白琥・白龍

捜猫記~八ヶ岳 海ノ口自然郷で猫を捜した1ヶ月~からはじまるブログ、
猫と絵と、そのほかと。

外伝2 秋の八ヶ岳と おまけ 食べられる秋の実とチョコなど。

2011年10月17日 | 捜猫記
2011年10月13日木曜日
もういちど、お世話になった方々にお礼をしたいと思い
(もう、つぎは来年になってしまうので)
紅葉狩に山の家に行く両親に、一泊だけついていきました。

車を降りたそのときから
まだ捜さねばならないような気がして
白琥を呼ばないといけないような気がしてしまいました。
でも、もう、ここよりずっとあったかい「うち」にいるんだよね。

お山はいま紅葉できれいだけれど
やっぱり夜はとても寒いよ。

うちの庭は黄色く色づいている樹が多く
そのためいつもより
朝や夕方がとくに、晴れ晴れと明るくみえるのでした。

Pyuuuu----iiii------という細い細い声が風に乗って遠くから聞こえてきます。
「鹿の声だよ」とIKさんが教えてくださいました。
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
           声きく時ぞ 秋は悲しき (猿丸太夫)かあ…
平安の昔から秋の奥山では鹿が鳴いていたのですね。


そのときの写真など。うちから、上のほうに向かって歩きます。





S地区のこのお家のバルコニーに座っていたのでした。
そしてこのアプローチで捕獲して帰ったのです。
 


夜は煌煌と、十六夜の月。
お月さまはお供に大きな惑星を連れていました。



さてここからは、おまけ。
食べられる秋の木の実。まず、やまぼうし。
種が多いですが、甘いです。


ズミ、またはコナシ。
りんごの親戚なので、いまは青りんごのような味。
もうすこしすると、木によってはちょっと甘ずっぱくおいしいのもあります。
写真がぼけてますが。


イチイ、あるいはアララギ。もみの木に似ています。
まだもうすこし待ったほうがいいけれど、あまあく、やわらかい実です。
種に毒があるそうなので、気をつけて。


これは大泉のパノラマ市場で買った、サルナシ。キウイの原種だそうです。
うっとりと甘かったです。


おまけのおまけ、
この綺麗な紅い実は、ななかまどのようだけど
どうして葉が紅葉していないのか、でも、とてもきれいでした。



さらにおまけです。今回お礼に作っていったチロルチョコです。

これ、お尋ねが多かったので、こちらのサイトから作れます!!!どうぞご覧になって。
プリクラ感覚で作れて、たのしいですよ!
http://www.decocho.com/

白琥は、ちょっと寒くなってきたので、毎晩 わたしの首ったまのところに来て
くっついて寝ています。
白龍も、コワイコワイ猫からすごくがんばって
朝は「だっこ」と来るようになりました。



あっ、それから別荘地の方々が
白琥よりも多く、この夏目撃していた茶黒のふこふこちゃんは
いまは、ASさんのおうちでご飯をもらっていることがわかりました!!!

IKさんもご飯を出してくださっていたのに
恩知らずのキツネが食べてしまって
そのあと、ご飯茶碗にウンチしていったんですって!(こら!足が曲がるわよ!)

でも、おなじ時期にうろうろしていたコが冬を越せそうなので
安心しています。

内田百間(ほんとうのケンの字は門構えの中が「月」)の
「ノラや」を読んでいます。
すごく馬鹿みたいなお話なんですが、
吉田茂と対談するような70歳ちょっとの当時の大家も
猫が失踪すると、いつも猫が寝ていたお風呂場の蓋の上を見ては泣いて暮らすという話。
でも、いまのわたしにはとても切ないです。



ああ、
ああ、きみが帰ってきてくれて、ほんとうによかった




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さがしなさい、そうすればみつかる。(マタイ7.7) (再びエピローグ) 

2011年10月12日 | 捜猫記
このお話は、最初が エピローグ (プロローグではなく) でした。
予定調和的に、猫が見つかって帰ったことを前提に書いてきたからです。

「今、帰ってきていることがわかっているから
 安心して読めます」とおっしゃってくださった方がいらっしゃいました。

奇跡的だと言ってはいても、
いまここで白龍といつものプロレスごっこをしている彼を見ていると、もうそれが普通のことのようです。
でも大きな台風があったり、
10月に入って気象情報で「長野県の山間部は零下」と白い色になっているのを見たり
別荘地であんなニュースがあったりすると
(2011年10月9日、この事件が解決済、このひとつまえのブログを見てください)
ああ、帰って来られて良かったねえ(T_T)と思うのです。
奥がびゃこたん、手前がはくちゃん。どうもこの二匹、夫婦にみえるのですが(はくちゃん奥さんみたいなんです)、兄弟です。

今回の騒動の最初のころと、最後の大団円のときにも
おとなりの猫のプロ(?)美人バレリーナのYKさんが言っておられたこと。

「猫って、捜さないと、みつからないの。」

あたりまえじゃあないですか、とお思いかもしれませんが、

「家出しちゃったコも、里子の先も、
 どうせみつからない、と思ったときは、
 ぜったいにみつからないの。
 でも、だめかもしれないと思っても捜したときは、見つかるんだよね。」

この言葉は、捜している最中も見つかったあとも、
わたしの胸の奥にすとーんと落ちたというか
すごく大事なことを聞いたなあ、と思いました。

昨年仔猫がうちのベランダから落ちて死にました。
一日半危篤状態でしたがだめでした。
どんなに祈っても、だめなときもあります。
「神さまは、ひとのお願いはきいてくださらない」というのがわたしの考えかたです。神さまのお考えがあるから…というとそれっぽですが
人間の思うようにならないこともある ということなのです。
それを受け容れるということもまた、神さまを信じるということだと思っています。

けれども、そういうことと、
努力もせずに諦めてしまうということとは違うんだ、 
というのが 
今回の猫捜し、そしてYKさんのことばでわたしが深く感じたことです。


宇宙飛行士からノーベル賞学者までが「諦めないで夢をもち続ければ」と言うので
ちょっと縁遠いというか、レベルの違う努力の話かと思ってしまいがちですが
やっぱり、まずは「諦めないこと」。

