想と現実逃避とちょっと真面目

いがらしゆみこ先生と水木杏子先生

2020-10-25 09:20:03 | キャンディキャンディ雑記
(長いけど読んでくださいませませ❤️)


53歳の私。withコロナの中。

こうやって、キャンディキャンディについて、心の叫びを書いているものの。

実は。

私のキャンディキャンディブームは、人生2回目。
みなさんのブログを読ませていただくと、今は4回目のブームとか6回目のブームだとおっしゃる方もいて。
私なんて、ひよっこのペーペー。

それには理由があって。


ペーペーの私は、正確な記憶がなくて、Wikipediaしてみると。

キャンディキャンディは、1975年4月から1979年3月までなかよしで連載されていた模様。

そう。

私が小3になった4月から中1の3月まで。

小4でスコットランドのサマースクールのくだりをなかよし月刊誌で読み、どっか~んとはまり。

クラスには。同志と言える熱きファンの女子がいて、休み時間にはテリィのここがいいんだ、だの、この先どうなるか、など飽きもせず、語り合っていた。

小6で、テリィとの衝撃的な別れの後も。
同志と、「この先、どのようにしてテリィはキャンディと復縁するのだろうか?」と若干話し合いの議題を修正しながら、語り合っていた。

私も。ふたりがこのまま別れるなんて、まさかないよね?と復縁を95%信じながら、読み続けていたのだけど。

テリィが出なくなったあたりから、がく~んとキャンディキャンディがつまんなくなった💧

ほんと、今読んでも味気ない。

(そうでない方、ごめんなさい💦😢)



そして。追い討ちをかけるように。
その頃、私は中1になり、遅い「初恋」を経験し、現実のラブ❤️>テリィ(アンソニー)になってしまったのです。

ま、ラブ❤️って言っても、私の場合は、「机上の恋愛」



そんな中。

月刊なかよしが、キャンディキャンディ最終回まであと2ヶ月‼️的な広告を打ち出し。


「えー⁉️あと2回でどうやってテリィと復縁するの⁉️」
と焦りまくったのです。

でも。


いやいや。冷静になれ、わたし。

最終回で、テリィが、突然、「ただいま」みたいな感じで現れ、キャンディがその胸に飛び込んでいって、「完‼️」じゃない⁉️

そうよ‼️絶対そうに違いない‼️

などと自分を励ましていた。


にもかかわらず。私にとって、無情にも、テリィからはそれっきり音沙汰なく。

最後は、丘の上の王子様がアルバートさんであった、というシーンで、ジ・エンド。


へ?


それで、この大ロマン物語が終わっちゃうの⁉️


で。わたしが、その時に読み取ったのは。(間違ってるかも、だけど)

キャンディは、特定の男子とくっつくのではなく、これからも辛いことがあっても、たくましく、周りの大切な人たちに囲まれて、挫けず、イキイキと生きていくんだ、そういう物語なんだと感じたのです。

ハーレクイン、というより、1人の女の子の人生の物語であると。

だから、アルバートさんの正体が次々と暴かれる?のも、キャンディの次の彼氏候補、としてではなく、キャンディの人生の中で「大切な人」としてのエピソード。


キャンディはアルバートさんやアーチーやアニー、パティなど、すてきな友人に囲まれながら、人生を送り、またいつか誰かと出会うのかもしれない、って余韻を感じたのです。


そんな風に私は物語を読みとったので、正直。
つまらん。怒。

私は、アンソニー亡きあと、テリィになら、キャンディを託してもいい、と応援していたのに‼️
恋愛が読みたいのよ‼️
成長じゃなくて‼️

と、だいぶがっかりもしたので、それっきりキャンディキャンディを読み返すことも最近までなかったのです。


そして。


ひょんなことから小説キャンディキャンディファイナルを読み。

その時は、あの流れからみて、「あの人」って、アルバートさんしかいないよね?


