夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒・・

観念らの規定性らによる、事象らの成り立ちようらへの解枠にも絡めて、 天下経済系の可能的な成長の度合を増すべき事らを述べる

道義公方❗; 息遣いさせて観得る日記ら❗。 解放を急ぐべき、 シナによる、 桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗

2019-08-04 16:08:07 | 政治・経済
1441年、 の、 嘉吉の変 、 での、
公方への暗殺の前後 :
傭兵らから常備軍の都市国家ら 26 ;
2015/ 8/23 23:55:57 ;

根途記事➕論評群❗http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html : :
※ 御内書 ごないしょ :
…将軍が発給する、私文書。 :

やがて、時代が下ると、
御教書 みぎょうしょ
≒ 公的な文書 、に取って代わる様になる。 :

これらの書状を、将軍から下される事は、
武士としては、 喜ばしい事、この上ない。 :
すると、 その義教将軍の厚意に、
畠山満家氏は、
「 ありがてぇ。 かたじけねぇ。
とんでもねぇ 」
≒ 「 種々 クサグサ、 畏申入也 」 、
と、感謝しきり。
それを聞いて、 さらに感極まった、
義教将軍は、
「 ぬおー、もう、これ、あげる❗。
この太刀をあげる❗、 取っとけ❗ 」

「 此事 このこと 、 尚々 なおなお 、
御感之餘 ギョカンのアマリ 、
御剣・御腰物、 被下畠山也
はたけやまへ 下されるなり 」 、
と、御剣を下賜した。 :
:
そうしている間にも、 一色義貫どんの、
「 俺が、 先頭だあぁーー❗ 」、 という、
一途な理不尽さは、勢いを増していく。

山名時煕氏が、 再三に、説得すると、
「 判った。 なら、 "上意に従ってくれて、
有難う" って、御書をくれ。 もしくは、
謁見して、 口頭でも、OK❗ 」

「 今度 こたび 、 以別儀 べつぎをもって、
罷随仰條 おおせのじょう
≒ おっしゃっている通りの事ら 、
尤 モットモ 、 以神妙之由
しんみょうのよしをもって、
被下御書歟 ごしょを下されるか 、
不爾は、 被召御前 ごぜんにめされ 」 、
と、 どっから来るのかが、判らない、
恐れを知らぬ、誇りようを発揮する、
一色義貫くん。
これを通したら、 さすがに、
足利幕府内の規律の崩壊の始まり、
にも、 成り兼ねないので、 義教将軍は、
承引をしなかった。
右大将での拝賀、への、2日前。
義教将軍の所へ参じた、
満済准后 ジュゴウ 、 と、山名時煕氏。
「 一色の事なのですが、 その、
…お腹とか、頭とかが、痛くて、
明後日は、欠席だそうです 」 。
「 そうか… 」

≒ 「 雖然所労更発之間
≒ 病が更に出た為に 、 供奉 ぐぶ
難叶由 かないがたき・よし 申上者、
不被及力 」 。
7月25日の、 右大将拝賀の儀は、
公武共に、 滞りなく進み、ひと先ず、
めでたし、だったが、
一色義貫氏への処分が問題となる。

仮病での、 ボイコットですからね。

√ 義教将軍から相談された、
山名氏と畠山氏の意見は、
暫被止出仕 しばし、出仕をとめられ 、
追所領一ニヶ所も、 可被借召歟
かりめさるべきか 」 。 :

妥当なとこだよね、 さすがの、
冷静な判断だね。 一方…、
畠山満家氏:
「 お諫めになるのは、尤もですが、
お許し頂けると、 私としても、
忝 カタジケナ い 、です 」

「 御切諫(※)事は、 雖尤候
モットモにそうろえども 、
可被閣是非條、 於身可畏入、云々 」
って、 ええー?❗、 またかよ❗ 、
喧嘩を売られたのに、 逆に、
一色氏の為に許しを請うてるよ❗ :

※ 切諫 せっかん 、…強く諫めること。
「 折檻 」、も、元は、
" 口頭で厳しく諫める " 、という、
意味の、 故事成語です。

現在の様に、" 子供に、体罰を伴う、
叱責を加える " 、 という、
意味ではないので、注意です。 :

