⛷️🌪️🌎 寒冷化と帝国の崩壊❗ ;
;
解放🎵 を急ぐべき、 シナ⚡ による、
桜木 琢磨 市議 らをの 実質 での 拉致⚡ たる 事件ら⚡
;
🥃⛲ 日本医学 ; 和方🎵 ;
三石分子栄養学 ➕ 藤川徳美院長系 ; 代謝医学🎵
;
その➖方に、
必ず、
色々な アミノ酸 たちから成る
タンパク質 、な、
酵素 コウソ 、 を含む
、
あるべき、 代謝員
同士 が、
文字通りに、
合体を成し得て❗
初めて、 成され得る
、
『 同化 』 、か、 『 異化 』 、である
、
『 代謝🎵 』
、 な、 働き得ようら、 への、
要因性として
、
その、代謝員
同士 、ごとの、
あり得る、
『 合体 』
、 と、
その、度合いら、とが、 あり
、
それらから成る系を、
三石分子栄養学 ➕ 藤川徳美院長系
、では
、
『 確率的 親和力 』
、
という。
この、
『 確率的な 親和力 』
らでの、
あり得る、
不⚡️ 足 性 ✔️
ら、を、
より、
埋め余し付け得る
形で、
飲み食いされるべき、
より、 あるべき、代謝員
同士
、は
、
ストレスら、や、 感染ら、
などの、
成り立ち得ようらの、
度合い
ら、に応じても
、
その、あるべき、
質としての度合いや、
量としての度合いが、 大小し
、
それらに応じて、
より、 あるべき、代謝員ら、の、
顔ぶれも、 左右される❗
。
その、遺伝性らや、 様変わりし得る、
体質 ごとに応じて、
より、 あるべき、
代謝員ら、が、あり
、
より、 埋め余されるべき、
『 確率的な 親和力 』
ら、での、
不⚡️ 足 性 ✔️
ら、が、あり
、
より、 人々の命と健康性とを成し付ける、
上で、
より、 あるべき、 あり得る、
代謝 ✔️
ら、への、
より、 換算性の高い
、
飲み食い などによる、 摂取
ら、が、
より、 選 スグ られもするべき、
宛てのものとして、 意識し宛てられ、
狙い宛てられもすべく、ある❗
。
より、 あるべき、代謝 ✔️
ら、への、
より、 換算性の高い🎵
摂取ら、を、
より、 能く、成し付け得るようにする🎵
には
、
我彼の 命や健康性 に、 責任性の、
あったり、 あり得たりする、
人々は
、
我彼の遺伝性ら、 を、 より、 能く、
調べ、
知り深め得てゆくようにもすべき、
必要性を帯びてあり
、
その、遺伝性ら、や、
より、 変わり得る、
体質 ごとに応じて、
より、 あるべき、
摂取らが、 ある❗ 】
。
歴史 拾遺 ヒロイ ;
☆ 「 徳川幕府の成立 」、と、
「 強国スペインの衰退 」、の深い関係 ;
〈 神野正史 じんのまさふみ 氏:
予備校講師 〉 ;
予備校の人気な世界史への講師である、
神野正史氏は、 世界史を、
「 暗記 」、 しようとしては、 かえって、
覚えられない❗ 、 と主張する。
固有名詞や年号を無理に覚えようとせず、
また、 各国の歴史を、 ばらばらに、
勉強するのではなく、
「 歴史の流れ 」、 を理解する事を目指す、
学習法で、 学生によっては、 1年間で、
偏差値を、 20 ~ 30 、
を、 上げ得る❗ 、 という。
ここでは、神野氏の新著な、
『 暗記がいらない世界史の教科書 』、
より、 ローマ帝国と漢帝国の、
衰退の関係について触れた一節を紹介する。
世界を覆った、「 17世紀の危機❗ 」 ;
近世以前の世界史は、 温暖化、あるいは、
寒冷化によって、 世界中が、
一つの、「 流れ 」、 に従っていました。
この世界の全体が従う、
「 流れ 」、 をつかむことで、
「 世界史が見える、 という、
感覚を得ることができます。
その一例として、 最寒期が、
世界をおそった、 「 17世紀の危機 」、
について、 述べることにしましょう。
中世の末 ; ( 1350年ごろ ) 、
から始まった、 「 小氷期 」、 は、
それ以前の旧制度を、 のきなみ破壊し、
その対応策として、 ヨーロッパ諸国は、
絶対主義に走り、 前時代までに、
ぞくぞくと、 これを確立していきました。
そこに、 千6百年 ~ 50年ごろに、
更なる、 厳しい冷え込みが襲いかかった、
ことで、 各地で、 凶作が続き、
慢性的な食糧の不足から、
戦乱・疫病・革命が、相次ぐようになり、
「 17世紀の危機 」、 と呼ばれる、
暗い時代が生み落とされます。
各国は、事態への打開のための対応に、
迫られますが、その対応の取り方によって、
各国の歴史は、 大きく変わっていく、
ことになります。
◇ スペインの黄昏と、
ドイツ三十年戦争❗ ;
近世の開幕とともに、 どこよりも早く、
絶対主義を確立し、
「 大航海時代 」、 を切り拓いて、
" スペインの領海に、日没なし " 、
と、謳うたわれた、 スペインは、
本能寺の変 、 が、 成される前の年な、
前時代の末 ; ( 1581年 ) 、 には、
ポルトガルを併呑する❗ 、
までになりましたが、
殺戮と掠奪に支えられた繁栄は、
長くは、続かず、この最寒期を契機として、
衰微の一途をたどり、現在に至るまで、
歴史の表舞台に立つ事は、なくなります
ドイツでは、 前の時代に起きた、
宗教騒乱の問題への解決を、
「 アウグスブルクの宗教和議 ;
( 1555年 」 、 で先送りした、
その、 " ツケ " 、を、
" 最寒期 " 、 の到来とともに、
高い利子を付けて、
支払わされることになります。
目の前の問題から、 目を背けた結果にて、
くすぶりつづけた不満は、 時とともに、
帝国に蔓延していった、が、為に、
徳川氏が、 豊臣氏を打倒し去った後の、
1618年に、 プラハで起こった、
小さな事件が、 みるみる内に、
大事になり、 帝国の全土を巻き込む、
大乱に発展していったのです。
最寒期の到来を前にして、
事態への打開を模索していた周辺の諸国が、
ここぞとばかりに、ドイツへ、
軍事介入してきた、が、 ゆえに、
全欧を巻き込んだ、
大戦争に発展してしまいます。
それが、 「 三十年戦争❗ 」 、です。
この戦争で、
「 ドイツの近代化は、百年は、遅れた 」、
と言われるほどに、 その国土は、荒廃し、
人口は、一気に、 1 / 3 、 にまで、
落ち込み、 1648年、に、 ようやく、
条約 ; ( ウェストファリア条約 ) 、
が締結されたものの、 ドイツ ;
( 神聖ローマ帝国 )、 は、 実質的に、
滅亡して、 名目だけの存在となり、
分断国家化は、 決定的となります。
◇ 叛乱を鎮圧できた、
フランスとイギリスがたどった両極の道 ;
これに対して、 英仏は、
"最寒期" の到来による国難を、
絶対主義を背景とした、
植民地らへの獲得 ; ( 英 )、や、
戦争らへの介入 ; ( 仏 ) 、 などの、
外への発展で、乗り切ろうとします。
しかし、 今回の最寒期に伴う、 混迷は、
それを以てしても、 吸収しきれず、
やがて、 国民の不満は、
絶対王権へと向かい、 その怒りが、
この時代の末期 ; ( 1640年代 ) 、
に爆発してしまいます。
それこそが、 イギリスでは、
史上で初の革命な、 「 清教徒革命 ;
( ピューリタン革命 、
1642年 ~ 49年 」、 であり、
フランスでは、 貴族員らの叛乱な、
「 フロンドの乱 ; ( 1648年 」 、
です。
このように、この時代の英仏は、 その、
「 前の時代までに、
絶対主義を確立 」、し、
国内の問題な事らへの解決を、
" 外 ; ( 植民地らへの獲得、
・対外戦争ら ) " 、 に求めたものの、
どちらも、 " 絶対王権への叛乱 " 、
に帰結する─と、
足並み揃えた歴史を歩みましたが、
ここから、 先の両国の歴史は、
大きく分かれていくことになります。
その転換点となったのは、
その、 " 王権に対する叛乱 " 、 への、
鎮圧に成功したか、失敗したか、です。
フロンドの乱の鎮圧に成功した、
フランスでは、 それにより、
国内において、 王権に逆らい得る、
勢力が、 いなくなり、 次の時代で、
絶対王権の絶頂期を現出する、
足掛かりとなりました。
これに対し、 イギリスは、
叛乱への鎮圧に失敗したどころか、
それが、 叛乱に収まらずに、
革命化してしまい、 王権、な、
そのものが、倒れてしまいます。
その首謀者な、 O・クロムウェル氏は、
絶対王権を打倒したあとで、
王権を憎むあまりに、 国体まで、
「 王国 ( キングダム 」 、 から、
「 共和国 ( リパブリック 」 、
に変えてしまいました。
絶対王権を倒したところで、
これを倒した彼自身が、
" 絶対君主も、 裸足で逃げ出す、
独裁者 " 、 となって、
この国を牽引していく事になるだけです。
こうして、 王国を懐かしむ声らが高まり、
結局は、 この時代の末には、
王政の復古が行われることになります。
食糧が少なくなれば、残された、
わずかな富への争奪戦が起きるのは、
世の常です。
ただでさえ、 緯度が高く、
寒い気候のバルト海の沿岸の国々では、
こたびの、 " 最寒期 " 、 の危機を、
バルト権益を独占することで、
乗り越えようとします。
こうして、 バルト沿岸の国々は、相争い、
以降は、 典露戦争 ;
( スウェーデン ✖ ロシア ) 、
・典波戦争 ;
( スウェーデン ✖ ポーランド ) 、
さらには、 三十年戦争・典丁戦争 ;
( スウェーデン ✖ デンマーク )、
そして、 第1次北方戦争、 などの、
「 バルト海争奪戦 」、 とも総称すべき、
戦乱を巻き起こすことになりました。
これらの争奪戦を勝ち抜き、見事に、
「 バルトでの覇権 」、を手に入れたのが、
グスタフ2世、
・クリスティーナ・カール10世と、
3代にわたって、この争奪戦を戦い抜いた、
スウェーデンでした。
以降のスウェーデンが、 別名では、
「 バルト帝国 」、 と呼ばれ、
繁栄したのとは、 対照的に、
敗れたデンマーク・ドイツ・ポーランドは、
衰退していき、ロシアは、 新たな、
" 儲け口 " 、 を探すべく、
シベリア方面へと、領土を拡大していく、
ことになります。
寒冷な気候によって、 もっとも、
被害を受けるのが、 農業であり、
どの国も、 農業に大きく依存していた、
が、 ゆえに、 大打撃を受けましたが、
オランダは、 " 商人国家 " 、 だった、
が、為に、 その被害も、
他国に比べれば、 小さく、
諸国が、 悶絶しているのを横目に、
オランダは、 ヨーロッパを飛び出し、
新大陸や、 アジア・アフリカ圏に、
貿易の拠点を作って、 世界を相手に、
交易に勤しみます。
しかし、 そのことは、 裏を返せば、
" 最寒期 " 、 が明け、 ヨーロッパ諸国が、
力を恢復しはじめれば、
オランダの繁栄にも、 影が差す❗ 、
ことを意味します。
事実として、 "最寒期"が収まってきた、
17世紀の後半になると、海に進出してきた、
イギリスの挑戦を受け、以降は、
守勢に転じていくことになりました。
「 17世紀の危機 」、 に悶絶する、
ヨーロッパにも喰い込み、
三大陸を股にかける大帝国となっていた、
オスマン帝国もまた、
" 最寒期 " 、 の影響と、
無縁では、ありませんでした。
が、 オスマン帝国は、 東地中海を、
" マーレ・ノストゥルム ( 我らが海 "
、 として、 アジアとヨーロッパを結ぶ、
中継貿易での、商業収入も多かった、
が、 ゆえに、
「 帝国を支えるベクトル 」、と、
「 衰退のベクトル 」 、とが拮抗し、
帝国の行く末を左右するような、
大戦もなければ、 内乱もない、
「 停滞期 」、 となります。
当時のイスラームにおいて、
オスマン帝国と双璧を成す、
ムガール帝国もまた、 オスマン帝国と、
おなじような道をたどりましたが、
ここから先の両国の歴史は、
大きく分かれていくことになります。
" 中興 " 、 が起こらない場合は、
ゆっくりと、 衰退していきますが、
起こった場合には、
" 中興 " 、 が終わるや否や、 一気に、
収拾の付かない大混乱に陥って、
短期のうちに、 滅亡することが、
多いものです。
この時代に、 オスマン帝国には、
" 中興 " 、 が現れませんでしたが、
ムガール帝国は、 文化が華はなやぐ、
" 中興 " の現象が現れます。
第5代の、 シャージャハーン帝のころを、
中心に、 イスラーム文化と、
ヒンドゥー文化が融合した、
インド=イスラーム文化が華やぎ、
建築に、 タージ=マハル廟、 絵画に、
ムガール絵画が栄えます。
したがって、次の時代から、
オスマン帝国が、 ゆっくりと衰退していく、
のとは、 対照的に、以降のムガール帝国は、
急速に解体していくことになります。
これに対して、 前の時代に、
オスマン・ムガール二大帝国に挟まれて、
発展できなかった、 サファヴィー朝は、
両国が停滞期に入り、
圧力が和らいだことで、 両国より、
少し遅れて、 アッバース1世 ;
( 位 1588年 ~ 1629年 ) 、 の下に、
絶頂期に入りました。
しかし、 彼の没後は、 オスマン、
・ムガール両帝国を追うようにして、
停滞期に入っていきます。
つまり、 この時代のイスラーム世界は、
三者三様の過程をたどりつつも、 結局は、
一斉に、停滞期に入ったことになります。
サファヴィー朝が、 アッバース1世の下で、
" 我が世の春 " 、 を謳歌していた、
ちょうどな、 そのころ、 というのは、