ニールはお断りしたし。

ステアはいないし。

アーチーはアニーの彼氏。

残るメンズは、アルバートさんくらいしかいないもん。


そして。


泣きそうになり。(今度は怒りより、悲しくて💧)


じゃあ、テリィはどうなるのよぉ~💧って3日3晩眠れず、小説は図書館に返却。


そして、ある方のブログにたまたま出会い、そこで、「あの人」はテリィとの考察にすっかり洗脳(笑)され、ご機嫌になったのです~😆


が。


実は最近、また別の方のブログに出会い、「あの人」考察を読み。


なんだか、肩書きのあるその方の考察によると「あの人」はアルバートさんに決まってんじゃん‼️テリィだなんていう間違った認識もあるけど的な視点で書いてあり、今度はその方の考察に(悲しいけど確かにそうかもと)洗脳されておりまする。ちーん。


もう、読むブログ読むブログに洗脳される‼️(笑)


だから、また日にちがたったら、違うことを書いているかもしれないけど。


その中に。


水木杏子先生のファンクラブ(今は閉鎖みたい)に掲載されていたコメントやらインタビューにお答えになっていた過去の雑誌が載っているサイトを見つけたのです。

これ↓



どうやらキャンディキャンディ、大人の事情がいっぱい絡んでいる、みたいなことを読みました。


(そのサイトから抜粋)
企画立ち上げ時の担当編集者と名木田氏はこの作品を「少女の成長ドラマ」と捉えていたが、漫画家と二代目担当は「スイートなラブストーリー」と解釈し、原作原稿を改変し自分達の望む方向に引っ張っていこうとしていたようだ。」


いいじゃん‼️スイートなラブストーリー♥️と思うのだけど、水木杏子先生から見たら、そうじゃなかったのよね、きっと。

そのサイトやら裁判の記録とかみると。


水木杏子先生は、繊細な芸術家肌で、お金よりも自らの作品を何より大切にし、こだわり、キャンディキャンディの世界観を大切にする方。


いがらしゆみこ先生は、情熱的で恋愛もバリバリこなす活動的な方。
もちろん、人生には、お金も大切‼️男子も必要‼️みたいな考えの方。

そんな気がする。


キャンディキャンディが始まった頃のお二人のインタビューをみると。


仲良さそうなコメントの中に、「静」と「動」のまったく正反対な性格、みたいなことが書いてある。


だから、テリィが

「おまえをメチャクチャにしてやる。」

とか

「アンソニーならどういうキスをしたんだ。アンソニーならもっとやさしくしたっていうのか!ふざけるな!」

とか、赤面するような台詞を言ってたもんね。

これって、絶対いがらしゆみこ先生の使う台詞よ‼️

水木杏子先生の人気の物語をあれから最近3冊また追加で読んだけど、やはりデコチュー♥️止まりのエロさ0%。

↓この本





サイトの情報によると。

水木杏子先生は。いがらしゆみこ先生と2人目の担当者との意見の違いにモンモンとされたことが何度かあるそうな。

たとえば。

ステアが空中戦で、戦死する場面でも。


漫画の中で。

ステアは、親友を撃ち殺した凄腕のバーディシュニッツェルという男と空中戦を繰り広げるんだけど、ステアはその男の機銃が壊れていたから撃とうとせず、機銃が直ったらまた戦おう、とするの。

だけど、結局、ステアは他の戦闘機に撃たれて戦死する、ってシーンがあった。


あのシーン。

水木杏子先生にとっては、ご自分の納得のいく場面ではない、とのこと。

水木先生は、他の戦闘機ではだめで、ステアはバーディシュニッツェルという男に撃たれなければならない、と思われていたそう。


そして、撃たれたステアは、「自分は甘いな」って呟いて空に散っていく、と。


そのくらい作品に込める「意味」や「ディテール」にもこだわる方。

そりゃあ、合わんだろ、って思う。言葉が悪いけど💦


友達としてなら、そういう考え方かあるのね‼️とか言ってられるけど、一緒に何かを作るのって、無理じゃね⁉️って感じ。


おまけに。

元いがらし先生のアシスタントをしていらした原ちえこ先生が、「フォスティーヌ」の中で、フォスティーヌのことを好きな3人の(これもじゃん。笑)メンズの中のひとり(フォスティーヌと血のつながらないミルコ兄さん)を殺しましょう♥️って、さらっと編集担当者に言われて、殺しちゃった、みたいなことをあとがきに書いてらした。

