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ちょっと資料室行ってきます

自分好みの情報をおくためだけのブログです

受け売り先生の無責任 2008.9.28 02:49

2009-10-27 | 産経新聞に見る:古典個展
 ときどき昔話を思い出す。私のように老人になると、話の最後が気になる。

 例えば、浦島太郎。最後は白髪(しらが)のおじいさん。では、それから先はどうなったのだろう。

 というわけで、先日、旧友と安酒を飲みながら、ストーリーを展開しあった。

 あの後、老人ホームに入ったというのでは平凡。そこで、ぱーっと派手に展開した。

 浦島太郎老人は、花咲じいさんとなって大金持ちになりました。その大金はリーマン・ブラザーズなんて証券会社は危ないのでそこには預けず、極楽を作りました。すると地上の人は、それは格差社会で仏の教えに反すると非難するので、黄金(こがね)作りの極楽をつぶして、そのお金でディズニーランドを作り、あれこれ万人向けの設備を充実しましたが、日本人は貧乏性なので、入場料の安い動物園に作り替えました。その動物も、象を偽装して亀を入れましたところ、悪(わる)ガキが亀をいじめるのです。それはいけませんと浦島太郎青年が教え諭(さと)して…となって話が循環する。これ、高血圧の症状。

 テレビのバラエティー番組の内、政治・外交・経済など硬派ものに出演する有識者諸先生の御高説は、だいたいこの高血圧症状。ぐるぐる堂々めぐりしている。

 例えば、社会保険の赤字は税金で補う。その税金は増税でカバーする。すると税金が高くなるので社会保険料のほうは滞納が増える。すると赤字となるので…。

 こう循環するのは、結局は不勉強ということなのであろう。それはそうだ。重大な問題の解答を作ろうとなると、腰を入れた勉強をしなくてはできるはずがない。

 ところが、有識者諸先生は毎日のように出演。あれでは本を読む時間、根拠となる資料調査の時間がなかろう。それでも出演となると、他人の言説を密輸入するしかなかろう。

 もちろん、それを〈書く〉と盗作となるが、〈話す〉となると、盗作になることはまずない。いくらでも言い逃れができる。出拠を言う時間がなかったとかなんとかと。なによりごまかせるのは、電波が消えていく点だ。追いかけようがない。

 というわけで、ますます密輸入が増えている。その密輸入も、ひどいのになると、中身が分からず表面だけなぞっているのがある。

 占いを使って道徳的に人生相談をする或(あ)る女性は、中国の学問の中心分野は「けいがく」だと言って、「敬学」と書いた。

 不肖、私は中国思想の専門家。「敬学」ということばは確かにあるが、「敬学」という学問分野なんて聞いたことがない。これ、正しくは「経学」。

 儒教の重要古典を「経(けい)」とし、その古典研究をする学問を「経学」というのである。

 その女性はおそらく「けいがく」と聞いて「敬学」と思いこみ、それをそのまま広言したのだろう。テレビ局は無知だから、訂正もできない。

 『論語』陽貨篇に曰(いわ)く「道(みち)(路上)に聴(き)きて塗(みち)(路上)に説(と)くは、徳を之(こ)れ棄(す)つるなり」と。受け売りは無責任。自分で不道徳となってしまっているの意。(かじ のぶゆき)

http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080928/sty0809280304000-n1.htm

国祭は日本人のこころ 2008.8.26 03:35

2009-10-27 | 産経新聞に見る:古典個展
 この8月、メディアは北京オリンピック一色。

 応援する中国人の大歓声がすさまじいが、日本人が今回なじんだ中国語は「加油(チアヨウ)」であろう。この「油を加えよ」は「頑張って」に当たる。もっとも中国語では分かりにくいので日本語流に読むと「加油(かゆ)して」。しかし「かゆ」と言えばお粥(かゆ)さんのことだから、ちとしまらない。

 張明澄のエッセーによると、「加油」のほか「認真(レンチエン)」も使うとのこと。「真を認(わきま)えよ」は「真剣に」の意の「頑張って」である。けれども、これをそのまま日本語読みすると「認真(にんしん)して」-おっと。

