☆ 日本と大陸の城ら❗ ;
◇ 海外の反応
2020/ 4/25 20:25 露弁 ; 149 1,168 ;
日本の城と西洋の城は、 外見からして、
大きな違いがあります。
それぞれの城の長短は、何だろうか、
と、 海外の掲示板で、
語り合っていました : reddit.com ;
●投稿主❗ ;
ヨーロッパの城と日本の城の、
戦略上の長所と短所は、何だろう? ;
敵を遠ざけるようにするのではなく、
キル・ゾーン ; 殺し域 ;
、 を使うようになっている西洋の城と、
日本の城は、 外見の設計から、
違っている。
それぞれの長所と短所は、 何だろうか? ;
西洋の軍が、日本の城を包囲した場合は、
どう対処する? ; あるいは、
その逆は? ;
● どの時代かによるな。
西洋の 、 ” 城 ” 、は、 殺ぎ域 、が、
より、 機能的になっていった、
ルネッサンス後に、
星型要塞へと変わっていったんだし。
● 星型の要塞は、 北海道にもある。
蝦夷共和国の時代 ( 19世紀の後半 )。
※函館の五稜郭
●星型の要塞と、城は、 全然に、違う。
星型要塞は、大砲が、 中世の城を ;
( ついでに、軍のシステムも ) 、
破壊した、 ルネッサンス戦争の産物だ。
●↑自分の理解してる限りだと、
火薬による兵器が、 中世の、
軍事システムを過去の物にした、
んじゃなくて、 火薬兵器と結びついた兵站 ;
( logistics ) 、 の大きな変化 ;
( と、それによる、軍システムの刷新 )
、 からだったはず。
● ↑中世の軍事仕須提 システ ;
システム ; 、 は、 人々が、
プレート・アーマー ; 板鎧 ;
、 を着なくなっていった中世の盛期 ;
( ※11、12、13世紀:wikipedia ) 、
には、 破綻しつつあった。
兵士らは、 雇われで、 重騎兵だった、
騎士の割合は、 ほんの、わずかだった。
● 兵站は、 火薬兵器の出現前から、
変わっていた。 非軍属の人間による、
軍隊を作れる様になった火薬兵器は、
確かに、その触媒には、なったけど。
城は、 梯子に対抗するために、
高くなっていったけど、
大砲が、 それを破壊したんだ。
一方で、 星型要塞は、 背が低く、
大砲の弾が、まっすぐに、
当たるんじゃなくて、 弾むように、
スロープ ; 坂 、 を成してある。
更に、 マスケット銃で対応できるなら、
要塞の規模については、
そんなに、問題では、ない。
● 星型要塞の出才 デザイ ;
デザイン ; 、が、 戦場で、 より、
効果的だ、 とは、 知らなかった。
フロリダのセント・オーガスティンにも、
こういう態譜 タイフ ; タイプ ;
、 の要塞があるよ。
サン・マルコス砦 ( ※wikipedia )、だ。
● ↑火線を、 複数な地点らで、
連動させるために、
幾何学的な出才になっているんだ。
● ↑サンマルコス砦は、 裏手に、
人造の谷が作ってある。 そこで、
牛を飼ったり、水を張ったり、
戦場の拡大を困難にさせるためだ、
と、 聞いた事がある。
あと、 サンマルコス砦は、 使われている、
コキーナ岩のお陰で、 大砲に強い、
というのも、ユニークな部分だね。
image credit:atlasobscura.com
● 城ってのは、 王なんかが住む、
場所のことじゃないの? ;
要塞は、 軍用目的だから、
城とは、 比べられないような。
意味論になってしまうのかもしれないけど。
● ↑城は、住居でもあり、要塞でもある。
● それは、 その通りなんだけど、
支配者が、 その地域の住民、への、
支配者である、 と同時に、
軍事力への支配者でもある時代には、
その区別は、 遥かに、曖昧だったんだ。
更に、当時は、みんなが住んでいた場所で、
仕事をしていたから、 仕事をする場所と、
家の区別も、 曖昧だった。
もし、 自分が、住人であり、
軍への管理も、 同じ場所で行われていた、
としたら、 その場所を、
要塞化したくなる、 と思う。
● ヨーロッパの城らは、
軍が、 敵を攻撃するべく遠征している間は、
少数の守備隊で、守るように出来ている。
多くの場合は、 わずかに、 数十人で、
専属だったのは、 ほんの、
一握りだったはずだ。
守備隊が、沢山でいる大きな城は、
大規模な群で攻めない限りは、
包囲するのは、ほとんど、不可能だった。
まとめると、 ヨーロッパの城らは、
敵の進軍を遅らせ、 王が、
自国の軍を終結させる、
時間を稼ぐための抑止力と障害物だった。
日本の城については、よく知らないけど、
西洋の城よりも、もっと、
沢山の守備隊がいたように見える。
● ↑加えて、もし、 西洋の城が、
町の中にあった場合は、 市員らも、
守備隊に従って、 城を守らなくては、
行けなかった。
侵攻軍も、 同じように、 自国の町に、
守備隊を配置していたから、
敵を弱らせるのも、
ゆっくりだったんだけど、これは、
自国の町が襲われるのを防ぎつつ、
最前線への補給を守る必要があったから。
例えば、 フランスの自分の地元な町には、
セーヌ川の小島に建っている城があって、
この城は、 百年戦争の時に、
イギリス軍に包囲された。
城の守備隊な、 7百人は、
4千人のイギリス軍とブルゴーニュ兵に、
4か月間を包囲され、 自分らの王が、
援軍を送らない、と、 悟った時に、
降伏した。
包囲されている間は、 兵士と市員らは、
ネズミを捕って、食べていた、という。
町は、降伏したけど、 ➕年後に、
イギリス軍が、 何らかの理由で放棄し、
町は、再び、自由を取り戻した。
● ↑当時のブルゴーニュは、
独自の国で、フランスとの間に、
諍いがあったんだ。 百年戦争の時には、
イングランドとも、戦っていたから、
その時に、 自分に利がある方に、
ついていたってわけだ。
● 日本の城らでは、 防御する方が、
昇ってくる敵を迎え撃てるように、
西洋の城と比べて、
多層状になっていることが、多い。
あと、 日本は、 地震が多いから、
石組みのヨーロッパの城らと違って、
耐震性能が高い、木組みになっている。
● ↑多層状の防御システは、
西洋の城でも、 一般的な機能だし、
世界の他の場所でも、そうだぞ。
でも、確かに、地震は、
日本の城らへの設計において、
重要な要素だな。
● 多層状の防御は、 支配者層から、
敵を遠ざける方法としては、
新しい、やり方だぞ。
● モン・サン・ミッシェル ;
聖ミカエル山 ; 、 の上から、
見下ろすと、よく、わかるな。
城では、ないけど、要塞として、
使えるように、練られている。
体調が良くない時に、 上まで登るのは、
結構と、大変だ。
戦争で攻め込む時なんか、悪夢だろうな。
しかも、 攻めている間を、 ずっと、
上にいる人らからの砲火に、
さらされることになる。
● 中世のヨーロッパの城らは、
石組じゃないのが、ほとんどだぞ。
何で、そう思ってしまうか、というと、
今までに残っているのが、
石組みの城ばかりだから。
多くの城は、 土と堀で補強された、
木製の城で、これでも、
侵入者らに対しては、かなり、
効果的だった。
当時でも、石は、かなり、
高級な建材だったんだ。
● ↑移行の期間が、かなり、
長かったんだよな。
イギリスとアイルランドの小規模な要塞は、
➕ ~ 11世紀の、
モット・アンド・ベーリー ;
( ※イギリスの要塞の形状の1つで、
堀を掘って出た土で、 盛り土をして、
要塞を作る: wikipedia ) 、
から始まり、 15世紀には、タワー・ハウス
( ※塔状の建築物 ) 、 へと変わり、
これが、 17世紀まで続いた。
● ↑日本の木造建築は、
漆や漆喰を使っているから、 驚くほど、
耐火性があるぞ。
● ↑それは、 そうかもしれないけど、
多くの城が、焼け落ちてしまっている。
5千は、あった城らの内で、
現存しているのは、 12 、で、
多くの城が、火事で燃えてしまっている。
● どちらの戦略も、技術も、
非常に、よく似てるよ。
ヨーロッパの城は、 キル・ゾーンを利用し、
日本の城らの様な、多層防御も使っている。
大きな違いは、 使っている、
素材が、理由だね。 日本の城らは、
木組みで出来ているから、
地震で、破壊されることが、ない。
結果として、 攻城の兵器には、若干は、
弱いけど、通常は、 城は、
そういう兵器を持ち込みにくい、
場所に建てられている。
ヨーロッパの城らも、同じような、
地形に建てられている。
包囲攻撃に対する選択肢は、
どちらも、同じだ。
籠城して、 外部からの応援を待つか、
攻めて出る。
● 建築的に、 日本の壁は、
ヨーロッパの主だった城らが、
対処していないものに、
対応するようになっている。
それは、 地震。 これは、
日本の城の壁が、拡張しやすい、
理由でも、ある、と思う。
ヨーロッパの城の、まっすぐな壁と違って、
地震に強くするために、
分厚く、傾斜している。
日本の城らが、
拡張できるようになっているのは、
壁に、傾斜が付いている分、
まっすぐな壁の西洋の城よりも、
幾分かは、 乗り越えやすいため、
多層状に、防衛網を敷けるようにした、
というのも、 理由らの1つ、
なんじゃないだろうか。
● 日本の城らは、 敵が侵攻するには、
何度も、壁を登ったり、
門を燃やしたりしなくちゃいけない様に、
多層な構造になってる。
あと、壁も、 敵の火矢を防ぐために、
斜めの板が付けられている。
● ↑なんで、 ヨーロッパの城らは、
防衛用に多層な構造になってないのか、
と、考えたことがある。
同じではないけど、 ローマ軍は、
包囲戦で、勝利したけど、 同時に、
包囲されてもいて、 それには、
壁を築いて、対処したんだっけ。
● ↑アレシアの戦い( ※wikipedia )
、 だな。 カエサル将軍が、
アレシアを攻撃した時に、
敵の大規模な援軍が来る事に気付いた。
そこで、カエサル将軍は、
第二の壁を築いた。 この壁は、 最後に、
カエサル将軍が、 要塞を出て、
敵の救援部隊を、 背後から急襲する時に、
役立つことになる。
● 外部の脅威に包囲された者を守る、
ために、 要塞を構築する事を ;
contravallation 、 と呼ぶ。 あまり、
使う言葉じゃないんで、 折角だから、
使っておこう、 と思う。
歴史や地形、環境などで、
城と言っても、 日本とヨーロッパでは、
かなりの違いがあります。
同時に、堀、 などで、
共通点も、あります。
◇ 日本語での論弁 ;
62. 大砲の時代がくる前に、
戦国時代は、終わったから、
日本の城らは、 大砲に対する、
防御が、あまり、 考慮されていない。
また、 日本は、水が豊富だから、
水掘りを命謂 メイー ;
メイン ; 、 にしている。
水掘りさえあれば、
攻城櫓も、使えないし、
地下通路を掘って、
爆薬を仕掛ける作戦も、使えない。