たぶん、この編集者の方って、キャンディキャンディの2番目の担当者の方。


当時、キャンディキャンディとフォスティーヌを両方担当していたらしくて。

ばっさりミルコ兄さん殺害💦を提案するってタイプは、水木先生とはあわないかも。


もちろん。


作品のクオリティーを求める作家とそれが売れるかどうか?を考えなくてはならない編集者は、それぞれの正義があって、大人の事情が発生する。


それもわかるし。


どうやらこのキャンディキャンディは。


大まかなストーリーは水木先生が決めていらしたけど、台詞やシーン(コマワリ)はいがらし先生がなさっていたそう。

いがらし先生がご自分で台詞やコマワリをした後、水木先生に許可をいただくシステムだそうな。

自分の大切な世界観は変えたくない気持ちも理解できるし、ストーリーを読んで自分なりに台詞まわしを考えたり、コマワリしたりしたのにケチつけられたくない、って気持ちも両方わかる気がする。


色々あったんだろうなぁ~💧って感じる。

だから。

水木先生からは、アンソニーの匂いがして、アンソニーの素敵さは、水木先生が作り上げた、と感じる。


いがらし先生からは、テリィの匂いがして、テリィはいがらし先生が作った、って気もするような。。。


じゃあさ。

こうしない???


アンソニーは、水木先生の権利。

テリィは、いがらし先生の権利。


見たいのよ、アンソニーを。

キザな「~だせ」って、テリィの台詞を聞きたいのよ。


今でも。キャンディキャンディの続きを読みたい‼️


まだまだ書きたいことがあるんだけど、長くなったので、今日はここまでにします❤️

イライザ・ラガンの方がマシ。

2020-10-24 16:12:05 | キャンディキャンディ雑記

テリィって、昔。

「おれはとうさんみたいな愛し方はしない」
「そんなふうに人を愛さない」


とか言ってた。


キャー😆すてき‼️

テリィの性格も行動も、絶対どんな困難にも抵抗し、愛を貫くタイプだとファンはみんな確信していたと思う。私もそう。


それとは対照的に。

テリィのお父さんは、エレノア・ベーカーを愛しながら、地位のために「ブタ(テリィが言ったのよ。笑)」みたいな女性と結婚したのよね。


↓こんな人。



↑こうみえて、むっちゃ、お嬢さまなはずだけど😅

テリィはお父さんみたいに愛のない結婚をしない‼️って幼い頃から思っていたのに。


結局。


お父さんと同じように、1番愛する人との結婚をすることが、できなかった。

テリィが1番嫌っていた、愛のない結婚💧


かわいそう💧💧


あんなに、キャンディと相思相愛なのに‼️



もし、私が男なら。

ブタ(だから、テリィが言ったんだって。笑)の養母より、スザナがマシだと思うの。

美人だから。



でも。

私は、スザナはテリィの結婚相手としてはどうしてもど~しても嫌なの。



私の体をこんなにしたのはあなたよ的なことを言って追い詰めておきながら、一転、私のことは構わず、キャンディとお幸せに、みたいな態度をとるのって、最低じゃない⁉️
んなこといわれて、はい、じゃあキャンディと幸せになります‼️なんて言えるわけないじゃん。


だったら、最後まで、責任を取れ‼️、って、がぶり寄る方が、すっきりする。


それか、潔く。
いやいや。たまたま貧血でふらついてテリィに激突してしまっただけで、あなたをかばったわけじゃないんだよね~と言うとか。



ダーティキャラはダーティで。

清純キャラを装ったダーティキャラは嫌いなんだ~😆


ダーティキャラ、といえば、イライザ。

イライザって、アンソニーにも振り向いてもらえず、テリィにもフラレ、キャンディと男子の好みがかぶっているだけに損をしている。


でも。最近。
落ち着いて考えれば、意外と彼女いいんじゃない⁉️(笑)って思い始めた。


キャンディとテリィを罠にはめて、テリィに唾をかけられたりしていたのに、ブロードウェイではすっかりなかったような強気な振る舞い。

それに、テリィが五月祭に参加したのは私とダンスを踊りたかったから、など、スーパーポジティブシンキング‼️

意外とあうんじゃない⁉️テリィとイライザ。

情緒不安定で、ちょっと暗い?テリィと強気でスーパーポジティブなイライザ。


イライザなら、スザナがテリィをかばって怪我していようが、ダーティな技を繰り出して、テリィとスザナをくっつけないようにしてくれそう。

お金にものをいわせる、とか。

こわ~い人に脅してもらう、とか。


なんか、頼りになりそう(笑)


そう‼️1番嫌いなスザナにテリィを渡すくらいなら、イライザの方がマシ❗


そういえば。
小説「キャンディキャンディ」には、テリィとスザナは婚約はしたけど、結婚はしなかった、って書いてあった。


これは、思いやりと感謝の気持ちはあるけど、男女の愛には発展しなかった、と水木先生が読者に伝えたいからかな~♥️と思うのだけど。

テリィとスザナは、絶対プラトニック‼️
手を繋ぐ、くらいしかしていない‼️

と思いたい(笑)







