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Retro-gaming and so on

わたしの幸せな結婚

いや、この記事を大変楽しく読ませてもらった。
んで、このアニメ、僕も観てるんだよ。何となく、だけど。
今期の(僕の認識上は)「今期の少女アニメ枠2本」のうちの一本だ(もう一本は「悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。」だ)。
両作とも佳作、と言って良く、また両作とも「小説家になろう」出自の小説だ。
残念ながら、「わたしの幸せな結婚」は、作者と「なろう」とのトラブルで削除されて、現在は角川レーベルの商用文庫でしか読めなくなっている。

いや、しかし、マジな話、「わたしの幸せな結婚」ってタイトルを聞いた時、単純に

「田嶋陽子が怒り狂いそうなタイトルだな」

とか思った(笑)。田嶋陽子に喧嘩売ってんのかよ、と(笑)。

しかし、ぶっちゃけ、「ぴとてつ」氏が「人気があるアニメ」だと言わなければ全く「人気がある」たぁ思ってなかったんだ。
別に「面白くない」とは言ってない。言ってないんだけど、こういうモティーフが「現代社会」に受け入れられるのか?とかちょっと疑問に思ってたんだよね。
女性なのかね?やっぱ持ち上げてるのは。だとすれば、もう「幸せな結婚」ってのがファンタジーになってんだろうな、とか思った。

不況になれば「結婚したい」って女性が増える。しかし、「草食系男子」と言う単語が流行り、なおかつ、「結婚を望む女子」に対しては「女子は既に肉ではなくなったのだ」と言う反論をする男子陣。
そう、昔だったら「家事が出来ない男」だからこそ「結婚したい」ってモティヴェーションがあった。これは「差別」かどうか、ってのは関係ないんだ。何にせよ「求める」側、男性側の確固としたモチベーションなんだよ。
ところが、今の男性は「男女平等」の下、「料理が出来る」「家事が出来る」男子が増えた。極論、生活面で「女性が必要ない」男子が増えたわけ。ここで実は「男女平等」で相対的に「女性の存在価値」が下がったんだよな。これが事実だ。フェミニズム的な行動が女性の価値を事実上下げた。
そして、高等教育の普及により、「女性と一緒に住む」と言う経済的価値を考え直す男子がまた増えたわけよ。「これは投資として価値があるのか?」と。
随分と前の話だけど、ネットで、アメリカ人の若くて美人な女性が「高額収入の男性と結婚したい。私の価値はそれくらいあるでしょ?」と投稿した事に対して「私は金融が専門ですが、貴方の資産価値は今後、経年により下がる一方です。マトモな投資家が貴方に投資する事はあり得ません」とぶった切った話があった。
つまり、この時は「バカな笑い話」程度で済んでたんだけど、「ヤりたいだけ、のバカな男子」ってのは高等教育の普及で減ってるんだ。圧倒的に「経済効果」を考える男子が増えている。言い換えると「低学歴になればなるほど」男性は結婚したがる、と言うどーしよーもない状態になってきてるんだ。
いや、彼女が欲しくないわけじゃないだろう。ただし、「彼女が欲しい」と「結婚」は男性側では簡単に結びつかないトコまで既に来てるんだ。

10年くらい前だけど、作家の西村賢太氏が「笑っていいとも!」に出演した際の発言が物議を醸し出したが、実際のトコ、若い男性の「志向」はそっちに向かってるんじゃないか。既に「家事が出来る」男性陣にとっては、女性を「共同生活」のパートナーとしては「考えられない」と言うレベルにまで来てると思う。
従って、「結婚が嫌な男」と「結婚したい女」って言う構図が出来上がっている。

断っておくけど、僕はこういう風に見える現象の「良い/悪い」って話はしていない。差別的だ!と言う意見に於いては「バッカじゃねぇの?」とだけ返しておく。一般的な現象に付いて「多分こうだろうな」ってのを想像して書いてるだけだ。

そして「経済的事情により」若年層の結婚が減っている、ってのも多分違うと思ってる。「経済が回復しても」多分男性側の意識は変わらない。もうフェミに被れた女性との「同居」にはメリットがない。デメリットの方が既に大きくなってんだ。そのデメリットを上回るくらいのメリットを女性側が提示出来なくなっている。言っただろ?「価値が下がった」んだって。
女性はナルシシズム的思考により、「男性が私に金をかける価値がある」と考えやすいらしいが、現実問題、若い男性はそういう「資産価値」を女性には期待していない。
これが「女性が肉ではなくなった」と言う意味だ(※1)。