 というふうに、ことばは使い方一つで違う意味になってしまう。その典型が8月15日の全国戦没者追悼式。

 同式典は政府主催であり、両陛下ならびに首相以下の首脳が参列するのであるから、〈国葬〉に対して言えば〈国祭〉に当たる。だが、メディアはこの〈祭〉の意味がどうやら分からず、例えば「会場祭壇中央にある全国戦没者の標柱」と伝えている。

 標柱-とは、しるしの柱ということ。すると「全国戦没者之霊と書いて突っ立ててある柱」ということか。もしそうだとすれば、単なる看板や標札の類(たぐい)と変わらぬ。看板や標札に向かって恭(うやうや)しく拝礼してどうする。

 実は、主催者の政府が〈祭〉の意味を知らずに書き誤っているのである。すなわち、いくら「全国戦没者之霊」と書いた柱を立てても、式典会場の日本武道館にその神霊は存在していない。

 式典において、われわれが誠を尽くして諸霊をお招きし、それに感応された全国戦没者万霊が地上に降り立たれる。その諸霊が憑(よ)りつかれる場所(依(よ)り代(しろ))として設営されたのが祭壇中央の柱である。霊魂の在(いま)す場所なのである。だから場所を表す「位」字が必要。正しくは「全国戦没者之霊位」と書くべきである。

 この依り代は、儒教における木主(ぼくしゅ)(神主(しんしゅ))であり、日本仏教はそれを導入して位牌(いはい)と称している。

 人間の死後、霊魂の存在を認め、その霊魂を招き降して生者遺族が出会い、慰霊鎮魂する〈祭〉が、東北アジアの死生観であり、その本質はシャマニズムである。この〈祭〉は歴(れっき)とした宗教行為である。つまり、全国戦没者追悼式は政府主催の宗教行為そのものの〈国祭〉である。

 ところが、主催者の政府は依り代に無知で、「位」字を書き落としたままの毎年。もっと滑稽(こっけい)なのは、この追悼式を無宗教と思いこんで、その定着版としての「無宗教の国立追悼施設の建設を」と述べる河野洋平衆院議長。どうしてこう浅薄なのだろう。霊魂の存在を認めること自体が宗教であることが分からぬのか。

 多くの日本人は、主として日本仏教を通じて、幼少のころから慰霊鎮魂の場に接し、誠を尽くすことを心得ている。仏壇の前での日々のお勤めがそれにつながっている。そういう国民的宗教心があって全国戦没者追悼式が支持されていることを、政府は確(しか)と胸に刻むことだ。われわれ日本人は諸霊に対して粛然(しゅくぜん)と襟(えり)を正す。『論語』に曰く、「〔祖霊を〕祭れば〔祖霊が降り立ち〕在(いま)すがごとし」(八●(はちいつ)篇)と。(かじ のぶゆき)

●=にんべんに「肯」の止を八

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080826/trd0808260337000-n1.htm

「古稀高齢者」と言い換えよ 2008.7.27 03:15

2009-10-27 | 産経新聞に見る:古典個展
 なじみの歯科医院から定期検診案内のハガキが来た。添え書きにこうあった。「歯の清掃に来てください」と。なるほど、「清掃」なあ。

 先日、大阪市道を歩いていると、視覚障害者用の黄色の誘導タイルに、こういう文言が貼ってあった。「これは目の不自由な方のものです。モノを置かないで!」と。

 この文、おかしい。「…のもの」というと所有物の意味。天下の公道なんだから、それはないよ。

 この文言を考えた当人も、この「もの」で話がややこしくなったと思ったのか、文中の片仮名の「モノ」については赤色の表示にしている。これは物体の意。御苦労さん。

 この文、こう書くべきだ。「これは目の不自由な方のためのものです。物を置かないでください」とでも。

 しっかりせい、市の役人よ。文は人なりと言う。

 賃金あげろと騒ぐ前に、国語力をあげるほうが先ではないか。

 国語力と言えば、今はやや下火になったが、「後期高齢者」ということばが気に入らないと日本中が騒ぎに騒いだ。あわてた政府は「長寿者」と言い換えて収拾を図ったが、この換言、国語力不足を否めない。