アンソニー・ブラウンの魅力♥️

2020-10-20 13:15:29 | キャンディキャンディ雑記

テリィのこと、大好き❤️





私のハートをわしづかみ‼️今、1番好きかも。


女子が好きなポイントは、全て持っている男、テリィ‼️

見た目が良くて。


お家柄もよくて。


お勉強もできて。


乗馬もこなせて。


ピアノも弾けて。


演劇だって一流。


おまけに好きな女子には直球で。


他の女子には見向きもしない。


しかも。


ちょっと影があって。


悪いことも難なくこなしちゃう不良❤️


こんな男子を好きにならない女子いないよね~😆‼️



なんだけど。



私は、今も昔も「アンソニー派」


なんでだろ~?と自分でもずっと不思議だった。


なんで?


なんで?なんで?


私って、ヘソ曲がり⁉️



アンソニーもいいけど、テリィの爆発的な魅力の前には、太刀打ちできないでしょ‼️


そう思うのだけど。



なぜか。名刺に書く肩書きのように。(笑)


私はアンソニー派、っていいたくなる。




それがなんでか、自分でもず~っとわからなかったのだけど。


ある方の二次小説を読んで、雲の切れ間から一条の光が地上に差し込むように。


ううん。


数学の難問が、閃いて解けたように。(笑)




理由がわかったのです。



その方の二次小説には。


「アンソニーが生きていて、テリィとキャンディの愛を争ったら?」という不朽のテーマが書かれているのですが。



テリィはやっぱりテリィで(笑)


アンソニーに口でも手でも攻撃し、キャンディにも猛アタック‼️


そうそう。


しそう、しそう。


って感じ。


もちろん、嫌な感じじゃなく、テリィっぽく、ドSな強引さで♥️


もちろん。アンソニーも負けずに口攻撃、手攻撃、そして、キャンディへ、アプローチもするのだけど。



最終的に。



アンソニーは、自分とテリィ、2人の板挟みになって、キャンディが苦しまないように身をひくの。


ま、悪く言えば、あんたの愛はそこまでなのか⁉️だけど。



昔。こんな話をよんだのを思い出した。

時代劇で有名な大岡越前が。


この子は、自分の子だと言い張る(昔はDNA検査とかないもんね)二人の女が現れて。


どちらの女も絶対自分がこの子のの母親だと譲らないから。


大岡越前は、その子の右手を2人のうちのひとりの女に引っ張らせ、左手をもうひとりの女にひっぱらせるの。


より強く引っ張る方が、母親としての気持ちが強いわけだから、勝った方が本当の母親だと見なす、と言って。


そして。


痛がって泣いているその子の手を右からと左からひっぱるのだけど。


片方の女は、その子が痛がってなくから、手を離しちゃうの。


手を離さなかった女は、自分が勝った、と喜ぶんだけど、大岡越前は、手を離した方の女を母親として認める判決を言い渡す、ってお話。


本当の母親なら、我が子が腕を引っ張られて痛くて泣いているのに平気でいられるわけがない、ということみたい。


で。


アンソニーも同じように、自分がテリィに負けないようにアタックすることで、キャンディを苦しめる、と思って、自分の気持ちを封印しようとする、ってお話なんだけど、私のアンソニー像もまさに「それ‼️」


自己犠牲、というか、相手を好きだからこそ、自分を押さえようとする、ってところが、私の中のアンソニー♥️❤️♥️


で、その二次小説の中のアンソニーは、キャンディを諦めるためにもがき、苦しみ、耐えられないほどの悲しみを背負いながらも、キャンディには、そのそぶりを見せず、テリィのもとへ送り出そうとするの。


おまけに。


にっくき恋敵のテリィにも理解を示し、キャンディのことをしあわせにしてやってくれ、って言うの。


号泣😭😭😭💦



あ、これ、水木杏子先生のお話じゃなかった。(笑)