中国では、 明朝の、 第14代の、
万暦帝の親政期 ( 1582年 ~ 1620年 ) 、
に当たりますが、 万暦帝は、 せっかく、
首輔 ; ( 内閣大学士の長。 現代の、
日本の首相に当たる ) 、の、
張居正氏から引き継いだ、 黒字の財政を、
相次ぐ、 外征と奢侈な生活で、
アッという間に、 破綻させ、
明朝を亡ぼす、元凶となっていきます。
万暦帝が親政を開始した翌る年 ;
( 1583年 ) 、 には、 すでに、
満洲 ( マンジュ )、 から、 女真
( ジュルチン ) 、 族の、 建州部が、
自立化しており、 その晩年には、
「 清 」、 が、 打ち建てられ ;
( 1616年 ) 、 万暦帝の死から、
四半世紀と経ずして、 明朝は滅亡、
清朝が取って代わることになりました。
こうして、すでに、
制度疲労を起こしていた明朝は、亡び、
新進気鋭の清朝に切り替わったことで、
次の時代の極盛期の前提が整います。
この時代は、 日本は、 ちょうど、
江戸幕府の前期 ;
( 初代の徳川家康氏 ~ 4代家綱氏 ) 、
にあたり、 以降の、 「 徳川三百年 」、
と言われる、 いしずえを築いていく、
ことになりますが、じつは、
この徳川政権と足並みを揃えるようにして、
展開した王朝が、 2つがあります。
ひとつが、 ヨーロッパのロマノフ朝 ;
ロシア帝国。
もうひとつが、 中国の清朝。
この、 3つの王朝 ; ( 正確に言えば、
徳川家は、 将軍家 ) 、 は、いずれも、
小氷期の、 " 最寒期 " 、 が襲った、
1600年を少し越えたころに生まれ、
小氷期のド真ん中の、 1700年の前後に、
絶頂期を迎え、 300年近く、
命脈を保ったのちに、 小氷期が明けて、
まもなく、亡ぶ、という、
よく似た歴史を歩みます。
◇ 寒冷化が崩壊させた❓、
古代のローマ帝国❗ ;
この時代に入るや、ついこの間まで、
「 Pax Romana ; ローマの平和 」 、
「 五賢帝時代 」 、 などと、
謳われていたのが、 嘘のように、 一気に、
帝国の崩壊が始まります。
歴史に疎い者にとっては、
「 ついこの間までは、 あれほどに、
繁栄していた国が、 どうして❗❓ 」、
と、 訝しく感じるほどですが、
前の時代までの、 “ 平和 “ 、は、
あくまで、 「 負ベクトル ( 崩壊 」、
と、 「 正ベクトル ( 温暖な気候 」 、
とが、 ±0 、 となった、
絶妙な調和の上で保たれていただけの、
“ 見せかけの平和 “ 、 であって、
“ 支え ( 温暖 気候 ) “ 、 を失えば、
一気に崩壊する程度の、
あやういものだった ─― 、
ということを知っていれば、
この時代の崩壊も、 当然のこと、と、
理解できます。
ローマでは、 寒冷化の到来によって、
帝国の収益が、 急速に悪化し、
その結果にて、 兵への給与が滞る❗ 、
ことが、 常態化していきます。
兵らの不満が募り、それは、やがて、
各地で、 「 兵乱 」、 という形となって、
表面化していきました。
しかし、 洋の東西と古今を問わず、
“正統性“や、 “大義名分“を持たぬ、
叛乱軍などは、 「 賊軍 」、
の汚名を着せられて、 鎮圧、
処刑される定めにあります。
生き残りたいならば、 叛乱軍は、
自らの、 “ 正統性 “ 、 を、
掲げねばなりません。
こうして、 叛乱軍は、 勝手に、
「 新皇帝 」、 を祭りあげた為に、
帝国の各地で、 皇帝を僭称する者が現れ、
帝国は、 収拾のつかない、
大混乱に陥りました。
一兵卒が、 皇帝を僭称し、何人もの、
皇帝が併存して、 血で血を洗うが如き、
日本では、 卑弥呼女王に至る頃の、
混迷の時代を、 政治的には、
「 軍人皇帝時代 」 、 といい、
社会的・経済的には、
「 第3世紀の危機 」 、 と呼びます。
もはや、 「 放っておけば、
解体に向かう 」、 帝国を担うのに、
凡帝では、 荷が重く、帝国に、
ふたたび、 統一をもたらすためには、
「 英主 」、 の出現が待たれますが、
その歴史的役割を担って現れた人物こそが、
ディオクレティアヌス帝です ;
244年 ~ 311年 。
彼は、 対立皇帝・僭称皇帝を、
つぎつぎと討ち破って、 久しぶりの、
「 単独皇帝 」、 となり、
ローマに再統一をもたらしました。
が、 この偉業を成し遂げた、
彼の力量を以てしても、「 もはや、
解体しつづける、 その帝国を、
一人の皇帝で統治する事は、不可能 」 、
と悟り、
「 四分割統治 ( テトラルキア 」 、
を断行。
実質的な統一は、 ➕年と保たず、
以降の帝国は、 「 統一 」、 とは、
名ばかりの分裂時代を迎えます。
ローマが、 「 平和 」、 から、
「 危機 」、 に陥落する、
転換期となったのが、
第180年から、 193 年ごろですが、
中国でも、 「 安定期 」 、から、
「 混乱期 」、 の転換期となる!
象徴的事件が起こっていました。
それが、 「 黄巾の乱❗ ;
184年 ~ 192年 」 、 です。
後漢は、 第4代の和帝以降、
幼い帝が立ち、その幼帝の横には、
外戚・宦官が控えて、 これを操り、
宮廷には、 奸臣・佞臣 ( ねいしん )、
が巣くい、 地方には、 酷吏・汚吏が蔓延、
この悪政に耐えかねた農員ら、は、
流民と化して、 各地で、
盗賊・叛徒となって、国を荒らす。 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200114-00010000-php_r-bus_all&p=2
ID:h11aYv3G0 >>3 ;
多少の暗愚帝でも、地球レベルの、
気候条件のお陰で、 十分な、
食料への生産量を確保出来れば、
どうにか、治められるって話。
ID:OrduGbm60 ;
倭国大乱も、ほぼ、同じ時代か。
ID:eQQ3Wztp0 ;
サーサーン朝ペルシャは、 3世紀から、
大繁栄したが。
ID:bbOBu39b0 ;
教科書的にも、
北方ゲルマン人の移動の前哨。
中国では、匈奴の盛衰、
北方のツングースの盛衰が、
第一義的な影響因子だ、と、
いわれている、 と思う。
ID:ofev6Tu+0 ;
昔は、 戦争より、 災害 ;
( 日照不足・洪水・旱魃 ) 、 の方が、
はるかに重いからな。
てか、 災害が、
戦争への原因になったりするし。
ID:g4DZ8+Fj0 ;
漢帝国を崩壊した犯人は、
何進と袁紹が、原因な気がするんだ。
黄巾族の反乱って、百万人単位だったのに、
鎮圧できたんだもん。
何進が、 さっさと、宦官らを、
皆殺しにしとけば、良かった。
なにをとち狂ったのか、
地方の群雄を都に呼び寄せて、とか、
アホちゃうか。
ID:vNfibRm60 >>27 ;
それは、 トドメであって、 そもそもは、
皇帝が、 金銭で、
役職を売り出したからだろう。
ID:g4DZ8+Fj0 ;
三国志時代が安定していた、
とは、思わない。
戦乱が続いた為に、 人口が激減した。
司馬炎氏が、 晋を建国したあとで、
司馬一族が、 お家騒動を始めて、
兵士が足らないから、 と、
異民族を、シナへ引き入れて、兵で使った。
そいつらが、シナを乗っとった。
10:32:27.79 ID:rgYDfwhf0 >>30 ;
戦乱により、戸籍で把握できなくなって、
帳簿上の数字が、激減しただけって、
説もある。
ID:W5fagawG0 >>30 ;
後漢の末期に、 5千万は、いたのが、
三国時代には、5百万まで減ったってのを、
どこかで見たな。
ID:VymAPd940 >>620 ;
それは、 農員らが、 土地を離れたりして、
記録から消えたからで、
死んだわけでは、ない。
落ち着いたら、 復活している。
ID:ZjcderOa0 >>1 ;
きっと、181年に、 ニュージーランドの、
北島にある火山が、 VEI7 の、
巨大噴火を起こしたからだね。
地球規模の影響を及ぼす、
噴火による冷害って、怖いよね。
フランス革命を起こした、食糧危機だって、
どこかの火山が爆発して、
冷害がおきたからだろうし、
同じ時期に、日本では、
天明の大飢饉が起きているから、
地球規模での災害のせいだよね
地球に生きている以上、地球の活動で、
人間は、翻弄されるよね。
ID:Jw9nPcYl0 >>1 ;
ちょうど、塩野七生先生の、
「 ローマ人の物語 」、 を読んでいます。
塩野先生が言うには、
ローマ帝国が衰退していった原因は、
紀元 250年の、 蛮族 ;
( ゴート族、マルコマンニ族、 等 ) 、
らによる、 侵略と、 各皇帝達が、
皇帝 ( インペラトール )、 としての、
責務 ; ( ローマ市員ら、への、
食と安全を確保すること ) を、
いつしか、 忘れてしまったことだ、
と、 言及していますね。
「 魚は、 頭から腐っていく 」、の、
ことわざの通り、 紀元 250年以降、
皇帝の座を巡り、 内乱が頻発したのが、
痛い・・。
ID:Yxj5TI7b0 >>45 ;
大義名分で、 公共工事に投資させ、
チカラを削ぎ、 お家騒動で、
お取り潰しを常におこない、
儒教の普及で、 上位下達の、
教育を普及させる、
そういう意味で、 徳川の治世は、
天下泰平の真髄。
ID:SXxey7730 >>136 ;
江戸時代に ; ( 島原の乱とか除いて ) 、
平和が続いたのは、やっぱり、
参勤交代が、大きかったでしょ。
各藩の負担は、滅茶苦茶に、重かった。
ID:BGKJd4YM0 ;
ローマ帝国の全盛期は、 現代より、
はるかに、 温暖だったのよ 。
スカスカの服で、 一年中を過ごしていた。
寒冷化によって、 ローマ帝国は壊滅し、
ゲルマン人らによって、蹂躙された。
ID:0jXU1APo0 >>61 ;
そのゲルマン人らは、 なぜに、
ローマにやってきたかっていうと、
東のさらに恐ろしい、 フン族に、
押し出されて、 西に大移動した❗ 。
多分、 中央アジア、シベリア、
モンゴルあたりの人々 。
ただでさえ寒い、 これらな地域らが、
いよいよ、 寒冷化して、
住んでいられなくなって、 彼らが、
西に南に押し寄せた結果にて、
帝国は、滅んだ。
ID:iRkBo0mR0 >>117 ;
フン族は、 記録が、あまり、
残っていないから、 うかつなことは、
教科書に載せられない。
近年に、 考古学が進歩して、
物的証拠が得られるようになってから。
ID:5f3VVpZm0 >>94 ;
冷夏で、 コメ不足で、 タイから、
コメを輸入したり、 台風で、
ジャガイモが取れなかったときは、
大騒ぎしただろ。
現在にて起きる事らは、昔にだって起きる、
昔は、 農業が中心で、 気候による、
不作が、 社会に与えた影響は、
大きいだろう。
経済が社会に与える影響は、
今も昔も、変わらない。
歴史馬鹿は、 そういうの無視して、
人間の能力とかにしか着目せず、
気候を調べようとかしないのは、
程度が低い。
過去の気候なんて、 温暖化で、
どうだーとかで示されるように、
調べようがあるし、生産だって、
ピケティー氏がやったように、
税収から逆算とか、出来るのに。
ID:/oKs1+tM0 ;
ローマの衰退は、キリスト教のせいやろ。
ID:ABhSf0Wx0 ;
中国は、 先代王朝の失敗を、
修正しようとして、 極端な方向になって、
失敗するパターンを繰り返しているな。
前漢が、 王莽に乗っ取られたから、
皇帝の権限を強くする❗ 。
ところが、 皇帝の個人権限が強すぎて、
宦官や外戚の専横が、酷くなる❗ 。
曹操は、 皇族を弱くしようとしたら、
司馬懿に乗っ取られる。
そして、 晋が、 自らの皇族を強くしたら、
今度は、 八王の乱❗ 。
振れ幅が、大きい。
ID:l/6nYqL50 >>128 ;
そのかわり、 温暖化すると、
小国分立になりやすくて、
しょぼい戦乱は、増える。
ID:nYYG7yPf0 ;
温暖化、寒冷化というより、
気候の変動が、まずいんだよな。
気候に最適化されて、
農業が営まれているから、暑くなっても、
寒くなっても、 雨が、ふらなくても、
ふりすぎても、農業生産は、落ち込むし、
農業を基盤とした文明全体が、
混乱し、衰退する。
ID:GRy+ZdeR0 >>148 ;
そう考えると、 やはり、国家を持たない、
遊牧民族のが、利口にみえるな。
気候の変動があっても、 草がある地帯に、
羊をつれていって、 移動するだけで、
いいしな。
ID:tM9lo3+Z0 >>148 ;
世界の大文明は、全てが、
大河の流域の農耕民族が作った文明。
農耕なしに、大きな文明は、できないよ。
狩猟と採集では、 得られる食物が、
非常に少ない、 貯蔵の技術も、
建築の技術も、低い。
未開な文明しかできない。
ID:eDDWL2rL0 >>1 ;
ローマが滅びたの理由は、
ゲルマン人とキリスト教だ、と思うけど、
書きづらいのだろう。
ID:wnsqzBoV0 >>199 ;
そのさらに根っこに寒冷化がある、
という話な。
ID:wnsqzBoV0 >>246 ;
キリスト教も、 困窮者が、
救いを求める宗教だからな。
普及と寒冷化は、つながってるかも。
ID:tM9lo3+Z0 >>228 ;
蒙古が南下したのは、 気候の変動による、
食料の不足が、原因で、その気候の変動は、
インドネシアの 火山が噴火した事による、
平均気温の急激な低下だ、
