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Retro-gaming and so on

広末涼子の話

いや、全然芸能人興味ねぇんだけど。
takeo_1213氏が書いてた事読んでて「へぇ」とか。
うん、全然広末涼子に興味がなかったんで、世間の反応っつーのを全然知らんかったんだよね。
そこまでアイドル性があった人なんか、と。
ごめんね。
マジで特に広末涼子に興味なかったんで「へぇへぇへぇ」と。

広末涼子を初めて見たのはドラマ「沙粧妙子−最後の事件−」で、だ。ゲスト出演で、第7話から第9話まで出ていたが、演技力が半端なかった。感心したモンだ。
いや、マジで感心したのは「演技力」だけだったんだよ。もちろん、女優業をやるなら一番重要なのは演技力だ。そこが群を抜いてた。
ただ、ぶっちゃけ、顔が好みじゃなかったんでそれだけだったんだよな。大して可愛い、とか僕個人としては全く思わなかったんで、演技力は優れてるけど、残るかな?とちと疑問に感じてた。
ところが、沙粧妙子−最後の事件−の後、すぐ別のドラマで遭遇する。将太の寿司だ。主人公関口将太の妹を演じてたのが広末涼子だった。


ただ、この時主人公を演じてたのが柏原崇で、実はこの二人、それこそ沙粧妙子−最後の事件−での第7話〜第9話のゲスト出演コンビだったんだよな。いや、本当にドラマ上もコンビで、「将太の寿司」ではそれが兄妹になったわけだ。
何だろ、その時直感的に

バーターかよ!?

とか思ったんだ(笑)。
いや、「沙粧妙子−最後の事件−」でも柏原崇の方がメインで、広末涼子はストーリー的には柏原崇の補助、っつーかメインじゃないし、「将太の寿司」では柏原崇が主役で、広末涼子はその妹だ。
つまり、広末涼子ってその時は「メインを張る/張れる」立場でもなかったんだよ。演技はめっちゃ上手いんだけど。
しかし、ある意味端役だった広末涼子がスターダムを駆け上がって、柏原崇の方がイマイチになっていく、とかその時は全然思わなかったんだよな。
と言うのも、柏原崇もめっちゃ演技が上手かったから、だ。

さて、うん、まぁ僕が最初広末涼子を見かけた時も、演技力はマジでグンバツだった。だから「女優として評価されていく」ってのは全然不思議でも何でもない。圧倒的な実力はあった、とは思ってるんだ。全然趣味じゃねぇけどよ。
ただ、全く広末涼子に興味がないし、インタビュー記事とかも全く読んだ事がないし、何かバラエティ番組に出て話してるトコも見たことがない。
興味がないんで、そういうメディアに晒されてるトコに触れた事が一切ねぇんだ。
それでも「沙粧妙子−最後の事件−」で初めて広末涼子を見た時に「わたしのゴーストが囁くのよ」な事が1つだけあったんだ。こいつはプッツン女優だ、と。
プッツン女優って知ってる?古くは石原真理子って女優がいたが。アタマがおかしい女優だ。天然じゃない単にアタマがおかしいんだ。
もっと正確に言うと、もう、なんつーの?全能力が女優と言う才能に激フリされてて、マトモな人間としての生活は望めないタイプじゃないか、と感じた。女優になれなかったら単なるロクデナシ、ってタイプだ。将棋で言うと林葉直子みてぇな。いるだろ?そういう天才タイプだ。遠くで眺めてるには問題ねぇが、傍にいたらはた迷惑で危険なヤツだ。
だからtakeo_1213氏が言うような、広末涼子に対して「透明感」とか感じた事は一切ない。いや、反論してるわけじゃなくって。そもそも反論する程広末涼子に触れた事もない。多分takeo_1213氏の言ってる事が一般的には正しい認識なんだろう。ただ、単に、僕個人としては広末涼子を見た時には「透明感」どころが、禍々しくドス黒いナニカしか感じてなかった、ってだけの話だ。

みんなの目に映る広末ヴィジョン

俺様の目に映る広末涼子(の本体)

