夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒・・

観念らの規定性らによる、事象らの成り立ちようらへの解枠にも絡めて、 天下経済系の可能的な成長の度合を増すべき事らを述べる

平和のうちにも、一般の日本人たちが、絶やし去るべき、反日外患員ら、への、内応者ら ❗

2019-09-15 15:34:19 | 政治・経済
☆ 下り得ぬ 城を落とすは 内からも
攻めをひき込む 手蔓な草ら・・❗。


☆ 渡部昇一氏 ( 上智大学 名誉教授 )
➕ 石平氏 ( 評論家 ) ;

@ シナ事変の前夜と同じ ;

石氏 ; 「 尖閣 問題 」 、が、
起こったとき、
当時の、 仙谷 ( 由人 )官房長官が、
中国に気をつかって、
「 かつて、 日本は、
中国に迷惑をかけたんだから 」、
という様な事を言っていましたね。
ああいう認識が、 今も、
日本人の間にある。


【 自分で、 根拠らを調べる、
より、 まともな、日本人では、ない、
方の、 反社会的な精神性の主ら、
が、 日本人たち、などへの、
外患員ら、の、 凶悪な詐欺犯罪ら、
などに、加担し、
出鱈目な、 外患員ら、の、
主張な事ら、を、真に受けてみせる、
芝居を成して、
あわよくば、 だまされて、
悪事らの片棒を担いだだけの、
被害者に成り済まし、
処罰を逃れ得る、
可能性を、余計に、 成そうとしている、
だけの事であり、
そうした、 白々しい芝居をする、
実態を成してしまう事で、
かえって、 一層と、
その身内員ら、への、
応報性の度合いを深刻にし、
本人らが、 自然死などをし得ても、
その係累員ら、が、
一般の社会らからの隔離と、
囲い込みようを宛てられて、
平和に、絶やされるべくも、
監視の下で、 暮らすべくされる、
位の事は、 宛て付けられ得る、
筋合いを、自らの身内員ら、の側にも、
成し増してしまう事にも成る 】。

渡部氏 ; あれで、まず思ったのは、
これは、 〈 シナ 事変 〉、 のときと、
同じだ、 ということです。

 あのころも、シナは、
尖閣と似たような事件を、しょっちゅう、
起こしていた。 それで、日本人は、
シナに対して、 カンカンに、
怒っていたんです。 だから、
「 暴支 膺懲 」 ;
( 暴虐な支那を懲らしめる )、 という、
言葉が、できた。

それは、 私ら子供でも、みんな、
そう言っていました。
一番に、ひどかったのが、 昭和12年
( 1937年 )、の、 中国軍による、
通州の日本居留民への大虐殺、いわゆる、
「 通州 事件 」、 です。

あれだけ、ひどい事をされたら、
やり返すのは、 当然ではないか、
というのが、 一般的な考えでしたね。

石氏 ;  今の中国は、
「 暴支 」、 どころか、
「 暴走 」、 していますね。
シナ事変、つまり、日中戦争について、
私は、 中国で、
こういう教育を受けました。

 日露戦争の当時から、すでに、
日本は、 中国をほろぼして、
大陸を我が物にする計画を立て、
着々と、 対中侵略を進めてきた。

その過程に、 満洲事変があって、
盧溝橋事件、 があり、 そうして、
全面的な侵略が始まった、 と。

 そう教えられて、私は、
「 日本人は、 すごいな 」、
と、 感心した。 何しろ、
百年の計を立てて、 その通りに、
実行していた、 というのですから。

 しかし、 日本に来て、
歴史の本を読むと、全然、
話が違うので、 とても驚きました。
一体、どこに、 侵略計画があったのか。
ズルズルと、 戦争に巻き込まれていった、
だけではないのか。

渡部氏  ; 日本に侵略計画があった、
という話は、 東京裁判のときに、
証拠として出された、
田中上奏文が、もとになっているんです。
田中義一首相の、 いわゆる、
「 田中 メモ 」、 ですが、 そこに、
日本は、 満洲を征服して、まず、
シナを、 最後には、 世界を征服する、
という、 シナリオが書いてある。

 しかし、 実のところ、 それは、
誰が書いたのか、わからない。
しかも、その侵略を決めた、 という、
昭和2年の会議に、元老の、
山縣有朋氏も出席したことになっている。

ところが、 大正11年に亡くなっている、
山縣有朋氏が、 出席できるわけがない。
信憑性がないから、 証拠として、
認められなかったんです。
最近の研究では、 このメモは、
コミンテルンが、 モスクワで捏造して、
世界中に広めたのだ、
と、 言われています。

石氏  ; 中国の教科書には、
「 田中上奏文 」、 が、 必ず、
載っています。

逆に言うと、
田中上奏文の存在がなければ、
日本が侵略戦争を行った、
と、 断罪することは、かなり難しい。

渡部氏 ; 「 田中 上奏文 」 、
が、 偽物だ、 ということが、
わかった、 にもかかわらず、 それが、
世界に広まってしまった。
A級戦犯の最も大きな罪とされる、
「 平和に対する罪 」、 は、
戦争を計画した、 という事ですが、
その事実が、そもそも、ないんですよ。

@ 「 対華 二十一カ条 」、 の中身 ;

石氏 ; そういう意味では、
日中戦争には、
コミンテルン 、が、
大きな影を落としていますね。
もう一つ、
中華民国大総統 ; 袁世凱に、
日本政府が提出した、
「 対華 二十一カ条 要求 」、
あれこそ、 日本の野望と野心の現れであり、 侵略の第一歩だと、
中国では、 必ず、 言うんです。

渡部氏 ; あれは、 14条までは、
これまでの条約を守ってくれ、 という、
当然の要求です。
最後の、 七カ条は、 そのために、
日本の人材を積極的に登用して、
権利を認めてくれ、 という、希望でしたが、
結局、 最後には、 その部分を、
すべて削除して、 条約を結んでいる。
後半の、 7カ条は、 希望なんか出すと、
誤解されると言って、
日本の議会でも、批判されていたんです。