水掘りがあれば、 防御線に対し、
必要な兵士が減るので、
少数の兵らで、大きな城を守れる。
兵士が少なければ、
少ない食料でも、長く籠城できる。
包囲網が長くなれば、 兵力が薄くなり、
外部から、 食料を運び込む事もできる。
西洋は、 籠城したら、まったく、
閉じこもるのが、 前提だが、 日本の城は、
結構と、攻撃を重視している。
63. 山城が、 平城より堅かったのは、
火縄銃が普及する前の話で、
火縄銃が普及した後では、 山城より、
平城の方が、堅かったぞ。
あと、 大砲に弱い 、って言う人も居るが、
むしろ、 逆で、
日本で、 大砲が普及しなかった、
一番の理由は、 日本の城らには、 あまり、
効果が、無かったからだよ。
というのも、 当時の砲弾は、実体弾、
つまり、 石や金属の塊であり、
それを、 城壁や建物にぶつけて、
言わば、 小さな人工地震を起こして、
破壊するものだったから、
耐震性の高い、 日本の城らには、
効果が、薄かったんだ。
大阪城は、たまたま、
当たり所が、悪かったのね、 弾だけに。
実際に、会津若松城なんて、
築城されてから、 2百年も後の、
大砲に撃たれたのに、 一か月も、
持ちこたえているんだから。
82. >>63 ; その通りです。
日本の城郭に、 他国らのよりも、
優越性が有る、 とすれば、
多郭構造による、 防御領域の自由化、
石垣による、 耐砲撃戦での、
要塞化でしょう。
この、 2つを以て、
日本城郭は、 大規模である、
必要すらなく、 中規模でも、
近代に近づくまで、 非常に、
機能性な城郭たり得た
、 と、思います。
軍事革命を著した、
ジェフリー・パーカー氏は、
日本の城郭を、 「 事実な上で、
空爆による攻撃まで、難攻不落を誇った 」
、とまで評価しています。
会津若松城の天守の耐砲撃性は、あまり、
一般ウケしていないものの、
日本の城郭の作事での耐砲撃性が、
350年前から、しっかり機能していた、
立派な証査なんですよね、
地味過ぎるけど。
74. 虎口は、 一般的に、
攻めにくいようになっている。
で、説明されるが、 実は、
大砲の出現により、 大砲の水平発射で、
門が破壊されるようになったから。
そこで、 正面に、
破壊されても良いような、
小さい、 高麗門をおき、
虎口の奥に、 防御線である、
櫓 ヤグラ 門をつけるようになった。
81. 日本の城だって、 大砲に対する、
備えの必要性から、さらに進化したんだよ。
この場合は、近世の城郭になっちゃうけど。
日本では、 秀吉太閤の大阪城によって、
特に、拠点城郭の作り方が、
ガラっと変わって、これ以降は、まず、
城の軍事的・政治的機能を前提として、
「 地形を作り替える 」、
ような、 工事をするようになった。
それ以前は、基本的に、地形ありきで、
その地形を、いかに、生かすか、
を考えていた。
織豊政権期に、 試行錯誤を経て、
最終的には、 大阪城において、
地形を生かす、 城ではなく、
城を生かす、 地形づくり、という、
逆転の発想が完成した。
けれど、 これが、
大砲の威力を想定していないものだった。
なので、 大坂の陣では、
攻囲側が、 都合の良い、
砲撃ポイントを設定して、
城の中心部の付近まで、
攻撃することができてしまった。
純軍事的には、
大した効果は、発揮できないんだけど、
精神的に大きな影響を及ぼすものだから、
女子供を収容する、拠点城郭で、
これは、痛い。
しかも、 大砲の威力は、
大坂の陣ではなく、その前に、
朝鮮の役や、関ヶ原で、
知れ渡っていたので、
江戸時代の初頭には、 その反省を生かし、
大砲による攻撃を想定した、
設計を採用するようになった。
つまり、 攻め手が、
どこに布陣しようと、
城の中枢を、 射程圏内に入れ得ない、
設計にしてみたり、
射程内に入るのは、 仕方がないにしても、
絶好の砲撃ポイントから見ると、
天守の壁面が、 斜めに建てられていて、
砲弾の威力を減殺できる様にしてみたり。
こういう工夫らが取り入れられて、
ようやく、 日本の近世の城郭は、
完成の域に達する。 それ以降は、
太平の世になって、
城の進化が止まったのは、
諸兄の仰る通り。
89. 欧州を含めた大陸型の城や要塞と、
日本の中世の城郭の違いは、何といっても、
戦場の近さ。 日本は、それこそ、
隣町に、すぐ、敵がいるような、
乱世が、常態化していたし、
大大名の一円支配が確立していった、
戦国の後期ですら、今の、
都道府県列辺 レベ ; レベル ;
、 の広さの国から、 いきなり、
何千とか、何万とかいう、 兵士らが、
動員されてくる。 こんなのは、
欧州の戦場では、 ありえなかった事で、
日本の戦国時代は、 ちょっと、
異常なことをやっていた。
そうやって動員された何万の兵力は、
集結から、 わずかに、1週間あまりで、
前線に投入される。
そんな環境では、 防衛側も、
即席で、 あっという間に、建築でき、
味方の援軍が到着するまでの、
わずかの時間かせぎができれば、いい、
という、 構造になっている。
そもそも、 源平合戦の頃には、
城といえば、 張居 バリー ;
バリケード ; 、 みたいなものだった、
のを、 何層にも連ねて、 複雑化したのが、
日本の城だから、
短期間での、 力攻めには、非常に、よく、
耐え得る、 けれども、
大陸の城らの様に、 一度は、築いたら、
何百年も使い続けるような、
構造には、 なっていない。
長期間での包囲に耐えた例は、
あるけれど、 構造な上では、 あんまり、
そういうのは、苦手だった。
似た様な距離感で、戦争やってた時代、
例えば、 古代の都市国家時代の、
ギリシアとか、 中世の初期の欧州では、
城壁すら、まともに発達しなかった。
防衛には、その都度に、 こちらも、
兵員を集めて、ぶつけるのが、
安上がりだったから。
ところが、 国家の経済と、
軍事の規模が膨れ上がると、
時間と労力をかけて、
堅牢な城壁や防御施設を作るようになる。
ギリシアのポリスらが、
城壁を作り始めたのは、
ペルシア戦争の後で、
ペロポネソス戦争のちょい前くらい。
中世の欧州では、 十字軍が持ち帰った、
イスラムの城塞への手法が、
都市や領主館 ;
( モットアンドベイリーのような )
、 に組み合わされて、
本格的な築城術が花開いていった。
90. 空堀や城壁で囲っただけで、
城なの? 、 機能的に、どうなの? 、
って、 言いたかったんだが・・。
極端な例だと、 土佐一条氏の城なんかは、
5つの複合的な城郭らと、 44以上の、
支城網を以って、
土佐中村城 、 ってんだから。
103. 大砲で、 中世の城が、
役に立たなくなったって、 それ、
浦添城の前でも、言えんの? 。
104. 一番の違いは、
石造りと、石垣作りの差だ、 と思う。
西洋の城らは、 石造りだから、
投石機や大砲で、崩れるが、
日本の、らは、 石垣作りだから、
上物は、 破壊出来ても、
城の構造は、崩れない。
日本の城らの方が、守りが堅いだろう。
105. 日本の城は、 castle ( 城郭 )
、の中に、 castle ( 天守閣 ) 、
が有るのが、 普通だけど、 中国の城は、
castle 、 の内部には、 city 、か、
palace 、 しかないんだよ。
で、中国の、 castle 、の主体は、
城内にある、 象徴的な建物ではなく、
城壁、な、 その物にある。
紫禁城を例に取るなら、 紫禁城
、というものは、 太和殿を起点に、
城壁まで広げた空間ではなくて、
午門から神武門まで結ばれている、
城壁を起点として、
その囲まれている空間を、
紫禁城としてるんや。
内部の建物を以て、 castle
、 とすることが、ないんだよ。
問題は、ここ、 中国の、 castle 、は、
イコール、 城壁。
中国の城壁を持つ場所は、 大体が、
その土地のトップの公邸を囲む宮城、
行政官庁街を囲った内城、
庶民の生活空間を囲った外城の、
三重構造になっているが、 いずれを以て、
castle 、 とするか。
なお、 地域によっては、
宮城が、 二ヶ所以上がある場合もある。
( 府、州、県の長官の公邸が併設 ) 。
117. 日本と西洋では、 根本的に、
地形が違う。 日本は、 山がちで、
狭い道路を通らねば、ならないので、
攻城の兵器は、 発達のしようが、ない。
映画を見ても、分かるように、
攻城兵器は、 巨大だ。
同じ理由で、 大砲も、発達しなかった。
クロス・ボウも、日本、 以外では、
どこでも発達し、 大量に使用されたが、
地形が複雑な日本では、
長射程の意味がなく、
連射が、 大きな意味を持った。
当然に、 兵器も城も、
それに合わせたものとなった。
近代で見る城郭は、 安土城からで、
それ以降は、 銃砲や大砲、
等が、 重要となっていった。
そのため、 熊本城や会津城は、
近代戦でも、容易には、攻略できなかった。
118. >>117 ; 海外で、
クロス・ボウが普及したのは、
金属製の鎧を貫通できる威力だったので、
「 騎士殺しの兵器 」、 として、
絶大だった❗ 、 というのが、
理由として、大きい、 と思う。
けど、 日本だと、 侍は、
泳いで、城攻めするのが、 普通だから。
136. >>118 ; 必要なかったのは、
その通りだけど、 理由は、違う。
単純に、 日本においては、 和弓の方が、
クロス・ボウよりも、 優れているから。
クロス・ボウ 、 というのは、
射手の熟練を要さない、 という点が、
最大のメリットであり、
熟練した射手を多く用意できる、
環境の下では、 長弓に劣る❗ 。
123. 沖縄で、 日本軍が、 籠城して、
結構と、耐えた城があったね
対空砲を水平に設置したりして、
近代要塞化したとこ。
日本の城の、 ” 防御 範囲 ” 、は、
本城、 出城 ( 寺なんかも含む )、
詰め城 、だから、 非常に広範囲。
だから、 「 ひとつひとつ 」
、 を潰さないと、 本城への、
攻撃を仕掛けたら、一瞬で、
包囲されるよね ( 山城は、別 ) 。
あとは、 同じ時代の西洋の騎士団が、
日本に来たら、 山岳地帯で、
武士らに蹂躙され得るし、 武士らが、
西洋にいったら、 平原すぎて、
一気に、殲滅され得る。
それぞれの地形や気候に合った、
" ホーム " 特化の城作りしてるから、
アウェイに行ったら、どちらも、
より、 負け得る、 というね というか、
補給が、まず、無理ですけど
127. 私の住む福山市にある福山城も、
戦時中に、空襲で焼け落ちた。
父は、 福山から、南に、 ➕ km
、ほどにある、 鞆に住んでいて、
焼ける炎が見えた、 と言っていた。
空襲の目標ではなく、市内に、
陸軍の飛行場のある駐屯地が、
あったからです。 飛行場の滑走路の一部は、
道路の一部として、
平成まで残っていたかな?