うーん、 畠山満家氏の意見も、
尤もだが…、 と思った義教将軍、
やっぱり… 怒りが収まらない? 、
…何て事ではない。
義教将軍が考えていたのは、そんな、
己のちんけな私怨ではなく、
幕 府の、ひいては、天下の秩序、です。

「 あの自分勝手な振る舞いに、
お咎めが、無しでは、 関東や九州へも、
示しがつかないんじゃないかな? 」

「 今度 こたびの 振舞、 違背上意
じょうい・に・いはいし、 任雅意
がい・に・にんじた 條、 無御切諫
おんせっかんなき 、は、
関東、鎮西へ聞も不可然由
しかるべからざるよし 。
被思召如何 いかが・おぼしめされ 」 。 :

さすがの公方様だね❗。 そろそろ、
見えてきたかと思われるが、
「 公方の威厳 」や、「 武家の家格 」、
というのは、 別に、下を見下して、
気持ち良くなりたいが為の物ではなく、
社会の秩序を保つ為に必要な、
『 礼節 』 、 です。

上に立つ者は、畠山満家氏の様に、
謙虚でなければならない。
傲慢な者は、上に立つ器に非ずです。
畠山満家氏は、
「 お咎めなしでも、後難を残す事も、
公方様の威勢が、 失われる事も、
ありません 」、と、 やはり、
一色義貫氏の為に、赦免を請う。
そろそろ、一色氏にも、
この気持ちが、届いてきたでしょうか? 、
んな事は、ない❗。

彼は、 昼は、資財を、他所へ避難させ、 夜は、甲冑を装備して、
「 いつでも来いやー❗ 、
迎え討ってくれるわ❗、 切腹上等❗

「 被下打手 ウッテをくだされる 、
を一箭仕 イッセン つかまつり 、
可切腹由 セップク すべきよし 、
其沙汰 」 :

ますます、 勢いが増している…。
ダメだ、こ奴、 何とかせんと(AA略)、
…と思い始めた、義教将軍。
ついに、一色も、 ここまでか?❗、
…しかし、 畠山満家氏の器のでかさは、
その斜め上を行った。
彼は、 斯波、細川、山名、赤松氏、
などの、 大名らへ呼びかけ、
「 どーか、 一色をお許し下さい。
この通りです。 奴は、 ちょっと、
未熟なだけなんです。 お願い❗、
本当に❗ 」 、 と、
大名らの一同による嘆願、 という、
奇策に出て、 義教将軍も、
その誠意を受け入れた。
めでたし、めでたし❗。

「 堂々と、雅意
≒ 我意 、を主張して、
憚 ハバカ らない、 一色義貫氏に対して、 癇癪を起こす事なく、
大名らに意見を徴しながら、
秩序を第一に考える、
義教将軍の正しさは、 すごい❗ 」 、
…って、良い話で、終わらせたいが、
ふつー、怒るだろ。
軽く馬鹿にされてんだぞ? 、
もっと、こう、凄い事になるだろ? 。
しかし、 それ以上に、
「 畠山の後ろとか、ねーよ❗、
絶対、ねぇ❗ 」 、と、
挑発されているにも関わらず、
最後まで、一色を庇い続けた、
畠山満家氏の仁徳に、
全てを持ってかれた感じ…。 :

これも、 本来的には、幕府の為、
公方の為であるのでしょうが、
それにしても、徳たけぇww 。
一方で、 そんな心遣いを物ともせず、
「 将軍が、なんぼのもんじゃーい❗、
管領家の畠山が、
なんぼの物じゃーい❗ 」 、と、
" 一人世紀末 " 、 を満喫し続ける、
一色義貫くんの、 意味不明な、
ヒャッハー魂。
ホント、何なんでしょうか。
折角の義教将軍 & 満家氏の良い話が、
すっかり霞んでしまいました。
時系列的には、 「 一色の事 」→
「 上御所 」→ 「 延暦寺 」→
「 鎌倉の永享の乱・結城合戦 」、
の順です。

冒頭で、 触れた、
「 第6代の征夷大将軍の政道、への、
誠意を誓う、大名たちと、
それに歓喜する義教将軍 」、 の話は、
「 一色 」、と、「 上御所 」、 との、
間の事で、
重鎮たちが、 相次いで、 世を去るのは、
「 延暦寺 」 、 の前後です。

√ 「 恐怖の暴君 」 、 なんて、
イメージに邪魔されて、
見て見ぬ振りをされているが、
義教将軍、 の、
" 良い人な逸話 " 、 は、 歴代将軍でも、
トップレベルか、と思う。