石氏  ; その7カ条に、
中国は、反発したわけですが、
結局、 その部分は、削除された。
それは、 どの国家間でも行われている、
当然の外交交渉ですね。
一方が、 希望を出して、
相手が反発すれば、一歩を引く。

渡部氏 ; あのとき、アメリカが、
「 民族自決権 」、 を持ち出して、
いかにも、 日本が悪いかのように、
騒ぎたてて、 中国を焚きつけた。
それで、 問題が大きくなった所がある。
民族自決権、な、 そのものは、
非常に立派な考えだけれど、
自分たちが持っている植民地の、
フィリピンや、あるいは、
イギリスが、世界中に持っている、
植民地らについては、 問わない。
しかし、 中国に対しては、 しきりに、
民族自決を煽りたてた。
だから、 中国の青年たちのあいだで、
排外運動が起きた。
最初は、 日本だけでなくて、
イギリス、アメリカも、
排除しようとしたわけですが、
日本だけが、
武力で抑えることをしなかった。
だから、 なめられて、
排日運動だけが、大きくなった。

石氏  ; それは、
日中関係の大きな教訓ですね。
肝心なときに、 きちんと、
武力で対応しなかったから、
中国は、 ますます、つけあがって、
「 暴支 」、 になった。

渡部氏 ; 「 二十一カ条 要求 」、
を出した時期が、
第一次世界大戦のさなかだったのも、
まずかった。
英米が、
ヨーロッパの戦争で忙しい、
隙を狙ったかのような、
ずるい印象を与えてしまった。


【 英米の富裕権力層員ら、と、
一般の、 主権者ら、とは、
より、 階級社会性や、
部族社会性を、 脱却し得てある、
社会倫理性のある側の主ら、が、
その、 序列化差別型の、
ゆがんだ倫理性などに合わせて、
忖度して、 善い、相手らではなく、
より、 一方的に、 絶やし去り、
より、無力化する宛てにし続けるべき、
筋合いの者らでしかなく、
そうした筋合いの者らの、
心情性らや、倫理性らの一般に、
おもねる傾向性のある者らは、
日本の社会の内側にあって、
外患性らを呼び寄せても来てある、
絶やし去るべき宛ての者らでもある 】。

石氏 ; 日本のそういう判断ミスが、
アメリカに利用された結果、
中国の五四運動が、はじまり、
反日的な風潮が高まった。

渡部氏 ; 反日運動についてだけは、
ソ連とアメリカは、 同調していた、
という、 印象を受けますね。
談合したわけではない、としても、
日本を大陸から追い出す、 ことが、
両国の利益だった。

@ 日本は、 満洲を中国に返した ;

≒ 満州は、
華夏員ら、の、 固有の領土ではなく、
満州族員ら、の、生活領域であり、
清王朝の時には、
漢族員ら、が、 満州へ立ち入る事も、
禁止されており、
日本人たちと、 満州族員ら、とが、
満州国を建て、 近代的な暮らしようを、
そこの、人々が成し得るように成ってから、
漢族員ら、が、 違法に、
満州へ侵入して、 年間に、
数百万人もの単位で、
勝手に、住み着いた物を、
孫文氏ら、などの、
シナの幹部らが、 満州を、
シナの固有の領土として、
欧米人らへ宣伝し、
合法に、 犯罪者の、シナ人らへの、
懲罰を成す戦争を成していた、
日本への、 違法な戦争を成した、
米英人らによる、 日本の敗戦のどさくさ、
に、紛れて、
違法に、 満州を、 シナ人らが、
あらためて、占拠しており、
今もって、
日本人たちの、満州へ投下した、
資本性ら、へ、ついての、
日本人たちへ対する、
合法に成すべき、 補償も、
シナ人らは、成していない❗。

石氏  ; 五四運動の後、しばらくして、
コミンテルンが、 中国で共産党を作った。
中国共産党は、
自分たちで作ったものではなくて、
コミンテルンの中国支部に過ぎない。
日中関係のすべての問題が、
そこから生じてきた、 と言ってもいい、
のでは、ないでしょうか。

渡部氏 ; ロシア革命と、
コミンテルン、とが、なければ、
大陸は、ずっと穏やかなままだった、
と、思います。
中国人も、誤解していると思うんですが、
日露戦争前の満洲は、
ロシア領になっていたんです。
ロシアはまだ、自分の領土である、
と、 主張してはいなかったけれど、
清国の役人が、 満洲に入るときには、
ロシアの官僚の許可を、
得なければいけなかった。

 その満洲を、日本は、
日露戦争で、 ロシアを追い出して、
当時の清国、つまり、
中国に返したんです。
そして、 ロシアが作った、 鉄道と、
南満洲鉄道の権利、それから、
日清戦争で日本が得た、
東半島、への、租借権だけをもらった。
あのままほうっておいたら、
いずれ、 「 満洲 スタン 」 ;
( 「 スタン 」、 は、
国や地方を表す、 ペルシャ語に起源の、
言葉 )、 なんて、地名になっていた。

 北シナも、朝鮮も、そうです。
半島は、 今ごろは、
「 コリアスタン 」、
になっていますよ ( 笑 ) 。

石氏  ; 朝鮮人も満洲人も、
何々スキー、 という、
名前をつけられていたでしょう。
キムスキーとかね ( 笑 )。

渡部氏  ; だから、 スターリンは、
昭和20年の8月に、これで、
「 日露戦争の敵を討った 」、
と、 言ったんです。
もしも、 ロシア革命がなければ、
満洲と東半島は、 日本が租借し、
鉄道は、 日本が管理して、あとは、
平和だったはずです。
満洲事変も、不要だった。