でも。



私のアンソニー像もまったくそう。



そんな風に振る舞うだろうなぁ~♥️っておもわせてくれる。


だから、もう四十数年、アンソニー派♥️



もちろん‼️



テリィの、キャンディが、ものすごく好きだから。

俺が幸せにするんだ‼️

絶対、キャンディを幸せにしてやる‼️


って、考え方も超好き♥️


周りの忖度?や感情や立場を吹っ飛ばして、好きな女は俺が守って、幸せにする‼️


そんなところが、テリィの魅力♥️



そういえば。


私の好きな漫画や物語には、このアンソニータイプが出てくることがある。


で、大抵、強引な魅力満載の男子に好きな女子をかっさらわれるのだけど。


私は、漫画や物語の中だと、この自己犠牲タイプが好き。


現実には、いなさそうだからこそ、せめて物語の中にはいて欲しい、って強く思うから。


テリィみたいなタイプだって、現実にはなかなかいなさそうだけど、たまにはいるかも⁉️って思えちゃう。



テリィのこと、大好きで、キャンディとテリィは結ばれて欲しい、と思うし。



テリィが現実にいたらなぁ、とも空想するし。



でも。



キャンディキャンディの物語の中だと、優しくて、愛する人のことをまず1番に考えるアンソニーの味方でいたい‼️


そんなこんなで。


私は。


アンソニー派♥️


今日も妄想が止まらない(笑)


テリィに会いたい♥️

2020-10-16 19:11:13 | キャンディキャンディ雑記
なんだか最近。


街を歩けば金木犀のあま~い香りが漂ってきたり。


空が澄みわたり。


月が冴えざえと夜を照らしていたり。


流れる風が冷たくなって。


あ~秋だなぁって感じる。


秋って。なんでだか。


非現実的な世界とつながっている季節、って思えるの。


真夏‼️とかだと「現実」ありき‼️って気持ちになるのだけど。


現実と非現実な世界とが、1年で1番近くなる気がするこの頃。


月に魔力をいただいたり。


風に予感を感じたり。


そんなことが起こりそうな気がしてくる。


だから。


こんな季節には。


お話の中のテリィに会いたいなぁ~♥️なんて思っちゃう。


いや。まじで。


昔、本の中の世界に行けるネバーエンディングストーリーって映画があったけど、あんな風にキャンディキャンディの世界に行ってみたい‼️


もちろん。


53歳の私でなく、1番イケてた、(と自分では思ってる)28歳で。


あ。


でも。


テリィ、17、18歳くらい?


ダメじゃん。


私も17歳で。


でもなぁ。高校生の頃、パーマ禁止で、それなのに無理して聖子ちゃんカットを目指すヘルメット頭だったし。。。


じゃあ。


キャンディと別れ、スザナと死別した後のテリィと28歳の私がであうの❤️

きゃーっ😆❤️


ナイスぅ~♥️


で、引退を考えるテリィを私が引き留め、バックアップするの❤️


あ~♥️妄想が止まらない‼️妄想族全開‼️




そういえば。


高校生の頃。


志保っていうクラスメートがいて、登場人物や物語のテイストをリクエストするとその通りの物語を即興で作るのがうまかった。


例えば。


私があの頃はまっていたアルフィーの高見沢俊彦さま❤️


志保に、高見沢さんと私が同じゼミにいる大学生で、バンドをやりながら同棲をしているお話を書いて、とか、


私が孤児院にいる中学生で、高見沢さんが、あしながおじさんみたいに救い出してくれるお話を書いて、とか、


そんな風に頼むと。


ルーズリーフに小さな字で物語を作ってくれた。


ギャグも入っていたり、ありそう‼️なことも書いてあって、すごく好きだった。



これって、大人になった今も「あったらいいのに」って思う。


自分と自分の好きな人とのオリジナルストーリー❤️


ラブストーリーだったら、最高‼️


キャンディと別れてからのテリィと私のオリジナルストーリー‼️


誰も読まないけど、私だけがニヤニヤしながら読むという。。。


きっと、テリィファンの女子なら、自分とテリィのオリジナルラブストーリー❤️って、読みたいはず‼️



できれば。


水木先生に書いてほし~♥️




ないかな~♥️

ベランダの窓を開けてふと下を見ると。

テリィが。


「早く降りて来いよ。好きなところに連れてってやるよ。」

とか言ってくれるの♥️














衝撃!テリィとの別れは最初から決まっていた!