例えば、 畠山満家氏が亡くなった時の、
落胆ぶりや

「 御力落之由 おちからをおとすのよし 、 種々仰 くさぐさ おおせ 、云々 」 :
『 満済准后日記 』、の、 永享5年9月19日:

満済准后の死を深く悲しむ様子は、
≒ 「 公方 クボウ 、殊御周章 ことに、 ごしゅうしょう、云々 」、
「 以外、御悲歎、 云々 」、
『 看聞日記 』、の、 永享7年 、 の、
6月13日、 15日 。

よく、義教将軍の素顔を物語っています。 畠山満家氏と、満済師は、
諫めの言葉を含めた、助言らで、
義教将軍を支え続け、 しかも、
道理と人徳を身に付けた人物でしたから、 正しい政道を目指す、義教将軍が、
彼らの死を殊更 コトサラ 、
嘆き悲しんだ気持ちも、よく判る。

…というか、 道義のある、
正しい人を重用する、 暴君なんて、
聞いた事がら ありませんw。
ホント、 義教将軍への評価は、
矛盾と誤認が、多過ぎます。 
知れば知るほど、 ハチャメチャです。 :

特に、 前年から体調を崩しがちだった、
満済准后の事は、 とても心配だった様で、 自宅で、病床に伏す満済師の所へ、
大名たちを伴って、自ら赴いたり、 :

※ 当時、 征夷大将軍が、
自邸に訪れる事は、 『 御成 』
≒ おなり 、 といって、
非常に光栄な事でした。

ただし、 基本的には、
酒宴の席を設けて、大々的に接待する、
儀礼的要素が強い物で、 私的な来訪は、
" 特例 "、 といえます。
例えば、 義教将軍から、
病への見舞いの来訪を受けた、
畠山満慶氏
≒ 能登の畠山、満家氏の弟 、は、
こんな感想を…
≒ 「 生前、面目、畏入候
≒ 生前に、この様な栄誉、
本当に畏れ多い 」、
『 満済准后日記 』、の、
永享4年6月24日。
病床の満済師へ、医師を遣わせたり、
諸社 ≒ 諸々の神社 、へ、
神馬を寄進して、 祈祷をさせたり、
病状が回復すれば、医師へ、
太刀と馬を送ったりと、凄いです。

もっと凄いのは、
その義教将軍の懇意に対する、
満済師の喜びようです。
『 満済准后日記 』 、 は、
政務に関する真面目な記述らが多く、
自身の感想は、あっても、
ごく控え目なのです
が、
その中にあって、 異彩を放っています。
例えば…、
「 予、落涙外、無他事
≒ ただ、ひたすら、
涙が流れる、ばかり 」、
「 …眉目過分至、真実真実、
言詞難及 およびがたし、 無身所置
≒ 身の置き所なし、 云々 うんぬん 」

…満済准后 ジュゴウ の病、への、
平癒の祈祷の為に、 義教将軍が、
諸社に、神馬を寄進した事を聞いて…、
身に過ぎる栄誉、 本当に本当に、
言葉にならない、 身の置き所がない。 :

「 公方様渡御、 此大雨中、長途遙々、
光儀、 時宜趣、言詞更難覃、
眉目過分此事此事、 只落涙千行、
顔色體聊被御覧 ごらんになられ、
直御悦喜之由 ただ、ごえっきのよし 、
再三被仰 おおせられ 、 忝 カタジケナク 、 不知手足舞踏 てあしが舞い、
踏む所を、知らず 」

この大雨の中、 遠路遙々、 公方様が、
見舞いにいらして下さった。 その御心
≒ の、あり難さ 、 は、 とても、
言葉では、 表現できない。
過ぎたる栄誉とは、正に、この事、
涙が溢れて止まらない。 :
私の姿を御覧になられて、その喜びを、
何度も仰られる。
有難くて有難くて、舞い上がる思いだ…

『 満済准后日記 』、 の、
永享6年の3月18日、22日、4月15日、
28日、6月3日、など。 :

極めつけは、 永享7年の、
3月27日の出来事。
諸寺社を参詣しながら、 再び、
体調を崩した、 満済師の病、への、
平癒の祈願を続ける、義教将軍。
六条八幡宮を訪れ、さて、
立ち去ろうとした、その時に、
浄衣へ、 蜘蛛が降りてきたのを、
「 満済師が、直ぐにも回復する吉兆 」、
だとばかりに思って、 喜びます。 :