たかだか猫捜しでも。です。

宝くじだって、あきらめずまず買わなければ、当たらない。
努力のまえに、まず「できるはずない」と思い込まないこと。
さいしょの一歩、です。


そして人事をつくして天命を待つ というけれど
やれるだけのことをやった後に、「神さまの判断」を待つとしましょうか。

就活も、勉強もですね。なにごともだなあ。


それともうひとつ。
友人のYKちゃん(上記のYKちゃんと別な方)が最初にわたしに言ってくれたことです。

「悪いイメージを思い浮かべたり、言葉にしたりしないで。
 白虎が帰ってきてみんなで喜んでいるところを繰り返しイメージして」

「常にイメージする」ということが
ひとをその夢に向かって導くということは
あり得ることだと思っています。
でも、なによりも、
彼女がすぐ送ってくれたこのアドヴァイスのおかげで
「暗い予想をもって捜す気持ちを失う」ということがありませんでした。
すくなくとも1ヶ月は、心が折れずに、持ちこたえることができたのです。  


つまり、猫にならって、取り越し苦労をしないことですかね!=^_^=♪


パドアの聖アントニオさま、神さまに おとりなし、ありがとうございました。

立川も、お礼参りに行ってきました。こちらも、何人かの方がおつきあいくださいました。
  お帰り猫ちゃんの、後姿。かわいい。

おなじ時期に別荘地を彷徨っているのをいろいろな方に目撃されている、
もう一匹のふわふわ猫ちゃん、どうしているかしら…捕獲されて行き場がなければ、うちで引き取ろうかと言っています。

すみこさん、だんなさまのTKさん、IKさん、TGさん、ASさん
管理事務所と高原ロッジの方々、
ご近所のSZさん、KNさん、テラスのわんこと一緒のSMさん、そしてIZAさんご一家、
捜索中にご心配くださったSZさん、BRさん、YKちゃんとお伺いしてお願いさせていただいたTKさん、MZさん。そのほかお名前存じ上げないのですがお声かけてくださった方々、
ご心配くださったmixiの友人の方がた、
そして両親にも

ありがとうございました。

海ノ口自然郷は、山や空や星、樹木や草花や鳥たちなどの自然を、
そしてパートナーの犬や猫を心から愛する人たちの場所です。

いろんな方のご親切に出会えました。なかなか得難いものです。
そして、夏の八ヶ岳南麓を、ひとり歩くこともできました。
ここで猫を捜すことができて、幸せだったかもしれません。

よかったねえ。びゃこたん
                うん、おかあしゃん。




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19.帰宅後 (猫の文化コードについてなど)

2011年10月10日 | 捜猫記
これを書いている今日は、2011年10月10日です。
じっさいには白琥が帰還して一カ月ちかくがたっています。

きのう、白琥が帰ってきてまた次の
満月のふつかまえ、秋の年2度目のお月見、十三夜。風雅に薪能を見にいってましたが、

ニュースみて、びっくり(@_@;)(ちょっと、際物っぽいサイトを引きましたが、事実は小説より奇なり、と!)

うちの別荘地!

「びゃこたん、そこ通ってないよね?
 こわいもの見ていないよね?
 こわいもの触ったりしてないよね!?」と、どきどきですが
本人は「え?なにかにゃ?」というかんじです。

彼は下の牧場に行くのに、メインの通りを使っていると思われるので
位置的にも事件現場には行っていないと思われますし

わたしの探索経路からも、
ずっとずっと下のほうです。
音楽堂の下の分譲中の地区あたりのようですね。
お近くの方は、ショックでいらっしゃると思います。
今夜のニュースではこの夏のあいだのことだったかもしれないように報道されていました。
あんなに美しくて、平和な場所なのに。

あの場所を愛する方たちにはほんとうに信じられないことだと思います。

……

白琥の帰還のあとの話に戻ります。

帰京の日、翌朝、翌日、お祝いのメールやメッセージ、お電話、FAX、
ほんとにほんとにありがとうございました!!!
お仕事の締め切りを延ばしてまで捜してくださったIKさんは、シャンパンでお祝しましたよ!とお電話くださいました。ひとんちの猫なのに(T_T)まるでご自分のことのようです。なんていい方なんでしょう。
いろんな方のお気持ちに守られて 無事に東京に帰ってきました。

帰ってきた次の日に、
いつもの猫好き獣医さんのところに連れて行きました。

わたしたちの別荘地にはノミはいないそうで
犬や猫の耳や目のまわりにつく笹ダニも、8月末にはもう出ないとのことだったので
体もきれいでしたが、
健康状態もだいじょうぶとのこと。

獣医さんは
「別荘地で、猫を捜し歩いていてめぐり遭って、つかまえて帰ってくるなんて、
宝くじよりすごいですよ、ふつうない「なにか」を持ってますよ。」
と何度もおっしゃって
診察費はいらないよって(@_@)! m(_ _)mありがとうございます。


体重は4.5キロから 4キロになって、
ぺたんこなかんじになっていましたけれど
洗ったらちょっとだけ ふわんとしました。

東京の家に戻った夜とそのつぎの夜は、
深夜や明け方に、おわあー、うわーお と、聞いたこともない
大きなこわい声で鳴きながら
落ちつかず ぐるぐる歩いていました。

そして、水をいっぱい飲んで、
胃が小さくなってるのかすこしずつ何回も食べ物を欲しがって
あとは、ながーくなって、寝てばかりいました。


まあ、気温差が10度くらいあったので(標高1800mくらいのところにいたので)
東京がめちゃくちゃ暑いのもあるかもしれません。
なにしろ人間が避暑に行くところで、1ヶ月生活していたのですから。


その、寝てばかりで、起きてはちょっと食べ、またぐうぐう寝て
夜はうなされたりしているのを見ていて
ふと、こりゃ短期留学のあとみたいだなーと思いました。

妹が、高校生のとき、慣れない言語と習慣と人々のなかでの1年のヨーロッパ滞在を終えて帰ってきたとき
こんなかんじでした(~_~;)。
いっしょうけんめい現地に溶け込もうとして頑張って、気を張りつめて生活してきたあと。
夜中によく、大声で外国語の寝言を言ってました。