石氏  ; 日中戦争も起こらなかった。
万一、満洲が、あのころ、
ソ連と共産党に侵略されていたら、
日露戦争以来の、すべての、
国防上の安全保障の成果を、
日本は、一気に失うところだった。

渡部氏 ; しかし、
アメリカが愚かだったから、
日本の敗戦で、
それが、失われたわけです。
朝鮮戦争以後、 アメリカの歴史家は、
口をそろえて、こう言った。
何が、 シナ大陸を失わしめたか、
それは、日本を潰したからだ、と。

石氏 ; 結果的に、 共産主義中国、
という、 化け物を生み出した。
今や、 世界中で、一番にやっかいな、
国を生んだのは、
あの頃の痛恨の歴史だった。

@ ミステリアスな事件 ;

渡部氏 ; 満洲国に、
清朝の王朝が続いていれば、
大きな緩衝地帯が存在して、
世界平和のためには、非常によかった。
ただ、清朝にクーデターが起こって、
愛新覚羅溥儀氏が、
日本公使館に逃げ込んでこなかったら、
満洲国の建国への案は、
生まれなかった、 と思う。
溥儀氏は、 満洲のヌルハチ氏、への、
直系ですから、 その故国に、
正統の皇帝を立てたのは、
誰からも、文句を言われない、
良い案だった、 と思う。

石氏  ; 満洲国は、ある意味では、
日本の本土よりも、 近代国家でした。
私は、 大学時代に、 満洲を旅した、
ことがあるんですが、 ほかの、
中国の都市より、ずっと整備されていた。
まず、橋が丈夫です。
日本人が作ったから ( 笑 )。
当時の鉄道が、今でも走っていますしね。
結局、近代中国の産業基盤は、
すべて、 満洲にあった。
満鉄の遺産です。
現代の中華人民共和国の自動車産業も、
旧満洲から、はじまっています。

渡部氏  ; 張作霖爆死事件にしても、
当時は、 昭和天皇まで、
河本大作大佐が、
事件への首謀者だ、と、
思っていたらしいけれど、
リットン調査団は、
「 ミステリアスな事件だ 」、
と、 言っているだけで、
日本軍が起こした事件だ、
とは、 言っていないんです。
イギリスの諜報部は、爆発物の分析をし、
火薬が、 ソ連のものだ、
と、 突き止めている❗ 。
日本は、 気づかなかったけれど、
リットンは、 知っていたんだ、
と、 思います。
だから、 あえて、 日本を責めなかった。

石氏  ; リットン報告書を読めば、
日本を一方的に断罪していない、
ことは、 すぐわかる。
それなのに、東京裁判以降、
歴史的事実が塗り替えられて、
どういうわけか、すべてが、
日本を断罪するものになってしまった。
それを、なぜか、
日本人は、 否定しようとせず、
それどころか、 むしろ、
積極的に認めている。

@ 「 引かれ者史観 」 ;

渡部氏  ; 戦前・戦中に、
反日運動とか、左翼運動をやって、
帝国大学を追われた人たち、
お縄になって、
牢屋に引かれていっても、
おかしくなかった人たちが、
戦後に、 大学に復帰して、
東大や京大の、総長・学部長におさまった。
そういう彼らの歴史観を、
エッセイストの山本夏彦さんは、
「 引かれ者史観 」、 と、呼びました。

戦後の歴史経済学者は、 みんな、
この人たちの弟子に、
ならざるを得なかったから、
学界は、
「 引かれ者史観 」、 に、
染まってしまった。
ジャーナリズムも、同様です。
昔なら、 くさい飯を食っている人たちが、
刑務所のかわりに、
学界とマスコミに集まっている ( 笑 )。
みんな、 日本の敗戦によって、
利益を得た、
「 敗戦 利得者 」、 なんです。

石氏  ; コミンテルンは、
戦前は、 日本の周辺で工作を行って、
大日本帝国を潰しましたが、
戦後は、 さらに、 日本国内に入り込んで、
日本の心まで、潰そうとした。

渡部氏 ; 潰されなかった人たちは、
史学や法学の本流に、
いなかった、人たちですね。
本来であれば、 法学部の教授なら、
「 日本に、 主権がないときにできた、
憲法など、憲法ではない 」、
と、 言うべきです。
国際法の学者であれば、
「 交戦権の、無い、ような、
憲法を持っては、いけない 」、
と、 言うべきでしょう。

しかし、
東大や京大では、言わない。
むしろ、 歴史や法律が専門ではない、
文学の先生とかが、
そういうことを言っているわけです。
敗戦利得者ではないから、
まともなことを言える。
敗戦利得者の弟子たちは、
その口移しを言っているだけです。
そして、弟子の秀才たちが、
各地の大学に散って、
「 引かれ者史観 」、を、
学生に教え、あるいは、
高級官僚として、あるいは、
朝日新聞や、NHKに入って、
反日的な言動をしている。

石氏 ; 不思議なのは、
そういう誤った歴史観が、
70年がたった今も、
大半の日本人の頭を占めている、
という、 現実です。
占領軍は、
指導者たちの精神まで、
占領し続けているようです。

@ 中曽根内閣で一変❗ ;

渡部氏 ; 「 引かれ者史観 」 、は、
「 東京裁判史観 」、 と、
言っても、いいのですが、
それに反対して、
憲法の改正を党是にしていたはずの、
自民党が、 中曽根康弘内閣
( 1982 ~ 87年 )、 のときに、
明らかに、変わってしまった。

昭和60年
( 1985年 )、の外務委員会で、
「 日本は、 東京裁判において、
中国に対して、 有罪になった。
その罪を、今も背負っている 」 、
と、 答弁したんです。