146. 要塞ついては、 日本の場合は、
安土桃山、以降に、 急速に発達した、
と、見られてるな。 それまでは、
単純な構造の山城が、中心で、平地では、
川や湿地などを背にして、
包囲されにくい立地に建てた位で。
戦国時代に山城から発展させ 、
・堀を巡らす ( 空堀→水堀 ) 、
・侵入路を狭める 、
・動線を曲折させる 、
・囲い込み地形を作る ;
( 曲輪 クルワ : スレでいう、
キル・ゾーン ; 殺ぎ域 ) 、
・石垣で高層化する 、
・狭間や落とし口などの防御の機構 、
などの方法論を組み合わせて、
防御力を上げていった。
近世以降は、 大砲の登場で、
高層化の利点が、 活きなくなったり、
銃砲への防御の重要性が増した。
それにともない、 戦術も、
要塞の様式も、大きく変ってったのだが、
日本では、 戦争のない、
江戸時代に入ったため、西洋に比べ、
戦術や兵器への開発の進歩から、
取り残される事になったんだろう。
◇ 論評群通観 ;
:
@ 中国の攻城戦って、 塀の上と外で、
ワーワーやっている意目侍 イメジ ;
イメージ ; 、 がある。
門を破られたら、 大抵は、
終わりなんだよな。 日本の城は、
侵入されてからが、 戦い。
曲輪の一つ一つを落とされながら、
降や、切腹、 等の交渉やる。 だから、
城の作りも、戦い方も、全然に、
違ってくる。
:
@ 日本の城は、 実質的には、
砦が多いよな。 : 中国で、
「 城 」、 と言うと、それは、
城壁に囲まれた都市自体を指す。
「 城市 」、と書けば、 そのまま、
都市 、 という意味だし。 中国で、
「 関 」、「 砦 」、「 塞 」、
「 寨 」 、に当たるものが、
日本の戦国時代の多くの城。
@ 日本の近世の城郭に、
大砲を打ち込んでも、その防御性には、
ほとんど、影響が、ない❗ 。
中世の山城ならば、 ほとんど、
土塁、なのか、 山、なのか、
分からない程で、 土に、
大砲の弾を撃ち込む事になる。
:
日本の城郭の防御性は、 堀と土塁が主役。
後に、石垣も、それに加わる。
:
欧州や中国大陸で、
大砲が打ち込まれたのは、 その、
石造りや、レンガつくりの城壁を、
ガラガラと崩すため❗ 。
:
日本の城の城壁は、材質が違うので、
大砲を打ち込んでも、ガラガラとは、
崩れないし、 また、
土塁や石垣に打ち込んでも、
意味が、無い。
:
日本の城郭において、 建造物は、飾り。
郭を形成する城壁も、柵としての、
機能以上の意味は、あまり、ない。
:
日本の城郭の防御力の根源は、 堀切、
土塁、 石垣。 :
:
この三つが存在していれば、
建造物がなくなろうと、 城壁が崩れようと、
( あった方が、好いに決まっているが )
、 充分に戦える❗ 。
:
城壁に、その防御力を求める、 大陸の城 ;
( 都市の城壁であれ、砦の城壁であれ )
、 とは、そこが、 違う❗ 。
大陸の、 「 城 」 、
というのは、 街の全体を城壁で囲った、
「 城塞 都市 」 、 の事を言う。
砦は、 城とは違うので、 中国では、
「 砦 」、 という、違う文字が、
わざわざ、 与えられてある。
:
平安京が建設される際に、中国の都な、
長安が、 縮小して複写された訳だけど、
縮小での故比 コピ 、 の際に、 城壁だけ、
削除されているのは、 首都が、
異民族から攻撃を受けない、日本では、
必要が、ない❗ 、 と考えられたから。
:
@ 城壁の裏で勇敢になる事は、簡単だ。
by ウェールズのことわざ。
@ 瓦に漆喰の壁って、燃えにくいよね。
炎上するのは、中身が、木造なだけで。
@ 山城を相手に、 大砲は、無駄❗ 。
平城を相手でも、 堀、 土塁に加えて、
石垣まで加えた、堅牢な城を相手に、
大砲は、無駄。
土塀に、漆喰を塗り固めた壁は、
石造りと違って、 玉が、
めり込むだけで、 崩れない❗ 。
@ 大陸の城には、堀は無いの? :
水不足? :
:
@ それも、 あるが、 堀が必要ない位に、
城壁が高いからじゃない? :
@ 石垣は、用いているものの、
即席で築いた倭城が、明の大軍を相手に、
一つも陥落しなかった❗
、 事実だけを見ても、
日本の城の防御力は、尋常ではない。
@ 熊本城は、
守将の谷干城 タテキ 氏が、自ら、
天守閣に火をつけて燃やしてる。 つまり、
大砲などで燃えてしまい、
士気が下がるような事を避けたわけだ。
@ 熊本城の石垣には、 その時の熱で、
皿状に剥離して、弾けて、へこんでいる、
石が結構とあるし、 石の種類にもよるが、
石垣は、建造物の炎上に対する耐熱性は、
実証できている事になるかな。
バス・ガイドが、 それを、
西南の砲撃による物だと、
ウソな説明をしていたから、
後で、教えてあげたけど。
砲による直撃なら、 パッカリ、と、
割れるもんだし。
:
@ 大概は、落城って、
守備兵らが、逃げ散るか、裏切りによって、
内から、崩壊するか、だよ。
城は、 何百ヶ所も見て来たけど。
中世の城でも、
大規模な物になると、一体に、
どう、攻めて好いか、が、分からん。
甲冑なんかを着て、転落したら、
大怪我をしそうな、 堀を、
敵の矢弾を受けながら、 越える、 など、
不可能に思える。
近世の城郭に至っては、 主要な部分たる、
掘や石垣の高さが、 20 m 、はある。
覗き込むと、 足がすくむ、 高さだ。
:
@ 北条氏を例に挙げれば、
城への維持・管理は、 近郷の村に、
負担させる、 代わりに、 有事に、
城へ籠もる権利を与えられる、
と言う事を制度化している。
他の大名が、どうかは、知らないが、
こういう例もある。
:
@ 豊臣秀吉氏が、
刀狩りをするまでは、 大体の武士は、
平時は、田畑を耕していたんじゃ無いの? 、
そういう状態の場合、 どこで、
農員と武士の身分を線引きしたの? :
:
@ 戦国期の農員らは、
貴重な戦力でもあったから、 戦時には、
ほとんどの城で、当然の様に、
守兵や人夫として、入城していた。
特に、城の付近の住人らは、
築城や改修の際に、縄張り、仕掛け、
等の機密らを知りつくしているので、
敵に渡す訳には、いかなかった。
指揮官から守兵に至るまで、農員らが、
曲輪の守備を丸ごとを任されていた例も、
多く見られる。
:
@ 岩屋城って知ってる? 、高橋紹運氏 ;
( 立花宗茂氏の父 ) 、 が立て篭もった、
山城なんだけど、 :
七百余名で篭城したのを、 島津勢は、
死傷者の、 四千五百名を数えて、
やっと陥落。
@ 総構えの内は、 家臣の武家屋敷が、
基本じゃない? :
例外も多いだろうけど、 武家屋敷は、
それな自体が、 防御の施設だから、
総構えは、防御を厚くする意味が、
殆どな気がする :
@ 住民への虐殺や、 都市への占領
、という様な戦いをして来なかった、
日本では、 ほぼ、 同一の、
民族員ら同士が、戦っていたので、
街を、壁で取り囲むべき、
必要性が、無かった。
古代では、 環濠集落もあったが、
その後廃れ、 総構え、 という、
一種の城塞都市化も、
戦国時代の後期になって、 あくまでも、
その中心となる領主の城を守る、
防衛線としての観点であって、
住民を守る為、 という、
意味合いは、薄い。
:
@ 一応は、そうだろうけれど、
名目上だけじゃない? ;
姫路城なんかでは、古地図を見ると、
総構えの外には、 ほとんど、
家が無かったみたいだが・・? :
@ 当時の日本人たちにとって、
略奪の対象となる様な物らが、どれだけ、
町民の家にあったかも、意外と、
重要だったりして。
幕末の頃に、
日本に来た外国人らは、 日本人の家には、
下流員らのみならず、 上流階級員らまで、
財産と言える様な、家具も、何も無く、
質素な生活に、ビックリしている。
生活須態 スタイ ; スタイル ;
、 が、欧米人と違い、 当時の日本人らは、
辺床 ベト ; ベット ; 、が無くても、
布団さえあれば、 寝れるし、
提務 テーブ ; テーブル ; 、 や、
椅子が、無くても、
畳の上に、直に座れば、好いし、
それほど、家具は、
必要なかったんだろうしね。 :
家が焼けても、 当時の日本人らは、
財産が少ない分、 欧米人に比べて、
精神的な所懼 ショグ ; ショック ;
、も少なく、ある意味で、
身軽だったから、
敵が攻めてきても、家を捨てて、
領主の城に逃げ込むか、
山にでも逃げれば、好かったのだろう。
なら、 町にある、大した財産でない、
家や、家具を守るべく、
町を囲む様な城壁を築く必要も、ない。
町民が、ある程度は、裕福になってきた、
信長氏以降の時代は、別だろうけど。 :
:
だから、 町を、ある程度は、守る為に、
総構えが、 必要になったのか・・?
@ 西洋の城は、 一生涯を、
子また孫へ引き継ぎ、 城を守る為に、
石で造るが、 日本の城は、 建てても、
➕年位で、 中古物件で引き払ってしまう。
また、親族員、などに譲って、
新しい城を造り、 移り住む❗ 。
その為、 城を永く使う習慣が、無い、
日本では、 建築への材料が、
素早く手に入る、 木造りの城が多いのだ❗ 。
短期間で、 城を造り、 売却して、
また、城を造る。
これは、 今にて、我々の、 賃貸から、
マンション、 そして、
一戸建て、と、よく似ている。
:
@ 実際に、中国へ行ってみれば、分かる
、と思うけど、 大陸のは、 城ってより、
町の全体を囲った、 デカイ塀なんだよな。
だから、中に入ったら、終わりで、
中に入られたら、守れない。
皇帝の住む所は、 堀みたいな物もなくて、
立派なのは、 正面門。
周りは、簡単に登れるような、 低い塀。
防御の機能としては、かなり、
いい加減な作りなんだよ。
:
@ 城って、 街道沿いに作られる、
物なんだよ。 物資の往来を監視し、
必要に応じて制限する為に。
戦国期の城跡を調べると、
旧街道沿いにあるのが、よく、わかる。
@ 篭城戦って、 ほとんどは、
あっけなく終わっている。
援軍のアテが、なければ、長期間を、
篭るべき、 必要性も、ない。
早期に降伏して、許されて、そのまま、
元の城主が、 城代になったりする。
そうされない様に、援軍を送る訳だが。
多賀谷重経氏の下妻城が、
北条氏の大軍に囲まれたときも、
湿地を利用した、激しい抵抗をしたが、
後背に、佐竹義重氏の援軍が来ているのが、
わかっていたから。 最終的に勝っている。
@ 孫子や、マキャベリ的に見れば、
頑強な城壁ってのは、 味方の逃亡、への、
防止や、 無意味な安心感を与える、
役割だけでしょ。
第2次大戦の当初でも、 フランス軍は、
要塞に引き籠もって、
まんまとやられているし。
@ 人は城、 人は石垣、 人は堀。
所詮は、 城郭などは、道具に過ぎぬ。
どんな名城でも、
守る者が、無能なら、すぐに陥落する。
当時は、 城攻めの基本は、 調略だった。
信長氏は、戦闘施設ではない、
安土城を築いた。
ベトナムで苦戦したアメリカの例を見れば、
拠点主義が、 必ずしも、
最良では、ない、事が、 わかるだろう。
:
@ 【 明帝国へ向けての 】 、
朝鮮への出兵時に、 日本軍が築いた倭城は、
一つも陥落しなかった、という事実・・。 :
大陸の城は、城壁での攻防❗ 。
日本の城は、 土塁と堀での攻防。
土塁が、 最強❗ :
@ 日本で、 石造の建築が、
発達しなかったのは、 一つには、
温暖で湿潤な、気候の為、
換気を重視した事。 もう一つは、
矢張り、 地震が多いこと。
@ 戦国時代に存在した城らのうちで、
実戦で使われたのは、 約 2 % 。 :
大半は、 地元の農者 ( のうざ )
、 らの集会場を兼ねていた為に、
櫓、門は、勿論のこと、
柵、掘り切りも、なかった。
これ、まめ知識な。
@ 城という名の農家って事は、
ままある話だよな。
いや、ほんと、冗談ではなく、
○○城と呼ばれていた物は、 今でいう、
「 ○○公民館 」、 位の物だった、
かもしれん。 規模といい、
使われ方といい。
:
@ あの知名度の高い、豊太閤の一夜城も、
そういう物だったし。 :
:
@ 日本の山城は、 拠点での防御。
一つを落とされたら、次の拠点へ移動し、
そこが落とされたら、また次へ移動。
大陸から見れば、
ゲリラ戦・遊撃戦を、
常に、やっている様なもの。
:
@ 日本の城郭は、 搦め手から、
籠城側が打って出て、 逆襲して、
蹴散らす事も、視野に入れられて、
縄張りされている。
織豊系大名らや、地方の覇者級の、
大大名らばかりを見ていると、
感覚が、 おかしくなるが、
普通の大名では、 長期間を、
城を包囲し続けるのは、至難。
後詰めが無くとも、勝利は、見込める。
信長氏や秀吉氏は、ここら辺りの、
制約を取っ払った城攻めが、
特色だ、と思うぜ。
@ 本国から、
補給と兵力の補充があった、ヴェルダンと、
完全に包囲されてしまった小田原城では、
条件が、違いすぎるが、 規模で言えば、
ヴェルダンの方が、長持ちするだろう。
小田原城だって、 外部から、
十分な補給があれば、落ちないだろうし、
ヴェルダン要塞群といえど、
後方を遮断して、補給を絶ってしまえば、
あっさり落ちるだろ。
@ 日本の城郭は、 大手門や搦手口、
などな、 攻城の要所らを用意してあるのが、
特殊。
あとは、 断崖絶壁や海、河川、
堀などで、守られ、 特定な要所らに、
防衛の兵力を配置するだけ。
大城郭でも、大兵力を必要としないで、
こもれる。
:
戦国の末期ともなると、 攻城側は、
大兵力や、長期間の足留め、 補給コストで、
攻め手の側へ、 かなりの負担を要求する、
防御力を持つ城が増え始め、
戦争への抑止な効果が跳ね上がる❗ 。
:
そのお蔭で、
軍事的な冒険が、より、できなくなり、 :
戦国時代は、終焉を迎えた❗
、と言える。
☆ より、あるべき、
日本人たちの為な、 費用ら❗ ;
◇ 日本の領海底などにある、
日本の燃料な資源ら、 などへの、 評価で、
何百兆円もの、 金額な、数値、 が、
観宛てられ得てもある、
が、
日本の社会への主 アルジ 、であり、
主権者であり、 自らへの、
主でもある、 日本人たちへ、
日本の資源ら、への、評価での、
金額な、数値ら、への、
引き換えに成り得る、 数値ら、を、
平等に、割り当て、
その数値らの一定の度合いらを、
日本人たちへの所得な金額らの、
一定の度合いら、を、成しもする、
教育などでの費用な金額ら、の、
一定の度合いらへ、 あて得るようにする、
といった、
日本の主権者としての、
日本人たちの一般へ、 奉仕し、
その、 あり得る、 福利ら、を、
より、 余計に、 成す、為だけに、
存在し、 存続する事を、
日本の主権者たちの一般から、
許されて、 初めて、 成し得て、よい、
立場にあり、 執事なり、
召し使いなり、の、 立場にある、
政府機関ら、や、 政府機関員ら、と、
それに類する存在な、
与野党の政治家らや、役人らに、
報道員ら、などの、
より、 公共性のある事ら、を、
より、 能く、 成すべき筋合いを、
自らに成してある、
公事員 クジイン 、 ら、 などが、
自ら進んで、 成し合うべきでもある、
事が、
まだ、 日本では、
成され得ていない❗ 、
事も、あり、
日本人たちの存在な、そのもの、に、
より、 価値性を観宛てる、 能力性が、
自らの側に、より、 無い、
事を前提として、
日本人たちへ、 所得な金額ら、の、
一定以上の、 度合いら、を、
あて加える、 物事ら、を、 より、
無駄な費用らを成す、
より、 成るべきでは、ない、
無駄なものら、である、とする、向きの、
反社会性を極めてもある、
主張な事らを成して観せる者らが、
日本政府の財政における、 緊縮 、なり、
引き締め 、なり、 である、
国家の主な、 日本人たちを、 より、
盛り立て得べき、 投資ら、 の、
あり得る、 度合いら、 を、 より、
小さくし、 負の度合いにまで成して、
日本人たちを、 より、 確実に、
弱らしめる、 向きへ、 余計な、
圧力らを掛け増す、 事や、
それに通ずる事ら、 を、
その実態らにおいて、
成して観せて来てある、
その実態らにおける、 反社会員であり、
反日員ら、である、
日本の、 財務省の役人めら、の、
そうした、反社会的な、
反日性を極めてもある、事ら、を、
肯定して観せる向きの、
その主張な事らを成して観せに、
テレビや、 ラジオに、新聞ら、
などの、 報道系らに、
ひっきりなしに、 現れ出て来る、
状況ら、や、
それらに類する状況ら、が、
日本の社会のあちこちに、
現れ出てある、
事、なども、 あって、
インフルエンザ、 などへの、
予防らを成して、
日本人たちの、 あり得る、
損害性ら、の、 度合いら、を、
より、 小さくする
、 と共に、
日本人たちへ、 所得な、金額ら、の、
一定の度合いら、を、
あて加えもする、 物事、
などへ対してまで、
より、 無駄な、 もの、とする、
前提性のある、 主張な事らを成しては、
日本人たちへ、 余計な、 実害ら、や、
可損 カゾ ;
≒ リスク ; 、 らを、
あて加え得てもある❗ 。
医療費ら、なども、
医療を成す、日本人たちへの、
所得な金額ら、や、 それに相当する、
資本性らである場合には、
無駄な物、などでは、なく、
一定の度合いで、 より、 あるべき、
物であり、
それらが、 一定の度合い以上に、
発生しない状況らでは、
病院らが、 より、 倒産し、
廃業へ追い込まれもし得て、
経済面からの、 医療の崩壊らが、
日本の社会のあちこちで、 より、
甚だしい物に、成り得、
武漢コロナ 、 などの、 再三な、
感染らの拡大にもよる、
日本人たちの重症化や死を、 より、
余計に、成す、 度合いを、
甚だしくもし得る事になる❗ 。
◇◆ シナとの密約がある❗、
アメリカの裏の実態を明かした、
アメリカの要人からの直言❗ ;
2016/ 1/30 1:9:30 ;
http://www.news-postseven.com/archives/20160129_376559.html
・・まずは、 アメリカが、 同盟国な、
日本には、 全く、知らせずに、
軍事や、安全保障の面で、
中国に与えてきた援助について、
アメリカに、
その意図や責任を問い質すべきだ。
http://www.bbc.com/japanese/video-35426196
☆ 三橋貴明氏❗ ;
今更「ロゴフ=ラインハート」を持ち出す
小林慶一郎(嘲笑)
2020- 5-25 7:29:27
チャンネルAJER更新しました。
『全ての国民を救えるんだ(前半)』
三橋貴明 AJER2020.5.5
三橋TV第239回【国土計画の復活を!