思うに、
山の生活は、すごく辛かった といより、
猫的に楽しいことも面白くて興奮することもあったでしょう。
気楽な気分も味わったでしょう。

猫は取り越し苦労しないというから、
寒くなったらどうしようとか、不安になったり
鬱になったりはしないだろうけど

食べるものは、おそらく猟をしないとならなかっただろうし
寝るときも、熟睡できなかったでしょう。暴風雨の日もあれば、見たことない獣もいる。

家猫とも町猫とも文化コードの異なった、野生の生活を体験してきたのです。

ずうっと緊張の連続だった 
ということなのではないでしょうか。

そしてたまにはホームシックにもなっただろうなあ。

びゃこたん、野生に1ヶ月留学。

のちに(リラクゼーションのプロである)指圧の先生にこの話をしたら、
「ああ、そりゃあ間違いなく緊張しつづけてた疲れだな」と
笑っておっしゃっていました。

おかえり。
おつかれさま。
びゃこたん。

3日めからは、気のたった声も出さなくなり
鳴く声も落ち着いてきて 
獣っぽい声ではなく、もとのかわいい声にもどってきました。

兄弟また仲良く、遊ぶようになり
ベッドの下で寝てばっかりだった、はくちゃんの運動不足も解消です。
えいにゃ。
やったにゃ!♪
蹴り蹴り♪
 まだやるにゃ?♪
ケンカではなく、早朝と食後の恒例のプロレスごっこなのです。

ごはんにゃ♪

手前の模様のあるのが白琥。まだ痩せてますね。


9月半ば、両親がふたたび山の家にいきました。
別荘地ではまだひそかに「奇跡」フィーバーが続いているようでした 笑
改めてあちこちに、お礼にまわってくれたようで
このトシになっても親は有難いものです<(_ _)>

一週間たつと、白琥は、おもちゃで遊ぶ元気も出てきました。ひと安心です。
毛並みも、ふこふこしてきました。

わたしと娘は、猫たちにと清里で買ったヤマネのぬいぐるみ(鉤ホックがついてるのを外してあります)をやっと、出す気持ちになりました。
びゃこたんが帰ってきたら出そうね、と、しまってあったのです。
  これ、やまねの実物大で、ちょうどねずみくらいなので、くわえて歩くのです♪

さてさて次回でこのお話も終わる 予定です。(^.^)
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18.猫版「放蕩息子の帰還」

2011年10月09日 | 捜猫記
さて、やっと東京の家に着いて、ひさしぶりの我が家です。
なんだか痩せてぺたんこになっている白琥はバッグから出て
昼間の定位置であるベッドの下にいる相方、白龍に
わおーん♪と言いながら
親しげに近づきました。
はくちゃんは、すこし寄ってきて匂いをかぐと、
うううーとかなんとかぶつぶつ言いながら、避けて戻ってしまいました。

そのあと、ご飯やトイレ、水の容れものの近くでびゃこたんが近づくと
耳やお尻の匂いをふんふんと嗅いではしゃあーっ、ううううーーと威嚇。

たしかに、びゃこたんは、
食べていたもの(山のねずみとか、とかげとかだと思われる!)のせいか、
だいぶ獣臭くなっていたのです。
とりいそぎ、かわいそうに疲れているのに、猫生ざぶざぶ初シャワー、初ドライヤーしてしまいました。(きゃーっ!!なにこれ、おかあしゃん、こわいいーー!!!)

でもまだ、だめ。

はくちゃんは、びゃっこの顔を見るとしゃー、うううううと唸って
ぽかぽか殴るようになりました。

「はくちゃん、ひどいー」と言うわたしの顔まで、ばしばしひっぱたく始末。


そこで、翌日の朝、はくちゃんをまた諭そうとして、ふと
聖書の有名なたとえ話「放蕩息子の帰還」を思い出しました。
これは、「マリアとマルタ」の話とともに、ほとんど読んだ人すべてが
「イエスさまってひどくない?」とつまづく、たとえ話です。

レンブラント「放蕩息子の帰還」

あるお金持ちの家の兄弟の弟のほうが、父に生前分与を申し出て、
ほどなく出奔、放蕩に身を持ち崩し、
最後には豚小屋の餌まで食べるほどになってしまいました。

そこではたと本心に立ち返り、
父に心から謝り、せめて雇い人として雇ってもらおうと
遠くからとぼとぼと帰ってきます。

父は遠くから彼を見つけて走りより、
後悔し謝る息子を手厚く迎え、
良い着物を着せ、太った仔牛をほふって宴会を開きます。

そこで祝宴がはじまりますが、畑から戻ってきた兄は
怒ってしまい家に入ろうとしません。なだめる父に、
「わたしは長年あなたに仕え、背いたことがなかったのに
 わたしのために宴をはってくださったことなどなかった。
 それなのに、この放蕩息子のためになぜですか」

すると父は言うのです。
「子よ、おまえはわたしといつも一緒にいる。わたしのものはおまえのものだ。

 しかしお前の弟は死んでいたのに生き返り、
 いなくなっていたのに見つかったのだから、
 わたしが祝宴を開いて喜び合うのはあたりまえではないか」
(ルカ15章11節~32節)


この場合、僭越ながらわたしたちが父、つまり神さまの役割。
白龍は残っていた兄です。

聖書では
罪の中から神の御許(みもと)へと必死で戻ってきた人間と
神とのかかわりを語っているのですが

そうか、確かに残っていた兄弟(はくちゃん)からすれば
いそいそとシッポを立てて出て行ってしまった兄(か弟)のあとに残り、
この一ヶ月、ビクビクくんなのに、それなりにひとり残った者として
地道に家族の愛に応え、いっしょうけんめいやってきました。

それなのに、一ヶ月好き放題してきた兄(だか弟だか)が
ちょっと痩せたりなんかして、帰ってきたとたん、
蝶よ花よと大騒ぎの特別扱いで
「死んだと思っていたのに生き返り、
 いなくなっていたのに見つかったのだから」
とか言われて、
面白いわけがないでしょう。
「こんにゃろ、こんにゃろにゃ」とぽかぽかしたくもなるでしょう。

びゃこたんはわかっているのか、なぜか喧嘩を買わず、我慢しています。


そうか、放蕩息子 猫版か。
(でも、父(神さま)の嬉しいお気持ちもすごくわかりますよね!)

ふむ。

そこでわたしは「ホメホメ大作戦」に打って出ることにしました。
はくちゃんと目があったら、とにかく誉めて、誉める。
「まあっ!!
 こんなに可愛い、素敵な猫がうちに居たんだったわ!!!!」
「なんてすてきな猫でしょう!はくちゃんたら!
 心も優しいのよ!!!」

娘は、「そうか、聖書のお話も、猫のことだとわかる気がするね。」
とホメホメ作戦に参加してくれました。


白龍は誉められるとちょっと相方を叩きにくくなるらしく
ぽーとこっちを見たりしていますが
仕事に行っている間に、びゃこたんがキレて
喧嘩になり流血していたらこまるなあ…と心配しながら出かけて、
夕方帰ると、

なぜか、
すっかり元通り仲良くなっていて、
二匹で、玄関までむかえにでてきました!!!