2020-10-15 12:57:00 | キャンディキャンディ雑記
どうやら、テリィとの別れは水木先生の中で決まっていた、ということを知り、ショック😱⤵️⤵️を受けています。

以下、水木杏子先生の過去のエッセイです。
衝撃の部分をコピペします。

私はその部屋で、キャンディと対話しながら最終回を書きあげた。ペンを置いたときの体が浮くような感覚はまだ残っている。
 窓の外はもうまっ暗だった。
 枯れ葉が流れる音が聞こえていた。私は複雑な思いで何もみえない外をみつめていた。
 これでよかったのだ、いや、他にもっと書き方はなかったか――そんな思いとともに深い安堵感が私の中を漂っていた。

 あの日から、もう何年もたってしまった。なのに、今も時々彼女のことを尋ねられる。その多くが、なぜキャンディとテリィをむすばせてあげなかったのか、というお叱りなのだ。
 そのたびに私は、終ってもまだキャンディのことを思ってくれる読者の人々の気持ちに胸が熱くなり、みんなにとてもすまないことをしたような気がしてくる。
 けれど、テリィと別れることは初めから決っていたのだ。キャンディには三つの愛を考えていた。アンソニーとの淡いはかない初恋、テリイとの激しい恋、そしてアルバートさんとの運命的な穏やかな愛
 ――しかし、いがらし氏の描いたテリイがあまりにも素晴らしい少年だったため、人気が集中してしまったようだ。
 私でさえ、テリィの動きにほれぼれし、胸をときめかせた。キャンディとテリィの別れのシーンを書いている時、やけに息苦しく、目の前がくもるのでどうしたのだろう、とペンを置き、ハタと気づくと、呼吸するのを忘れ、目は涙でいっぱいだった。
 その場面を書き終ったあとも悲しくてたまらず、深夜一人で泣いていると起きてきたダンナサマがびつくりした顔をした。身内の誰かが亡くなった、ととっさに思ったらしい。
 あとで考えると、自分で物語を作りながらとおかしくなるのだが、書いている時は夢中でその世界にひたりこんでいる。
 本当に愛しあっていても運命のいたずらで別れなければならないこともある――そんな思いをこめて書いた場面なのだが、自分が恋人と別れたようにつらいのだ。
 原稿をわたしたあとも、しばらく私は重苦しい心をかかえていた。
(略)

初出『児童文芸』 一九八〇年陽春臨時増刊号、再録『マンガ批評大系4マンガ家は語る』 (1989年平凡社)より

つまり。

最初から、テリィとの別れは決まっていた‼️
ということらしいのです。

でも。なぜ、それなら、10年以上たって、小説キャンディキャンディファイナルを出されたのか⁉️

そこで。
真相をさぐるべく、小説「キャンディキャンディ」を購入しました~😆
(清水の舞台から後ろ向きで飛び降りる覚悟で‼️)

何度も読み❤️

大人の事情、も含めて、私が想像するのは。

もともと、水木先生(名木田先生)は。

漫画連載当時。
テリィは、キャンディという女の子の人生を駆け抜けていったひとりの人物として描かれたではないか、と思います。

そもそも、スイートなラブストーリーとして、「恋愛」だけを重視して物語を考えていらっしゃらなかったのだと。

だけど。

水木先生の予想以上にテリィというキャラクターが爆発的な人気になってしまい、最初のストーリーの組み立てが危うくなったのではないか?と思うのです。


水木先生が漫画の連載が終わったあとも、なぜキャンディをテリィと結ばせてあげなかったのか?とお叱りを受ける、とおっしゃっているように。


それは、たぶん、多くのファンが思うこと。

私も水木先生とお会いできたら、そう言ってしまいそう。
テリィと結ばせてあげて欲しかった、と。

つまり。

ひとつの「物語」としてキャンディキャンディを作られた水木先生のご意志とは別にファンの中の「キャンディキャンディ」がひとりだちをして歩きだしてしまったのではないかとおもうのです。