狂気の長期財政削減計画を叩き潰せ!】
https://youtu.be/J5NC2Wl4JQM
国民殺しの財政破綻論者が、どれだけ
バカか、頭が弱いかを、改めて
小林慶一郎を例に、解説しましょう。
先日、取り上げた例の記事で、小林は何と、
「ギリシャやアルゼンチンは破綻した~っ! 日本も~っ!」
「ロゴフ=ラインハート論文によれば、
債務比率がGDPの90%を超えると、
経済成長率が1%低下する」
といった、古臭くしかも間違っている
レトリックを今更持ち出し、懸命に
財政破綻論を擁護しているのです。
(というか、いい加減に
論破されつくした腐臭がする
レトリック持ち出すの、やめろよ。
同じ人間として恥ずかしいよ)
『日本政府の莫大な借金こそ
「失われた30年」の真犯人だ=小林慶一郎(東京財団政策研究所研究主幹)
(前略)◇財政不安が成長を阻害
非常に大きな増税や歳出削減が
できなければ、債務膨張が続き、
債務比率は無限大に向かう。
数十年以内には、
ギリシャやアルゼンチンのような
財政破綻が起きることだろう。
しかし、高い経済成長を達成できれば、
財政再建もできる、という反対意見がある。
現在の安倍晋三政権も、それ以前の
歴代の政権も、基本的には
高い経済成長率の実現を優先し、
その後に財政再建に取り組む、という
基本哲学を維持してきた。
将来、ギリシャのような
財政破綻が起きるかもしれない、という
不安があると、将来の危機に備えるために、
消費者は消費を抑え、企業は投資を抑え、
結果として「現在の」経済成長が低下する
可能性がある。
これは
ディザスター(大災害)モデルと呼ばれる
経済モデルに基づいて、早稲田大学の
上田晃三教授と筆者が理論モデルを作成し、
コンピューターシミュレーションで
示したことだ。
債務比率が上昇すると、
将来の財政破綻のインパクトも大きくなり、
一層、現在の経済活動が萎縮し、
長期的に経済成長が低迷する。
シミュレーションでは、バブル期以降の
日本の長期的な成長率の低下のうち、
4分の1から3分の1を、
「財政についての将来不安」という
要因で説明できることが示された。
筆者らの研究は
理論的可能性を示すだけだが、
ハーバード大学の
カルメン・ラインハート教授と
ケネス・ロゴフ教授は、過去の
財政再建の事例などのデータを使って
実証的推計を行った。彼らは
「債務比率が90%を超えると、
その国の経済成長率が1%程度低下する」
という傾向があることを報告している。
(後略)』
ギリシャ、アルゼンチン云々は、
もういいですね。
ギリシャが債務不履行
(財政破綻)に陥ったのは、政府の
「共通通貨ユーロ建て国債」。
共通通貨国は、普通にデフォルトする。
アルゼンチンが債務不履行に陥ったのは、
ドル建て国債。先日も、アルゼンチンは、
またもや「ドル建て国債」のデフォルト
(債務不履行)に陥りました。
なぜか、報道では、
「アルゼンチンが約5億ドル
(約538億円)の
国債のデフォルトに陥った」
「アルゼンチンが
ドル建て内国債のデフォルトに陥った」
などなど、あいまいな表現が多いのですが、単純に
「ドル建て国債のデフォルト」に陥った、
で構いません。
ちなみに、日本国債のデフォルトが
あり得ない理由は、これまた単純に
「日本が変動為替相場制の独自通貨国」で、
日本円建て国債しか発行しておらず、
日銀が国債を買い取ると、
政府の償還・利払い負担が
消滅するためです。
財務省(及び御用学者の吉川洋など)は、
「日本は内国債だから
破綻しないと言っている人がいるが~、
外国人の日本国債保有も増えている~」
と、国債所有者が
日本国内の経済主体化、
外国化をクローズアップし、あたかも
「内国債はデフォルトしてない」と、
我々が主張しているかのごとく
藁人形プロパガンダを展開していました。
誰が国債を保有していようが、
変動為替相場制の国の
自国通貨建て国債は
デフォルト「できません」。
内国債云々はどうでもいい話です。
というか、無関係です。
【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
皇統論「第十六回 仏教伝来」、
歴史時事「第十六回 疫病の人類史」が
リリースになりました。
また、ロゴフ=ラインハート論文は、
有名な「詐欺論文」でございまして、
「債務比率が90%を超えると、
経済成長率1%程度低下する」
という事実は「全くない」ことが、
すでに証明されています。
信じられないことに、
ロゴフとラインハートは、
エクセルのコーディングを操作する、
政府債務比率も
経済成長率も共に高かった国を
「その期間だけ」データから除く、
統計の重みづけを操作し、
上記の結論がでるように細工するなど、
「学者(一応)」としては
絶対に許されない
統計詐欺に手を染めたのです。
ロゴフ=ラインハート論文について、
スティグリッツ教授は、
「アメリカが第二次世界大戦直後に
90%よりはるかに大きい
債務を有しつつも、大戦後に
最大の経済成長を達成し繁栄を築いていた。
ロゴフ=ラインハートによる
90%理論は完全にばかげている」
と、一蹴し、クルーグマン教授は、
因果関係が逆だと指摘し、
「ロゴフ=ラインハート論文では
債務超過の帰結としての
低成長になっているが、
国家が債務を積み上げたから
低成長になったのではなくて、
国家が低成長を続けた結果として
債務対GDP比が大きくなったと見るべき」
と、恐らくは
「正解」を述べています。
現在の日本の債務対GDP比率が高いのは、
低成長の結果です。
そして、日本が低成長を続けているのは、
お前のようなバカが
頭が弱い連中がのさばり、
正しい経済政策を打てないためなんだよ、
小林慶一郎。
ちなみに、当の詐欺師の
ケネス・ロゴフ(一応、経済学者)は、
コロナ危機を受け、
「現在は財政出動に限度はない」
「財政出動が5兆ドルでも問題はない」
と、発言しています。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=49&v=XBCu5DJPzmA&feature=emb_logo
詐欺師ロゴフですら改心した
(かもしれない)にも関わらず、相変わらず
日本の財政破綻論者は
小林慶一郎のごとしです。
恥を知れ❗ 。
とはいえ、一般の方は
「ギリシャやアルゼンチンは~」
「ロゴフ=ラインハート論文によると~」
といった出鱈目にすぐに騙されます。
お前たちは、嘘つきだ。と、
データや事実に基づき、容赦なく
小林に代表される
財政破綻論者、国民殺しの連中を
糾弾してください。
緊急事態宣言が解除されると、途端に、
「コロナ危機が収まりつつあるので、
コロナ増税
(小林の表現では所得税への上乗せ)」
と、緊縮財政の議論が始まるのは
確実なのです。
「国民殺しの財政破綻論者を糾弾せよ❗」に、
ご賛同下さる方は、
↓このリンクをクリックを❗ 。
◇◆ 日本人たちは、 より早くに、
日本人たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、
公共事業らを成す事により、
日本の、 財務省の役人ら、と、
与野党の、 主な政治家らとが、
英米のカネ貸しらの主張する事らを、
そのまま、自らもまた、
オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、
日本政府の財政における 、緊縮 、
を、 繰り返し、 成す事を通して、
彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としてある、日本人たちへ、
物価だけではなく、
その労働らへの賃金らの水準へも、
より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、
押し付け続けて来てある、
その、 デフレ不況性 、を、
解消し去ってゆく、 と共に、
日本人たちの防衛性の度合いを、
飛躍的にも高めてゆくべき、
ぎりぎりの状況にも、 ある 。
地上を襲い、 地上をおおい得る、
あり得る、 災害らへ対して、
地上に、 避難所らや、
避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、
それらへ誘導する事は、
人食い虎どもの住む、 密林へ、
わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
行為であり、
日本の主権者としてある、
日本人たちの一般 、へ対して、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
行為なり、 態度なり、 であり、
日本人たちの一般の、 あり得る、
福利ら、を、 より、 能くも、
最大限にも、 成す事を、 約束して、
日本の社会に、 存在し、 存続する事を、
日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、
それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、
不作為型の、 行為なり、 態度なり、
であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い。
日本人たちには、核武装❗、と、
地下避難網ら❗、が、より、
日本の内外に、本格的な、
平和性らを成し付け得てゆく上でも、
必要❗。
この事らを、 より、 日本人たちへ、
伝える措置を自ら成さない、 者らは、
より、 反日員としての、
負の度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを余計に成し、
より、 伝える措置を自ら成す主らは、
より、日本人たちの一般の、
足しに成り得る向きに、 働き得た主として、
正の向きの度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを成す。
差し引きで、 より、
どちら側であるかの、度合いを観積もられ、
その度合いらに相応しい処遇を、
宛てられるべき立場にも、
誰もが、ある。
より、 日本人たちへ、
知らせるべきを、 知らせず、
不作為型の、 煙幕を張る、
報道員ら、とか、 より、
早くに、 知らされながら、
根途の宛先や、 職場などの、
周囲の人々へ、 より、
伝える事を差し止め得て来てある者ら、は、
特に、
◇◆ 1日に、 一度も、
日本人たちや、 日本への観光客ら、
などに、 色々な災害らや、
攻撃性らへ対する、
地下避難網の、あるべき事を、
伝えず❗ 、
に、
何千もの、 おしゃべり、や、
報道を成してある、
ラジオやテレビらの報道員ら、は、
特に、
地下に避難網らを欠いてある、
が、 為に、 余計な、
損害性らや、 自分や、
自分の家族員ら、などの死を、
予定され、 押し付けられる、
度合いを成し宛てられてある、
人々の一般へ対し、
あり得て来てある、 あり得る、
災害らや攻撃性らへの共犯として、
償うべき、度合い、を、
日々に、 余計に、 自らの側に、
成し増す、 立場にある者らだ❗ 。
◇ 海外の反応
2020/ 4/25 20:25 露弁 ; 149 1,168 ;
日本の城と西洋の城は、 外見からして、
大きな違いがあります。
それぞれの城の長短は、何だろうか、
と、 海外の掲示板で、
語り合っていました : reddit.com ;
●投稿主❗ ;
ヨーロッパの城と日本の城の、
戦略上の長所と短所は、何だろう? ;
敵を遠ざけるようにするのではなく、
キル・ゾーン ; 殺し域 ;
、 を使うようになっている西洋の城と、
日本の城は、 外見の設計から、
違っている。
それぞれの長所と短所は、 何だろうか? ;
西洋の軍が、日本の城を包囲した場合は、
どう対処する? ; あるいは、
その逆は? ;
● どの時代かによるな。
西洋の 、 ” 城 ” 、は、 殺ぎ域 、が、
より、 機能的になっていった、
ルネッサンス後に、
星型要塞へと変わっていったんだし。
● 星型の要塞は、 北海道にもある。
蝦夷共和国の時代 ( 19世紀の後半 )。
※函館の五稜郭
●星型の要塞と、城は、 全然に、違う。
星型要塞は、大砲が、 中世の城を ;
( ついでに、軍のシステムも ) 、
破壊した、 ルネッサンス戦争の産物だ。
●↑自分の理解してる限りだと、
火薬による兵器が、 中世の、
軍事システムを過去の物にした、
んじゃなくて、 火薬兵器と結びついた兵站 ;
( logistics ) 、 の大きな変化 ;
( と、それによる、軍システムの刷新 )
、 からだったはず。
● ↑中世の軍事仕須提 システ ;
システム ; 、 は、 人々が、
プレート・アーマー ; 板鎧 ;
、 を着なくなっていった中世の盛期 ;
( ※11、12、13世紀:wikipedia ) 、
には、 破綻しつつあった。
兵士らは、 雇われで、 重騎兵だった、
騎士の割合は、 ほんの、わずかだった。
● 兵站は、 火薬兵器の出現前から、
変わっていた。 非軍属の人間による、
軍隊を作れる様になった火薬兵器は、
確かに、その触媒には、なったけど。
城は、 梯子に対抗するために、
高くなっていったけど、
大砲が、 それを破壊したんだ。
一方で、 星型要塞は、 背が低く、
大砲の弾が、まっすぐに、
当たるんじゃなくて、 弾むように、
スロープ ; 坂 、 を成してある。
更に、 マスケット銃で対応できるなら、
要塞の規模については、
そんなに、問題では、ない。
● 星型要塞の出才 デザイ ;
デザイン ; 、が、 戦場で、 より、
効果的だ、 とは、 知らなかった。
フロリダのセント・オーガスティンにも、
こういう態譜 タイフ ; タイプ ;
、 の要塞があるよ。
サン・マルコス砦 ( ※wikipedia )、だ。
● ↑火線を、 複数な地点らで、
連動させるために、
幾何学的な出才になっているんだ。
● ↑サンマルコス砦は、 裏手に、
人造の谷が作ってある。 そこで、
牛を飼ったり、水を張ったり、
戦場の拡大を困難にさせるためだ、
と、 聞いた事がある。
あと、 サンマルコス砦は、 使われている、
コキーナ岩のお陰で、 大砲に強い、
というのも、ユニークな部分だね。
image credit:atlasobscura.com
● 城ってのは、 王なんかが住む、
場所のことじゃないの? ;
要塞は、 軍用目的だから、
城とは、 比べられないような。
意味論になってしまうのかもしれないけど。
● ↑城は、住居でもあり、要塞でもある。
● それは、 その通りなんだけど、
支配者が、 その地域の住民、への、
支配者である、 と同時に、
軍事力への支配者でもある時代には、
その区別は、 遥かに、曖昧だったんだ。
更に、当時は、みんなが住んでいた場所で、
仕事をしていたから、 仕事をする場所と、
家の区別も、 曖昧だった。
もし、 自分が、住人であり、
軍への管理も、 同じ場所で行われていた、
としたら、 その場所を、
要塞化したくなる、 と思う。
● ヨーロッパの城らは、
軍が、 敵を攻撃するべく遠征している間は、
少数の守備隊で、守るように出来ている。
多くの場合は、 わずかに、 数十人で、
専属だったのは、 ほんの、
一握りだったはずだ。
守備隊が、沢山でいる大きな城は、
大規模な群で攻めない限りは、
包囲するのは、ほとんど、不可能だった。
まとめると、 ヨーロッパの城らは、
敵の進軍を遅らせ、 王が、
自国の軍を終結させる、
時間を稼ぐための抑止力と障害物だった。
日本の城については、よく知らないけど、
西洋の城よりも、もっと、
沢山の守備隊がいたように見える。
● ↑加えて、もし、 西洋の城が、
町の中にあった場合は、 市員らも、
守備隊に従って、 城を守らなくては、
行けなかった。
侵攻軍も、 同じように、 自国の町に、
守備隊を配置していたから、
敵を弱らせるのも、
ゆっくりだったんだけど、これは、
自国の町が襲われるのを防ぎつつ、
最前線への補給を守る必要があったから。
例えば、 フランスの自分の地元な町には、
セーヌ川の小島に建っている城があって、
この城は、 百年戦争の時に、
イギリス軍に包囲された。
城の守備隊な、 7百人は、
4千人のイギリス軍とブルゴーニュ兵に、