(しかし、匂いを同じにしたほうがいいかもと言われて、結局はくちゃんまで
ぎゃーぎゃー言いながら洗われてしまいました。)

はて、白龍が

1.白琥のことを忘れていたけれど思い出した

2.すっかり忘れていて新入りだと思ったが、結局仲良くなった

3.猫の放蕩息子の帰還版であった (気分的におもしろくないにゃだった)

4.単純にへんな匂いがして嫌だった

のいずれかと思いますが、猫の小さいアタマのなかでなにを考えているのかは、不明です。
誉め誉め大作戦も良かったようでした。

いずれにせよ仲良くなってよかった。えらいよ、はくちゃん。


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外伝(エピソード) 接近遭遇 2件

2011年10月08日 | 捜猫記
さてこれを書いているいま、10月8日土曜日です。

彼が帰ってきてから一ヶ月になります。

明日は、十三夜。
秋の二度目のお月見の日です。
二度目はちょっと欠けているうちに見る、というのが
いいですよね。
白琥が家出して二度目の、「満月の二日まえの月」になります。


気候も落ち着き、お礼参りもすみ(先週立川まで行ってきました)、
きんもくせいの香りに包まれたら、
ほっとして、夏の疲れが出たのじゃないかと思います。

ところで、昨夜はうちの2にゃんは、一晩中ドタバタと遊んでいましたよー。
猫は満月が近くなると、元気になるのでしょうか?
にゃんこがいるお宅では、満月近くの夜はちょっと気をつけられたほうが
よいかもしれませんね。


ここで、接近遭遇のエピソードをふたつ。

まずひとつ。

白琥が帰還したその日の、まだ朝まだき、
おとなりのすみこさんのところで
にゃー、にゃーという猫の声がしたそうです。
そして外に置いていてくださっていたカリカリ(猫のご飯)がなくなってたとのこと。
すみこさんちのタンタンくんはお家の中にいたので
「もしかしたら白琥くんが来てたのかも」
と。

その頃、わたしは、明け方2時間ばかり呼び続けた徒労感で
ヤケ酒の朝酒のワインをかっくらってぐーぐー寝ていたのですが
じゃ、うちの前をびゃこたんが通っていったのかも(~_~;)
あらまあダメじゃないですか、わたし(T_T)
せっかくの感動の帰還のまえに、これじゃ。
ただ、彼だとすると、家は、やはりわからなくなっていたようです。
うちのベランダに置いていたカリカリは、手つかずでしたし、
わたしは無用心ながら、もしやと思いドアも半開きで寝ていたので
うちはスルーして、昨夜行ってみたおとなりさんに、再度行ったようです。


しかし猫のいるお家にばかり現れたのも
不思議といえば不思議。
好きな方のお家は、わかるのでしょうか。



というわけでつぎの話は、
TGさんのお家で、TG家の守護神、黒豹・クリスくんに
白琥が撃退されていたというお話です。


白琥はどうも、F地区のTGさんのお家には、
私がひぎゃあー、ふーっという声にどきっとした払暁も含め
何回かトライしていたのではと思われます。(~_~;)

TGさんはこの夏4匹連れておいでだったそうで、
扉は猫のために開いていることがあったそうです。

びゃこたんの帰還の10日ほどまえ。

すごい雨の晩の深夜2時ごろに
雨にたまりかねたのか
白琥が開いていたドアからTG家に入ってきたのだそうです!

「あっ、びゃっこちゃんだ!」とTGさんはすぐわかり、
TG家の守り神クリスくんが撃退しないうちに!とドアにラッシュなさったようですが
時すでに遅し。
ふぎゃあああーーー しゃーーーーっと
クリスくんがビャッコを追撃して大雨の外へ。

TGさんは、深夜の大雨、真っ暗ななかを
傘をさして雨の中を2軒先くらいまで見に行ってくださったそうですが
暗闇のなか、意気揚々とクリスくんが「追っ払ってやったぜー」と帰ってくるところだったそうです。

たしかにお家に入ってきたのだけれど、
追い出してしまったので、連絡しなかったんです。とTGさん。
そして、いまだから笑えますが…と

そのとき、あーあ。と家に向かってUターンしたTGさんの足に
猫がぶつかりました。
それは、大雨の深夜、しかも捕り物の大騒ぎがあったのにもかかわらず
「なに!?なに!?あそぶの!?なにかあるの(^^♪!?」と
ウキウキと家を出てきた
TGさんちのKY(空気読めない)ロシアンブルーちゃんであったということです。





さて、次回は、帰還後、相方、白龍との確執についてなど…


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17.待つとしきかば いま帰りこむ

2011年10月04日 | 捜猫記
その晩 白琥は、わたしに、ぴったりとくっついて寝ました。

ここでまた逃げてしまうとお話にもならないので、ハーネスをつけ、
その端をこたつの足にしっかりつけておきましたが

ちょうど、後追い(あとおい)する時期のこどものように
わたしがトイレにいったりして見えなくなると
おわー、うわーと大きな声で鳴くのです。

そして夜中、うわあー、おわあー と大きな、きいたこともない野生っぽい声で鳴くので
見ると寝てるのです。
うなされてるのでした(~_~)

緊張して、ゆっくり寝れなかったんだろうなあ。
夜の森で、どんな動物に逢ったりしていたんだろうか。
鹿や、かもしかは大きいからビックリしただろうし
蝙蝠(こうもり)にだって驚いたに違いありません。
ふくろうだって怖かっただろうなあ。

TGさんが、「電車で帰るの?」と心配してくださり、
所用で明日朝、日帰りで帰京するので、乗せていきますよ…とお電話くださいましたが
小淵沢でレンタカーを返さないとなりませんし
管理事務所やASさんなどご挨拶したいところもあって、
やっぱり、のんびり午後帰ることにしました。

帰還の翌朝
2011年9月11日日曜日

びゃこたんと一緒にすっかりお寝坊していました。

お布団を出したままパジャマでだらだらしていたら、
IKさんが「早くにすみませんー」(そんなに早くもなかったのですが)
といらして、「これ、お預かりしていた猫缶」と
わざわざ1缶もってきてくださいました。(なんていい方なんでしょう。)