※ 浄衣 じょうえ …☆
神事や、法会 ホウエ 等の際に著る、
白い狩衣などの、清浄な装束。 :

その話を聞いた病床の満済師も、
「 落涙千万行ばかり也 」 。
それから、 2か月半後に、
満済師は、 帰らぬ人となる。
義教将軍の落胆は、
どれ程だったでしょう。 :

≒ 人々の命と健康性とを成し続ける、
のに必要な、 代謝ら、の、各々を、
合体して、 成し合う、
代謝員ら、である、
酵素 コウソ 、 らにも成る、
タンパク質ら、と、
補酵素 ホコウソ 、な、
ビタミン 、 らや、
補因子 、な、 ミネラル 、 らへの、
日頃の、 摂取らにおいて、
そうした、 あるべき、
代謝ら、の、 どれ彼を成す、
事へ向いてある、 あり得る、
合体の度合い、 を、
一定以上に成す事を、
必要な事として、 成される、
代謝のどれ彼な働きを成す、事へ対して、
合体しおおせ得る度合いら、
を、 より、 欠いてしまう、
質と量で、
あるべき、代謝員らへの摂取ら、
を、 一定度合い以上に、
成してしまう、 事が、
人々が、 その、あり得る、
健康性の度合いや、 命を失う、
事への、 より、 最も、
おおもとな、 要因性を成す、
事なので、

深傷 フカデ 、 を負う、などして、
あるべき、代謝ら、の、 成り立ち、と、
それらの、 互いへの、連携性なり、
循環性なり、 が、
差し止められてられたり、
ウィルス 、らなどにより、
その、 健全な場合の、
遺伝子ら、の、 特定の、
タンパク質ら、を、 一定の順番で、
それらの宿り居る細胞の内側の物らへ、
作らしめる、 毎日の、
随時な、 日常の仕事ら、が、
おかしくされる以上の列辺 レベ
( レベル ) 、 で、
遺伝子らへの改変が、
成されてしまったり、 してある、
場合らを例外として、

そうした、 合体して、
代謝らのどれ彼を個別に成す、
代謝員らの、 その、 あり得る
合体性と代謝性との重なり合う、
度合い、 である、
代謝ごとに、 差、の、あり得る、
『 確率的 親和力 』、 らでの、
不足分ら、を、
埋め余し得る、 以上の列辺で、
タンパク質らのどれ彼らや、
ビタミンら、か、 ミネラルら、の、
どれ彼ら、への、 より、
余計な、 摂取ら、を、 成し付け得て、
余計な、 糖質への摂取ら、を、
より、 差し控え得れば、
より、 通例な、 遺伝性らへの、
主である人々は、
当然に、 万病を、
未然に、差し止め続け得たり、
病ら、から、 健康性を、
すっかり、 回復し得たりする、
事に成る。

また、 タンパク質らのどれ彼、への、
構成材、な、 アミノ酸 、などへの、
代謝ら、から、
『 ブドウ糖 』、 を作り出す、
『 糖 新生 』、ら、な、
代謝ら、を、成す、事が、
より、 できなかったり、
脂肪酸 、への、 代謝ら、から、
『 脳の細胞らへの栄養分にも成る 』、
『 ケトン体 』、 たちを作り出す、
代謝ら、を、 成す、事が、
より、 できなかったり、する、
日本人たちにおいて、
60数人に、 何人かの割合で、
居る、 特殊な、 遺伝性らへの、
主である人々においては、
その体の外部から、
『 ブドウ糖 』、 や、
『 ブドウ糖 』、 に成る糖質ら、
を、 一定の度合いで、
摂取し続けるべき、 必要性がある、
が、
そうした人々においても、
必要分らをこえての、
糖質への摂取は、
より、 有害性らを成す、物であり、
糖質への摂取では、
あり得る、 その健康性を成す事へ向けて、
制限が成されるべき、必要性がある❗ 。