4か月間を包囲され、 自分らの王が、
援軍を送らない、と、 悟った時に、
降伏した。
包囲されている間は、 兵士と市員らは、
ネズミを捕って、食べていた、という。
町は、降伏したけど、 ➕年後に、
イギリス軍が、 何らかの理由で放棄し、
町は、再び、自由を取り戻した。
● ↑当時のブルゴーニュは、
独自の国で、フランスとの間に、
諍いがあったんだ。 百年戦争の時には、
イングランドとも、戦っていたから、
その時に、 自分に利がある方に、
ついていたってわけだ。
● 日本の城らでは、 防御する方が、
昇ってくる敵を迎え撃てるように、
西洋の城と比べて、
多層状になっていることが、多い。
あと、 日本は、 地震が多いから、
石組みのヨーロッパの城らと違って、
耐震性能が高い、木組みになっている。
● ↑多層状の防御システは、
西洋の城でも、 一般的な機能だし、
世界の他の場所でも、そうだぞ。
でも、確かに、地震は、
日本の城らへの設計において、
重要な要素だな。
● 多層状の防御は、 支配者層から、
敵を遠ざける方法としては、
新しい、やり方だぞ。
● モン・サン・ミッシェル ;
聖ミカエル山 ; 、 の上から、
見下ろすと、よく、わかるな。
城では、ないけど、要塞として、
使えるように、練られている。
体調が良くない時に、 上まで登るのは、
結構と、大変だ。
戦争で攻め込む時なんか、悪夢だろうな。
しかも、 攻めている間を、 ずっと、
上にいる人らからの砲火に、
さらされることになる。
● 中世のヨーロッパの城らは、
石組じゃないのが、ほとんどだぞ。
何で、そう思ってしまうか、というと、
今までに残っているのが、
石組みの城ばかりだから。
多くの城は、 土と堀で補強された、
木製の城で、これでも、
侵入者らに対しては、かなり、
効果的だった。
当時でも、石は、かなり、
高級な建材だったんだ。
● ↑移行の期間が、かなり、
長かったんだよな。
イギリスとアイルランドの小規模な要塞は、
➕ ~ 11世紀の、
モット・アンド・ベーリー ;
( ※イギリスの要塞の形状の1つで、
堀を掘って出た土で、 盛り土をして、
要塞を作る: wikipedia ) 、
から始まり、 15世紀には、タワー・ハウス
( ※塔状の建築物 ) 、 へと変わり、
これが、 17世紀まで続いた。
● ↑日本の木造建築は、
漆や漆喰を使っているから、 驚くほど、
耐火性があるぞ。
● ↑それは、 そうかもしれないけど、
多くの城が、焼け落ちてしまっている。
5千は、あった城らの内で、
現存しているのは、 12 、で、
多くの城が、火事で燃えてしまっている。
● どちらの戦略も、技術も、
非常に、よく似てるよ。
ヨーロッパの城は、 キル・ゾーンを利用し、
日本の城らの様な、多層防御も使っている。
大きな違いは、 使っている、
素材が、理由だね。 日本の城らは、
木組みで出来ているから、
地震で、破壊されることが、ない。
結果として、 攻城の兵器には、若干は、
弱いけど、通常は、 城は、
そういう兵器を持ち込みにくい、
場所に建てられている。
ヨーロッパの城らも、同じような、
地形に建てられている。
包囲攻撃に対する選択肢は、
どちらも、同じだ。
籠城して、 外部からの応援を待つか、
攻めて出る。
● 建築的に、 日本の壁は、
ヨーロッパの主だった城らが、
対処していないものに、
対応するようになっている。
それは、 地震。 これは、
日本の城の壁が、拡張しやすい、
理由でも、ある、と思う。
ヨーロッパの城の、まっすぐな壁と違って、
地震に強くするために、
分厚く、傾斜している。
日本の城らが、
拡張できるようになっているのは、
壁に、傾斜が付いている分、
まっすぐな壁の西洋の城よりも、
幾分かは、 乗り越えやすいため、
多層状に、防衛網を敷けるようにした、
というのも、 理由らの1つ、
なんじゃないだろうか。
● 日本の城らは、 敵が侵攻するには、
何度も、壁を登ったり、
門を燃やしたりしなくちゃいけない様に、
多層な構造になってる。
あと、壁も、 敵の火矢を防ぐために、
斜めの板が付けられている。
● ↑なんで、 ヨーロッパの城らは、
防衛用に多層な構造になってないのか、
と、考えたことがある。
同じではないけど、 ローマ軍は、
包囲戦で、勝利したけど、 同時に、
包囲されてもいて、 それには、
壁を築いて、対処したんだっけ。
● ↑アレシアの戦い( ※wikipedia )
、 だな。 カエサル将軍が、
アレシアを攻撃した時に、
敵の大規模な援軍が来る事に気付いた。
そこで、カエサル将軍は、
第二の壁を築いた。 この壁は、 最後に、
カエサル将軍が、 要塞を出て、
敵の救援部隊を、 背後から急襲する時に、
役立つことになる。
● 外部の脅威に包囲された者を守る、
ために、 要塞を構築する事を ;
contravallation 、 と呼ぶ。 あまり、
使う言葉じゃないんで、 折角だから、
使っておこう、 と思う。
歴史や地形、環境などで、
城と言っても、 日本とヨーロッパでは、
かなりの違いがあります。
同時に、堀、 などで、
共通点も、あります。
◇ 日本語での論弁 ;
62. 大砲の時代がくる前に、
戦国時代は、終わったから、
日本の城らは、 大砲に対する、
防御が、あまり、 考慮されていない。
また、 日本は、水が豊富だから、
水掘りを命謂 メイー ;
メイン ; 、 にしている。
水掘りさえあれば、
攻城櫓も、使えないし、
地下通路を掘って、
爆薬を仕掛ける作戦も、使えない。
水掘りがあれば、 防御線に対し、
必要な兵士が減るので、
少数の兵らで、大きな城を守れる。
兵士が少なければ、
少ない食料でも、長く籠城できる。
包囲網が長くなれば、 兵力が薄くなり、
外部から、 食料を運び込む事もできる。
西洋は、 籠城したら、まったく、
閉じこもるのが、 前提だが、 日本の城は、
結構と、攻撃を重視している。
63. 山城が、 平城より堅かったのは、
火縄銃が普及する前の話で、
火縄銃が普及した後では、 山城より、
平城の方が、堅かったぞ。
あと、 大砲に弱い 、って言う人も居るが、
むしろ、 逆で、
日本で、 大砲が普及しなかった、
一番の理由は、 日本の城らには、 あまり、
効果が、無かったからだよ。
というのも、 当時の砲弾は、実体弾、
つまり、 石や金属の塊であり、
それを、 城壁や建物にぶつけて、
言わば、 小さな人工地震を起こして、
破壊するものだったから、
耐震性の高い、 日本の城らには、
効果が、薄かったんだ。
大阪城は、たまたま、
当たり所が、悪かったのね、 弾だけに。
実際に、会津若松城なんて、
築城されてから、 2百年も後の、
大砲に撃たれたのに、 一か月も、
持ちこたえているんだから。
82. >>63 ; その通りです。
日本の城郭に、 他国らのよりも、
優越性が有る、 とすれば、
多郭構造による、 防御領域の自由化、
石垣による、 耐砲撃戦での、
要塞化でしょう。
この、 2つを以て、
日本城郭は、 大規模である、
必要すらなく、 中規模でも、
近代に近づくまで、 非常に、
機能性な城郭たり得た
、 と、思います。
軍事革命を著した、
ジェフリー・パーカー氏は、
日本の城郭を、 「 事実な上で、
空爆による攻撃まで、難攻不落を誇った 」
、とまで評価しています。
会津若松城の天守の耐砲撃性は、あまり、
一般ウケしていないものの、
日本の城郭の作事での耐砲撃性が、
350年前から、しっかり機能していた、
立派な証査なんですよね、
地味過ぎるけど。
74. 虎口は、 一般的に、
攻めにくいようになっている。
で、説明されるが、 実は、
大砲の出現により、 大砲の水平発射で、
門が破壊されるようになったから。
そこで、 正面に、
破壊されても良いような、
小さい、 高麗門をおき、
虎口の奥に、 防御線である、
櫓 ヤグラ 門をつけるようになった。
81. 日本の城だって、 大砲に対する、
備えの必要性から、さらに進化したんだよ。
この場合は、近世の城郭になっちゃうけど。
日本では、 秀吉太閤の大阪城によって、
特に、拠点城郭の作り方が、
ガラっと変わって、これ以降は、まず、
城の軍事的・政治的機能を前提として、
「 地形を作り替える 」、
ような、 工事をするようになった。
それ以前は、基本的に、地形ありきで、
その地形を、いかに、生かすか、
を考えていた。
織豊政権期に、 試行錯誤を経て、
最終的には、 大阪城において、
地形を生かす、 城ではなく、
城を生かす、 地形づくり、という、
逆転の発想が完成した。
けれど、 これが、
大砲の威力を想定していないものだった。
なので、 大坂の陣では、
攻囲側が、 都合の良い、
砲撃ポイントを設定して、
城の中心部の付近まで、
攻撃することができてしまった。
純軍事的には、
大した効果は、発揮できないんだけど、
精神的に大きな影響を及ぼすものだから、
女子供を収容する、拠点城郭で、
これは、痛い。
しかも、 大砲の威力は、
大坂の陣ではなく、その前に、
朝鮮の役や、関ヶ原で、
知れ渡っていたので、
江戸時代の初頭には、 その反省を生かし、
大砲による攻撃を想定した、
設計を採用するようになった。
つまり、 攻め手が、
どこに布陣しようと、
城の中枢を、 射程圏内に入れ得ない、
設計にしてみたり、
射程内に入るのは、 仕方がないにしても、
絶好の砲撃ポイントから見ると、
天守の壁面が、 斜めに建てられていて、
砲弾の威力を減殺できる様にしてみたり。
こういう工夫らが取り入れられて、
ようやく、 日本の近世の城郭は、
完成の域に達する。 それ以降は、
太平の世になって、
城の進化が止まったのは、
諸兄の仰る通り。
89. 欧州を含めた大陸型の城や要塞と、
日本の中世の城郭の違いは、何といっても、
戦場の近さ。 日本は、それこそ、
隣町に、すぐ、敵がいるような、
乱世が、常態化していたし、
大大名の一円支配が確立していった、
戦国の後期ですら、今の、
都道府県列辺 レベ ; レベル ;
、 の広さの国から、 いきなり、
何千とか、何万とかいう、 兵士らが、
動員されてくる。 こんなのは、
欧州の戦場では、 ありえなかった事で、
日本の戦国時代は、 ちょっと、
異常なことをやっていた。
そうやって動員された何万の兵力は、
集結から、 わずかに、1週間あまりで、
前線に投入される。
そんな環境では、 防衛側も、
即席で、 あっという間に、建築でき、
味方の援軍が到着するまでの、
わずかの時間かせぎができれば、いい、
という、 構造になっている。
そもそも、 源平合戦の頃には、
城といえば、 張居 バリー ;
バリケード ; 、 みたいなものだった、
のを、 何層にも連ねて、 複雑化したのが、
日本の城だから、
短期間での、 力攻めには、非常に、よく、
耐え得る、 けれども、
大陸の城らの様に、 一度は、築いたら、
何百年も使い続けるような、
構造には、 なっていない。
長期間での包囲に耐えた例は、
あるけれど、 構造な上では、 あんまり、
そういうのは、苦手だった。
似た様な距離感で、戦争やってた時代、
例えば、 古代の都市国家時代の、
ギリシアとか、 中世の初期の欧州では、
城壁すら、まともに発達しなかった。
防衛には、その都度に、 こちらも、
兵員を集めて、ぶつけるのが、
安上がりだったから。
ところが、 国家の経済と、
軍事の規模が膨れ上がると、
時間と労力をかけて、
堅牢な城壁や防御施設を作るようになる。
ギリシアのポリスらが、
城壁を作り始めたのは、
ペルシア戦争の後で、
ペロポネソス戦争のちょい前くらい。
中世の欧州では、 十字軍が持ち帰った、
イスラムの城塞への手法が、
都市や領主館 ;
( モットアンドベイリーのような )
、 に組み合わされて、
本格的な築城術が花開いていった。
90. 空堀や城壁で囲っただけで、
城なの? 、 機能的に、どうなの? 、
って、 言いたかったんだが・・。
極端な例だと、 土佐一条氏の城なんかは、
5つの複合的な城郭らと、 44以上の、
支城網を以って、
土佐中村城 、 ってんだから。
103. 大砲で、 中世の城が、
役に立たなくなったって、 それ、
浦添城の前でも、言えんの? 。
104. 一番の違いは、
石造りと、石垣作りの差だ、 と思う。
西洋の城らは、 石造りだから、
投石機や大砲で、崩れるが、
日本の、らは、 石垣作りだから、
上物は、 破壊出来ても、
城の構造は、崩れない。
日本の城らの方が、守りが堅いだろう。
105. 日本の城は、 castle ( 城郭 )
、の中に、 castle ( 天守閣 ) 、
が有るのが、 普通だけど、 中国の城は、
castle 、 の内部には、 city 、か、
palace 、 しかないんだよ。
で、中国の、 castle 、の主体は、
城内にある、 象徴的な建物ではなく、
城壁、な、 その物にある。
紫禁城を例に取るなら、 紫禁城
、というものは、 太和殿を起点に、
城壁まで広げた空間ではなくて、
午門から神武門まで結ばれている、
城壁を起点として、
その囲まれている空間を、
紫禁城としてるんや。
内部の建物を以て、 castle
、 とすることが、ないんだよ。
問題は、ここ、 中国の、 castle 、は、
イコール、 城壁。
中国の城壁を持つ場所は、 大体が、
その土地のトップの公邸を囲む宮城、
行政官庁街を囲った内城、
庶民の生活空間を囲った外城の、
三重構造になっているが、 いずれを以て、
castle 、 とするか。
なお、 地域によっては、
宮城が、 二ヶ所以上がある場合もある。
( 府、州、県の長官の公邸が併設 ) 。
117. 日本と西洋では、 根本的に、
地形が違う。 日本は、 山がちで、
狭い道路を通らねば、ならないので、
攻城の兵器は、 発達のしようが、ない。
映画を見ても、分かるように、
攻城兵器は、 巨大だ。
同じ理由で、 大砲も、発達しなかった。
クロス・ボウも、日本、 以外では、
どこでも発達し、 大量に使用されたが、
地形が複雑な日本では、
長射程の意味がなく、
連射が、 大きな意味を持った。
当然に、 兵器も城も、
それに合わせたものとなった。
近代で見る城郭は、 安土城からで、
それ以降は、 銃砲や大砲、
等が、 重要となっていった。
そのため、 熊本城や会津城は、
近代戦でも、容易には、攻略できなかった。
118. >>117 ; 海外で、
クロス・ボウが普及したのは、
金属製の鎧を貫通できる威力だったので、
「 騎士殺しの兵器 」、 として、
絶大だった❗ 、 というのが、
理由として、大きい、 と思う。
けど、 日本だと、 侍は、
泳いで、城攻めするのが、 普通だから。
136. >>118 ; 必要なかったのは、
その通りだけど、 理由は、違う。
単純に、 日本においては、 和弓の方が、
クロス・ボウよりも、 優れているから。
クロス・ボウ 、 というのは、
射手の熟練を要さない、 という点が、
最大のメリットであり、
熟練した射手を多く用意できる、
環境の下では、 長弓に劣る❗ 。
123. 沖縄で、 日本軍が、 籠城して、
結構と、耐えた城があったね
対空砲を水平に設置したりして、
近代要塞化したとこ。
日本の城の、 ” 防御 範囲 ” 、は、
本城、 出城 ( 寺なんかも含む )、
詰め城 、だから、 非常に広範囲。
だから、 「 ひとつひとつ 」
、 を潰さないと、 本城への、
攻撃を仕掛けたら、一瞬で、
包囲されるよね ( 山城は、別 ) 。
あとは、 同じ時代の西洋の騎士団が、
日本に来たら、 山岳地帯で、
武士らに蹂躙され得るし、 武士らが、
西洋にいったら、 平原すぎて、
一気に、殲滅され得る。
それぞれの地形や気候に合った、
" ホーム " 特化の城作りしてるから、
アウェイに行ったら、どちらも、
より、 負け得る、 というね というか、
補給が、まず、無理ですけど
127. 私の住む福山市にある福山城も、
戦時中に、空襲で焼け落ちた。
父は、 福山から、南に、 ➕ km
、ほどにある、 鞆に住んでいて、
焼ける炎が見えた、 と言っていた。
空襲の目標ではなく、市内に、
陸軍の飛行場のある駐屯地が、
あったからです。 飛行場の滑走路の一部は、
道路の一部として、
平成まで残っていたかな?