TGさんも帰京の前にまた寄ってくださいました。おみやげ?までいただいてしまいました。

そのほか、捜したり気にかけてくださっていたあちこちに連絡がいき、
よかったよかったと言っていただいていたようです。

家をざっと片付け、
荷物をまとめ、
娘に頼まれていた野菜と、ここの水を汲んで持ち
行商のおばさんみたいなかんじで
家を閉め
おとなりさんにご挨拶し、
ASさんのお家と、SZさんのお家、
そしてホテル(高原ロッジ)と 管理事務所に、白琥を連れて寄り
お礼を申し上げてきました。

そのとき、高原ロッジのフロントにいらしたスタッフの若い素敵なお嬢さんが
バッグのなかの白琥をみて
「あっ、間違いありません、わたしが牧場の石碑のところで見て
 IKさんにお電話したんです、
 このコです!
 よかったですね!」
とおっしゃったのです。
ほんとうにあそこから、うちのほうまで上がってきていたのです。
どうして、ここより暖かく雨も少ない里に向かって降りてしまわずに
また7キロの上りを、上がって戻ってきたのでしょうか。

猫が小さい頭のなかで考えていることはわからないですが
猫返しの神さまや、聖アントニオさま
そして親身に心配してくださっていたいろいろな方のお気持ちが
「そっちに行ってはだめ
 こっちに戻ってきなさい」
と呼んでくれたのかもしれません。

 
小淵沢まで車で降り、そのレンタカーを駅で返し
予定より3時間はやい、お昼12時代のあずさに変更して
すごい荷物のうえにお弁当まで買い込み、売店のおばちゃんに「だいじょうぶ?」と言われながらも
猫のはいっているバッグをしっかり抱きかかえて、
あずさに乗りました。
新宿まで2時間。
最初、うわーお、わーおと言っていた白琥は
レトルトのカツオのスティックを食べると
眠ってしまいました。


ついに、一緒に帰京しました!
新宿からは、埼京線で恵比寿まで。あとすこしです。
びゃこたんは、埼京線のなかで
睫毛がすごーい、巻き髪の、電車でお化粧してた若い女の子ふたりに
「うそー、まじかわいー」と言われました。(バッグのメッシュの部分を開けてあったので)

恵比寿からはタクシーで帰りました。


お隣のバレリーナYKさんはすぐに来てくださり、
「よかったねー、よかったねー」と撫でてくれました。

白琥はYKさんが大好きで
外で彼女の声がすると、お玄関でにゃーん、にゃーんと鳴いていたので
「今回見つからなかったら、
 ダンナちゃんが車で八ヶ岳まで連れていってくれるっていうから、 
 行ってわたしも呼ぼうと思っていたの」
とYKさん。

みなさん、ほんとうにありがとうございました。


  立ちわかれ 因幡の山の峰に生ふる

帰ってきたので、下の句を書きました。

          待つとしきかば いま帰りこむ


さて、ところがです。  



まだ問題が残っていたのです。


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16.帰 還 おなじ月齢の夜

2011年10月04日 | 捜猫記
白琥は、ベランダの階段に いつでも逃げられるように斜めの態勢で
こちらを窺っています。
首輪がみえました。鈴も名札もちゃんとついていました。

「びゃっこー
 びゃこたん!

 おかあしゃんだよ
 おかあしゃんよ!

 ささみもってきたのよ!

 はくちゃん、まってるよ!」

説得?してみるのですが
及び腰のまま、ベランダの階段からこっちをみているだけで
におー、におーと 聞いたことのない声で鳴き
寄ってきません。

それで、しかたなく、ベランダのほうへそっと進みました。
すると、やっぱり ぱっと と
下の笹の茂みに飛びこんでしまいました。

それきり、笹の音も鈴の音も、なんの気配もしません。
しーんとなってしまいました。

「びゃっこー!
 びゃこたん!

 おかあしゃんだよ!」

ベランダに上って見下ろしてみましたが
もうどこにも姿も気配もありません。


ここで、出遭うことができたのに
このまままた失ってしまうのか

思わず、お願いします!お願いします!と聖アントニオのメダルを握りしめ


それから、すこし後退してみることにして
ベランダから降り、径(こみち)をお家の玄関のすこし手前まで戻りました。
そこでしゃがんで、ササミジャーキーを手に
呼び続けました。
全身が心臓のようにどきどきして、それに泣き出しそうです。

「びゃっこーーー」

するとまた、かすかな声が、 におー といい、
また におー といいました。
ほんの少しずつ、声が近づいてきます!

におー、
におー、
と、わたしの呼ぶ声に一声ずつ応えるように近くなり、
縁の下から
顔が覗きました!

におー
こわい顔をして、口がさけるように見えるくらいおおきく開けて
におー

におー
におー
猫の一歩、また一歩
ほんの数センチずつ 
だるまさんがころんだみたいに
近くなってきました。

いちど、車が後ろの通りを通り過ぎていったときは、
びくっとして、また逃げそうになりました。

ついに、縁の下を出て、
わたしの手のササミのところまで…

手が震える…


そして、やっと、、おそるおそるササミを口にしました!

左手を伸ばして、あたまを…

撫でられました!


その瞬間、その左手で首輪をぐっと掴み、
ササミを持っていた右手で、
探索の都度、必ず持って歩いていた
猫を入れるバッグを振り回して中身を地面にぶちまけ、
(保定のためのバスタオルと、軍手、ササミジャーキー、懐中電灯、家のカギを入れていました)
そのバスタオルを片手で拾って、
猫の全身をくるみ込みました。

白琥は、ちょっとびっくりしてばたばたっとしましたが
思ったほど抵抗せず
ぶじにくるむことができ

そのまま猫のバッグにいれて、ササミもいれて
バッグのファスナーをしっかりしめました。
わたしは全身がぶるぶる震えていました。


地面に振り回して落としたものを拾い、
猫のバッグを肩にかけてしっかりと抱き
立ち上がり家に向かって歩きながら、
うわーーーんと泣きながら、
ポケットのケイタイを引っ張り出して娘に電話しました。
「びゃっこ、つかまえたよーーーー」

白琥は、ちょっとだけバッグのなかで動いて、
うわー、おわーと鳴きました。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、びゃこたん!
 帰ろうね!」

それから家までの道すがら、
泣きながら母、すみこさん、IKさん、TGさんにも電話しました。

黄昏の薄闇のなかに、まわりの樹木や家々が、溶け込みはじめていました。


家につき、部屋に入り、ドアをしっかりと閉め、
大騒ぎになるかもしれないので用心しながらバッグをあけると
意外におとなしく、抱かれるままに出てきました。

出してあったハーネスをしっかりとつけ、急いで全身状態を見ました。
痩せてすこし体が平らになっていましたが
結構毛並みもわるくなく、
ノミや、一番心配だった笹ダニも耳にも目のふちにも見当たらず、