と、習ったけどな。
ID:ABhSf0Wx0 >>228 ;
曹操が、 北方民族を積極的に受け入れて、
定住を進めていたからだよ。
混乱の北部での防衛と耕作を担わせる、
事で、 彼ら自身の侵略を防ぐ、
一石二鳥の方法だった。
だけど、 晋が崩壊したことによって、
そいつらを制御できなくなって、
彼らが暴れだし、五胡の時代になった。
ID:tM9lo3+Z0 >>243 ;
そんな一人の政策で、民族大移動が起きる、
とは、到底に、 思えない。
北方の騎馬民族らの全体が、
飢餓で、死にかけたからだろうし、
そうなるのは、 気候の変動、
と考えるのが、自然。
◇ 戦乱を経て、 建国された、
後漢では、 豪族員ら、が、
自ら、荘園らを構築し、 人が人を食む、
惨状から遠ざかる、安きを得て、
憩う所を得るに至った事、 などからも、
荘園らの維持に力を合わせる所を得、
他方に、 生産者である人々へ、
自由民たり得るの選択肢を提供して、
労働力への獲得における、
豪族らとの競合者たる、
後漢王朝の政府が、 在ったからには、
豪族らも、荘園の働き手らを、より、
手荒に扱う事が、はばかられ、
極端な事例らは、種々にあったにせよ、
戦乱の時代状況を経験した人々と、
その経験の伝承を得る所のあった、
その人々の子孫員ら、 等は、
全中華規模の物流交換網の崩壊による、
惨状の到来を危ぶむ所もあって、
自給自足を在らしめた、
荘園らの存在を拠り所として、
必要視する所などもあったればこそ、
相互いに、豪族らによる、
自給自足経済圏である、荘園らの、
構築と維持や拡充とに進んで参与し、
合力する所を得た面らもあった、
のではないか、 と、思われ、
そうして、 荘園らの一定の発達を得た事が、
後漢王朝の社会全体における、
貨幣経済の衰退を促進し、
後漢の社会全体の、
可能的な経済の規模に対して、
現実態の経済の規模を、より、
小さいままにし、
豪族らの荘園らには溢れて、
後漢政府の戸籍からは漏れた、人口を、
その経済規模に見合った、前漢時代より、
少ないままのものにし続け、
前漢以前からの硬貨らは、
現実態の生産物らの、流通する、
総量や、多様性の度合い、
等が、 失われた分だけ、
その引き換え証たる、
働き所・機能性を減少させられたので、
それだけ、死蔵される度合いを高める、
事にも成り、 王朝の政府によって、
より、 増発される甲斐の乏しい物にも、
成ったのであろう。
戦乱時代以前ほどには、
サービスらや品物らが出回らなくなった、
社会へ、
それらへの引き換え証たる硬貨らを、
ただ、 政府が増発した、としても、
自給自足経済圏たる、
荘園らの生産物らの、 余剰分が、
それに対応し得るほど、 市場に出されない、
場合などには、 インフレ ;
【 物価の全般の高上がり 】 、 を発生し、
深刻化させる圧力を高めるだけで、
あったろうから、
荘園らの生産余力の次第で、
後漢社会の全体の物流交換量の、
左右される度合いが、一定以上に達した、
段階からは、 後漢政府も、
硬貨らの増発を控える所があり、
政府に参与する、
豪族出身者らも、自らの、
自給自足経済圏らを解消する方策らには、
後ろ向きであった所から、
貨幣の流通の衰退を放置する、
傾きにあったのだろう。
☆ 奇怪すぎる形状で、研究者を悩ませた、
海の怪物、な、
タリーモンスターの正体に逆転劇❗ ;
kusuguru.inc
Credit: Sean McMahon/Yale University via ScienceMag
Point ;
■ 3億年以上前に生息していた、
タリーモンスターは、 これまで、
脊椎動物 、 と分類されてきたが、
実は、 無脊椎動物である❗ 、
可能性が高い、 と判明 ;
■ これまで、 メラノソームは、
脊椎動物の眼にのみ、 存在する❗ 、
と考えられてきたが、近年の調査で、
無脊椎動物の眼にも存在する❗ 、
ことが、分かった ;
■ 脊椎動物のメラノソームが、
多くの亜鉛 Zn 、と結合する❗ 、
のに対し、
無脊椎動物のメラノソームは、
銅 Cu 、 とりわけ、
Cu ➕ 1 、 と、 多く結合するが、
タリーモンスターも、 同様だった
トゥリモンストゥルム、 別名では、
「 タリー・モンスター 」、 は、
3億年以上前に、 現在の、
イリノイ州の周辺に存在し、
海を泳ぎ回っていた、 体長が、
15 センチ 、 ほどの生物です。
何と言っても、 目を引くのは、
戯務 ゲム ; ゲーム 、 に登場する様な、
突き出した眼。
3年前にわ 科学者たちは、 この、
謎の生物を、 ヤツメウナギに近い種類の、
脊椎動物 、 と結論づけました。
また、さらに最近になって行われた、
調査でも、この分類が、正しい❗ 、
ことが、確認されました。
が、 最近に改めて実施された、
分析の結果によると、 この分類が、
誤りだった❗ 、 可能性が高いようです。
論文は、雑誌な、
「 Proceedings of the Royal Society B 」、
に掲載されています。
Synchrotron X-ray absorption
spectroscopy of melanosomes
in vertebrates and cephalopods :
implications for the affinity of Tullimonstrum
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rspb.2019.1649
@ メラノソームは、
メラニンを含む、 細胞小器官 ;
≒ 細胞ごとの内側にある器官 ;
、 であり、 動物では、 最も普通の、
光を吸収する、 色素な、 分子 、だ。
メラノソームを合成できる細胞は、
メラノサイトと、網膜色素上皮細胞❗ 。
メラノソームを貪食した、
白血球の仲間の、 自分で、
血潮などの内外を動き回れる、
単細胞、 な、 マクロファージである、
メラノファージは、
それへの、合成能を持たない❗ 。
メラノソームは、 脂質、な、
膜に結合しており、
目撃談らの中の、 UFO 、 のように、
円形、ソーセージ型、 または、
葉巻型をしている❗ 。
その形状は、
生物種、細胞種ごとに、 一定だ。
電子顕微鏡な上では、 特徴的な、
微細構造が見られるが、この構造は、
メラノソームの成熟に伴って、変化する❗ 、
が、ために、 便宜な上で、
その発達の段階を、 stage I ~ IV 、
に分けることがある。
メラノソームは、 細胞ごとの内側にある、
滑面小胞体から、 プレメラノソーム 、
として、 発生する。
プレメラノソームは、 メラニンを含まず、
光学顕微鏡では、 観察できない。
ここに、 タンパク質な、酵素らである、
メラニン、 への、合成をする、
酵素群 ; ( 特に、 チロシナーゼ ) 、
が運ばれて、 合成が開始される。
メラニン合成酵素の、 欠如や、
機能不全は、 様々な態譜の、
アルビノ ;
≒ 白子 、 を引き起こす。
メラノソームを、 細胞内に固定している、
メラノサイトもある。
が、
多くのメラノサイトらは、
紫外線への応答として、 その表面から、
仮足を伸ばして、
メラノソーム 、 を移動させ、
光の吸収する断面積を変化させる❗ 、
ことが、できる。
また、 それと同時に、
メラノソームの他者への供与が起こる。
新生されたメラノソームは、
中間径フィラメントの関与のもとで、
通常の皮膚細胞である、
角化細胞へと供与される。
その後に、 メラノソームは、
角化細胞の、 細胞質 ;
≒ 細胞ごとの内側の存在ら ; 、 な、
ダイニンによって、
細胞ごとの内側において、
遺伝子らを膜に包んである、
『 核 』、 の近くまで、 運ばれ、
メラニン・キャップと呼ばれる、
構造を作る。
これによって、 角化細胞の核は、
メラノソームに取り巻かれ、
紫外線から保護される❗ 。
魚類、両生類、爬虫類、甲殻類の、
多くの種らで、 メラノソームは、
ホルモンや神経の制御を受けて、
細胞内を動き回り、
その主の体色を変化させる❗ 。
また、 魚類の中には、
メラノソームに、 鱗の色を制御する、
色素を含むものがいる。
これらな、生物らでは、
メラノソームの輸送は、
『 分子 モーター 』、 によって行われる。
細胞の中心に向けた、 輸送は、
微小管の、 マイナスの端な方向に移動する、
分子モーター、な、
『 ダイニン 』、 により、成され、
反対な向きへの輸送は、
プラスの端な方向への、 分子モーター、な、
『 キネシン 』、 による。
メラノソームが拡散すると、
細胞は、 暗い色になり、 集中すると、
明るい色になる❗ 。
イカや蛸な、 頭足類でも、
体色の変化が見られるが、 これは、
色素細胞な自体を、 筋肉で変形させる❗ 、
ことで、 実現している。
◇ 眼に含まれるメラノソームに着目❗ ;
今回の調査は、 タリー・モンスターの、
眼に焦点を当てたものです。
研究チームは、
メラノソーム 、 と呼ばれる、
メラニンを含む、
細胞小器官に着目しました。
メラノソームは、
亜鉛や銅 、 などの金属と結合することで、
電子強盗を差し止める、
『 抗 酸化 剤 』、 として機能している、
と、 考えられています。
メラノソームは、
脊椎動物の眼にのみ存在する❗ 、
と、 これまでは、 考えられてきた、
が、ために、 同研究チームは、
2016年の調査で、
タリーモンスターが、
メラノソームを持つことから、
これを、 脊椎動物 、 と分類しました。
ですが、 近年では、 マダコや、
ヨーロッパ・ヤリイカといった、
現存する無脊椎動物らへの分析を通じて、
メラノソームが、 無脊椎動物の眼にも、
存在することが、
明らかになってきました。
◇ 脊椎動物と無脊椎動物では、
メラノソームの金属への結合ぶりに、
明らかな違いが❗ ;
加えて、無脊椎動物の眼に存在する、
メラノソームは、
脊椎動物の眼に存在する、
メラノソームとは、 異なる方法で、
金属に結合する❗ 、
ことも、 判明しました。
脊椎動物のメラノソームが、
無脊椎動物のよりも、 高い、
亜鉛の濃度を示す❗ 、
のに対し、
無脊椎動物のメラノソームは、
銅 、とりわけ、
負電荷、 な、 電子 e➖ 、が、
1つ、が、 抜けた、 Cu➕1 ;
( 1価の銅イオン➕ ) ; 、を、
多く含んでいたのです。
タリーモンスターの化石の眼から採取した、
メラノソームも、同じ岩で見つかった、
脊椎動物の化石の眼から採取した、
メラノソームと比べると、
亜鉛 、をほとんど含まない代わりに、
相当量の、 Cu➕1 、 を含んでいました。
◇ タリーモンスターの化石 / Credit: Wilson44691/Wikimedia Commons
古生代の海に生息した怪物は、
見た目のインパクトを裏切らず、 まだ、
多くの謎に包まれています。
reference: sciencemag / written by
まりえってぃ 記者 。
【 亜鉛 Zn ➕ 銅 Cu ;
・・水へ溶ける、 水溶性、 な、
物ら、の、全てを引き受けて、
処理する、
『 腎臓たち 』、 の、 各々の、
どちらか、や、 両方から、
『 エリスロポエチン 』、 なる、
ホルモン、 が、 血潮へ送り出され、
それが、
『 骨髄 』、を成してある、
細胞らへ届く、と、
『 赤血球 』、 たちが、
より、 作り出されて、
血潮の量が、 増やされもする、
事になる、 が、
『 赤血球 』、 を、 作り合うのは、
ビタミン B群 、 に含まれる、
補酵素 ホコウソ 、 な、
『 葉酸 』 、 に、
同じく、 補酵素 、 な、
『 ビタミン B12 』、 と、
『 鉄 Fe 』、 だけではなく、
『 鉄 Fe 』、 を、
しかるべき所らへ送り届ける、
『 銅 Cu 』、 も、
必要なのだ ❗ 、 という。
この、 『 銅 Cu 』、 は、
イカ、や、 タコ、の血潮にあって、
自らへ、 酸素 サンソ O 、 を、
くっ付けて、 彼らの各々の、
体の細胞たちへ、 それを送り届ける、
運び員をやっており、
それが為に、
イカ、や、 タコ、の、血潮らは、
青く見える状態を成してあり、
人々の体らにおいては、
白髪に成る、のを防いで、
より、 髪の毛ら、などをして、
本来の色を失わずに、
在り続けさせるべく、
髪の毛らの根の所で、 入れ替わるべき、
色のある新手と、 能く、
入れ代わるようにする、
働きも成してあり、
三石分子栄養学➕藤川院長系らによると、
『 銅 Cu 』、 への、
過剰な摂取による、 害らは、
『 亜鉛 Zn 』、 への、
摂取を、 相応に、 成す事で、
防がれ得る、 という 】 ;
。
☆ 三橋貴明氏❗ ;
私たちを守る「国境」について考える
2020- 2-3 7:12:32
三橋貴明オフィシャルブログ
「新世紀のビッグブラザーへ blog」
https://members9.mitsuhashi-keizaijuku.jp/
チャンネルAJER
『少子化対策はデフレ対策である(前半)』三橋貴明 AJER2020.1.28
令和の政策ピボット呼びかけ人に、高橋あさみ様(私立Z学園高等学校 1年4組 16歳)が加わって下さいました。
また、メルマガ「令和ピボットニュース」が始まりました。皆様、是非とも、メルマガ登録を!