水木先生だけの「キャンディキャンディ」ではなく、ファンみんなのキャンディキャンディ。

それを水木先生は感じられて、小説キャンディキャンディファイナルを書かれた、と私は考えています。

当時の小中学生にトラウマを残したし💧


だけど。

そこには、当時からのアルバートさん(丘の上の王子様)ファンもいて

彼らにとっては、キャンディキャンディは、(当時から)ハッピーエンドであるので、今さらテリィとくっつけなおす、ということもできず。

だから、水木先生は、「あの人」を名前をださずに、それぞれファンが、自分の思う「あの人」と暮らしている、とおもえるようにされた、と思います。

だから。


アルバートさんファンにとっては、やっぱりね❤️と。


テリィファンにとっては、「よかった。色々あったけど、最終的にはテリィと結ばれたのね❤️」と思えるようにされたんだと思います。

だけど。

私はおもうのです。

アルバートさんと暮らしているのなら、小説「キャンディキャンディファイナル」は必要ではなく。


よって。

小説「キャンディキャンディファイナル」は、テリィファンに向けて書かれたと私は考えています。


多くの方が、「あの人」考察をされていて、今さら私がする必要もないくらいなのですが。

ここでは、私が「あの人」は、テリィ❤️と決定的‼️と思う2点についてだけ記載します。


ひとつめの決定的証拠は。

現在、キャンディは、イギリスのエイボン川近くのお家に愛する「あの人」と住んでいる。

もし。

それが、アルバートさんなら。

きっと、スカンクなどの小動物や鳥や犬やたくさんの動物に囲まれて暮らしているはず。

だって、記憶を失っていた時ですら、動物公園をさまよってしまうアルバートさんなのだから。

でも。そのキャンディたちのお家には、水仙や薔薇のお花は咲いているけれど、ペットに関する記載はなく。

動物がいる気配はまったくなし‼️

絶対テリィんちよ~😆❤️


そして。

決定的証拠‼️

ふたつめは。

アメリカにいる病気のポニー先生をお見舞いに行くのを控えている(行ってない)キャンディ。

もっとポニー先生たちの役にたちたいのだが、今は、なによりいつもわたしが近くにいることを望んでいるあのひとのそばをわたしも離れたくない。

↑これって、絶対、直情的なテリィだと思う~♥️

アルバートさんだったら、キャラが違いすぎない?

ひとりでぶらっと旅に出るタイプのアルバートさんが、キャンディと暮らしたら、超甘えんぼになる、とは思えない‼️
ましてや、シカゴでキャンディと暮らしていた時なんて、普通‼️だったもの。

それに。

そのキャンディの思いを書いてあるページのすぐ前に。

今までつらいわかれはいくつもあった。
けれど、生きてさえいればまた巡りあうことができるのだ。
だから、わたしはもう、別れを怖れない。

↑これよね❤️

最終的に、キャンディが別れても生きていれば会える、とわかった、ってこと。

キャンディが(1度)生きて別れたのは、テリィだけ。

アンソニーとステアは、生きて別れたわけじゃないよね。

だから。

水木先生の最初の構想では、キャンディとテリィは最初から別れることになっていたのだけど。

我々ファンの熱い気持ちに後押しされ、キャンディキャンディという物語が勝手に?動き出し、それを知った水木先生が、「キャンディキャンディファイナル」を書いてくださった、と信じているのです❤️


つまり。


「あの人」とは。


テリュース・G・グランチェスターなのです❤️


その後、追記しています。
テリィとキャンディの運命、というか、水木先生の最初の構想について、感じたことがあるので、追記いたします。

私のブログ、「テリィがキャンディと踊ったワルツ曲、判明」でも書かせていただいたのですが。

テリィとキャンディは、「ロミオとジュリエット」だと最初から「暗示」がされていたのだ、と思います。

結ばれぬ運命、と。

それは、セントポール学院の五月祭。

あの時、テリィは、ジュリエットに扮装しているキャンディと木立の中で踊ったのだけど。

きっと流れていたのは、「ワルツ ロミオとジュリエット」
シェークスピア好きのテリィだから「いい曲だね」って言ってたし。

キャンディは、ロミオとジュリエットが出会った仮面舞踏会と同じように「仮面」をつけて五月祭に参加して。

それに、テリィがキャンディを招待したN.Y.の公演(キャンディと別れる原因となったスザナとのお芝居)も「ロミオとジュリエット」だった。

「ロミオとジュリエット」が影のように、キャンディとテリィの人生にまとわりついている。

これって、水木先生の最初の構想では、テリィとの「激しい恋」は、ロミオとジュリエットのように結ばれぬ恋だと決まっていて、それを暗示していたんだと思います。

だけど、水木先生の予想以上にテリィの人気が高まり、ファンの声を受け止めて、「小説キャンディキャンディ ファイナル」では、テリィと結ばせてあげたのだと思います。

キャンディキャンディは、水木杏子先生だけのものではなく、世界中のファンのもの。

水木杏子先生は、そんな風にお考えになって、小説を出されたのではないでしょうか。