と言うわけで、「幸せな結婚」と言うモノが女性側から見てもファンタジーにしかなり得なくなってんじゃないか。そしてその「ファンタジー」を成立させるには、男尊女卑的な世界観じゃないと「物語そのものが成立しない」と言う時代に突入してんじゃないか。
知らんけどな。

取り敢えず「わたしの幸せな結婚」と言うのはそういう意味で、面白い/面白くない、と言う話は置いておいて、古典的な物語のモティーフしか取り得なかったんじゃないか。
ちなみに、フレームワークとして思い出すのは「はいからさんが通る」で、軍人の婚約者、主人公が「父に結婚を言い渡される」と言うのもまるっきり同じだ。
しかし、主人公設定が「はいからさん」の花村紅緒とまるで違うのがアンチテーゼに見える辺りだ(※2)。花村紅緒はじゃじゃ馬だが、こっちの主人公「斎森美世」は「自分のいる環境に全てを諦めきった」女性として描かれる。


SM展開にならんかった(謎

も1つちなみに、実のことを言うと、個人的には、この「斎森美世」の設定ってホラーの「怪物役」の設定なんだよな、とか思ってた(笑)。「イジメ続けられ」「耐えに耐え忍んで」、最後爆発する、と(笑)。「異能力者」云々かんぬん、って設定がある以上、そっちの方が自然なのに(笑)、婚約者の「久藤清霞」の存在だけ、で「和風シンデレラストーリー」になってるんだ(笑)。
いや、ホントだったらキャリーだろうなぁ、とか思って観てるんだが(笑)。


「イヤボーンの法則」で突如異能が発動して、義母や妹を惨殺すれば、ホラーとして成り立ったのに、とか(笑)。
まぁ、そういう話じゃないからアレなんですけれども(笑)。



※1: ちなみに、じゃあかつては「男性は結婚したがったのか」と言うとそれも嘘で、「年貢の納め時」と言う表現がある事でも分かるだろうが、そもそも男性は「結婚したがらない」ってのが基本だ。
それは「責任を取りたくない」からだ。基本的には遊ぶだけ遊んで、「家庭を持って責任なんざ取りたくない」ってのが避けようのない、男性の本質だと思う。
だからこそ「胃袋を掴め」だ何だ、って「戦略」が出てくるわけだし、ぶっちゃけ、「お見合い制度」なんつーのも、「結婚したがらない」若い男性に「無理矢理結婚させる」為のシステムだったんだ、って考えた方が分かりやすい。
そして「家に入れば女性が虐げられてる」なんつーのもフェミニズムの嘘で、「かかぁ天下」なんぞの単語があるのが反証だ。
要は男性と女性コンビそれぞれの性格に左右される、ってのが当然で、「家」とか「夫婦」=男尊女卑、なんつーフェミニズムの「幻想」自体が、全て「画一的なモデルを想定してる」って事でトンデモなんだ。
なお、フェミニズムの言う通りにやっていったら、恐らく「夫婦制度」は崩壊し、逆に男性有利になる可能性も高い。子育ては国に任せて「家族」が無くなり、って事は妊娠させ放題でも男性は責任を取らなくて済む、と言う「夢のような世界」が来るだろう。
多分、そうなると、イケメンとかが「極所的にモテる」ようになって、ブサイクな男やブスは絶滅するだろう。一人のイケメンに多数の美女、と言う「動物として正しい状態」になって、ある意味世界は平和になるだろう。
早くそうなんねぇかな、とか思ってる(笑)。フェミニズムの連中は何をグダグダやってんだろう(笑)。

※2: ちなみに、大正時代は好景気の時代で、好景気だと女性が社会に進出しやすい、ってのは昔も今も変わらない。フェミニズムは「ずーっと女性は虐げられて、家に縛られていた」と言いたがるが実は嘘だ。大正時代は女性の社会進出が盛んで、今のOLにあたる「職業婦人」と言う単語が出て来たのはこの頃だ。
なお、「専業主婦」と言う状態が出て来たのはあくまで戦後で、単純に敗戦により経済が落ち込んだ為に、「女性が就業出来るような社会的・経済的余裕が日本になかった」だけなんだ。
フェミニストは歴史的に「あり得ない」話を捏造して話すんで気をつける事。
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