146. 要塞ついては、 日本の場合は、
安土桃山、以降に、 急速に発達した、
と、見られてるな。 それまでは、
単純な構造の山城が、中心で、平地では、
川や湿地などを背にして、
包囲されにくい立地に建てた位で。
戦国時代に山城から発展させ 、
・堀を巡らす ( 空堀→水堀 ) 、
・侵入路を狭める 、
・動線を曲折させる 、
・囲い込み地形を作る ;
( 曲輪 クルワ : スレでいう、
キル・ゾーン ; 殺ぎ域 ) 、
・石垣で高層化する 、
・狭間や落とし口などの防御の機構 、
などの方法論を組み合わせて、
防御力を上げていった。
近世以降は、 大砲の登場で、
高層化の利点が、 活きなくなったり、
銃砲への防御の重要性が増した。
それにともない、 戦術も、
要塞の様式も、大きく変ってったのだが、
日本では、 戦争のない、
江戸時代に入ったため、西洋に比べ、
戦術や兵器への開発の進歩から、
取り残される事になったんだろう。
◇ 論評群通観 ;
:
@ 中国の攻城戦って、 塀の上と外で、
ワーワーやっている意目侍 イメジ ;
イメージ ; 、 がある。
門を破られたら、 大抵は、
終わりなんだよな。 日本の城は、
侵入されてからが、 戦い。
曲輪の一つ一つを落とされながら、
降や、切腹、 等の交渉やる。 だから、
城の作りも、戦い方も、全然に、
違ってくる。
:
@ 日本の城は、 実質的には、
砦が多いよな。 : 中国で、
「 城 」、 と言うと、それは、
城壁に囲まれた都市自体を指す。
「 城市 」、と書けば、 そのまま、
都市 、 という意味だし。 中国で、
「 関 」、「 砦 」、「 塞 」、
「 寨 」 、に当たるものが、
日本の戦国時代の多くの城。
@ 日本の近世の城郭に、
大砲を打ち込んでも、その防御性には、
ほとんど、影響が、ない❗ 。
中世の山城ならば、 ほとんど、
土塁、なのか、 山、なのか、
分からない程で、 土に、
大砲の弾を撃ち込む事になる。
:
日本の城郭の防御性は、 堀と土塁が主役。
後に、石垣も、それに加わる。
:
欧州や中国大陸で、
大砲が打ち込まれたのは、 その、
石造りや、レンガつくりの城壁を、
ガラガラと崩すため❗ 。
:
日本の城の城壁は、材質が違うので、
大砲を打ち込んでも、ガラガラとは、
崩れないし、 また、
土塁や石垣に打ち込んでも、
意味が、無い。
:
日本の城郭において、 建造物は、飾り。
郭を形成する城壁も、柵としての、
機能以上の意味は、あまり、ない。
:
日本の城郭の防御力の根源は、 堀切、
土塁、 石垣。 :
:
この三つが存在していれば、
建造物がなくなろうと、 城壁が崩れようと、
( あった方が、好いに決まっているが )
、 充分に戦える❗ 。
:
城壁に、その防御力を求める、 大陸の城 ;
( 都市の城壁であれ、砦の城壁であれ )
、 とは、そこが、 違う❗ 。
大陸の、 「 城 」 、
というのは、 街の全体を城壁で囲った、
「 城塞 都市 」 、 の事を言う。
砦は、 城とは違うので、 中国では、
「 砦 」、 という、違う文字が、
わざわざ、 与えられてある。
:
平安京が建設される際に、中国の都な、
長安が、 縮小して複写された訳だけど、
縮小での故比 コピ 、 の際に、 城壁だけ、
削除されているのは、 首都が、
異民族から攻撃を受けない、日本では、
必要が、ない❗ 、 と考えられたから。
:
@ 城壁の裏で勇敢になる事は、簡単だ。
by ウェールズのことわざ。
@ 瓦に漆喰の壁って、燃えにくいよね。
炎上するのは、中身が、木造なだけで。
@ 山城を相手に、 大砲は、無駄❗ 。
平城を相手でも、 堀、 土塁に加えて、
石垣まで加えた、堅牢な城を相手に、
大砲は、無駄。
土塀に、漆喰を塗り固めた壁は、
石造りと違って、 玉が、
めり込むだけで、 崩れない❗ 。
@ 大陸の城には、堀は無いの? :
水不足? :
:
@ それも、 あるが、 堀が必要ない位に、
城壁が高いからじゃない? :
@ 石垣は、用いているものの、
即席で築いた倭城が、明の大軍を相手に、
一つも陥落しなかった❗
、 事実だけを見ても、
日本の城の防御力は、尋常ではない。
@ 熊本城は、
守将の谷干城 タテキ 氏が、自ら、
天守閣に火をつけて燃やしてる。 つまり、
大砲などで燃えてしまい、
士気が下がるような事を避けたわけだ。
@ 熊本城の石垣には、 その時の熱で、
皿状に剥離して、弾けて、へこんでいる、
石が結構とあるし、 石の種類にもよるが、
石垣は、建造物の炎上に対する耐熱性は、
実証できている事になるかな。
バス・ガイドが、 それを、
西南の砲撃による物だと、
ウソな説明をしていたから、
後で、教えてあげたけど。
砲による直撃なら、 パッカリ、と、
割れるもんだし。
:
@ 大概は、落城って、
守備兵らが、逃げ散るか、裏切りによって、
内から、崩壊するか、だよ。
城は、 何百ヶ所も見て来たけど。
中世の城でも、
大規模な物になると、一体に、
どう、攻めて好いか、が、分からん。
甲冑なんかを着て、転落したら、
大怪我をしそうな、 堀を、
敵の矢弾を受けながら、 越える、 など、
不可能に思える。
近世の城郭に至っては、 主要な部分たる、
掘や石垣の高さが、 20 m 、はある。
覗き込むと、 足がすくむ、 高さだ。
:
@ 北条氏を例に挙げれば、
城への維持・管理は、 近郷の村に、
負担させる、 代わりに、 有事に、
城へ籠もる権利を与えられる、
と言う事を制度化している。
他の大名が、どうかは、知らないが、
こういう例もある。
:
@ 豊臣秀吉氏が、
刀狩りをするまでは、 大体の武士は、
平時は、田畑を耕していたんじゃ無いの? 、
そういう状態の場合、 どこで、
農員と武士の身分を線引きしたの? :
:
@ 戦国期の農員らは、
貴重な戦力でもあったから、 戦時には、
ほとんどの城で、当然の様に、
守兵や人夫として、入城していた。
特に、城の付近の住人らは、
築城や改修の際に、縄張り、仕掛け、
等の機密らを知りつくしているので、
敵に渡す訳には、いかなかった。
指揮官から守兵に至るまで、農員らが、
曲輪の守備を丸ごとを任されていた例も、
多く見られる。
:
@ 岩屋城って知ってる? 、高橋紹運氏 ;
( 立花宗茂氏の父 ) 、 が立て篭もった、
山城なんだけど、 :
七百余名で篭城したのを、 島津勢は、
死傷者の、 四千五百名を数えて、
やっと陥落。
@ 総構えの内は、 家臣の武家屋敷が、
基本じゃない? :
例外も多いだろうけど、 武家屋敷は、
それな自体が、 防御の施設だから、
総構えは、防御を厚くする意味が、
殆どな気がする :
@ 住民への虐殺や、 都市への占領
、という様な戦いをして来なかった、
日本では、 ほぼ、 同一の、
民族員ら同士が、戦っていたので、
街を、壁で取り囲むべき、
必要性が、無かった。
古代では、 環濠集落もあったが、
その後廃れ、 総構え、 という、
一種の城塞都市化も、
戦国時代の後期になって、 あくまでも、
その中心となる領主の城を守る、
防衛線としての観点であって、
住民を守る為、 という、
意味合いは、薄い。
:
@ 一応は、そうだろうけれど、
名目上だけじゃない? ;
姫路城なんかでは、古地図を見ると、
総構えの外には、 ほとんど、
家が無かったみたいだが・・? :
@ 当時の日本人たちにとって、
略奪の対象となる様な物らが、どれだけ、
町民の家にあったかも、意外と、
重要だったりして。
幕末の頃に、
日本に来た外国人らは、 日本人の家には、
下流員らのみならず、 上流階級員らまで、
財産と言える様な、家具も、何も無く、
質素な生活に、ビックリしている。
生活須態 スタイ ; スタイル ;
、 が、欧米人と違い、 当時の日本人らは、
辺床 ベト ; ベット ; 、が無くても、
布団さえあれば、 寝れるし、
提務 テーブ ; テーブル ; 、 や、
椅子が、無くても、
畳の上に、直に座れば、好いし、
それほど、家具は、
必要なかったんだろうしね。 :
家が焼けても、 当時の日本人らは、
財産が少ない分、 欧米人に比べて、
精神的な所懼 ショグ ; ショック ;
、も少なく、ある意味で、
身軽だったから、
敵が攻めてきても、家を捨てて、
領主の城に逃げ込むか、
山にでも逃げれば、好かったのだろう。
なら、 町にある、大した財産でない、
家や、家具を守るべく、
町を囲む様な城壁を築く必要も、ない。
町民が、ある程度は、裕福になってきた、
信長氏以降の時代は、別だろうけど。 :
:
だから、 町を、ある程度は、守る為に、
総構えが、 必要になったのか・・?
@ 西洋の城は、 一生涯を、
子また孫へ引き継ぎ、 城を守る為に、
石で造るが、 日本の城は、 建てても、
➕年位で、 中古物件で引き払ってしまう。
また、親族員、などに譲って、
新しい城を造り、 移り住む❗ 。
その為、 城を永く使う習慣が、無い、
日本では、 建築への材料が、
素早く手に入る、 木造りの城が多いのだ❗ 。
短期間で、 城を造り、 売却して、
また、城を造る。
これは、 今にて、我々の、 賃貸から、
マンション、 そして、
一戸建て、と、よく似ている。
:
@ 実際に、中国へ行ってみれば、分かる