石氏  ; それは、
サンフランシスコ条約 、
を無視していますね。

渡部氏 ; サンフランシスコ講和条約で、
東京裁判については、
白紙になったんです。 にもかかわらず、
自民党も、 講和条約を無視した、
歴史観を持つに至った。
田母神 ( 俊雄 )
元航空幕僚長の事件でも、
田母神さんをやめさせる、
理由がなかったので、
「 日本の侵略は、歴史的事実である 」、
と言った、 村山元首相の、いわゆる、
「 村山 談話 」
( 1995年 ) 、 に背いた、 という、
理由をこじつけた。

しかし、村山さんは、
社会党の党首じゃありませんか。
社会党は、
サンフランシスコ講和条約に、
参加しなかった党ですよ。

石氏 ; 中国共産党も、
講和条約に一切、参加しなかった。

渡部氏 ; 社会党は、 当時は、
国会で、 第二党でしたから、
当時の吉田茂首相は、ぜひ、
参加させたかったのに、
請われても、行かなかった。
スターリンの意図に従ったのです。
そういう左派の意見に、
中曽根さんは、 外交に関しては、
乗ってしまった。
それ以来、
「 南京事件は、 なかった 」、 とか、
「 朝鮮に対しては、良いこともした 」、
と、発言しただけで、
大臣の首が飛ぶようになった。

石氏 ; 第3次中曽根内閣の、
文部大臣だった、 藤尾正行さんは、
歴史教科書問題で、
「 日韓 併合 」、 は、
韓国にも責任がある、
と、 言っただけで、 罷免された。
「 東京裁判史観 」、 は、
サンフランシスコ条約後も、
続いているわけですね。

渡部氏  ; 講和条約の11条に、
東京裁判で、すでに判決が下りている人は、
刑期の継続を実行する、
ただし、関係国が許せば、
免罪されるとあります。
それに従って、国内でも、
「 戦争犯罪による、 受刑者、への、
釈放、 等に関する決議 」、 が、
与野党一致で可決され、
A級戦犯も、免責されました。
これで、 国内的にも、国際的にも、
戦犯は、いなくなり、
本人や遺族にも、
年金の支給が行われることになった。

≒ 戦犯とされた人々は、
元から、 合法に、 犯罪者である、
シナ人らを懲罰する、戦争を成していた、
側にあり、
違法に、日本人たちを攻撃し続けて、
日本を占領した、 犯罪者な、
アメリカ人ら、などに、
戦犯とされるべき、筋合いの、無い、
『 法務 死者 』、 などから成る❗ 。

 A級戦犯として、有罪を宣告された、
重光葵氏は、
鳩山一郎内閣での、
副総理、兼、 外務大臣になって、
日本が、 国連に加盟したときには、
国連に、日本代表として出席して演説し、
拍手喝采を受けて、帰国後に急死した、
ときには、
国連で、 黙祷されているんです。

石氏  ; 要するに、
講和条約を締結した時点で、
日本は、 歴史的な名誉を回復し、
国際社会に復帰して、
独立をきちんと果たした。
その時に、もう、戦後ではなくなった。

渡部氏 ; だから、日本の内閣は、
中国にも、韓国にも、ペコペコしなかった。
それが、 中曽根内閣から、
一変したんです。
そのときの外務省の知恵袋が、
小和田恆さんでした。
小和田さんが、
「 日本の外交は、
東京裁判を背負っている、
ハンディキャップ外交である 」、
と、 勝手に、 答弁してしまった。

国賊 、 と言ってもいいでしょう。
小和田さんは、 非常な秀才ですから、
敗戦利得者の、
東大の法学部教授の言うことを、
全部を、 そのまま、
暗記していたらしい ( 笑 ) 。

@ 共産中国という“化け物” ;

石氏 ; 日中戦争のきっかけとされる、
のが、 盧溝橋事件ですが、
これによって、 中国と日本は、
やむなく、 全面戦争に至り、
歴史は、 取り返しのつかない、
方向に進みました。
盧溝橋事件がなければ、
中国共産党も、蔣介石に全滅させられて、
今日のような、 共産主義中国、という、
化け物も、生まれなかったでしょう。
すべて、あの瞬間、 昭和12年
( 1937年 )、 7月7日の、
盧溝橋での発砲事件から、
日本にとっても、 中国の人民にとっても、
不幸の歴史が始まった。

渡部氏 ; 盧溝橋事件も、 今では、
国民政府軍に入り込んでいた、
共産兵が発砲して、 意図的に、
武力衝突を引き起こした、 という説が、
ほぼ、確立している、 と思います。
もともと、 戦争をする気は、
なかったのだから、どうも、
おかしいなぁ、と、
日本軍も、 国民政府軍も、
思っていたでしょう。

石氏 ; だから、本当に、
奇妙な戦争だったと思うんですよ。

渡部氏 ; 盧溝橋事件は、 一応は、
現地協定を結んで収まったんです。
ところが、そのおよそ、3週間後に、
先述の、 「 通州 事件 」、 が起こって、
シナに対する日本国民の怒りが爆発した。
それでも、 シナ政府が謝罪したために、
まだ、 戦火は開かれなかった。
だから、本当に、
シナ事変がはじまったのは、
8月13日の、 中国側の、
上海攻撃 ( 第二次 上海事変 )、
からです。
ただ、それも、
蔣介石が望んだことではなく、
京滬警備 ( 南京・上海防衛隊 )、
司令官の、 張治中、 という、
共産党側とみられる、
将軍が、仕掛けたことだった。

@ 執拗な挑発 ;

石氏  ; 蔣介石は、
〈 中国人にとって、 本当の脅威は、
日本ではなくて、 中国共産党 〉 、
であることが、 よくわかっていた。
だから、 日本と戦う気はなく、
中国共産党への殲滅に、
専念しようとしていました。
にもかかわらず、
日中は、 全面戦争に突入した。