 と言うのは、「長寿者」では意味がはっきりしないからである。

 現代日本では、60代は長寿者とはしない。生きていて当たり前だからである。70代もはっきりしない。長生きのようであり、そうでもないようでもある。

 日本人の平均寿命は、ほぼ男性で79歳。女性は86歳とのことであるから、今日では、80歳以上あたりから長寿者という感じではなかろうか。

 「後期高齢者」は、法的には75歳以上であるから、「長寿者」と言うと、なんだかわれわれの感じに合わない。

 それに、国語的におかしいぞ。「長寿者」とは、年齢の線引きのことばではなくて、敬意の表現なのであるから、長寿医療制度と言うのなら、長寿者には医療費を無料に、あるいは格安にします、ということでないと、平仄(ひょうそく)が合わない。

 というふうに、「長寿者」ということばの選択に、どうも国語力の低下を感じる。

 法案の作成に関わる霞が関の学校秀才たちは、受験生のころ、英数国主要3科目とは言うものの、だいたいにおいて英数2科目秀才である。

 英数特進コースなんてところでお勉強するものだから、英語学習が極まって、グローバル化だのとふらついたり、数学学習の果てに、医療保険の難問を解くには、条件Xは、75以上としたり顔。

 私は「毎日(まいにち) 江頭(こうとう)(「紅燈」ではない。行楽地の曲江(きょくこう)という池のほとり)に酔(すい)を尽(つく)して帰(かえ)る」ほどではない不良老人だが、「人生(じんせい) 七十(ななじゅう) 古来(こらい) 稀(まれ)なり」(杜甫「曲江」)と言うではないか。「古稀(こき)」70歳だ。もし国語力があれば、「後期高齢者」などという冷たい数学的表現ではなくて、せめて「古稀高齢者」とでも言え。

 国政家たる者、そういう「雅言(がげん)」を心得よ。『論語』に曰く、「人(ひと)の過(あやま)つや、各々(おのおの)其(そ)の党(とう)に於(お)いてす」(里仁(りじん)篇)と。この「党」とは、人格的段階といった意味であるが、いやいや、そのまま近頃の政党の意に充(あ)ててもよいか。(かじ のぶゆき)

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080727/wlf0807270317000-n1.htm

新春対談「覚悟の年」 加地伸行氏×櫻井よしこ氏

2009-10-26 | 産経新聞に見る:古典個展
 平成21年は米国のオバマ新政権の発足をはじめとして、国際秩序が大きく変動しそうだ。中でも中国との関係は日本にとって一層緊張を増すことになる。一方で、日本社会の病巣は深い。日本が再生するには、どんな手を打っていけばいいのか。年の初めにあたって、第24回正論大賞の受賞が決まった立命館大学教授の加地伸行氏がジャーナリストの櫻井よしこ氏と思う存分に語り合った。

 (司会・正論調査室次長 羽成哲郎)

                   ◇

 □古典で訓練、論理的思考/米中急接近、堂々主張を

 ■知恵学ばぬ教育

 --今年の課題は…

 櫻井 何よりも教育だと思います。総理大臣の言葉の軽重が問われ、日本全体が基本的な素養を欠いています。その根本は国語教育でしょう。言葉を知って初めて文学も哲学も科学も資料の読み方も、そして、歴史の正しい姿も、分かってくる。

 加地 おっしゃる通りです。「古典なんてそんなもの不要」という人が多いが、古典を古文と漢文に分けると、古文は日本人の情感を養うのにいい素材です。漢文脈は明治以後、判決文とか軍隊の言葉として論理的な思考を表現するのに使われてきた。日本人は古文と漢文の両方で見事に感性、情感と論理をうまく表現してきた。戦後は昭和30年代以後、漢文の学習量が少なくなっている。そのために、論理的表現を現代国語で代替し始めた。簡潔な表現方法の訓練を抜きにして現代国語だけでするので、日本人のもっていた論理的な思考が訓練できなくなったと思います。

 --教育再生会議の報告では小学校で古典を教えると

 加地 いいことだと思います。東京都世田谷区は文部科学省に申請して認められ、総合的学習の時間で日本語を教科として教えています。そこで使う教科用図書を教育委員会が作っています。小学校低、中、高学年で各1冊。漢詩とか、漢文、古文調の詩、小倉百人一首などが入っています。授業で暗唱させるわけです。中学校は3冊あって表現、日本文化、もう一つがいい。哲学です。