、と思うけど、 大陸のは、 城ってより、
町の全体を囲った、 デカイ塀なんだよな。
だから、中に入ったら、終わりで、
中に入られたら、守れない。
皇帝の住む所は、 堀みたいな物もなくて、
立派なのは、 正面門。
周りは、簡単に登れるような、 低い塀。
防御の機能としては、かなり、
いい加減な作りなんだよ。
:
@ 城って、 街道沿いに作られる、
物なんだよ。 物資の往来を監視し、
必要に応じて制限する為に。
戦国期の城跡を調べると、
旧街道沿いにあるのが、よく、わかる。
@ 篭城戦って、 ほとんどは、
あっけなく終わっている。
援軍のアテが、なければ、長期間を、
篭るべき、 必要性も、ない。
早期に降伏して、許されて、そのまま、
元の城主が、 城代になったりする。
そうされない様に、援軍を送る訳だが。
多賀谷重経氏の下妻城が、
北条氏の大軍に囲まれたときも、
湿地を利用した、激しい抵抗をしたが、
後背に、佐竹義重氏の援軍が来ているのが、
わかっていたから。 最終的に勝っている。
@ 孫子や、マキャベリ的に見れば、
頑強な城壁ってのは、 味方の逃亡、への、
防止や、 無意味な安心感を与える、
役割だけでしょ。
第2次大戦の当初でも、 フランス軍は、
要塞に引き籠もって、
まんまとやられているし。
@ 人は城、 人は石垣、 人は堀。
所詮は、 城郭などは、道具に過ぎぬ。
どんな名城でも、
守る者が、無能なら、すぐに陥落する。
当時は、 城攻めの基本は、 調略だった。
信長氏は、戦闘施設ではない、
安土城を築いた。
ベトナムで苦戦したアメリカの例を見れば、
拠点主義が、 必ずしも、
最良では、ない、事が、 わかるだろう。
:
@ 【 明帝国へ向けての 】 、
朝鮮への出兵時に、 日本軍が築いた倭城は、
一つも陥落しなかった、という事実・・。 :
大陸の城は、城壁での攻防❗ 。
日本の城は、 土塁と堀での攻防。
土塁が、 最強❗ :
@ 日本で、 石造の建築が、
発達しなかったのは、 一つには、
温暖で湿潤な、気候の為、
換気を重視した事。 もう一つは、
矢張り、 地震が多いこと。
@ 戦国時代に存在した城らのうちで、
実戦で使われたのは、 約 2 % 。 :
大半は、 地元の農者 ( のうざ )
、 らの集会場を兼ねていた為に、
櫓、門は、勿論のこと、
柵、掘り切りも、なかった。
これ、まめ知識な。
@ 城という名の農家って事は、
ままある話だよな。
いや、ほんと、冗談ではなく、
○○城と呼ばれていた物は、 今でいう、
「 ○○公民館 」、 位の物だった、
かもしれん。 規模といい、
使われ方といい。
:
@ あの知名度の高い、豊太閤の一夜城も、
そういう物だったし。 :
:
@ 日本の山城は、 拠点での防御。
一つを落とされたら、次の拠点へ移動し、
そこが落とされたら、また次へ移動。
大陸から見れば、
ゲリラ戦・遊撃戦を、
常に、やっている様なもの。
:
@ 日本の城郭は、 搦め手から、
籠城側が打って出て、 逆襲して、
蹴散らす事も、視野に入れられて、
縄張りされている。
織豊系大名らや、地方の覇者級の、
大大名らばかりを見ていると、
感覚が、 おかしくなるが、
普通の大名では、 長期間を、
城を包囲し続けるのは、至難。
後詰めが無くとも、勝利は、見込める。
信長氏や秀吉氏は、ここら辺りの、
制約を取っ払った城攻めが、
特色だ、と思うぜ。
@ 本国から、
補給と兵力の補充があった、ヴェルダンと、
完全に包囲されてしまった小田原城では、
条件が、違いすぎるが、 規模で言えば、
ヴェルダンの方が、長持ちするだろう。
小田原城だって、 外部から、
十分な補給があれば、落ちないだろうし、
ヴェルダン要塞群といえど、
後方を遮断して、補給を絶ってしまえば、
あっさり落ちるだろ。
@ 日本の城郭は、 大手門や搦手口、
などな、 攻城の要所らを用意してあるのが、
特殊。
あとは、 断崖絶壁や海、河川、
堀などで、守られ、 特定な要所らに、
防衛の兵力を配置するだけ。
大城郭でも、大兵力を必要としないで、
こもれる。
:
戦国の末期ともなると、 攻城側は、
大兵力や、長期間の足留め、 補給コストで、
攻め手の側へ、 かなりの負担を要求する、
防御力を持つ城が増え始め、
戦争への抑止な効果が跳ね上がる❗ 。
:
そのお蔭で、
軍事的な冒険が、より、できなくなり、 :
戦国時代は、終焉を迎えた❗
、と言える。
☆ より、あるべき、
日本人たちの為な、 費用ら❗ ;
◇ 日本の領海底などにある、
日本の燃料な資源ら、 などへの、 評価で、
何百兆円もの、 金額な、数値、 が、
観宛てられ得てもある、
が、
日本の社会への主 アルジ 、であり、
主権者であり、 自らへの、
主でもある、 日本人たちへ、
日本の資源ら、への、評価での、
金額な、数値ら、への、
引き換えに成り得る、 数値ら、を、
平等に、割り当て、
その数値らの一定の度合いらを、
日本人たちへの所得な金額らの、
一定の度合いら、を、成しもする、
教育などでの費用な金額ら、の、
一定の度合いらへ、 あて得るようにする、
といった、
日本の主権者としての、
日本人たちの一般へ、 奉仕し、
その、 あり得る、 福利ら、を、
より、 余計に、 成す、為だけに、
存在し、 存続する事を、
日本の主権者たちの一般から、
許されて、 初めて、 成し得て、よい、
立場にあり、 執事なり、
召し使いなり、の、 立場にある、
政府機関ら、や、 政府機関員ら、と、
それに類する存在な、
与野党の政治家らや、役人らに、
報道員ら、などの、
より、 公共性のある事ら、を、
より、 能く、 成すべき筋合いを、
自らに成してある、
公事員 クジイン 、 ら、 などが、
自ら進んで、 成し合うべきでもある、
事が、
まだ、 日本では、
成され得ていない❗ 、
事も、あり、
日本人たちの存在な、そのもの、に、
より、 価値性を観宛てる、 能力性が、
自らの側に、より、 無い、
事を前提として、
日本人たちへ、 所得な金額ら、の、
一定以上の、 度合いら、を、
あて加える、 物事ら、を、 より、
無駄な費用らを成す、
より、 成るべきでは、ない、
無駄なものら、である、とする、向きの、
反社会性を極めてもある、
主張な事らを成して観せる者らが、
日本政府の財政における、 緊縮 、なり、
引き締め 、なり、 である、
国家の主な、 日本人たちを、 より、
盛り立て得べき、 投資ら、 の、
あり得る、 度合いら、 を、 より、
小さくし、 負の度合いにまで成して、
日本人たちを、 より、 確実に、
弱らしめる、 向きへ、 余計な、
圧力らを掛け増す、 事や、
それに通ずる事ら、 を、
その実態らにおいて、
成して観せて来てある、
その実態らにおける、 反社会員であり、
反日員ら、である、
日本の、 財務省の役人めら、の、
そうした、反社会的な、
反日性を極めてもある、事ら、を、
肯定して観せる向きの、
その主張な事らを成して観せに、
テレビや、 ラジオに、新聞ら、
などの、 報道系らに、
ひっきりなしに、 現れ出て来る、
状況ら、や、
それらに類する状況ら、が、
日本の社会のあちこちに、
現れ出てある、
事、なども、 あって、
インフルエンザ、 などへの、
予防らを成して、
日本人たちの、 あり得る、
損害性ら、の、 度合いら、を、
より、 小さくする
、 と共に、
日本人たちへ、 所得な、金額ら、の、
一定の度合いら、を、
あて加えもする、 物事、
などへ対してまで、
より、 無駄な、 もの、とする、
前提性のある、 主張な事らを成しては、
日本人たちへ、 余計な、 実害ら、や、
可損 カゾ ;
≒ リスク ; 、 らを、
あて加え得てもある❗ 。
医療費ら、なども、
医療を成す、日本人たちへの、
所得な金額ら、や、 それに相当する、
資本性らである場合には、
無駄な物、などでは、なく、
一定の度合いで、 より、 あるべき、
物であり、
それらが、 一定の度合い以上に、
発生しない状況らでは、
病院らが、 より、 倒産し、
廃業へ追い込まれもし得て、
経済面からの、 医療の崩壊らが、
日本の社会のあちこちで、 より、
甚だしい物に、成り得、
武漢コロナ 、 などの、 再三な、
感染らの拡大にもよる、
日本人たちの重症化や死を、 より、
余計に、成す、 度合いを、
甚だしくもし得る事になる❗ 。
◇◆ シナとの密約がある❗、
アメリカの裏の実態を明かした、
アメリカの要人からの直言❗ ;
2016/ 1/30 1:9:30 ;
http://www.news-postseven.com/archives/20160129_376559.html
・・まずは、 アメリカが、 同盟国な、
日本には、 全く、知らせずに、
軍事や、安全保障の面で、
中国に与えてきた援助について、
アメリカに、
その意図や責任を問い質すべきだ。
http://www.bbc.com/japanese/video-35426196
☆ 三橋貴明氏❗ ;
今更「ロゴフ=ラインハート」を持ち出す
小林慶一郎(嘲笑)
2020- 5-25 7:29:27
チャンネルAJER更新しました。
『全ての国民を救えるんだ(前半)』
三橋貴明 AJER2020.5.5
三橋TV第239回【国土計画の復活を!