三橋TV第191回【「国民の皆さん○○して消費拡大して」って嘘でしょ?】
https://youtu.be/4nzKs3TwMZo
新型コロナウイルスの流行を受け、各国が続々と「国境」を引き上げていっています。
昨日、フィリピン政府が自国民と永住権を持つ者を除き、中国(香港、マカオ含む)からの入国を禁止。ニュージーランドも、中国を訪れた外国人の入国を禁止。
ロシア政府も、1月31日に中国との陸上国境を閉鎖。韓国政府は明日から、過去14日以内の湖北省滞在経験者(※外国人のみ)入国全面禁止。台湾政府は、湖北省に加えて広東省の中国人も入国禁止。
中国外務省によると、1月末時点で62カ国が何らかの入国規制措置を設けたとのことです。
日本政府は、2月1日から中国湖北省発行のパスポートを所持する中国人の入国を原則禁止しています。さらに、中国各地の日本人に「一時帰国を含む安全確保」の検討を促しています。
すでに、中国では上海などでも食料が入手困難になりつつあるとのことです。中国国内でも移動の制限が実施されている以上、当然ですが。
昨日、中国浙江省の温州市が「都市封鎖」されました。武漢との距離を考えると、温州市と同じ程度である上海市の「封鎖」の可能性も、十分にあり得ると考えておくべきです。
『武漢から遠く離れた温州も都市封鎖、買い出しは「2日に1度 各世帯1人」中国
【2月2日 AFP】中国東部・浙江(Zhejiang)省温州(Wenzhou)市は2日、住民の移動を制限し、道路を封鎖した。新型コロナウイルスの感染拡大の中心地である中部・湖北(Hubei)省武漢(Wuhan)に次いで思い切った措置となる。
人口900万人を抱える温州市の当局によると、生活必需品の買い出しのための外出は、2日に1度、各世帯1人に限り許可される。また、高速道路の料金所46か所も封鎖された。
浙江省は湖北省に次いで新型コロナウイルスの感染者が多い省で、これまでに661人が確認されている。うち265人は、武漢から道路距離で800キロ超離れている温州で確認された。
温州市は公の行事を中止し、プールや映画館、博物館などの公共施設を閉鎖。省境をまたぐ長距離バスだけでなく、地下鉄などの公共交通機関も運休となった。』
今回の新型コロナウイルス流行を受け、改めて考えたのは「国境」の意味です。
【歴史音声コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※「歴史に魅せられて、myと辿る邪馬台国への道(前編)」が視聴可能となりました。
国境とは、もちろんモノ、ヒト、カネ、サービスの移動も制限しますが、同時に悪しきもの、例えば「疫病」が外国から国内に流入することを防いできたわけです。
ちなみに、疫病とは家畜からヒトに感染するケースが多いのですが、家畜文明ではなかった我が国でも、疫病は何度も流行しています。
崇神天皇の時代、疫病が流行し、大勢の国民が死にました。日本書紀によれば、
「民の死亡するもの、半ば以上におよぶほどであった」
とありますから、半端ありません。日本書紀では「大物主」の呪いが原因とされていますが、実際には「外国から訪れた人」が原因でしょう。
縄文時代から、日本人は樺太から朝鮮半島、沖縄まで丸木舟でぐるぐる動き回っていました。大陸との「人の交流」があった以上、疫病は普通に日本海や東シナ海を渡ってきます。
逆に、日本列島が大陸から「ほどほど近く、ほどほど遠い」ため、疫病の流入を防ぐことができず、人々が抗体を持つに至った(厳密には抗体を持たない者は死んだ)。結果、1543年以降のポルトガル人、スペイン人到来の際に、彼らが持ち込む疫病に殺戮されることがなかった。
日本列島が人の行き来が不可能なほど大陸と離れていた場合、イベリア半島の連中がやってきた際に、アメリカ大陸と同じ有様になった可能性があります。すなわち、文明崩壊です。(コロンブス以降のスペイン人が持ち込んだ疫病により、アメリカ大陸の先住民は95%が死んだと考えられています。(ジャレド・ダイアモンド:著「銃・病原菌・鉄」)
疫病に限らず、我々が「国境」により守られていない場合、
「外国の産業、労働者との自由な競争により、国内市場で所得を稼ぐことが困難になる」
という形で、苦境に立たされることになります。
そもそも、イギリスが「自由貿易!」などと標榜したのは、国内の過剰な生産能力により生産される綿製品の「市場」を求め、世界最大の綿製品製造大国、消費大国だったインドに目を付けたためです。
インドは軍事力を背景にした英東インド会社、英国政府により国境を引き下げられ、「モノ」の移動を制限できなくなります。
産業革命を経て生産性が極端に高まったイギリス面産業に、インド側は全く対抗することができませんでした。
イギリス製品が流入するまでは、綿布産業で繁栄を極めていたインドのダッカ、スラート、ムルシダバードなどの街は貧困化の一途をたどり、当時のイギリスのインド総督が、
「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例を見ない。木綿布工たちの骨はインドの平原を白くしている」
と嘆くに至ります。
80年代以降の日本は、「自由貿易? 自由だからいいじゃない」といった幼稚なレトリックにより、ひたすらグローバリズムを推進。国境を引き下げ、自ら貧困化し、自分たちの「安全な生活」を破壊してきました。
今でも、
「国境は低ければ低いほどいい」
と、歴史や経済、国家、主権について無知な連中が繰り返し、多くの国民はグローバリズムを礼賛というか、信仰している有様です。
今回の新型コロナウイルスの流行を受け、我々は「私たちを守る国境」について、改めて真剣に頭を悩ませ、「適切な国境の高さ」について議論するべきです。
別に、鎖国するべきだとは言いませんが、「国境は低ければ低いほど良い」という考え方も間違っています。必要なのは、「適切な国境の高さ」について、我々の生活、安全、ビジネス、歴史、文化、伝統、習慣、ライフスタイル、そして「人生」に基づき、臨機応変に決めることだと思うのです。
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◆関連ブログ
日本経済復活の会のホームページはこちらです。
◆三橋貴明関連情報
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メルマガ「週刊三橋貴明~新世紀のビッグブラザーへ~」はこちらです。
☆ ガン細胞たちは、
ブドウ糖だけ、 を、
唯一の、主な、栄養分としてあり、
糖質を制限する事を含む、
ビタミン・ケトン療法は、
ガン細胞たちを兵糧攻めにする事でも、
ガン、の、あり得る度合を減らす事になる。
タンパク質たち、と、
ビタミン、たち、に、
ミネラル 、たち、を、 完全以上に、
飲み食いなどして、 摂取し続ける、 事が、
一部の人々を除いた、
ほとんどの人々の健康性を成し続ける、
代謝ら、を、
完全以上に、 成し続ける事に、 必要であり、
これら、を、 より、 欠いてしまう事は、
万病を引き起こす、 可能的な度合ら、を、
より、 余計に、 成す事を意味する。
☆ Cancer cells
Only glucose,
As the only main nutrient,
Including restricting carbohydrates,
Vitamin / ketone therapy
Even if
you make cancer cells attack soldiers,
This will reduce
the possible degree of cancer.
With proteins,
Vitamins,
Minerals, more than complete,
Drink and eat, keep taking,
Excluding some people,
Keeps the health of most people,
Metabolism,
It ’s necessary to continue
to do more than perfect,
The more you miss these things,
Cause all kinds of illness,
possible degree,
More than that, it means to do it.