んでだ。
何かW不倫とかで騒がれてるみたいなんだけど。
基本的にどーでもいい。っつーか広末涼子なら不思議じゃないだろ、とか言うのが正直な感想だ。理由は上に書いた通り。女優を外せば生活破綻者としか思ってないからだ。広末涼子に常識、なぞを求める方が間違ってる
もっと言っちゃえば広末涼子と結婚しよう、なんて思ったヤツが間違ってるんだ。言っちゃえば危険を知らずに放し飼いの虎と住む、ようなモンだ。広末涼子がマトモな結婚生活?あり得ないね。そんな幻想を抱くヤツが悪いし、んな事最初から無理・無策・無謀だ、って決まってんだろ、って思う。物理法則を無視してる。太陽が西から登って東に沈むくらいあり得ない。不可能だ。マトモな神経してたらそんな挑戦なんざ絶対せん。断言しよう。
断っておくけど、僕はむしろ広末涼子を擁護してんだ。勘違いして欲しくないけど。あんな女にマトモな結婚生活が送れるわけがない、ってのが最大の擁護だ広末涼子は女優として大成して、数々の男と浮名を流しつつ、決して結婚せず、一人で生きて一人で死ぬべきだったんだ。それをフツーに結婚して生活させよう、なんつーのが土台間違ってんだ。だって広末涼子って人類じゃねぇんだぞ?広末涼子って言う生物だ。フツーに飼えるワケねーだろ、っての。
どーせW不倫の相手側だって失敗するに決まってる。馬なら調教可能だが、広末涼子は無理だ。どうやったらUMAを思い通りに調教可能なんだっての。相手も破綻するに決まってる。間違いない。そしてそいつの性癖は獣姦に近い変態だ。

だからマジで広末涼子を叩くな。あれはそーゆー生物なんだよ。犬が複数の相手と交尾して一体誰が責めるんだ。広末涼子は人類の一員じゃない。肝に銘じよう。

しっかしなぁ。もっと正直な話をすると、だ。
1980年代くらいまでは芸能人の不倫、とかこんなに叩かれなかったと思うんだよね。何故なら芸能人はマトモじゃないってのがある種常識としてあって、それも含めて人は芸能人を楽しんでたと思うんだ。「あんな事やってるよ」って笑う対象だった。
そう、芸能人はフツーじゃない、一般人と違うんだ。それも悪い意味で、だ。
だからスクープとして芸能人の不倫が発覚しても笑う対象であって、んなにマジじゃなかったんだよね。芸能人ってのは「憧れの対象」ではあったけど、同時に「蔑みの対象」だったんだよ。だから一般人ってそこまで長く「芸能人のスキャンダル」ってのを気にせんかったと思う。「あいつらは生きてる世界が違うんだ」と一線引いていた。
何だろうね、バブル以降?1990年代入ってからコッチ、一般人の「芸能人に対するある種冷めたスタンス」ってのが薄まっておかしくなったんだよ。なんつーの、世の中クソマジメ化して芸能人にも「マジメである事」を要求するようになった。あと、「セレブ」だ何だ言い出して「憧れ」だけ取り出してきた、っつーか。それもバブルの影響だったんだろうけど。芸能人は「偉く」なっちまったんだ。
でもそれっておかしいだろ、って思うんだよなぁ。そもそもマジメなヤツは芸能界に行かない(笑)。だって「能」を外せば「芸人」だぜ?そう、芸能人って本質的には単なる「芸人」であって笑いの対象だ。敢えて差別的に言うけど、連中は「穢れ」をまとった職種の人々なんだよ。決して単なる「憧憬の対象」ではないんだ。
んで、特に広末涼子なんかは女優の才能が傑出してるんで今回敢えて取り上げてみたんだけど、そもそもW不倫やろうがどうだろうが、「笑って見てりゃ」いい対象なんだよな。何故にクソマジメに叩くのか。広末涼子はアタマがおかしくて、性格的には常識知らずのクソ女だろうが、それは女優に才能を激フリしてる人格破綻者だから、だ。でも芸能人なんて多かれ少なかれ人格破綻者前提で、そんな奴らに「フツーである事」を強要するのがどれだけ残酷な事なのか。「フツーじゃいられない」から芸能界に入ってんだよ。分かるか?
芸能人にフツーを強要すんな。広末涼子も免罪だ。むしろ広末涼子と「幸せな結婚生活をおくろう」なんてトチ狂った事を考える方が悪い。
別段広末涼子ファンでも何でもねぇけど、「アタマのおかしい」広末涼子に「マトモになれ」って言う一般大衆の方がよっぽどアタマがおかしい、って俺なんかは思ってるわけだよ。
ムダな事を期待すんな、っての。
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