なでるとおとなしく、わたしによりかかって、
ビックリしてしまって食べられなかったササミもすこし口にしました。


そこへ、すみこさんがぽろぽろと泣きながら、来てくださり
IKさんご夫婦がよかった、よかったねーと、文字通りとんできてくださいました。

もともとひとなつこいコなのですが
白琥はながーくなって、
なんだかぼーっとして
よかったよかったとみんなに撫でられていました。
すみこさんとIKさんが帰っていかれ、
そして、管理事務所やホテル、気にかけていてくださったいろいろな方のところにすぐに、「みつかった!!!」と連絡してくださったようでした。

「びゃっこ」と撫でると、
すりすりしてくれます。
爪を切り、全身を拭きました。

新しく入れた水をのみ、すこしカリカリを食べました。



はじめ連絡がつかなかったTGさんが
とんできてくださいました。

そこへ、すみこさんが、
「これから、ありあわせだけど、夕ご飯とお酒をもっていってあげる!!」
とお電話くださり、
大きな籠に、ポークソテーとチーズやサラダをたっぷりと、
氷の入った器と、お酒をもってきてくださいました。
それに、昨日IKさんからいただいた
チーズ入りのスティックと、クミンのはいった焼き菓子を添えて
プチ宴会になりました。

彼にとって知らないひとたちで、にぎやかだったのに
白琥は、いぜんのようにまたのびあがってすりすりしてくれて

それから、わたしの横でぐーぐー寝ていました。
完全なREM(Rapid Eye Movement)睡眠に入っていて
手も目もピクピクして、ぐっすり。
「よっぽど、疲れてるのね」と
すみこさんが笑っていました。

おつかれさん

その夜のびゃこたん


外では月明かりが清(さや)かに
夏のおわりの山や森や家々を照らしていました。

2011年9月10日土曜日
満月の二日まえの月の、夜でした。

白琥が、カギのしっぽを立てて
いそいそと出て行ったあの晩と
おなじ月齢の夜でした。
コメント (2)
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15.邂 逅

2011年10月03日 | 捜猫記
11時まえに小淵沢に着きました。
駅の売店で、
お弁当や、来週山の家にまた来る両親に置いておこうと、黒玉(知ってます?)や馬肉ジャーキーなどを買い
駅レンタカーで車を借りて

「山のお野菜とお水を持って帰ってきて」という娘からのミッションにより
大泉で野菜を買い

先回の反省から野辺山でビールとワインも買って

山の家に着いたのが午後2時近くだったかと思います。

おとなりのすみこさんに、つきましたーと電話すると
「IZAさんの文子さんが明日お帰りになるから、夜、うちでご飯なの、一緒にどう?」
といってくださいました。
びゃこたんが登ったベランダの階段の下に、
また来てよいようにと、カリカリ(猫のご飯)を置いてくださっていました。

びゃこたん目撃のIKさんにも、
来ました!とケイタイに電話しました。
東京から奥さまがおいでになるのを小淵沢まで迎えに行っていらして、お家は留守でした。

「おみやげに、お菓子とお野菜とビールもってきました!」と申し上げたら
なんと、わたしにと、わざわざ清里で洒落たクッキーなどを買ってきてくださいました。
なんていい方なんでしょう。

家をあけ、荷物を家に上げ、落ち着いた4時すぎから
IKさんのお家にお届けものがてら、まわりをぷらぷらと廻りました。
今回はあまり大きい声で呼んで歩かず、
ときどきちょっと呼んでは、立ち止まったり、すこし待ったりしながら歩きました。

テキは、7キロも山を上下して徘徊しているのです。

こちらが大声で呼んで歩いていたのを聞きつけて
もし彼が一筋か二筋下の道で
じっと考えてから、わたしの声のするほうに上がってきても
すでにそこにわたしはいなかったりするわけです。


考えてみたら、やっぱり、そんなに簡単なことではないのでした。



でもわたしは悲観的なきもちにも、楽観的なきもちにもなりませんでした。


もう一度ここに来て、
自分で納得したかったのかもしれない 
と思いました。


暗くなってから家に戻りました。
もう9月、
いまは週末なのでまた入荘しているお家もありますが
先回よりはだいぶ、別荘地は暗くなっていました。


7時ごろ、すみこさんがよんでくださり
IZA家の文子さんと、いろいろなものをいただきました。
お酒もいただきました。
揚げたての天ぷらがいっぱい!わーい。
すみこさん お料理上手なのです。

すみこさんちの猫タンタンくんは、おみやげのササミジャーキーが気に入ってくれたみたいでした。

すっかり遅くまでおじゃまして、文子さんとご挨拶して
笹のなかをガサガサ隣に帰りました。

前日よく寝ていなかったので そのまま寝てしまいました。
こわいけれど、
もしかして帰ってこないかと
戸をすこし開けたまま眠りました。
もちろん、ベランダには猫のご飯をおいてあります。


目がさめたのは3時ごろだったでしょうか。
まだ、空は真っ暗で 
やっぱり今夜も、からまつのこずえのここかしこに
星が果物みたいに大きくみずみずと輝いていました。
月はもう沈んでいます。
まだなんとなく こわい時間でしたが
お向かいのお家に灯りが点いていたので、それに励まされるように
気持ちを奮いたたせてびゃっこを呼びました。

今回はわたしは家から動かずに、
家から全方向にむかって
明るくなるまで 2時間ほど呼び続けました。


そのあと 
やはりそれなりにメゲた気持ちになったので
ワインで朝酒、朝飲みしてふて寝。
お昼すぎまでは、ぼんやり、寝たり起きたり ご飯を食べたり
本を読んだりして

もう明日の朝に帰ろうかなあ などと思ってみたり



でも4時ごろ、ふたたび気を取り直して
しゃっきりと着替え、まずF地区のTGさんのお家まで登っていきました。
あちこちで工事や造成の機械の音がします。
でも5時にはみんな撤収していきます。

TGさんのお家のまわりは、なんとなく気になるところなのです。
TGさんはお留守でしたが
呼びながらそのへんを2周ほど廻り
足のむくまま、K地区のお屋敷のような別荘の間を歩き
またぼんやりとF地区に戻りました。


黄昏の気配が近づいてきています。

F地区からメインの通りまで戻り、
そこで、
一筋下の道のほうが可能性があるように思いましたが
なんとなく、S地区のほうにぶらぶらと行きました。

ちょっと呼んで
なすすべもなく立ち止まり 見廻して
また歩き

ちょっと呼ぶ。

小さい流れの向こうにあるお家から、賑やかな話し声や
犬の声がきこえてきました。

またちょっと、立ち止まり
「びゃこたーーーーん」と呼んでみました。


ちょっと待って!!