 そのA級戦犯は、
国民革命軍第二十九軍を率いていた、
宋哲元です。
盧溝橋の周辺に駐屯していた中国軍は、
国民党軍ではなく、二十九軍なんです。
宋哲元の二十九軍は、 事あるごとに、
日本軍とトラブルを引き起こしていた。
大体で、二十九軍は、
共産党員だらけでした。
だから、どう考えても、
盧溝橋事件は、
二十九軍の共産党員が引き起こした、
としか、思えない。

 蔣介石も、二十九軍に対して、
日本にちょっかいを出すな、
と、 しきりに言っていた。
にもかかわらず、
日本が、 盧溝橋事件の現地での解決、
不拡大の方針を決めると、
二十九軍は、 その翌々日の、
7月13日に、 日本軍の、
トラックを爆破して、
『 大紅門 事件 』、 を起こし、
25日に、
『 廊坊 事件 』、
26日に、
『 広安門 事件 』 、というように、
次々に、 日本軍を攻撃した。

“ じっと我慢”の動かない、
日本軍を、なんとしても、
全面戦争に追い込もうとした 。

そして、ついに、 通州、の、
中国保安隊
( 冀東 防共 自治 政府軍 )、 による、
日本人への虐殺事件、いわゆる、
『 通州 事件 』、 が起こる。

渡部氏 ; そういう挑発は、
ソ連の指示によるものでしょう。
日本軍が、シナ大陸で戦争をしていれば、
それだけ、 ソ連軍も楽になる。
それを見破ったのが、 石原莞爾氏です。

彼は、
ナポレオン戦争への専門家なんですが、
当時に、 彼が書いた、
パンフレットを読むと、
「 シナ事変が起こるとすれば、
それは、 ナポレオンにおける、
スペインとの戦争と同じである。
ナポレオンにとって、 本当の敵は、
陸では、 ロシアであり、
海では、 イギリスであった、
にもかかわらず、
スペイン 、 などにかまっていたから、
泥沼に引き込まれてしまった。
同じように、日本の本当の敵は、
ソ連なのだから、
シナ事変、 などに、
巻き込まれてはいけない 」 、
と、 書いてある。

石氏 ; 冷静に見ていた、
石原さんのような人が、
発言力を失ったのは、日本の不幸ですね。

渡部氏 ; もし、 日本が、
計画的に戦争をするつもりでいたら、
まっすぐ、南京に向かったでしょう。
それで、 一挙に、
南京を占領して終わりですよ。

石氏 ; 日本が計画的に侵略した、
という様な事は、 全く、なくて、
二十九軍のような、
中国側の執拗な挑発にのってしまった。

渡部氏 ; 通州事件のときは、
日本人は、 非常に憤慨したけれど、
中国側が謝ったことで、
戦争にまで至らなかった。

石氏 ; 本来であれば、
謝ってすむ問題ではありませんね。
なんと言っても、 民間人を含めた、
230人が、虐殺されたんですから。

@ 宋美齢の反日宣伝 ;

石氏 ; 通州事件でも、
日本が動かなかったから、 いよいよ、
日本が応戦せざるを得ない、
状況を作り出すために、
8月13日、の、
上海事変を起こしたのでしょう。

渡部氏 ; 中国は、
民間人のいる、 ホテルまで、
無差別爆撃を行ったから、
日本は、 居留民を保護するために、
陸軍を派兵せざるを得なかった。
司令官だった張治中が、
満洲の反日スパイを動かしていたことは、
奉天 ( 瀋陽 )、 の、
日本軍の憲兵にも知られていました。

その張治中が、日本の陸戦隊 ;
約 4千人が、
日本人な居留民を守っているところに、
約5万の大軍で攻撃してきた。

そこで、 翌る、 8月14日、に、
日本政府は、 急遽に、
第三師団と第十一師団を、
上海に派遣したのです。

 これが、 本当の、
日中戦争のはじまりである、と、
元の、 米駐日大使のライシャワー教授も、
言っています。

石氏 ; つまり、戦争を始めたのは、
中国だというのが、
歴史的真実だ、 ということになる。

渡部氏 ; そのとおりです。 結局、
日本が、 「 断固として、
不拡大方針を貫く 」、 など、と、
言っていたから、なめられたんですよ。

 第一次上海事変
( 昭和7年 = 1932年 )、
のときも、 中国軍は、
共同租界に対して、攻撃を仕掛けたので、
イギリスも、アメリカも、反撃している。
日本だけは、 抵抗するな、
という、 命令を出されたので、反撃せず、
公使館まで、襲われてしまった。

これで、 中国は、
「 日本、 与しやすし 」、
と、 考えた、 と、 思いますね。
こういうときは、やはり、
断固たる態度をとらなければ、いけない。
これも、 今日の状況と、
よく似ています。

石氏 ; 日中の全面戦争が始まるまでの、
一連の経緯は、どう考えても、
中国側のコミンテルンの指令を受けた、
人間たちが、 一方的に、日本を挑発して、
あらゆる手を使って、
日本を全面戦争に引きずり込もうとした、
ということになる。

渡部氏 ; それを、いかにも、
日本の方から、 侵略を仕掛けた、
と、 宣伝したのは、もちろん、
ソ連と左翼の連中ですが、
実は、 アメリカも、 そうなんです。

 日本と全面戦争になった以上、
蔣介石は、
「 日本が、シナを蹂躙している 」、
という、 イメージを作り出して、
国際世論の同情を集めようとしたんです。
そこで、 蔣介石は、非常に賢明にも、
キリスト教に改宗しました ( 笑 )。
奥さんの宋美齢も、クリスチャンで、
アメリカの名門女子大の卒業生です。
そして、 アメリカのプロテスタントの、
牧師たちに、金をばらまいた。
アメリカからは、それぞれの教区の、
牧師たちが、 寄附を募って、
布教に来ていて、妻子もあるから、
生活費が必要なんですよ。
それで、 蔣介石に世話になっているから、
「 日本が悪い、 日本が悪い 」、
と、 言うわけです。