また、
やたらと、 甘い物らを、
飲み食いし続けたがる、
あり得る、 異食い性の欲求性らは、
あるべき、代謝員ら、への、
必要分らを満たし得た、
摂取らが、成される事で、
より、 その精神系に、
湧き立たなくなる、 ので、
必要な、 代謝員ら、を、
必要な度合い以上で、
摂取し得る限りは、
甘味らが、 欲しくて、
しょうがない、 といった、
欲念らに、 悩まされる、 事態らを、
その主らが、 自らに、成す事は、
より、 無い ❗。

逆に、 より、 必要性の、無い、
糖質ら、への、 欲求性らは、
より、 必要性が、 無い、がゆえに、
より、 満たされ得ない、
性質のものであり、
別の何彼らによって、
差し止められない限りは、
やたらと、甘い物らを飲み食いする、
事のそれ自体は、
その度合いを、いくら、積み重ねても、
それを、差し止め得る、
要因性を、 より、 成さない。

ただし、 金属な、 コバルト Co 、
なだから、 ビタミン B12 、
を、 作り出して、
赤血球らを成す、事、 などを、
間接的に、 助けたり、
その他の、 ビタミンらを成したり、
過剰な、免疫性らを、差し止める、
物質を成したり、して、
その主な人々の、 あり得る、
健康性を、 より、 余計に、 成しもする、
腸内細菌たち、 への、
栄養分に成る、 一方で、
人の体の本当の内側へは、
より、 吸収される、事が、 無く、
より、 その主の血糖値を、
上げる、 事も、無い、
『 食物繊維、 な、 糖質 』 、らは、
より、 自他の、 あり得る、
健康性を成すべき、 人々が、
自ら、進んで、 摂取し続けるべき、
筋合いを自らに成してある❗ 。


・・まだまだ、見落とされている、
逸話らは、 ある、と思います。
皆さんも、是非、探してみて下さい。

真名文
≒ 漢文 、の日記は、
取っ付き難いですが、
注釈の付いた物もあるし、

√ 歴史学の書籍や、『 史料総覧 』
、 HPのデータベースも利用出来ます 、
を参考にしながらだと、 :
その人の持っている、価値観、
・先入観により、
史料の記述らへの解釈は、
だいぶに、 違ってくるので、
やはり、自分の目で確かめる事が、
一番です。
何せ、相手は、中世の文章。
基本姿勢は、 「 真名 マナ 文は、
読むんじゃない❗、 感じるんだ❗ 」 。 :

何より、 日記の全体を見通す、
事の、 最大のメリットは、
その行間から、当時の世界を、
『 履在 リア 』
≒ 『 リアル 』 、 に、
体感できる事です。

抜き出された一文では、 決して、
得る事の出来ない物であり、それは、
遥かに、 真実に近い。 これは、
本当に、読んだ人じゃないと、
解らない感覚❗。
日記らと比べると、 教科書や概説書、
というのは、 所詮は、"止まった歴史"。
初めて、日記を、通しで読んだら、
きっと、 「 ああ、歴史って、
生きている人々の物なんだ 」 、
と、実感できる筈。 :
考えてもみて下さい。
何百年も前の、 日記らが、
残されているなんて、奇跡にも近い、
と、 思いませんか? 。

本来なら、最大限の敬意と誇りをもって、 守り伝えていくべき、貴重な宝らなのに、 例えば、
「 万人 恐怖 」、と言う、
たった、一言だけを、
文脈から、切り離し、
本来の意味から外れた、
印象を植えつける何て、
歴史への愚弄にも近い、
もったい無い行為です。

この国の宝、 この国の歴史、
それらに向き合う時、私たちは、
知性と品性を失ってはならない、
と、 思います。

義教将軍への悪評の出典として、
曲解されている、『 看聞日記 』、も、
一部のセンセーショナルな言葉だけが、
一人歩きをし、あたかも、それが、
全体であるかの様に誤解されているのは、
悲劇だ。 :

『 室町殿 』、 の糸桜
≒ しだれ桜 、 が満開の頃に、
義教将軍が、 貞成親王を招待した日の、
酒宴と和歌会なんて、 良い逸話だ。

「 一会之儀、 如法御快然也、
不存寄参、 祝着、 活計、 千万也 」、
『 看聞日記 』、の、永享8年の3月9日

この会合では、 公方も、 実に、
ご機嫌で、 突然の招きだったが、
本当に、にぎやかで、楽しい物だった。 :

※ この様に、 直に、
義教将軍と関わった逸話らでは、
とても好意的な感想が記されているのが、 『 看聞日記 』、の、意外な?特徴です。

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