狂気の長期財政削減計画を叩き潰せ!】
https://youtu.be/J5NC2Wl4JQM
国民殺しの財政破綻論者が、どれだけ
バカか、頭が弱いかを、改めて
小林慶一郎を例に、解説しましょう。
先日、取り上げた例の記事で、小林は何と、
「ギリシャやアルゼンチンは破綻した~っ! 日本も~っ!」
「ロゴフ=ラインハート論文によれば、
債務比率がGDPの90%を超えると、
経済成長率が1%低下する」
といった、古臭くしかも間違っている
レトリックを今更持ち出し、懸命に
財政破綻論を擁護しているのです。
(というか、いい加減に
論破されつくした腐臭がする
レトリック持ち出すの、やめろよ。
同じ人間として恥ずかしいよ)
『日本政府の莫大な借金こそ
「失われた30年」の真犯人だ=小林慶一郎(東京財団政策研究所研究主幹)
(前略)◇財政不安が成長を阻害
非常に大きな増税や歳出削減が
できなければ、債務膨張が続き、
債務比率は無限大に向かう。
数十年以内には、
ギリシャやアルゼンチンのような
財政破綻が起きることだろう。
しかし、高い経済成長を達成できれば、
財政再建もできる、という反対意見がある。
現在の安倍晋三政権も、それ以前の
歴代の政権も、基本的には
高い経済成長率の実現を優先し、
その後に財政再建に取り組む、という
基本哲学を維持してきた。
将来、ギリシャのような
財政破綻が起きるかもしれない、という
不安があると、将来の危機に備えるために、
消費者は消費を抑え、企業は投資を抑え、
結果として「現在の」経済成長が低下する
可能性がある。
これは
ディザスター(大災害)モデルと呼ばれる
経済モデルに基づいて、早稲田大学の
上田晃三教授と筆者が理論モデルを作成し、
コンピューターシミュレーションで
示したことだ。
債務比率が上昇すると、
将来の財政破綻のインパクトも大きくなり、
一層、現在の経済活動が萎縮し、
長期的に経済成長が低迷する。
シミュレーションでは、バブル期以降の
日本の長期的な成長率の低下のうち、
4分の1から3分の1を、
「財政についての将来不安」という
要因で説明できることが示された。
筆者らの研究は
理論的可能性を示すだけだが、
ハーバード大学の
カルメン・ラインハート教授と
ケネス・ロゴフ教授は、過去の
財政再建の事例などのデータを使って
実証的推計を行った。彼らは
「債務比率が90%を超えると、
その国の経済成長率が1%程度低下する」
という傾向があることを報告している。
(後略)』
ギリシャ、アルゼンチン云々は、
もういいですね。
ギリシャが債務不履行
(財政破綻)に陥ったのは、政府の
「共通通貨ユーロ建て国債」。
共通通貨国は、普通にデフォルトする。
アルゼンチンが債務不履行に陥ったのは、
ドル建て国債。先日も、アルゼンチンは、
またもや「ドル建て国債」のデフォルト
(債務不履行)に陥りました。
なぜか、報道では、
「アルゼンチンが約5億ドル
(約538億円)の
国債のデフォルトに陥った」
「アルゼンチンが
ドル建て内国債のデフォルトに陥った」
などなど、あいまいな表現が多いのですが、単純に
「ドル建て国債のデフォルト」に陥った、
で構いません。
ちなみに、日本国債のデフォルトが
あり得ない理由は、これまた単純に
「日本が変動為替相場制の独自通貨国」で、
日本円建て国債しか発行しておらず、
日銀が国債を買い取ると、
政府の償還・利払い負担が
消滅するためです。
財務省(及び御用学者の吉川洋など)は、
「日本は内国債だから
破綻しないと言っている人がいるが~、
外国人の日本国債保有も増えている~」
と、国債所有者が
日本国内の経済主体化、
外国化をクローズアップし、あたかも
「内国債はデフォルトしてない」と、
我々が主張しているかのごとく
藁人形プロパガンダを展開していました。
誰が国債を保有していようが、
変動為替相場制の国の
自国通貨建て国債は
デフォルト「できません」。
内国債云々はどうでもいい話です。
というか、無関係です。
【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
皇統論「第十六回 仏教伝来」、
歴史時事「第十六回 疫病の人類史」が
リリースになりました。
また、ロゴフ=ラインハート論文は、
有名な「詐欺論文」でございまして、
「債務比率が90%を超えると、
経済成長率1%程度低下する」
という事実は「全くない」ことが、
すでに証明されています。
信じられないことに、
ロゴフとラインハートは、
エクセルのコーディングを操作する、
政府債務比率も
経済成長率も共に高かった国を
「その期間だけ」データから除く、
統計の重みづけを操作し、
上記の結論がでるように細工するなど、
「学者(一応)」としては
絶対に許されない
統計詐欺に手を染めたのです。
ロゴフ=ラインハート論文について、
スティグリッツ教授は、
「アメリカが第二次世界大戦直後に
90%よりはるかに大きい
債務を有しつつも、大戦後に
最大の経済成長を達成し繁栄を築いていた。
ロゴフ=ラインハートによる
90%理論は完全にばかげている」
と、一蹴し、クルーグマン教授は、
因果関係が逆だと指摘し、
「ロゴフ=ラインハート論文では
債務超過の帰結としての
低成長になっているが、
国家が債務を積み上げたから
低成長になったのではなくて、
国家が低成長を続けた結果として
債務対GDP比が大きくなったと見るべき」
と、恐らくは
「正解」を述べています。
現在の日本の債務対GDP比率が高いのは、
低成長の結果です。
そして、日本が低成長を続けているのは、
お前のようなバカが
頭が弱い連中がのさばり、
正しい経済政策を打てないためなんだよ、
小林慶一郎。
ちなみに、当の詐欺師の
ケネス・ロゴフ(一応、経済学者)は、
コロナ危機を受け、
「現在は財政出動に限度はない」
「財政出動が5兆ドルでも問題はない」
と、発言しています。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=49&v=XBCu5DJPzmA&feature=emb_logo
詐欺師ロゴフですら改心した
(かもしれない)にも関わらず、相変わらず
日本の財政破綻論者は
小林慶一郎のごとしです。
恥を知れ❗ 。
とはいえ、一般の方は
「ギリシャやアルゼンチンは~」
「ロゴフ=ラインハート論文によると~」
といった出鱈目にすぐに騙されます。
お前たちは、嘘つきだ。と、
データや事実に基づき、容赦なく
小林に代表される
財政破綻論者、国民殺しの連中を
糾弾してください。
緊急事態宣言が解除されると、途端に、
「コロナ危機が収まりつつあるので、
コロナ増税
(小林の表現では所得税への上乗せ)」
と、緊縮財政の議論が始まるのは
確実なのです。
「国民殺しの財政破綻論者を糾弾せよ❗」に、
ご賛同下さる方は、
↓このリンクをクリックを❗ 。
◇◆ 日本人たちは、 より早くに、
日本人たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、
公共事業らを成す事により、
日本の、 財務省の役人ら、と、
与野党の、 主な政治家らとが、
英米のカネ貸しらの主張する事らを、
そのまま、自らもまた、
オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、
日本政府の財政における 、緊縮 、
を、 繰り返し、 成す事を通して、
彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としてある、日本人たちへ、
物価だけではなく、
その労働らへの賃金らの水準へも、
より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、
押し付け続けて来てある、
その、 デフレ不況性 、を、
解消し去ってゆく、 と共に、
日本人たちの防衛性の度合いを、
飛躍的にも高めてゆくべき、
ぎりぎりの状況にも、 ある 。
地上を襲い、 地上をおおい得る、
あり得る、 災害らへ対して、
地上に、 避難所らや、
避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、
それらへ誘導する事は、
人食い虎どもの住む、 密林へ、
わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
行為であり、
日本の主権者としてある、
日本人たちの一般 、へ対して、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
行為なり、 態度なり、 であり、
日本人たちの一般の、 あり得る、
福利ら、を、 より、 能くも、
最大限にも、 成す事を、 約束して、
日本の社会に、 存在し、 存続する事を、
日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、
それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、
不作為型の、 行為なり、 態度なり、
であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い。
日本人たちには、核武装❗、と、
地下避難網ら❗、が、より、
日本の内外に、本格的な、
平和性らを成し付け得てゆく上でも、
必要❗。
この事らを、 より、 日本人たちへ、
伝える措置を自ら成さない、 者らは、
より、 反日員としての、
負の度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを余計に成し、
より、 伝える措置を自ら成す主らは、
より、日本人たちの一般の、
足しに成り得る向きに、 働き得た主として、
正の向きの度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを成す。
差し引きで、 より、
どちら側であるかの、度合いを観積もられ、
その度合いらに相応しい処遇を、
宛てられるべき立場にも、
誰もが、ある。
より、 日本人たちへ、
知らせるべきを、 知らせず、
不作為型の、 煙幕を張る、
報道員ら、とか、 より、
早くに、 知らされながら、
根途の宛先や、 職場などの、
周囲の人々へ、 より、
伝える事を差し止め得て来てある者ら、は、
特に、
◇◆ 1日に、 一度も、
日本人たちや、 日本への観光客ら、
などに、 色々な災害らや、
攻撃性らへ対する、
地下避難網の、あるべき事を、
伝えず❗ 、
に、
何千もの、 おしゃべり、や、
報道を成してある、
ラジオやテレビらの報道員ら、は、
特に、
地下に避難網らを欠いてある、
が、 為に、 余計な、
損害性らや、 自分や、
自分の家族員ら、などの死を、
予定され、 押し付けられる、
度合いを成し宛てられてある、
人々の一般へ対し、
あり得て来てある、 あり得る、
災害らや攻撃性らへの共犯として、
償うべき、度合い、を、
日々に、 余計に、 自らの側に、
成し増す、 立場にある者らだ❗ 。