☆ いずれにせよ、
日本人たちは、 より早くに、
日本人たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、
公共事業らを成す事により、
日本の、 財務省の役人ら、と、
与野党の、 主な政治家らとが、
英米のカネ貸しらの主張する事らを、
そのまま、自らもまた、
オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、
日本政府の財政における 、緊縮 、
を、 繰り返し、 成す事を通して、
彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としてある、日本人たちへ、
物価だけではなく、
その労働らへの賃金らの水準へも、
より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、
押し付け続けて来てある、
その、 デフレ不況性 、を、
解消し去ってゆく、 と共に、
日本人たちの防衛性の度合いを、
飛躍的にも高めてゆくべき、
ぎりぎりの状況にも、 ある 。
地上を襲い、 地上をおおい得る、
あり得る、 災害らへ対して、
地上に、 避難所らや、
避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、
それらへ誘導する事は、
人食い虎どもの住む、 密林へ、
わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
行為であり、
日本の主権者としてある、
日本人たちの一般 、へ対して、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
行為なり、 態度なり、 であり、
日本人たちの一般の、 あり得る、
福利ら、を、 より、 能くも、
最大限にも、 成す事を、 約束して、
日本の社会に、 存在し、 存続する事を、
日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、
それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、
不作為型の、 行為なり、 態度なり、
であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い。
日本人たちには、核武装❗、と、地下避難網ら❗、が、より、日本の内外に、本格的な平和性らを成し付け得てゆく上でも、必要❗。
この事らを、 より、 日本人たちへ、
伝える措置を自ら成さない、 者らは、
より、 反日員としての、
負の度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを余計に成し、
より、 伝える措置を自ら成す主らは、
より、日本人たちの一般の、
足しに成り得る向きに、 働き得た主として、
正の向きの度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを成す。
差し引きで、 より、
どちら側であるかの、度合いを観積もられ、
その度合いらに相応しい処遇を、
宛てられるべき立場にも、
誰もが、ある。
より、 日本人たちへ、
知らせるべきを、 知らせず、
不作為型の、 煙幕を張る、
報道員ら、とか、 より、
早くに、 知らされながら、
根途の宛先や、 職場などの、
周囲の人々へ、 より、
伝える事を差し止め得て来てある者ら、は、
それによって、
日本人たちが、 押し付けられ得る、
損害性らについて、
償いを成すべく、 強いられる、
筋合いを自らの側に成す者らであり、
この連中の情報らへの差し止め、ら、
によって、 生じ得る、
日本人たちの不利益らや損害性ら、
への、 償いようは、
この連中によっても、 成されるべき、
筋合いにある。
;
解放🎵 を急ぐべき、 シナ⚡ による、
桜木 琢磨 市議 らをの 実質 での 拉致⚡ たる 事件ら⚡
;
🥃⛲ 日本医学 ; 和方🎵 ;
三石分子栄養学 ➕ 藤川徳美院長系 ; 代謝医学🎵
;
その➖方に、
必ず、
色々な アミノ酸 たちから成る
タンパク質 、な、
酵素 コウソ 、 を含む
、
あるべき、 代謝員
同士 が、
文字通りに、
合体を成し得て❗
初めて、 成され得る
、
『 同化 』 、か、 『 異化 』 、である
、
『 代謝🎵 』
、 な、 働き得ようら、 への、
要因性として
、
その、代謝員
同士 、ごとの、
あり得る、
『 合体 』
、 と、
その、度合いら、とが、 あり
、
それらから成る系を、
三石分子栄養学 ➕ 藤川徳美院長系
、では
、
『 確率的 親和力 』
、
という。
この、
『 確率的な 親和力 』
らでの、
あり得る、
不⚡️ 足 性 ✔️
ら、を、
より、
埋め余し付け得る
形で、
飲み食いされるべき、
より、 あるべき、代謝員
同士
、は
、
ストレスら、や、 感染ら、
などの、
成り立ち得ようらの、
度合い
ら、に応じても
、
その、あるべき、
質としての度合いや、
量としての度合いが、 大小し
、
それらに応じて、
より、 あるべき、代謝員ら、の、
顔ぶれも、 左右される❗
。
その、遺伝性らや、 様変わりし得る、
体質 ごとに応じて、
より、 あるべき、
代謝員ら、が、あり
、
より、 埋め余されるべき、
『 確率的な 親和力 』
ら、での、
不⚡️ 足 性 ✔️
ら、が、あり
、
より、 人々の命と健康性とを成し付ける、
上で、
より、 あるべき、 あり得る、
代謝 ✔️
ら、への、
より、 換算性の高い
、
飲み食い などによる、 摂取
ら、が、
より、 選 スグ られもするべき、
宛てのものとして、 意識し宛てられ、
狙い宛てられもすべく、ある❗
。
より、 あるべき、代謝 ✔️
ら、への、
より、 換算性の高い🎵
摂取ら、を、
より、 能く、成し付け得るようにする🎵
には
、
我彼の 命や健康性 に、 責任性の、
あったり、 あり得たりする、
人々は
、
我彼の遺伝性ら、 を、 より、 能く、
調べ、
知り深め得てゆくようにもすべき、
必要性を帯びてあり
、
その、遺伝性ら、や、
より、 変わり得る、
体質 ごとに応じて、
より、 あるべき、
摂取らが、 ある❗ 】
。
歴史 拾遺 ヒロイ ;
☆ 「 徳川幕府の成立 」、と、
「 強国スペインの衰退 」、の深い関係 ;
〈 神野正史 じんのまさふみ 氏:
予備校講師 〉 ;
予備校の人気な世界史への講師である、
神野正史氏は、 世界史を、
「 暗記 」、 しようとしては、 かえって、
覚えられない❗ 、 と主張する。
固有名詞や年号を無理に覚えようとせず、
また、 各国の歴史を、 ばらばらに、
勉強するのではなく、
「 歴史の流れ 」、 を理解する事を目指す、
学習法で、 学生によっては、 1年間で、
偏差値を、 20 ~ 30 、
を、 上げ得る❗ 、 という。
ここでは、神野氏の新著な、
『 暗記がいらない世界史の教科書 』、
より、 ローマ帝国と漢帝国の、
衰退の関係について触れた一節を紹介する。
世界を覆った、「 17世紀の危機❗ 」 ;
近世以前の世界史は、 温暖化、あるいは、
寒冷化によって、 世界中が、
一つの、「 流れ 」、 に従っていました。
この世界の全体が従う、
「 流れ 」、 をつかむことで、
「 世界史が見える、 という、
感覚を得ることができます。
その一例として、 最寒期が、
世界をおそった、 「 17世紀の危機 」、
について、 述べることにしましょう。
中世の末 ; ( 1350年ごろ ) 、
から始まった、 「 小氷期 」、 は、
それ以前の旧制度を、 のきなみ破壊し、
その対応策として、 ヨーロッパ諸国は、
絶対主義に走り、 前時代までに、
ぞくぞくと、 これを確立していきました。
そこに、 千6百年 ~ 50年ごろに、
更なる、 厳しい冷え込みが襲いかかった、
ことで、 各地で、 凶作が続き、
慢性的な食糧の不足から、
戦乱・疫病・革命が、相次ぐようになり、
「 17世紀の危機 」、 と呼ばれる、
暗い時代が生み落とされます。
各国は、事態への打開のための対応に、
迫られますが、その対応の取り方によって、
各国の歴史は、 大きく変わっていく、
ことになります。
◇ スペインの黄昏と、
ドイツ三十年戦争❗ ;
近世の開幕とともに、 どこよりも早く、
絶対主義を確立し、
「 大航海時代 」、 を切り拓いて、
" スペインの領海に、日没なし " 、
と、謳うたわれた、 スペインは、
本能寺の変 、 が、 成される前の年な、
前時代の末 ; ( 1581年 ) 、 には、
ポルトガルを併呑する❗ 、
までになりましたが、
殺戮と掠奪に支えられた繁栄は、
長くは、続かず、この最寒期を契機として、
衰微の一途をたどり、現在に至るまで、
歴史の表舞台に立つ事は、なくなります
ドイツでは、 前の時代に起きた、
宗教騒乱の問題への解決を、
「 アウグスブルクの宗教和議 ;
( 1555年 」 、 で先送りした、
その、 " ツケ " 、を、
" 最寒期 " 、 の到来とともに、
高い利子を付けて、
支払わされることになります。
目の前の問題から、 目を背けた結果にて、
くすぶりつづけた不満は、 時とともに、
帝国に蔓延していった、が、為に、
徳川氏が、 豊臣氏を打倒し去った後の、
1618年に、 プラハで起こった、
小さな事件が、 みるみる内に、
大事になり、 帝国の全土を巻き込む、
大乱に発展していったのです。
最寒期の到来を前にして、
事態への打開を模索していた周辺の諸国が、
ここぞとばかりに、ドイツへ、
軍事介入してきた、が、 ゆえに、
全欧を巻き込んだ、
大戦争に発展してしまいます。
それが、 「 三十年戦争❗ 」 、です。
この戦争で、
「 ドイツの近代化は、百年は、遅れた 」、
と言われるほどに、 その国土は、荒廃し、
人口は、一気に、 1 / 3 、 にまで、
落ち込み、 1648年、に、 ようやく、
条約 ; ( ウェストファリア条約 ) 、
が締結されたものの、 ドイツ ;
( 神聖ローマ帝国 )、 は、 実質的に、
滅亡して、 名目だけの存在となり、
分断国家化は、 決定的となります。
◇ 叛乱を鎮圧できた、
フランスとイギリスがたどった両極の道 ;
これに対して、 英仏は、
"最寒期" の到来による国難を、
絶対主義を背景とした、
植民地らへの獲得 ; ( 英 )、や、
戦争らへの介入 ; ( 仏 ) 、 などの、
外への発展で、乗り切ろうとします。
しかし、 今回の最寒期に伴う、 混迷は、
それを以てしても、 吸収しきれず、
やがて、 国民の不満は、
絶対王権へと向かい、 その怒りが、
この時代の末期 ; ( 1640年代 ) 、
に爆発してしまいます。
それこそが、 イギリスでは、
史上で初の革命な、 「 清教徒革命 ;
( ピューリタン革命 、
1642年 ~ 49年 」、 であり、
フランスでは、 貴族員らの叛乱な、
「 フロンドの乱 ; ( 1648年 」 、
です。
このように、この時代の英仏は、 その、
「 前の時代までに、
絶対主義を確立 」、し、
国内の問題な事らへの解決を、
" 外 ; ( 植民地らへの獲得、
・対外戦争ら ) " 、 に求めたものの、
どちらも、 " 絶対王権への叛乱 " 、
に帰結する─と、
足並み揃えた歴史を歩みましたが、
ここから、 先の両国の歴史は、
大きく分かれていくことになります。
その転換点となったのは、
その、 " 王権に対する叛乱 " 、 への、
鎮圧に成功したか、失敗したか、です。
フロンドの乱の鎮圧に成功した、
フランスでは、 それにより、
国内において、 王権に逆らい得る、
勢力が、 いなくなり、 次の時代で、
絶対王権の絶頂期を現出する、
足掛かりとなりました。
これに対し、 イギリスは、
叛乱への鎮圧に失敗したどころか、
それが、 叛乱に収まらずに、
革命化してしまい、 王権、な、
そのものが、倒れてしまいます。
その首謀者な、 O・クロムウェル氏は、
絶対王権を打倒したあとで、
王権を憎むあまりに、 国体まで、
「 王国 ( キングダム 」 、 から、
「 共和国 ( リパブリック 」 、
に変えてしまいました。
絶対王権を倒したところで、
これを倒した彼自身が、
" 絶対君主も、 裸足で逃げ出す、
独裁者 " 、 となって、
この国を牽引していく事になるだけです。
こうして、 王国を懐かしむ声らが高まり、
結局は、 この時代の末には、
王政の復古が行われることになります。
食糧が少なくなれば、残された、
わずかな富への争奪戦が起きるのは、
世の常です。
ただでさえ、 緯度が高く、
寒い気候のバルト海の沿岸の国々では、
こたびの、 " 最寒期 " 、 の危機を、
バルト権益を独占することで、
乗り越えようとします。
こうして、 バルト沿岸の国々は、相争い、
以降は、 典露戦争 ;
( スウェーデン ✖ ロシア ) 、
・典波戦争 ;
( スウェーデン ✖ ポーランド ) 、
さらには、 三十年戦争・典丁戦争 ;
( スウェーデン ✖ デンマーク )、
そして、 第1次北方戦争、 などの、
「 バルト海争奪戦 」、 とも総称すべき、
戦乱を巻き起こすことになりました。
これらの争奪戦を勝ち抜き、見事に、
「 バルトでの覇権 」、を手に入れたのが、
グスタフ2世、
・クリスティーナ・カール10世と、
3代にわたって、この争奪戦を戦い抜いた、
スウェーデンでした。
以降のスウェーデンが、 別名では、
「 バルト帝国 」、 と呼ばれ、
繁栄したのとは、 対照的に、
敗れたデンマーク・ドイツ・ポーランドは、
衰退していき、ロシアは、 新たな、
" 儲け口 " 、 を探すべく、
シベリア方面へと、領土を拡大していく、
ことになります。
寒冷な気候によって、 もっとも、
被害を受けるのが、 農業であり、
どの国も、 農業に大きく依存していた、
が、 ゆえに、 大打撃を受けましたが、
オランダは、 " 商人国家 " 、 だった、
が、為に、 その被害も、
他国に比べれば、 小さく、
諸国が、 悶絶しているのを横目に、
オランダは、 ヨーロッパを飛び出し、
新大陸や、 アジア・アフリカ圏に、
貿易の拠点を作って、 世界を相手に、
交易に勤しみます。
しかし、 そのことは、 裏を返せば、
" 最寒期 " 、 が明け、 ヨーロッパ諸国が、
力を恢復しはじめれば、
オランダの繁栄にも、 影が差す❗ 、
ことを意味します。