猫の声がしないか?

びゃっこの、あの、かわいい声ではないけれど
におー、におー、におー、におーというかすかな声。

猫がいる!

声は、小川のある並びと道を挟んで反対側の並びの
山小屋ふうの家の敷地のなかから聞こえます。

「びゃっこ?
 おかあしゃんだよ?」

また、におー、におー、におーと
かすかに聞こえてきます。

誰もいない閉ざされた向かって「失礼します!!」と言って
わたしは家のほうへ、敷地の入り口からの径(こみち)に踏み入りました。

「びゃっこ?」

すると、玄関の左奥のバルコニーの登り口の階段のなかばに、
細くなっているけれど、まぎれもない白琥が
いまにも逃げ出しそうな不安定な様子で
こちらをむいて座っていました。


心臓が、ぎゅうっ、と冷たくなりました。



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14.4度目の目撃は 神さま!お隣のお家でした!

2011年10月03日 | 捜猫記
2011年9月8日。
この日は仕事を2時に切り上げさせていただいて
娘と待ち合わせて東京体育館まで姉弟子の試合の応援に行きました。

その間も
レンタカーの値段を調べてみたり
はたまた中央線の時刻表を眺めてみたり
予定表をためつすがめつし

それでも決心はつきません。

試合のあと、伊勢丹に寄り、娘の新しい登校用の革靴を買い、
それから山に持っていくお礼のお菓子も買い

帰宅してからは、
また山に行くかもと、出したままだった荷物の中身を見たり。
買ってたお菓子を、その荷物に入れたり、出したり。

「もし車なしで来るなら、うちの妻の軽自動車をつかっていいですよ。」
とIKさんはおっしゃってくださいました。
(なんていい方なんでしょう(T_T)!)

でも、決心がつかないまま、9時になりました。


だって、口に出しては言いたくないけれど 
もし出会えたとしても
彼に帰る気がなければ連れて帰ることは不可能に近いのです。
それに相方の様子を見ていても、
白琥がもうわたしのこと忘れている可能性だってあります。だって猫ですから。
「猫は野生化してしまうのは簡単だから」と言われてもいました。


どうしようかなあ…



その夜の忘れもしない10時半ごろです。
家の電話が鳴りました。
局番は野辺山の番号。
「もしもし!」
と山の家のお隣のすみこさんの声でした。
「いま、うちにびゃっこちゃんが来たわよ!!!!」


いまこれを書いていても、この電話を思い出すと涙が出てきます。

お隣のだんなさまがリビングのソファに座っていらしたら、
ベランダの階段を白い猫が登ってきて、
だんなさまのほうをむいてガラス戸の外に座ったそうです。
「白い猫ってきいてたけど、頭が黒かったよ」
とだんなさま、
さっと、行ってしまったそうですが
そうです!それは間違いなく白琥です!!!!


前日の夜、7キロ近くも下の牧場の原っぱで駆け回っていた白琥が
奇跡のように、
一日かけてまた歩いて登って戻ってきたのです!

そして、あきらかに人のいるお家を、一瞬にせよ、階段を登ってまで
のぞいたのです。

やっぱり、行こう!

「すぐ行きます、あした行きます!」

わたしは電話を切るなり、すごい声でうわあーーーっと号泣しました。
娘がビックリしてこっそり覗いていました。

ママ、やっぱり明日から日曜日まで、行って来る。よろしくね。
眼科の視力の検診や、お稽古、教会の中学生会なんかがあるけれど
ひとりでだいじょうぶだよね?



そしてもうひとつ、どういうわけかわたしが
「見つかるかもしれない」と思ったことがありました。
それは、月齢、月の大きさ。
彼が家出した夜の月齢に近くなってきていたことです。


その晩、わたしは少しだけ寝て、3時半に起きて荷物をまとめ始め、
今回も40分かけて鶏のササミのジャーキーを焼きました。
いつもの通り5時すぎからは朝の支度をし、
7時に始業式に行く娘を送り出してから
すぐに新宿駅に向かいました。

あんまり気がはやったので、ケイタイを忘れてしまい、
バスを途中で降りてタクシーで戻り そのまま折り返し恵比寿駅まで行きました。

新宿駅で、レール&レンタカーで往復の切符と
小淵沢からのレンタカー3日ぶんを手配しました。
3時間まえからなら予約できるそうで、これだとJRの切符が少し安くなるのです。

昨日、山に行くと電話したら母が
「よそさまの車をお借りして、夜、まっくらな牧場なんかに行って
 捜しながらよそ見して脱輪なんかしたら、申し訳ないわよ。
 最近は鹿だって多いからぶつかったら、軽だったら壊してしまうわ」
と言ったので、
やはりIKさんにお借りしないことにしたのでした。

ホームの売店で熱いコーヒーと小さな甘いものを買いました。
朝8時半のあずさ。
小淵沢まで2時間です。

席に座って、
コーヒーと甘いもので落ち着いたころには
あずさは、立川を通り過ぎようとしていました。
猫の神さま。お願いします。

そして、聖アントニオのメダルももちろん、首に懸けてきています。

すこし、眠ることにしました。
2011年9月9日。
まだ暑いけれど 気持ちのよい朝です。
いまわたしは、中央線特急あずさで
ふたたび八ヶ岳に向かっています。


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13.3度目?の目撃情報 状況は難しくなっていました

2011年10月02日 | 捜猫記
その後、なんの目撃情報もなく
さらに一週間が過ぎました。

娘の学校は9月9日始まりなので、9月に入ってからが、夏休み終盤。
夏の課題の仕上げ(追い込みともいう(~_~;))の調査や写真撮りに出かけたり、
お稽古の初試合があったり、

ゆっくりとゆっくりと日本列島を縦に通り過ぎた大きな大きな台風のために
東京はずうっと雨模様でした。
そんななかで
家出して3週間目の金曜日もすぎ

びゃこたん、さすがに濡れて、帰りたいんじゃないかなあ。
かなしくなっていないかなあ。
どうして、いるのかなあ。

2011年9月6日火曜日
家出から25日め。

八ヶ岳は台風で三日三晩、すごい暴風雨が続いたと、山のお隣さんからファックスがきました。
そして、TKさんのお家に伺ってくださったら、
最近びゃこたんらしい猫がお庭にきたけれど、
このぶんだと、餌でおびき寄せて檻のわなを使わないと
とてもつかまらないかもしれない…とのことでした。