 櫻井 哲学科が国立大学から次々になくなってしまって、実利に結びつくような科目ばかりになっています。哲学が学ばれない国、哲学を教えない最高教育なんてありえないわけです。哲学の素養なくして、他国と伍(ご)していくことは不可能です。

 加地 世田谷区の試みはすごい。モデルになればいい。

 櫻井 本当に。旧制中学の教育では、とにかく本を読ませたといいます。本は表現しがたいくらいさまざまなことを教えてくれます。子供たちに、哲学書も含めて読ませ、考えさせるということを今までの10倍も20倍も努力してさせないと、日本の知の遅れは追いつかないと思います。

 --日本の本来持っているよさを教えていくことが大事だと

 加地 当たり前のことが行われていない。そこに問題がある。古典には集積された人間の知恵がある。残ってきたものには、歴史の中で残り得ただけの価値があるものがある。そういう知恵を古典から学ぶことができる。ところが今、勉強するのは知識。知恵を学ぼうとしない。ここに日本の学校教育の悲劇がある。

 櫻井 現代日本の教育は基本を忘れていますね。教育は、知、徳、体です。この3つがそろわないと人格形成はできない。知識の切り売りで偏差値ばかり気にするために、本当の知性が育たない。そして、国家も乱れる。

 加地 論語の翻訳をしたときに、最後までできなかったのが「君子」と「小人」という言葉の訳です。5年悩んでついに到達した。知だけを求めるのは知識人、知と徳の両方を求める人を教養人、君子の訳を教養人、小人の訳を知識人とした。

 櫻井 なるほど。

 加地 それで「論語全訳注」ができました。孔子の学校は今でいえば、大学の法学部です。官僚となっていくわけです。早く推薦状をもらって就職したいと。孔子はそういうのはだめだ、教養人たれといい続けている。今と変わらないです。



 ■血の団結が違う

 --平成20年は北京五輪があって、金融危機も起きました。今年の中国の動向は

 加地 14億の人間を統治した経験は人類史になかった。中国政府もどうしていいか分からないというのが本音ではないでしょうか。彼らがこれから寄りすがるのは伝統的なものだと思う。中国は混乱状況より統一された時期が長い。なぜ統一国家を続けられたかという根本理由は単純です。人々が国家をあてにしていないからです。彼らは一族で助けあっている。血縁者同士の団結でいける。政権担当者はモンゴル人でも満州人でも、だれがきても関係ない。ここが日本と決定的に違う。

 櫻井 人民日報や新華社の報道で使われる語彙(ごい)を調べた研究があります。それによると、いま「4つの基本原則」という言葉が高頻度で使われています。この用語は過去2回、文化大革命と天安門事件の、いわば有事の際に多用されました。平時のいま、みたび高い頻度で使われているというのです。これは民主化が行き過ぎないように、引き締めを図っているということでしょう。中国共産党の大目的は中央集権、一党支配のもとで中国をまとめていくこと。

 もうひとつは、清朝の時代の版図の再現があると思います。そこには、朝鮮半島、ベトナム、チベット、ウイグル、台湾、沖縄も含まれる。中国人民解放軍の戦略目標、第1列島線の制覇、第2列島線の制覇は、まさに、清朝の版図回復の意図を示すものです。第1列島線は樺太から日本列島、沖縄列島を結んでフィリピンのほうまで南に下げた線。ここまで中国の支配権を及ぼすこと。第2列島線はその先にあって太平洋を真ん中から割って西太平洋をとるという戦略です。

 加地 米国と分けあうと。

 櫻井 中国が持ちかけたという報道がありました。第1、第2列島線は約30年前に立てられた戦略目標です。着々と進めているわけです。でも貧富の差がこれほど広がり、環境がこれほど損なわれた。一党支配に危機感を抱き、必死に求心力維持の努力をしている。その成果も経済成長にかかってくる。

 加地 中国は一度として通貨の発行高を公表したことがない。仮に発表したとしても本当かうそか分からない。中国で国家が倒れるときはものすごいインフレで倒れる。中華民国政府が共産党に内戦で負けた最大理由は、軍費を出すために通貨を発行せざるを得ず、膨大なインフレが人々の生活を直撃して支持を失ったからです。欧米の経済学を学んだ人が「元を発行したらインフレになるはずだが、そうなっていない」というが、そこが中国を知らないところ。お金がたまったら、中国では銀行に預けない。たんす預金です。たんすでなくて床下ですけど(笑い)。中国人はしたたかです。