石氏 ; なるほど。本当は、
蔣介石は、 キリスト教に、
興味は、なかったのに。

渡部氏 ; そうすると、
アメリカの宣教師たちは、
日中戦争を、
キリスト教徒 対 異教徒の戦争 、
のように、とらえる。
宋美齢のステンドグラスまで入れた、
教会もあるそうです ( 笑 ) 。

石氏 ; 聖母マリアのかわりに ( 笑 )。

渡部氏 ; だから、 面白いことに、
当時のアメリカの宣教師めらは、
口をそろえて、
日本軍の悪口を言っているけれど、
それは、 プロテスタントばかり。
カトリックの神父や尼さんには、
日本を批判した人が、一人もいない❗。
カトリックは、 単身赴任だし、
蔣介石から、お金をもらう必要がないから
( 笑 )。

@ 南京の、 「 ナ 」、 の字もなかった ;

石氏  ; 中国が捏造した、
最大の“傑作”は、「 南京事件 」、ですね。

@ 画像 ;
攻略から、まもない、 昭和13年、の、
初頭の南京露店街 ;
大にぎわいを見せている❗ 。

渡部氏 ; あの話がおかしい、
と、 私が思ったのは、 まず、
こういうことでした。
シナ事変の初期には、 兵隊さんたちが、
1、2年で、 みんなが、
帰国していたんです。
うちの近所でも、
2人くらいは、帰ってきた。
だから、 全国では、
何万人 、 と、 帰ってきている。
にもかかわらず、
南京大虐殺など、 噂にもならなかった。

 昭和17年 ( 1942年 ) 、 に、
日本の機動部隊が、
ミッドウェーで大敗したときには、
それは、 極秘だったにもかかわらず、
私は、 近所の遊び仲間から、
「 もう、 加賀も、 赤城も、
なくなったんだぞ 」、
と、 聞かされました。
加賀も、赤城も、われわれが、
幼いころから、名前をよく知っていた、
日本の主力航空母艦ですよ。
大変なことになった、と思いました。
東北の小さな町にも、そういう、
極秘情報は、 ちゃんと、
伝わってくるんですよ。
だから、南京大虐殺が、
本当にあったとしたら、
その当時、噂にならないわけがない。

石氏 ; 実は、私も、日本に来るまで、
南京大虐殺など、一度も、
聞いたことがなかった。
中国の小学校、中学校の教科書にも、
南京大虐殺なんて載っていませんでした。

渡部氏 ; それは、重要な証言ですね。

石氏 ; もちろん、日本軍が、
どんなにひどい事をしたか、
という事は、さんざん教わってきました。
それでも、 南京の、
「 ナ 」、 の字もなかった。

渡部氏 ; 南京虐殺について、
公式に、 日本政府に抗議してきた、
政府は、ない。

石氏 ; 蔣介石自身も抗議していない。
日本留学から中国に帰ったとき、
南京出身の大学のクラスメイトに、
「 親父さんか、お祖父さんから、
大虐殺の噂を聞いたことがあるか 」、
と聞いたら、 やはり、
「 ない 」、 と言っていました。

 最初、南京で、 30万人が殺された、
という、 記述を読んだときに、
素朴な疑問を感じたわけです。
中国では、歴史的な大虐殺が、
何度もありました。
どこそこで、
100万人の捕虜を殺したとか、
そういう記述が、
歴史書に、よく出てきますが、
そういうところを掘り返すと、
たしかに、 人骨が、 いっぱいに、
出てくるんです。
面白いことに、
2千年前の記述でもじゃなくて、
必ず、 出てくる。
しかし、南京から、
何十万体の骨が出てきたなんて話、
一つも、聞いたことが、ない。

渡部氏 ; 当時、
戦争が起こりそうになると、
お金のある南京の市民は、
大部分が、 逃げたんです。
逃げる所のない人たちや、
外国人が、 南京に残っていた。
そのときの20万人、 という、
人口は、 かなり正確な数なんです。
ところが、それから、1カ月後に、
市民を食わせなければならないので、
日本が、 食糧を調達したときには、
25万人になっていた。

石氏 ; 増えているんですね ( 笑 )。
そもそも、 30万人なんか殺せない。
仮に、 30万の死体があったとして、
その数字を誰が集計したのか。
物理的に不可能です。

 しかし、日本の知識人らが、
南京虐殺をことさらに言いふらしたり、
日本を攻撃することによって、
社会的地位を得たり、 というのが、
私には、信じられない。
本来なら、逆でしょう。

@ 河本大作説への疑問 ;

渡部氏 ; その「逆」のこと、 つまり、
本来の姿に戻す動きが、少しずつ、
起こりはじめている、 とは思います。
しかし、先ほど言ったように、
「 敗戦 利得者 」、 たちの、
反日的な言動は、いまだに尾を引いている。
日教組も、子供たちに、
「 すべて、 日本が悪い 」 、
と、 教えてきたわけですから。
とくに、 そうして地位を築いた人は、
新たな歴史的事実が出てきても、
面子があるから、 いまさら、
持論を引っ込めるわけには、いかない。

 秦郁彦さんは、
『 南京事件 』、 という、著書のなかで、
4万人虐殺説をとっている。
30万人説を否定して、
4万人説をとったから、
良心的であるように言われていますが、
私は、これを批判したことがあるんです。
まず、 市民と戦闘員の死者とを、
区別していない、 という、 問題が一つ。
それから、曽根一夫、 という男の、
証言を重視していること。
この曽根、 という人は、
2冊位を、南京大虐殺の本を書いている。
ところが、この男は、
南京には行っていないんです。
私は、 仙台で、 偶然に、
曽根氏の親類に会った事があるんですが、
その親類は、
「 あのつきには、 困ったものだ 」、
と、 言っていました ( 笑 )。
つまり、まったく、
あてにならない男なんです。