事実として、 "最寒期"が収まってきた、
17世紀の後半になると、海に進出してきた、
イギリスの挑戦を受け、以降は、
守勢に転じていくことになりました。
「 17世紀の危機 」、 に悶絶する、
ヨーロッパにも喰い込み、
三大陸を股にかける大帝国となっていた、
オスマン帝国もまた、
" 最寒期 " 、 の影響と、
無縁では、ありませんでした。
が、 オスマン帝国は、 東地中海を、
" マーレ・ノストゥルム ( 我らが海 "
、 として、 アジアとヨーロッパを結ぶ、
中継貿易での、商業収入も多かった、
が、 ゆえに、
「 帝国を支えるベクトル 」、と、
「 衰退のベクトル 」 、とが拮抗し、
帝国の行く末を左右するような、
大戦もなければ、 内乱もない、
「 停滞期 」、 となります。
当時のイスラームにおいて、
オスマン帝国と双璧を成す、
ムガール帝国もまた、 オスマン帝国と、
おなじような道をたどりましたが、
ここから先の両国の歴史は、
大きく分かれていくことになります。
" 中興 " 、 が起こらない場合は、
ゆっくりと、 衰退していきますが、
起こった場合には、
" 中興 " 、 が終わるや否や、 一気に、
収拾の付かない大混乱に陥って、
短期のうちに、 滅亡することが、
多いものです。
この時代に、 オスマン帝国には、
" 中興 " 、 が現れませんでしたが、
ムガール帝国は、 文化が華はなやぐ、
" 中興 " の現象が現れます。
第5代の、 シャージャハーン帝のころを、
中心に、 イスラーム文化と、
ヒンドゥー文化が融合した、
インド=イスラーム文化が華やぎ、
建築に、 タージ=マハル廟、 絵画に、
ムガール絵画が栄えます。
したがって、次の時代から、
オスマン帝国が、 ゆっくりと衰退していく、
のとは、 対照的に、以降のムガール帝国は、
急速に解体していくことになります。
これに対して、 前の時代に、
オスマン・ムガール二大帝国に挟まれて、
発展できなかった、 サファヴィー朝は、
両国が停滞期に入り、
圧力が和らいだことで、 両国より、
少し遅れて、 アッバース1世 ;
( 位 1588年 ~ 1629年 ) 、 の下に、
絶頂期に入りました。
しかし、 彼の没後は、 オスマン、
・ムガール両帝国を追うようにして、
停滞期に入っていきます。
つまり、 この時代のイスラーム世界は、
三者三様の過程をたどりつつも、 結局は、
一斉に、停滞期に入ったことになります。
サファヴィー朝が、 アッバース1世の下で、
" 我が世の春 " 、 を謳歌していた、
ちょうどな、 そのころ、 というのは、
中国では、 明朝の、 第14代の、
万暦帝の親政期 ( 1582年 ~ 1620年 ) 、
に当たりますが、 万暦帝は、 せっかく、
首輔 ; ( 内閣大学士の長。 現代の、
日本の首相に当たる ) 、の、
張居正氏から引き継いだ、 黒字の財政を、
相次ぐ、 外征と奢侈な生活で、
アッという間に、 破綻させ、
明朝を亡ぼす、元凶となっていきます。
万暦帝が親政を開始した翌る年 ;
( 1583年 ) 、 には、 すでに、
満洲 ( マンジュ )、 から、 女真
( ジュルチン ) 、 族の、 建州部が、
自立化しており、 その晩年には、
「 清 」、 が、 打ち建てられ ;
( 1616年 ) 、 万暦帝の死から、
四半世紀と経ずして、 明朝は滅亡、
清朝が取って代わることになりました。
こうして、すでに、
制度疲労を起こしていた明朝は、亡び、
新進気鋭の清朝に切り替わったことで、
次の時代の極盛期の前提が整います。
この時代は、 日本は、 ちょうど、
江戸幕府の前期 ;
( 初代の徳川家康氏 ~ 4代家綱氏 ) 、
にあたり、 以降の、 「 徳川三百年 」、
と言われる、 いしずえを築いていく、
ことになりますが、じつは、
この徳川政権と足並みを揃えるようにして、
展開した王朝が、 2つがあります。
ひとつが、 ヨーロッパのロマノフ朝 ;
ロシア帝国。
もうひとつが、 中国の清朝。
この、 3つの王朝 ; ( 正確に言えば、
徳川家は、 将軍家 ) 、 は、いずれも、
小氷期の、 " 最寒期 " 、 が襲った、
1600年を少し越えたころに生まれ、
小氷期のド真ん中の、 1700年の前後に、
絶頂期を迎え、 300年近く、
命脈を保ったのちに、 小氷期が明けて、
まもなく、亡ぶ、という、
よく似た歴史を歩みます。
◇ 寒冷化が崩壊させた❓、
古代のローマ帝国❗ ;
この時代に入るや、ついこの間まで、
「 Pax Romana ; ローマの平和 」 、
「 五賢帝時代 」 、 などと、
謳われていたのが、 嘘のように、 一気に、
帝国の崩壊が始まります。
歴史に疎い者にとっては、
「 ついこの間までは、 あれほどに、
繁栄していた国が、 どうして❗❓ 」、
と、 訝しく感じるほどですが、
前の時代までの、 “ 平和 “ 、は、
あくまで、 「 負ベクトル ( 崩壊 」、
と、 「 正ベクトル ( 温暖な気候 」 、
とが、 ±0 、 となった、
絶妙な調和の上で保たれていただけの、
“ 見せかけの平和 “ 、 であって、
“ 支え ( 温暖 気候 ) “ 、 を失えば、
一気に崩壊する程度の、
あやういものだった ─― 、
ということを知っていれば、
この時代の崩壊も、 当然のこと、と、
理解できます。
ローマでは、 寒冷化の到来によって、
帝国の収益が、 急速に悪化し、
その結果にて、 兵への給与が滞る❗ 、
ことが、 常態化していきます。
兵らの不満が募り、それは、やがて、
各地で、 「 兵乱 」、 という形となって、
表面化していきました。
しかし、 洋の東西と古今を問わず、
“正統性“や、 “大義名分“を持たぬ、
叛乱軍などは、 「 賊軍 」、
の汚名を着せられて、 鎮圧、
処刑される定めにあります。
生き残りたいならば、 叛乱軍は、
自らの、 “ 正統性 “ 、 を、
掲げねばなりません。
こうして、 叛乱軍は、 勝手に、
「 新皇帝 」、 を祭りあげた為に、
帝国の各地で、 皇帝を僭称する者が現れ、
帝国は、 収拾のつかない、
大混乱に陥りました。
一兵卒が、 皇帝を僭称し、何人もの、
皇帝が併存して、 血で血を洗うが如き、
日本では、 卑弥呼女王に至る頃の、
混迷の時代を、 政治的には、
「 軍人皇帝時代 」 、 といい、
社会的・経済的には、
「 第3世紀の危機 」 、 と呼びます。
もはや、 「 放っておけば、
解体に向かう 」、 帝国を担うのに、
凡帝では、 荷が重く、帝国に、
ふたたび、 統一をもたらすためには、
「 英主 」、 の出現が待たれますが、
その歴史的役割を担って現れた人物こそが、
ディオクレティアヌス帝です ;
244年 ~ 311年 。
彼は、 対立皇帝・僭称皇帝を、
つぎつぎと討ち破って、 久しぶりの、
「 単独皇帝 」、 となり、
ローマに再統一をもたらしました。
が、 この偉業を成し遂げた、
彼の力量を以てしても、「 もはや、
解体しつづける、 その帝国を、
一人の皇帝で統治する事は、不可能 」 、
と悟り、
「 四分割統治 ( テトラルキア 」 、
を断行。
実質的な統一は、 ➕年と保たず、
以降の帝国は、 「 統一 」、 とは、
名ばかりの分裂時代を迎えます。
ローマが、 「 平和 」、 から、
「 危機 」、 に陥落する、
転換期となったのが、
第180年から、 193 年ごろですが、
中国でも、 「 安定期 」 、から、
「 混乱期 」、 の転換期となる!
象徴的事件が起こっていました。
それが、 「 黄巾の乱❗ ;
184年 ~ 192年 」 、 です。
後漢は、 第4代の和帝以降、
幼い帝が立ち、その幼帝の横には、
外戚・宦官が控えて、 これを操り、
宮廷には、 奸臣・佞臣 ( ねいしん )、
が巣くい、 地方には、 酷吏・汚吏が蔓延、
この悪政に耐えかねた農員ら、は、
流民と化して、 各地で、
盗賊・叛徒となって、国を荒らす。 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200114-00010000-php_r-bus_all&p=2
ID:h11aYv3G0 >>3 ;
多少の暗愚帝でも、地球レベルの、
気候条件のお陰で、 十分な、
食料への生産量を確保出来れば、
どうにか、治められるって話。
ID:OrduGbm60 ;
倭国大乱も、ほぼ、同じ時代か。
ID:eQQ3Wztp0 ;
サーサーン朝ペルシャは、 3世紀から、
大繁栄したが。
ID:bbOBu39b0 ;
教科書的にも、
北方ゲルマン人の移動の前哨。
中国では、匈奴の盛衰、
北方のツングースの盛衰が、
第一義的な影響因子だ、と、
いわれている、 と思う。
ID:ofev6Tu+0 ;
昔は、 戦争より、 災害 ;
( 日照不足・洪水・旱魃 ) 、 の方が、
はるかに重いからな。
てか、 災害が、
戦争への原因になったりするし。
ID:g4DZ8+Fj0 ;
漢帝国を崩壊した犯人は、
何進と袁紹が、原因な気がするんだ。
黄巾族の反乱って、百万人単位だったのに、
鎮圧できたんだもん。
何進が、 さっさと、宦官らを、
皆殺しにしとけば、良かった。
なにをとち狂ったのか、
地方の群雄を都に呼び寄せて、とか、
アホちゃうか。
ID:vNfibRm60 >>27 ;
それは、 トドメであって、 そもそもは、
皇帝が、 金銭で、
役職を売り出したからだろう。
ID:g4DZ8+Fj0 ;
三国志時代が安定していた、
とは、思わない。
戦乱が続いた為に、 人口が激減した。
司馬炎氏が、 晋を建国したあとで、
司馬一族が、 お家騒動を始めて、
兵士が足らないから、 と、
異民族を、シナへ引き入れて、兵で使った。
そいつらが、シナを乗っとった。
10:32:27.79 ID:rgYDfwhf0 >>30 ;
戦乱により、戸籍で把握できなくなって、
帳簿上の数字が、激減しただけって、
説もある。
ID:W5fagawG0 >>30 ;
後漢の末期に、 5千万は、いたのが、
三国時代には、5百万まで減ったってのを、
どこかで見たな。
ID:VymAPd940 >>620 ;
それは、 農員らが、 土地を離れたりして、
記録から消えたからで、
死んだわけでは、ない。
落ち着いたら、 復活している。
ID:ZjcderOa0 >>1 ;
きっと、181年に、 ニュージーランドの、
北島にある火山が、 VEI7 の、
巨大噴火を起こしたからだね。
地球規模の影響を及ぼす、
噴火による冷害って、怖いよね。
フランス革命を起こした、食糧危機だって、
どこかの火山が爆発して、
冷害がおきたからだろうし、
同じ時期に、日本では、
天明の大飢饉が起きているから、
地球規模での災害のせいだよね
地球に生きている以上、地球の活動で、
人間は、翻弄されるよね。
ID:Jw9nPcYl0 >>1 ;
ちょうど、塩野七生先生の、
「 ローマ人の物語 」、 を読んでいます。
塩野先生が言うには、
ローマ帝国が衰退していった原因は、
紀元 250年の、 蛮族 ;
( ゴート族、マルコマンニ族、 等 ) 、
らによる、 侵略と、 各皇帝達が、
皇帝 ( インペラトール )、 としての、
責務 ; ( ローマ市員ら、への、
食と安全を確保すること ) を、
いつしか、 忘れてしまったことだ、
と、 言及していますね。
「 魚は、 頭から腐っていく 」、の、
ことわざの通り、 紀元 250年以降、
皇帝の座を巡り、 内乱が頻発したのが、
痛い・・。
ID:Yxj5TI7b0 >>45 ;
大義名分で、 公共工事に投資させ、
チカラを削ぎ、 お家騒動で、
お取り潰しを常におこない、
儒教の普及で、 上位下達の、
教育を普及させる、
そういう意味で、 徳川の治世は、
天下泰平の真髄。
ID:SXxey7730 >>136 ;
江戸時代に ; ( 島原の乱とか除いて ) 、
平和が続いたのは、やっぱり、
参勤交代が、大きかったでしょ。
各藩の負担は、滅茶苦茶に、重かった。
ID:BGKJd4YM0 ;
ローマ帝国の全盛期は、 現代より、
はるかに、 温暖だったのよ 。
スカスカの服で、 一年中を過ごしていた。
寒冷化によって、 ローマ帝国は壊滅し、
ゲルマン人らによって、蹂躙された。
ID:0jXU1APo0 >>61 ;
そのゲルマン人らは、 なぜに、
ローマにやってきたかっていうと、
東のさらに恐ろしい、 フン族に、
押し出されて、 西に大移動した❗ 。
多分、 中央アジア、シベリア、
モンゴルあたりの人々 。
ただでさえ寒い、 これらな地域らが、
いよいよ、 寒冷化して、
住んでいられなくなって、 彼らが、
西に南に押し寄せた結果にて、
帝国は、滅んだ。
ID:iRkBo0mR0 >>117 ;
フン族は、 記録が、あまり、
残っていないから、 うかつなことは、
教科書に載せられない。
近年に、 考古学が進歩して、
物的証拠が得られるようになってから。
ID:5f3VVpZm0 >>94 ;
冷夏で、 コメ不足で、 タイから、
コメを輸入したり、 台風で、
ジャガイモが取れなかったときは、
大騒ぎしただろ。
現在にて起きる事らは、昔にだって起きる、
昔は、 農業が中心で、 気候による、
不作が、 社会に与えた影響は、
大きいだろう。
経済が社会に与える影響は、
今も昔も、変わらない。
歴史馬鹿は、 そういうの無視して、
人間の能力とかにしか着目せず、
気候を調べようとかしないのは、
程度が低い。
過去の気候なんて、 温暖化で、
どうだーとかで示されるように、
調べようがあるし、生産だって、
ピケティー氏がやったように、
税収から逆算とか、出来るのに。
ID:/oKs1+tM0 ;
ローマの衰退は、キリスト教のせいやろ。
ID:ABhSf0Wx0 ;
中国は、 先代王朝の失敗を、
修正しようとして、 極端な方向になって、
失敗するパターンを繰り返しているな。
前漢が、 王莽に乗っ取られたから、
皇帝の権限を強くする❗ 。
ところが、 皇帝の個人権限が強すぎて、
宦官や外戚の専横が、酷くなる❗ 。
曹操は、 皇族を弱くしようとしたら、
司馬懿に乗っ取られる。
そして、 晋が、 自らの皇族を強くしたら、
今度は、 八王の乱❗ 。
振れ幅が、大きい。
ID:l/6nYqL50 >>128 ;
そのかわり、 温暖化すると、
小国分立になりやすくて、
しょぼい戦乱は、増える。
ID:nYYG7yPf0 ;
温暖化、寒冷化というより、
気候の変動が、まずいんだよな。
気候に最適化されて、
農業が営まれているから、暑くなっても、
寒くなっても、 雨が、ふらなくても、