 櫻井 中国の友人たちは、中国人は日本人よりはるかに多くの貯金をもっていると言います。しかし、中国では裕福な人が3億人いても極貧の人が10億人。両方をならすと、国民の貯蓄率の高さには疑問符がつく。実は、中国政府は中国の経済が強くないと自覚している。日本の産業は、非常に付加価値が高いけれど、中国の産業の付加価値はまだ、非常に低いのです。


 ■独自は作れない

 加地 日本は研究開発にお金をかけますが、中国は研究開発をしない。研究開発は9割無駄、失敗です。中国はあの民族性から言って、9割も損するようなことはしない。だからコピーをする。独自のものは作れない。研究開発がない限り、経済力が強いといっても中身は空洞。今の状況では中国共産党はそう簡単に崩壊しない。利権の構造が隅々まで広がっている。共産党の中で権力闘争をしているが、自分の生きていく仕事場である共産党をつぶしてまではしない。どういう派閥が力をもってくるか。どういう権力闘争をするかということを中国ウオッチャーはしっかり見ないといけない。

 櫻井 中国の長所はその学習能力にあります。最近の柔軟なアプローチや微笑外交は、彼らの学習の成果です。典型的なのが台湾。平成8年に李登輝さんが総統選挙に立候補されたときに中国は軍事演習として近海にミサイルを撃ち込んだ。

 しかし台湾人の反感を招いて失敗したことから学んでいます。北京五輪を体験して国際社会に悪いイメージを与えては損だということも十分に体得した。いまや武力を使わずに台湾を制圧することも可能でしょう。むしろ、馬英九政権のほうから中国に接近している。経済関係において、深くコミットさせ、切り離せないようにして事実上一体化を達成する。中国が柔軟外交で清朝の版図を取り戻していくことの一つの表れです。

 --朝鮮半島も…

 櫻井 北朝鮮の通貨はもはや人民元だという人もいます。出回っている消費財の8割が中国製といわれている。韓国も金融危機で非常に危ない状況になっている。平成9年の通貨危機の際のIMF(国際通貨基金)の指導があまりに厳しくて、韓国人は二度とIMFの管理下に入りたくないと考え、韓国は中国や日本に頼りつつある。中国政府が民間資本を装いながら韓国の主な産業を支援する形で事実上手に入れることは十分ある。清朝の版図回復を真剣に追求している戦略だと思います。そこを読み取らないといけない。

 --米国のオバマ新政権は中国に接近していくと思います

 櫻井 日米両国にとって中国が非常に大きなマーケットであるのは事実ですが、実態をよく見ないと間違います。オバマ新政権の閣僚の陣容には、中国に傾斜していく人たちが目につきます。

 たとえばポールソン財務長官は米外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」で、2005年7月以降の約3年間で中国の人民元が実質23%切り上げられたことを、中国の指導者が為替相場の重要性に気づいたゆえだと、高く評価しました。現在も人民元は安すぎるのに、です。のみならず、米中両国は単なる協調関係から共同運営に進むべきだと主張しました。米国が中国に対して危険すぎるほど融和的になっているのがわかります。日本の立場や正論を米中両国にぶつけていかなければならないのが平成21年です。


 ■「日本流」を磨け

 加地 中国の周辺諸国が恐怖感をもっているのは人間の数です。恐怖感が遠慮とかこびるということにつながっている。米国も感じているかもしれない。逆に中国にしてみれば足かせになっている。14億の人間を食べさせるのは無理で、あがいている。むしろ弱点です。中国が日本のご指導を仰ぎたいということを言わざるを得ない研究開発をする必要がある。

 --中国の独自技術はなぜ発展しないのですか

 加地 中国人学生は留学先の日本とか米国で就職してしまう。帰国しない。これが遅れている理由です。中国人は国家を信用していないからです。日本で生きていけるのに、何で国に帰るかと考えるわけです。国に帰った場合は官僚になる。しかし、技術者は現場を離れて官僚になったら知識は古くなってしまう。日本にチャンスはある。日本は中国に対抗できます。