石氏 ; 4万人という根拠は、何ですか。

渡部氏 ; それなりに、 色々と、
計算したらしい。
「 捕虜を処分せよ 」、 という命令を、
「 すべて殺せ 」 、と、
解釈しているんですね。
当時の命令では、 それは、
「 解き放て 」、 という、 意味です。
食糧も不足しているから、
捕虜に食わせる余裕がなかった。
それをすべて殺した、
と、 計算したんですね。
それから、 戦闘捷報か何かを調べて、
4万人 、 という数字を出しています。
しかし、私は、 市民に関して言えば、
限りなく、 ゼロ 、 に近い、 と思う。

 張作霖爆死事件も、
日本軍のしわざだと言われてきたけれど、
田母神俊雄さんが、
「 そうでない、 という説もある 」、
と書いたら、 秦さんは、
ものすごく怒って、 朝日新聞か何かで、
「 そんなことを言うのは、
上杉謙信公が、 女だ、
というようなものだ 」、
と、 批判した。

 が、 張作霖爆死事件を、
日本軍が起こした、 という説には、
根拠が、無いんですよ。
首謀者は、
河本大作大佐、 という事になっていて、
戦後に、 河本大佐の手記なる、
告白記事が、 『 文藝 春秋 』、
に出た事がありますが、これは、
彼の甥である、 左翼の人間が書いた、
デッチ上げでした。

東京裁判で、 パル判事は、
張作霖事件に関する証言は、
すべてが、 伝聞証拠にすぎなかった、
と、 断定しています。
そもそも、 当時は、
河本大作は、 生きて、
中国に捕らわれていたのだから、
証言させれば、 よかったのに、
中国が、抑えていた。
なぜ、 呼ばなかったのか、 というと、
彼を証人として出廷させると、
色々とまずいからだった、 と思う。

 最近では、 研究が進んで、
ソ連主犯説が濃厚になっています。

そういう状況にあって、
田母神さんは、 あくまで穏やかに、
「 日本軍の犯行では、ない、
という説も、ある 」、
と、 言っているのに、 激昂して、
日本軍犯行説を周知のこととして、
反論するのは、
「 南京でも、虐殺がなければならない 」、
「 張作霖も、 日本軍に、
爆殺されたのでなければ、ならない 」、
という、 「 東京裁判史観 」 、
が、 崩されるからですよ。
それは、 エゴでしかない。
自分のエゴと業績を守るために、
相変わらず、 「 日本は大虐殺した 」、
と、 言い続けるのです。

@ 有色人種の解放戦争 ;

石氏 ; 日本にとっても、
意味のない戦争をした結果、
国益を損なった。
日本が、 中国の挑発に乗らず、
もっと、大局的な判断をして、
戦争の不拡大を貫く道は、
あったのでしょうか。

渡部氏 ; 南京が陥ちたとき、
トラウトマン、 という、
ドイツの外交官が、
和平案を出したんですよ。
そのときの、 日本の参謀次長──
参謀総長は、 閑院宮 、 という、
宮様ですから、実質上の参謀総長です──
その多田駿中将は、ぜひとも、
停戦してくれと、 涙を流して、
近衛首相に頼んだ。
しかし、 近衛首相の周囲は、
コミンテルン系の左翼ばかりだった。
それで、 「 蔣介石政権を相手にせず 」、
という、 声明を出して、
スターリンの思惑どおり、
大陸の泥沼にはまり込んでしまった。

 それから、 日本は、
ものすごい、 消耗戦を続け、 ついには、
アメリカと戦争せざるを得なくなった。
ルーズベルトは、 絶対に、
日本と戦争する気でいましたからね。
ヒトラーのために、
イギリスが息の根を、
止められそうになっていたから、
アメリカは、
イギリスを助けなければ、ならなかった。
ところが、 アメリカ国民は、
第一次大戦に参入して、
ろくな事が、なかったから、
ルーズベルトは、
ヨーロッパの戦争には、 絶対に、
参入しない、 という、
公約を掲げて、 当選したんです。

にもかかわらず、 チャーチルが、
しきりに助けを求めてくるし、
蔣介石からも、参戦を懇願してくる。

 だから、アメリカは、
日本が、 対米開戦せざるを得ない、
状況に追い込んだ。 これは、
三国同盟の弱さをつかれた、
ということも、あります。

三国同盟は、 もとは、
日独防共協定でしたから、
ドイツが、 ソ連と、
独ソ不可侵条約を結んだときに、
これは、 三国同盟の意図に反すると言って、
同盟を破棄していれば、
よかったかもしれない。
しかし、 長い目で見れば、 結局、
有色人種の解放戦争は、
しなければならなかったかもしれません。

石氏  ; それが、
大東亜戦争の歴史的功績ですね。
国際的に、人種観が変わった。

渡部氏  ; 今の人には、
戦前の白人の人種差別の、
ひどさが、 わからない。
日本人のような、 全然、
犯罪者を出さない、 優秀な移民団でも、
1人も、入れない、 というところまで、
差別された。

 そもそも、 白人に勝てる、
有色人種もいる、 ということが、
日露戦争で、 日本が勝利するまで、
白人も、有色人種も、
思ってもみなかったんです。
当時は、 日露戦争は、
世界の注目の的だったから、
誰もが驚いた。

 大東亜戦争のときも、実際、
機動部隊を持っている国、というのは、
アメリカと日本しかなかった。
イギリスにも、 ドイツ、フランス、
ソ連にも、 ない。
アメリカと対抗して、
戦争ができるのは、
ヒトラーのドイツでもなければ、
チャーチルのイギリスでも、ない。
日本だけだった。
インドのネルー氏や、
ベトナムのホー・チ・ミン氏など、
世界中の独立運動の指導者は、
みんな、 そこから、
インスピレーションを得た。
有色人種のイメージを、
180度を変えたのは、
日本だったんです。