ふりすぎても、農業生産は、落ち込むし、
農業を基盤とした文明全体が、
混乱し、衰退する。
ID:GRy+ZdeR0 >>148 ;
そう考えると、 やはり、国家を持たない、
遊牧民族のが、利口にみえるな。
気候の変動があっても、 草がある地帯に、
羊をつれていって、 移動するだけで、
いいしな。
ID:tM9lo3+Z0 >>148 ;
世界の大文明は、全てが、
大河の流域の農耕民族が作った文明。
農耕なしに、大きな文明は、できないよ。
狩猟と採集では、 得られる食物が、
非常に少ない、 貯蔵の技術も、
建築の技術も、低い。
未開な文明しかできない。
ID:eDDWL2rL0 >>1 ;
ローマが滅びたの理由は、
ゲルマン人とキリスト教だ、と思うけど、
書きづらいのだろう。
ID:wnsqzBoV0 >>199 ;
そのさらに根っこに寒冷化がある、
という話な。
ID:wnsqzBoV0 >>246 ;
キリスト教も、 困窮者が、
救いを求める宗教だからな。
普及と寒冷化は、つながってるかも。
ID:tM9lo3+Z0 >>228 ;
蒙古が南下したのは、 気候の変動による、
食料の不足が、原因で、その気候の変動は、
インドネシアの 火山が噴火した事による、
平均気温の急激な低下だ、
と、習ったけどな。
ID:ABhSf0Wx0 >>228 ;
曹操が、 北方民族を積極的に受け入れて、
定住を進めていたからだよ。
混乱の北部での防衛と耕作を担わせる、
事で、 彼ら自身の侵略を防ぐ、
一石二鳥の方法だった。
だけど、 晋が崩壊したことによって、
そいつらを制御できなくなって、
彼らが暴れだし、五胡の時代になった。
ID:tM9lo3+Z0 >>243 ;
そんな一人の政策で、民族大移動が起きる、
とは、到底に、 思えない。
北方の騎馬民族らの全体が、
飢餓で、死にかけたからだろうし、
そうなるのは、 気候の変動、
と考えるのが、自然。
◇ 戦乱を経て、 建国された、
後漢では、 豪族員ら、が、
自ら、荘園らを構築し、 人が人を食む、
惨状から遠ざかる、安きを得て、
憩う所を得るに至った事、 などからも、
荘園らの維持に力を合わせる所を得、
他方に、 生産者である人々へ、
自由民たり得るの選択肢を提供して、
労働力への獲得における、
豪族らとの競合者たる、
後漢王朝の政府が、 在ったからには、
豪族らも、荘園の働き手らを、より、
手荒に扱う事が、はばかられ、
極端な事例らは、種々にあったにせよ、
戦乱の時代状況を経験した人々と、
その経験の伝承を得る所のあった、
その人々の子孫員ら、 等は、
全中華規模の物流交換網の崩壊による、
惨状の到来を危ぶむ所もあって、
自給自足を在らしめた、
荘園らの存在を拠り所として、
必要視する所などもあったればこそ、
相互いに、豪族らによる、
自給自足経済圏である、荘園らの、
構築と維持や拡充とに進んで参与し、
合力する所を得た面らもあった、
のではないか、 と、思われ、
そうして、 荘園らの一定の発達を得た事が、
後漢王朝の社会全体における、
貨幣経済の衰退を促進し、
後漢の社会全体の、
可能的な経済の規模に対して、
現実態の経済の規模を、より、
小さいままにし、
豪族らの荘園らには溢れて、
後漢政府の戸籍からは漏れた、人口を、
その経済規模に見合った、前漢時代より、
少ないままのものにし続け、
前漢以前からの硬貨らは、
現実態の生産物らの、流通する、
総量や、多様性の度合い、
等が、 失われた分だけ、
その引き換え証たる、
働き所・機能性を減少させられたので、
それだけ、死蔵される度合いを高める、
事にも成り、 王朝の政府によって、
より、 増発される甲斐の乏しい物にも、
成ったのであろう。
戦乱時代以前ほどには、
サービスらや品物らが出回らなくなった、
社会へ、
それらへの引き換え証たる硬貨らを、
ただ、 政府が増発した、としても、
自給自足経済圏たる、
荘園らの生産物らの、 余剰分が、
それに対応し得るほど、 市場に出されない、
場合などには、 インフレ ;
【 物価の全般の高上がり 】 、 を発生し、
深刻化させる圧力を高めるだけで、
あったろうから、
荘園らの生産余力の次第で、
後漢社会の全体の物流交換量の、
左右される度合いが、一定以上に達した、
段階からは、 後漢政府も、
硬貨らの増発を控える所があり、
政府に参与する、
豪族出身者らも、自らの、
自給自足経済圏らを解消する方策らには、
後ろ向きであった所から、
貨幣の流通の衰退を放置する、
傾きにあったのだろう。
☆ 奇怪すぎる形状で、研究者を悩ませた、
海の怪物、な、
タリーモンスターの正体に逆転劇❗ ;
kusuguru.inc
Credit: Sean McMahon/Yale University via ScienceMag
Point ;
■ 3億年以上前に生息していた、
タリーモンスターは、 これまで、
脊椎動物 、 と分類されてきたが、
実は、 無脊椎動物である❗ 、
可能性が高い、 と判明 ;
■ これまで、 メラノソームは、
脊椎動物の眼にのみ、 存在する❗ 、
と考えられてきたが、近年の調査で、
無脊椎動物の眼にも存在する❗ 、
ことが、分かった ;
■ 脊椎動物のメラノソームが、
多くの亜鉛 Zn 、と結合する❗ 、
のに対し、
無脊椎動物のメラノソームは、
銅 Cu 、 とりわけ、
Cu ➕ 1 、 と、 多く結合するが、
タリーモンスターも、 同様だった
トゥリモンストゥルム、 別名では、
「 タリー・モンスター 」、 は、
3億年以上前に、 現在の、
イリノイ州の周辺に存在し、
海を泳ぎ回っていた、 体長が、
15 センチ 、 ほどの生物です。
何と言っても、 目を引くのは、
戯務 ゲム ; ゲーム 、 に登場する様な、
突き出した眼。
3年前にわ 科学者たちは、 この、
謎の生物を、 ヤツメウナギに近い種類の、
脊椎動物 、 と結論づけました。
また、さらに最近になって行われた、
調査でも、この分類が、正しい❗ 、
ことが、確認されました。
が、 最近に改めて実施された、
分析の結果によると、 この分類が、
誤りだった❗ 、 可能性が高いようです。
論文は、雑誌な、
「 Proceedings of the Royal Society B 」、
に掲載されています。
Synchrotron X-ray absorption
spectroscopy of melanosomes
in vertebrates and cephalopods :
implications for the affinity of Tullimonstrum
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rspb.2019.1649
@ メラノソームは、
メラニンを含む、 細胞小器官 ;
≒ 細胞ごとの内側にある器官 ;
、 であり、 動物では、 最も普通の、
光を吸収する、 色素な、 分子 、だ。
メラノソームを合成できる細胞は、
メラノサイトと、網膜色素上皮細胞❗ 。
メラノソームを貪食した、
白血球の仲間の、 自分で、
血潮などの内外を動き回れる、
単細胞、 な、 マクロファージである、
メラノファージは、
それへの、合成能を持たない❗ 。
メラノソームは、 脂質、な、
膜に結合しており、
目撃談らの中の、 UFO 、 のように、
円形、ソーセージ型、 または、
葉巻型をしている❗ 。
その形状は、
生物種、細胞種ごとに、 一定だ。
電子顕微鏡な上では、 特徴的な、
微細構造が見られるが、この構造は、
メラノソームの成熟に伴って、変化する❗ 、
が、ために、 便宜な上で、
その発達の段階を、 stage I ~ IV 、
に分けることがある。
メラノソームは、 細胞ごとの内側にある、
滑面小胞体から、 プレメラノソーム 、
として、 発生する。
プレメラノソームは、 メラニンを含まず、
光学顕微鏡では、 観察できない。
ここに、 タンパク質な、酵素らである、
メラニン、 への、合成をする、
酵素群 ; ( 特に、 チロシナーゼ ) 、
が運ばれて、 合成が開始される。
メラニン合成酵素の、 欠如や、
機能不全は、 様々な態譜の、
アルビノ ;
≒ 白子 、 を引き起こす。
メラノソームを、 細胞内に固定している、
メラノサイトもある。
が、
多くのメラノサイトらは、
紫外線への応答として、 その表面から、
仮足を伸ばして、
メラノソーム 、 を移動させ、
光の吸収する断面積を変化させる❗ 、
ことが、できる。
また、 それと同時に、
メラノソームの他者への供与が起こる。
新生されたメラノソームは、
中間径フィラメントの関与のもとで、
通常の皮膚細胞である、
角化細胞へと供与される。
その後に、 メラノソームは、
角化細胞の、 細胞質 ;
≒ 細胞ごとの内側の存在ら ; 、 な、
ダイニンによって、
細胞ごとの内側において、
遺伝子らを膜に包んである、
『 核 』、 の近くまで、 運ばれ、
メラニン・キャップと呼ばれる、
構造を作る。
これによって、 角化細胞の核は、
メラノソームに取り巻かれ、
紫外線から保護される❗ 。
魚類、両生類、爬虫類、甲殻類の、
多くの種らで、 メラノソームは、
ホルモンや神経の制御を受けて、
細胞内を動き回り、
その主の体色を変化させる❗ 。
また、 魚類の中には、
メラノソームに、 鱗の色を制御する、
色素を含むものがいる。
これらな、生物らでは、
メラノソームの輸送は、
『 分子 モーター 』、 によって行われる。
細胞の中心に向けた、 輸送は、
微小管の、 マイナスの端な方向に移動する、
分子モーター、な、
『 ダイニン 』、 により、成され、
反対な向きへの輸送は、
プラスの端な方向への、 分子モーター、な、
『 キネシン 』、 による。
メラノソームが拡散すると、
細胞は、 暗い色になり、 集中すると、
明るい色になる❗ 。
イカや蛸な、 頭足類でも、
体色の変化が見られるが、 これは、
色素細胞な自体を、 筋肉で変形させる❗ 、
ことで、 実現している。
◇ 眼に含まれるメラノソームに着目❗ ;
今回の調査は、 タリー・モンスターの、
眼に焦点を当てたものです。
研究チームは、
メラノソーム 、 と呼ばれる、
メラニンを含む、
細胞小器官に着目しました。
メラノソームは、
亜鉛や銅 、 などの金属と結合することで、
電子強盗を差し止める、
『 抗 酸化 剤 』、 として機能している、
と、 考えられています。
メラノソームは、
脊椎動物の眼にのみ存在する❗ 、
と、 これまでは、 考えられてきた、
が、ために、 同研究チームは、
2016年の調査で、
タリーモンスターが、
メラノソームを持つことから、
これを、 脊椎動物 、 と分類しました。
ですが、 近年では、 マダコや、
ヨーロッパ・ヤリイカといった、
現存する無脊椎動物らへの分析を通じて、
メラノソームが、 無脊椎動物の眼にも、
存在することが、
明らかになってきました。
◇ 脊椎動物と無脊椎動物では、
メラノソームの金属への結合ぶりに、
明らかな違いが❗ ;
加えて、無脊椎動物の眼に存在する、
メラノソームは、
脊椎動物の眼に存在する、
メラノソームとは、 異なる方法で、
金属に結合する❗ 、
ことも、 判明しました。
脊椎動物のメラノソームが、
無脊椎動物のよりも、 高い、
亜鉛の濃度を示す❗ 、
のに対し、
無脊椎動物のメラノソームは、
銅 、とりわけ、
負電荷、 な、 電子 e➖ 、が、
1つ、が、 抜けた、 Cu➕1 ;
( 1価の銅イオン➕ ) ; 、を、
多く含んでいたのです。
タリーモンスターの化石の眼から採取した、
メラノソームも、同じ岩で見つかった、
脊椎動物の化石の眼から採取した、
メラノソームと比べると、
亜鉛 、をほとんど含まない代わりに、
相当量の、 Cu➕1 、 を含んでいました。
◇ タリーモンスターの化石 / Credit: Wilson44691/Wikimedia Commons
古生代の海に生息した怪物は、
見た目のインパクトを裏切らず、 まだ、
多くの謎に包まれています。
reference: sciencemag / written by
まりえってぃ 記者 。
【 亜鉛 Zn ➕ 銅 Cu ;
・・水へ溶ける、 水溶性、 な、
物ら、の、全てを引き受けて、
処理する、
『 腎臓たち 』、 の、 各々の、
どちらか、や、 両方から、
『 エリスロポエチン 』、 なる、
ホルモン、 が、 血潮へ送り出され、
それが、
『 骨髄 』、を成してある、
細胞らへ届く、と、
『 赤血球 』、 たちが、
より、 作り出されて、
血潮の量が、 増やされもする、
事になる、 が、
『 赤血球 』、 を、 作り合うのは、
ビタミン B群 、 に含まれる、
補酵素 ホコウソ 、 な、
『 葉酸 』 、 に、
同じく、 補酵素 、 な、
『 ビタミン B12 』、 と、
『 鉄 Fe 』、 だけではなく、
『 鉄 Fe 』、 を、
しかるべき所らへ送り届ける、
『 銅 Cu 』、 も、
必要なのだ ❗ 、 という。
この、 『 銅 Cu 』、 は、
イカ、や、 タコ、の血潮にあって、
自らへ、 酸素 サンソ O 、 を、
くっ付けて、 彼らの各々の、
体の細胞たちへ、 それを送り届ける、
運び員をやっており、
それが為に、
イカ、や、 タコ、の、血潮らは、
青く見える状態を成してあり、
人々の体らにおいては、
白髪に成る、のを防いで、
より、 髪の毛ら、などをして、
本来の色を失わずに、
在り続けさせるべく、
髪の毛らの根の所で、 入れ替わるべき、
色のある新手と、 能く、
入れ代わるようにする、
働きも成してあり、
三石分子栄養学➕藤川院長系らによると、
『 銅 Cu 』、 への、
過剰な摂取による、 害らは、
『 亜鉛 Zn 』、 への、
摂取を、 相応に、 成す事で、
防がれ得る、 という 】 ;
。
☆ 三橋貴明氏❗ ;
私たちを守る「国境」について考える
2020- 2-3 7:12:32
三橋貴明オフィシャルブログ
「新世紀のビッグブラザーへ blog」
https://members9.mitsuhashi-keizaijuku.jp/
チャンネルAJER
『少子化対策はデフレ対策である(前半)』三橋貴明 AJER2020.1.28
令和の政策ピボット呼びかけ人に、高橋あさみ様(私立Z学園高等学校 1年4組 16歳)が加わって下さいました。
また、メルマガ「令和ピボットニュース」が始まりました。皆様、是非とも、メルマガ登録を!