 --対中国に限らず日本はさまざまな課題にどう対応していけばいいでしょうか

 加地 年金問題を解決する方法はある。文科省ががんばらなければいけない。保険という思想はもともと日本になかった。不特定多数の人から集めたお金で誰かが助かればよいというのが保険の思想。自分の出したお金が返ってこなくていい。損得を論じるのはなじまない。ところが、日本には独特の相互扶助システムとして頼母子(たのもし)講というのがあった。相互銀行の始まりです。出した金は返ってくる。頼母子講の感覚で年金を運用するから文句が出る。損得のレベルでなく、保険とは何かということを子供にきちんと教育しないといけない。

 櫻井 日本は、国際社会の制度を活用すると同時に日本独自の考えを失わないようにすることが大事です。銀行制度も株式のとらえ方も欧米の制度や価値観をひたすら受け入れてきました。しかし、ここにきて、日本独特のやり方にこそ、救いと利点があることに多くの人が気づき始めた。同じ資本主義でも欧米は会社は株主のものだと考え、短期の経営が主流となります。反対に、日本では会社は経営者や従業員、研究者のもので、今までずっとやってきた先輩世代のものでもあると考えます。ですから会社を永続させようと、中長期の研究開発を進め、内部留保も維持して安泰なものにしようとする。

 こうした日本流のいいところをうまく引き出して磨いていきたいものです。(市場原理主義のような)制度設計を外国から受け入れてひたすら合わせることは必ずしも、日本人の幸せにつながらない。世界の人も日本流のやり方のほうがもっと幸せになると、自信を持って言いましょう。

 加地 まさにその通りです。会社は株主のものでない、先輩から受け継がれたものだ、というのは日本人の宗教感覚につながる。生命の連続ということです。それを強烈に意識するのがわれわれです。高野山にいくと、大阪のいろいろな会社の慰霊塔があります。会社で働いた人はみな一族だという意識です。

 さらに考えを進めると、祖先崇拝です。祖先と自分とのつながり、これが日本人の宗教の大筋です。祖先を大事にするというのは、実は儒教です。そういうことを学校できちんと教育しないといけない。今は、祖先をまつるという大事なことを中心とする求心力が家族にない。これが家族のひび割れの原因です。かつては何らかの意味で連帯があった。それをすべきだ。なぜ、文科省はしないのか。

 櫻井 文部官僚にはそういう問題意識はないでしょう。というより、私は文部官僚がこの国をむしばむ元凶の一つだと思います。



 ■軋轢を注視せよ

 --日本の社会をよくするためには

 櫻井 歴史を学び、先人の生き方を知ることがとても大事です。先輩世代の日本人が何を大事にしたのか。日本人は、何を守ろうとして生きたのか、何を守って死んでいったのかという価値観を学ぶことが歴史を学ぶことの土台です。

 そのためにもお正月のゆったりした時間を活用して、先人の生き方を示す書物などを読んでほしいと思います。たとえば、石光真清の4部作(中公文庫)を読めば、靖国神社問題への答えはおのずと出てきます。中国や韓国に何か言われても、きちんと答えることができるようになります。歴史の解釈も堂々と意見を言えるようになるでしょう。いかなる他国も内政干渉すべきでない事柄について、冷静に主張することができるでしょう。そういう論陣をはれない政治家や官僚が多いために、日本はだめになっていると思われます。

 加地 その通りです。なぜ「反省しています」と同じ話を繰り返さなければならないのか。反省というのは何を具体的に言うのか。

 櫻井 中国が歴史問題をいうのは日本が一歩退くからです。言い分を通すカードです。

 --やはり中国との関係は難しいですね

 櫻井 今年は日本にとって覚悟の年になるでしょう。明らかにオバマ新政権は中国にシフトしがちで、中国も柔軟路線で米国との関係を強化しようと最大限の努力をする。両国の政府レベルの波長はあっていく。

 しかし、経済の実態で果たして同じ波長が成立するかは大いに疑問です。中国は知的財産権も認めませんし、アメリカは非常に問題視しています。相変わらず軍事力の増強は不透明な形で続き、人権弾圧問題は北京五輪の後、かえって悪化しています。言論の統制も、異民族への弾圧も同じです。価値観において、中国はますます異形の大国になっている。米中両国間の融和と軋轢(あつれき)がバランスの中に収まるのか、噴き出るのか、注目したいですね。