石氏 ; そういう意味では、
大東亜戦争というのは、
有色人種と白人の全面戦争でも、
あったわけですね。

渡部氏 ; 日露戦争に続いて、
2度目ですね。 それで、 日本は、
アメリカから憎まれた。
アメリカは、 人種差別を前提として、
できている国です。
もし、 はじめから、
人種差別は、無い、 という、
彼らの独立宣言が、 本当なら、
インディアンの土地を奪ったり、
アフリカから、 黒人を連れてきて、
奴隷にしたりできませんよ。
だから、 白人と同じステータスの、
有色人種員ら、が現れた、 という事は、
アメリカにとって、
非常に不愉快なことだった。
日本と戦争をしたころの、
アメリカの海軍には、
有色人種員ら、もいましたが、
軍艦の厨房 ( 台所 )、 以外には、
配属されなかった。
なぜなら、 大砲を撃たせたり、
飛行機に乗せたりすると、
有色人種いた、が、 出世して、
上官になる、 可能性があるから。
それは、 白人らには、耐えられない。

戦前の、 シンガポールでも、
マレー人は、 奴隷に近く、その上に、
中国人がいて、 中国人は、
それへの、 マスターである、
イギリスに仕える。
そういう差別構造を、
日本が、 完全にぶち壊した❗ 。

 だから、日露戦争は、
コロンブスのアメリカ大陸への発見以来、
数百年に、一度が起こるか、どうか、
の、 大事件であった、 と、 みないと、
世界史は、 わからない。

20世紀の初頭は、
人種差別は、当然、 という、世界でした。
そして、 21世紀のはじめには、
国という名に値しないような国でも、
国連で、 一丁前の口をきく、
ようになっています ( 笑 ) 。
この百年の差は、
どこに起因するか、といえば、
日露戦争と大東亜戦争しかない。

石氏 ;  日本は、 あらゆる、
国際の場で、 堂々と、
「 人種差別を破ったのは、
われわれです 」、
と、 言うべきですね。

渡部氏  ; そうです。
第一次大戦の後、 日本が、 国際連盟で、
人種差別撤廃を提案した時、
それをぶち壊したのは、
アメリカ 、 だった。

そういうことは、 プライド、と、
地位をかけて、言わなければ、いけない。
ところが、 政治家が、勉強していない。
勇気・胆力が、ない。

わたなべ・しょういち氏 ;
 上智大学名誉教授。英語学者。
文明批評家。1930年、
山形県鶴岡市生まれ。
上智大学大学院修士課程修了後、
独ミュンスター大学、
英オクスフォード大学に留学。
Dr. phil.,Dr.phil.h.c. ( 英語学 )。
第24回エッセイストクラブ賞、
第1回正論大賞受賞。著書に、
『 英文法史 』、 などの専門書のほか、
『 知的生活の方法 』、
『 知的生活の方法・音楽篇 』
( 渡部玄一・共著 )、 などの、
話題作や、 ベストセラー多数。
小社より、『 渡部昇一の日本の歴史 』
( 全 7巻 )、
『 渡部昇一ベストセレクション 』
シリーズ刊行。

せき・へい氏 ; 評論家。
1962年、中国四川省成都生まれ。
北京大学哲学部卒業。
四川大学哲学部講師を経て、
88年に来日。95年、
神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。
民間研究機関に勤務ののち、評論活動へ。
07年、日本に帰化する。
著書に、 『 なぜ 中国から離れると
日本は うまくいくのか 』
( PHP新書 )、
『 なぜ 中国人は こんなに
残酷になれるのか 』 ( ビジネス社 ) 、
『 もう、 この国は捨て置け❗ 』
( ワック )、 など多数。

☆ ガン細胞たちは、 ブドウ糖だけ、 を、
唯一の、主な、栄養分としてあり、
糖質を制限する事を含む、
ビタミン・ケトン療法は、
ガン細胞たちを兵糧攻めにする事でも、
ガン、の、あり得る度合を減らす事になる。

Cancer cells are only glucose,
only, as main, nutrients,
including limiting carbohydrates, vitamin / ketone therapy
can also be used to starve cancer cells ,
It will reduce the possibility.

タンパク質たち、と、 ビタミンら、に、
ミネラルら、 を、 完全以上に、
飲み食いなどして、 摂取し続ける、 事が、 一部の人々を除いた、
ほとんどの人々の健康性を成し続ける、
代謝ら、を、
完全以上に、 成し続ける事に、 必要であり、
これら、を、 より、 欠いてしまう事は、
万病を引き起こす、 可能的な度合ら、を、
より、 余計に、 成す事を意味する。

☆ いずれにせよ、
日本人たちは、 より早くに、
日本人たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、
公共事業らを成す事により、

日本の、 財務省の役人ら、と、
与野党の、 主な政治家らとが、

英米のカネ貸しらの主張する事らを、
そのまま、自らもまた、
オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、

日本政府の財政における 、 緊縮 、
を、 繰り返し、 成す事を通して、

彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としてある、日本人たちへ、
物価だけではなく、
その労働らへの賃金らの水準へも、
より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、
押し付け続けて来てある、

その、 デフレ不況性 、を、
解消し去ってゆく、 と共に、
日本人たちの防衛性の度合いを、
飛躍的にも高めてゆくべき、
ぎりぎりの状況にも、 ある 。

地上を襲い、 地上をおおい得る、
あり得る、 災害らへ対して、

地上に、 避難所らや、
避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、
それらへ誘導する事は、

人食い虎どもの住む、 密林へ、
わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
行為であり、

日本の主権者としてある、
日本人たちの一般 、へ対して、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
行為なり、 態度なり、 であり、

日本人たちの一般の、 あり得る、
福利ら、を、 より、 能くも、
最大限にも、 成す事を、 約束して、
日本の社会に、 存在し、 存続する事を、
日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、

それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、
不作為型の、 行為なり、 態度なり、
であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い。

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