三橋TV第191回【「国民の皆さん○○して消費拡大して」って嘘でしょ?】
https://youtu.be/4nzKs3TwMZo
新型コロナウイルスの流行を受け、各国が続々と「国境」を引き上げていっています。
昨日、フィリピン政府が自国民と永住権を持つ者を除き、中国(香港、マカオ含む)からの入国を禁止。ニュージーランドも、中国を訪れた外国人の入国を禁止。
ロシア政府も、1月31日に中国との陸上国境を閉鎖。韓国政府は明日から、過去14日以内の湖北省滞在経験者(※外国人のみ)入国全面禁止。台湾政府は、湖北省に加えて広東省の中国人も入国禁止。
中国外務省によると、1月末時点で62カ国が何らかの入国規制措置を設けたとのことです。
日本政府は、2月1日から中国湖北省発行のパスポートを所持する中国人の入国を原則禁止しています。さらに、中国各地の日本人に「一時帰国を含む安全確保」の検討を促しています。
すでに、中国では上海などでも食料が入手困難になりつつあるとのことです。中国国内でも移動の制限が実施されている以上、当然ですが。
昨日、中国浙江省の温州市が「都市封鎖」されました。武漢との距離を考えると、温州市と同じ程度である上海市の「封鎖」の可能性も、十分にあり得ると考えておくべきです。
『武漢から遠く離れた温州も都市封鎖、買い出しは「2日に1度 各世帯1人」中国
【2月2日 AFP】中国東部・浙江(Zhejiang)省温州(Wenzhou)市は2日、住民の移動を制限し、道路を封鎖した。新型コロナウイルスの感染拡大の中心地である中部・湖北(Hubei)省武漢(Wuhan)に次いで思い切った措置となる。
人口900万人を抱える温州市の当局によると、生活必需品の買い出しのための外出は、2日に1度、各世帯1人に限り許可される。また、高速道路の料金所46か所も封鎖された。
浙江省は湖北省に次いで新型コロナウイルスの感染者が多い省で、これまでに661人が確認されている。うち265人は、武漢から道路距離で800キロ超離れている温州で確認された。
温州市は公の行事を中止し、プールや映画館、博物館などの公共施設を閉鎖。省境をまたぐ長距離バスだけでなく、地下鉄などの公共交通機関も運休となった。』
今回の新型コロナウイルス流行を受け、改めて考えたのは「国境」の意味です。
【歴史音声コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※「歴史に魅せられて、myと辿る邪馬台国への道(前編)」が視聴可能となりました。
国境とは、もちろんモノ、ヒト、カネ、サービスの移動も制限しますが、同時に悪しきもの、例えば「疫病」が外国から国内に流入することを防いできたわけです。
ちなみに、疫病とは家畜からヒトに感染するケースが多いのですが、家畜文明ではなかった我が国でも、疫病は何度も流行しています。
崇神天皇の時代、疫病が流行し、大勢の国民が死にました。日本書紀によれば、
「民の死亡するもの、半ば以上におよぶほどであった」
とありますから、半端ありません。日本書紀では「大物主」の呪いが原因とされていますが、実際には「外国から訪れた人」が原因でしょう。
縄文時代から、日本人は樺太から朝鮮半島、沖縄まで丸木舟でぐるぐる動き回っていました。大陸との「人の交流」があった以上、疫病は普通に日本海や東シナ海を渡ってきます。
逆に、日本列島が大陸から「ほどほど近く、ほどほど遠い」ため、疫病の流入を防ぐことができず、人々が抗体を持つに至った(厳密には抗体を持たない者は死んだ)。結果、1543年以降のポルトガル人、スペイン人到来の際に、彼らが持ち込む疫病に殺戮されることがなかった。
日本列島が人の行き来が不可能なほど大陸と離れていた場合、イベリア半島の連中がやってきた際に、アメリカ大陸と同じ有様になった可能性があります。すなわち、文明崩壊です。(コロンブス以降のスペイン人が持ち込んだ疫病により、アメリカ大陸の先住民は95%が死んだと考えられています。(ジャレド・ダイアモンド:著「銃・病原菌・鉄」)
疫病に限らず、我々が「国境」により守られていない場合、
「外国の産業、労働者との自由な競争により、国内市場で所得を稼ぐことが困難になる」
という形で、苦境に立たされることになります。
そもそも、イギリスが「自由貿易!」などと標榜したのは、国内の過剰な生産能力により生産される綿製品の「市場」を求め、世界最大の綿製品製造大国、消費大国だったインドに目を付けたためです。
インドは軍事力を背景にした英東インド会社、英国政府により国境を引き下げられ、「モノ」の移動を制限できなくなります。
産業革命を経て生産性が極端に高まったイギリス面産業に、インド側は全く対抗することができませんでした。
イギリス製品が流入するまでは、綿布産業で繁栄を極めていたインドのダッカ、スラート、ムルシダバードなどの街は貧困化の一途をたどり、当時のイギリスのインド総督が、
「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例を見ない。木綿布工たちの骨はインドの平原を白くしている」
と嘆くに至ります。
80年代以降の日本は、「自由貿易? 自由だからいいじゃない」といった幼稚なレトリックにより、ひたすらグローバリズムを推進。国境を引き下げ、自ら貧困化し、自分たちの「安全な生活」を破壊してきました。
今でも、
「国境は低ければ低いほどいい」
と、歴史や経済、国家、主権について無知な連中が繰り返し、多くの国民はグローバリズムを礼賛というか、信仰している有様です。
今回の新型コロナウイルスの流行を受け、我々は「私たちを守る国境」について、改めて真剣に頭を悩ませ、「適切な国境の高さ」について議論するべきです。
別に、鎖国するべきだとは言いませんが、「国境は低ければ低いほど良い」という考え方も間違っています。必要なのは、「適切な国境の高さ」について、我々の生活、安全、ビジネス、歴史、文化、伝統、習慣、ライフスタイル、そして「人生」に基づき、臨機応変に決めることだと思うのです。
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◆関連ブログ
日本経済復活の会のホームページはこちらです。
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☆ ガン細胞たちは、
ブドウ糖だけ、 を、
唯一の、主な、栄養分としてあり、
糖質を制限する事を含む、
ビタミン・ケトン療法は、
ガン細胞たちを兵糧攻めにする事でも、
ガン、の、あり得る度合を減らす事になる。
タンパク質たち、と、
ビタミン、たち、に、
ミネラル 、たち、を、 完全以上に、
飲み食いなどして、 摂取し続ける、 事が、
一部の人々を除いた、
ほとんどの人々の健康性を成し続ける、
代謝ら、を、
完全以上に、 成し続ける事に、 必要であり、
これら、を、 より、 欠いてしまう事は、
万病を引き起こす、 可能的な度合ら、を、
より、 余計に、 成す事を意味する。
☆ Cancer cells
Only glucose,
As the only main nutrient,
Including restricting carbohydrates,
Vitamin / ketone therapy
Even if
you make cancer cells attack soldiers,
This will reduce
the possible degree of cancer.
With proteins,
Vitamins,
Minerals, more than complete,
Drink and eat, keep taking,
Excluding some people,
Keeps the health of most people,
Metabolism,
It ’s necessary to continue
to do more than perfect,
The more you miss these things,
Cause all kinds of illness,
possible degree,
More than that, it means to do it.
☆ いずれにせよ、
日本人たちは、 より早くに、
日本人たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、
公共事業らを成す事により、
日本の、 財務省の役人ら、と、
与野党の、 主な政治家らとが、
英米のカネ貸しらの主張する事らを、
そのまま、自らもまた、
オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、
日本政府の財政における 、緊縮 、
を、 繰り返し、 成す事を通して、
彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としてある、日本人たちへ、
物価だけではなく、
その労働らへの賃金らの水準へも、
より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、
押し付け続けて来てある、
その、 デフレ不況性 、を、
解消し去ってゆく、 と共に、
日本人たちの防衛性の度合いを、
飛躍的にも高めてゆくべき、
ぎりぎりの状況にも、 ある 。
地上を襲い、 地上をおおい得る、
あり得る、 災害らへ対して、
地上に、 避難所らや、
避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、
それらへ誘導する事は、
人食い虎どもの住む、 密林へ、
わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
行為であり、
日本の主権者としてある、
日本人たちの一般 、へ対して、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
行為なり、 態度なり、 であり、
日本人たちの一般の、 あり得る、
福利ら、を、 より、 能くも、
最大限にも、 成す事を、 約束して、
日本の社会に、 存在し、 存続する事を、
日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、
それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、
不作為型の、 行為なり、 態度なり、
であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い。
日本人たちには、核武装❗、と、地下避難網ら❗、が、より、日本の内外に、本格的な平和性らを成し付け得てゆく上でも、必要❗。
この事らを、 より、 日本人たちへ、
伝える措置を自ら成さない、 者らは、
より、 反日員としての、
負の度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを余計に成し、
より、 伝える措置を自ら成す主らは、
より、日本人たちの一般の、
足しに成り得る向きに、 働き得た主として、
正の向きの度合いを、 自らへ宛てて、
観積もらせる、 筋合いを成す。
差し引きで、 より、
どちら側であるかの、度合いを観積もられ、
その度合いらに相応しい処遇を、
宛てられるべき立場にも、
誰もが、ある。
より、 日本人たちへ、
知らせるべきを、 知らせず、
不作為型の、 煙幕を張る、
報道員ら、とか、 より、
早くに、 知らされながら、
根途の宛先や、 職場などの、
周囲の人々へ、 より、
伝える事を差し止め得て来てある者ら、は、
それによって、
日本人たちが、 押し付けられ得る、
損害性らについて、
償いを成すべく、 強いられる、
筋合いを自らの側に成す者らであり、
この連中の情報らへの差し止め、ら、
によって、 生じ得る、
日本人たちの不利益らや損害性ら、
への、 償いようは、
この連中によっても、 成されるべき、
筋合いにある。