 ■日本よ自信持て

 --日本もしっかりしないといけない

 櫻井 ロシアは金融危機でかなり深い傷を受け、ほかのどの国よりも力を落としていく可能性があります。であれば、北方領土問題についても日本がしっかりしていればもう一度、取り返す可能性が出てきます。日本はほかの国に比べて金融危機の傷は浅く、技術力もある。

 だからこそ、政治がそうした日本の長所をてこに果敢に国際社会に日本の存在感を示していければ、展望が開けてくるのです。経済危機打開のために、持てるすべての力を活用する。加えて、日本の技術力をより確かなものにするために、研究開発費には大胆な税控除を実施し、世界に貢献し、日本の繁栄に結びつけるような中期戦略を実施することです。

 --政治の課題です

 櫻井 経済だけでなく、外交でも政治でも、日本をまともな国にするために政治が一日も早く行うべきことは、本当は憲法9条の改正なのです。けれど、それには何年もかかります。そこで、集団的自衛権の行使を可能にすること、自衛隊を国軍にすることをまず、一番先にしないといけないでしょう。

 加地 日本の覚悟ということでは台湾問題というのが一番具体的な形で出てくるだろう。中国は台湾を無傷で取り込みたい。オバマ政権が中国とのかかわりを深くするなら、日本はもっと台湾との関係を意識的に強くすればいい。それはものすごいとげになる。日本が台湾とのかかわりを深めれば深めるほど中国は武力で台湾を解放できなくなる。日本の企業家ももっと台湾に投資すべきだ。

 櫻井 日台関係をもっともっと深めていく。

 加地 米中が組むなら日台が組めばいい。そういう形の対抗軸をつくるということ。米国も中国が台湾を武力解放するといえば黙っていないから複雑になる。台湾と深い関係をもつことが日本の安全保障にもつながる。しかし、日本政府にその度胸はないでしょう。

 櫻井 しかし、それをしなければ本当に日本が危うくなるのが今年以降だと思います。

 加地 台湾のステータスをあげさせる簡単な方法がある。日本の閣僚が台湾に行くこと。中国に衝撃を与える。

 櫻井 同時に、台湾の閣僚と定期交流する。

 --しかし、これまでできなかったのは覚悟がなかった

 加地 日本人の中国人に対する恐怖心は一つは人口だが、もう一つある。日本人の壮大な誤解がある。日本人、特にインテリ先生は中国人の顔をみたら、みんな諸葛孔明か孫子にみえる。何か深いことを考えているのではないかと思ってしまう。実は何も考えていない(笑い)。

 櫻井 文化文明で位負けする必要はまったくないのです。

 加地 ところが、日本人は勝手にそういうことを考える。それがだめだ。中国人は目の前の権益以外は考えていない。中国人はものすごく現実主義なのに、日本人は理想主義だ。この食い違いばかりです。

 櫻井 日本の文明と技術に自信を持ち、海洋国家と連帯して、この危機を乗り越えていきましょう。

                   ◇


加地伸行氏が「櫻井先生のファンなんです」と話し始めると、櫻井よしこ氏も「私も加地先生を尊敬しています」と応じて、対談は和やかに始まった=東京・大手町の産経新聞東京本社

【プロフィル】加地伸行

 かじ・のぶゆき 大阪大学名誉教授、立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所長。文学博士。昭和11年、大阪市生まれ。京都大学文学部卒。同大大学院修士課程修了。台北に留学。甲子園短大学長、同志社大学専任フェローなどを歴任。「論語全訳注」「儒教とは何か」「孔子」「現代中国学」など著作多数。専門は中国哲学史。第24回正論大賞受賞。

                   ◇

【プロフィル】櫻井よしこ

 さくらい・よしこ ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒。クリスチャン・サイエンス・モニター紙東京支局員、日本テレビニュースキャスターを経て、フリーでジャーナリスト活動を開始。第26回大宅壮一ノンフィクション賞、第46回菊池寛賞を受賞。著書に「権力の道化」「いまこそ国益を問え」「日本よ、『歴史力』を磨け」など。

産経新聞 2009.1.4 08:25
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090104/stt0901040839001-n1.htm