その日は、夏の休暇を終えて東京に戻ったYKちゃんが、
体の調整とレッスンにうちに来てくださり、
遅いお昼を一緒に食べながら、白虎のことばかり話していました。

夏の滞在のあと人々が去り始めると、
補修や改修、木を切ったり、笹刈りなどのメンテナンスをたのまれた業者さんが入り
あっちでガンガン、こっちでガーガーと
零下になる冬のまえの山の短い秋のあいだにすませてしまうために
作業が始まります。
またことしは、新規に造成をして地面を掘ったりするおうちも結構あり
重機の音、作業の音、工事車両や工事の方たちなど
猫には、こわくていやであろう場所が増えていました。

頼みのIKさんのお家の斜向かいも
笹刈りをし、クレーンを入れて唐松を切り、
補修をして大工さんが入っている様子で
その後ずっと白琥は近づけないのじゃないかということでした。

そんな話をしているまさに最中にちょうどIKさんから久しぶりにケイタイに電話が入りました。
「しばらく、良い話がないので連絡もできなくて…」
とIKさん。「でも、まだがんばりますから、餌も置いておきますからね」
と言ってくださいました。


そして、その夜でした。
夜の11時半ごろ、ケイタイが鳴り、IKさんだったので、寝ていたのですが
飛び起きて出ました。
「いま、ここにびゃっこちゃんがいるんです!!!」
と興奮した様子でした。
「えっ!」
「でも、呼んでも寄ってこないんだ!
 いま、下の牧場の天皇陛下の碑のところです!」

ええっ!!!!

天皇陛下の碑のある下の牧場!!?


別荘地から下の村に抜けていく、広大な牧場の、天皇陛下の御幸(みゆき)の記念碑のあたりです。
(天皇皇后両陛下がご成婚前の清子親王と高原ロッジにいらしたとき、この牧場に立ち寄られたのです。
その記念碑なんだって、村長さん嬉しかったんでしょうね(~_~;))
そこはもう家も街灯もなく、
夜は、真っ暗、文字通り一面の降るような星が見えるところで
人なんか通らないし、ほんとうになにもありません。
別荘地の方たちが温泉や食事に遠出するときに抜け道に使う農道です。

IKさんがお願いしてくださった方のひとり、ホテルのスタッフの女性が
夜、そこを通って、
白い猫がいる!とIKさんにすぐお電話してくださり、
山の夜はもうこの時間は深夜、真っ暗なのに、
IKさんがすぐにお友だちと車でその場所に行ってくださったそうなのです。

その牧場は標高下ることたぶん300メートルくらいでしょうか。もっとでしょうか。
距離でいうと7キロくらいだそうです。
距離と高低差からいっても、
とてもうちから歩いて行って捜し回れる場所ではありません。
「もう、わなを仕掛けるしかないかもしれないから
 明日役場に行って、僕きいてみます。
 とにかく無事で元気ですよ。」


台風の暴風雨でいやになってしまった白虎は
里に向かって降り始めてしまったのかもしれません。
そうすると捜す範囲はもう特定できなくなってしまい
愛護協会のようなところに登録して、
どこかで保護されるのを気長に待つしかないかもしれません。


もういちど行こうか…

しかしこんどは、車で、牧場を村のほうから上がっていって
停めては呼び、また停めては呼ぶしかないでしょう。
道の分岐もあります。里の別の場所に降りてしまうのです。
車も滅多に通らない場所なので、暗くなってからの探索はやっぱりいろいろな意味で
「さすがのわたし」もこわい。

「え、今週末、ぼくゴルフだから車はつかえないよ」
とオット。
(みつからないよ)と思っているのでしょう。ふつうそうだと思います。
お友だちと乗り合いで拾っていく約束なのでしょうから、無理もいえません。


翌日午前中、またIKさんからお電話いただきました。

管理事務所の役場に詳しい方にきいてくださったところ、
いま動物愛護のことなどで、最近はわなを仕掛けるのは難しく、
別荘地から出てしまうともっと面倒だとのこと。

どこにわなをかけるかも難しい。
出現場所が特定していれば、餌場になる餌付けしている場所か、ごみステーションに置くのだけれど、
この状態では置きようがないのでは、といのことでした。

そうでしょうね……(~_~;)

わたしも一応、地域猫ボランティアさんにわなを借りられるめあては
つきそうでしたが…

「僕 クライアントさんに三日締切のばしてもらって、
 車で捜しますから、
 牧場のほうも明日からまわってみますよ、
 そしてまた見たら、また連絡しますから」とIKさん。
ええっ、
いろいろしてくださって…、

有難いのと申し訳ないのと言葉もありませんでした。


状況は、もう、良いとはいえません。

でも、いままでは見も知らない方だった方たち、
TGさんにせよ、IKさんは仕事ものばしてくださったり、
こんなにまでしてくださっているのに
「つぎにまた9月の連休ごろ両親が行きますので」と、ひとごとのように東京にいては
申し訳ないし…
ともかく、行くだけ、行こうか
レンタカーにしようか、
東京から?
日帰り?泊まり?
いったい、いくらかかるかしら…

9月7日のその夜のあいだ、そして翌日
わたしは、ああでもない、こうでもないと
ずっとずっと考え続けていました。

結論は出ないままでした。



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12.このころ、ひとり残った白龍は

2011年10月02日 | 捜猫記
さてこの頃、残されてひとり東京に帰ってきた
相方の白龍はどうしていたかというと、

あいかわらずビクビクくんで
昼間はずっとベッドの下で過ごし、朝方とご飯のまえだけ、にゃあーん♪
ぜんぜんふつうでした。
とくに、元気がなかったり、探しているようすもなく

ふつう。


以前に白虎が3日ばかり原因不明の嘔吐と下痢で入院したときは
はくちゃんも、ご飯をあまり食べなくなって、心配したのに。


そうこうするうち、白虎がいなくなって2週間ちょっとたった頃、
(わたしが八ヶ岳にひとり探索に行った頃)
やっと、ちょっとだけ(3日間くらい)食欲がなくなりました。
「ごはん、ちょうだいなー」って来るのですが
ちょっとだけ口をつけて、「もう、いらにゃい」と残すのです。

「はくちゃん、いま、やっとびゃこたんがいないのに気がついたのかな」
とおとなりの、猫のプロ?のバレリーナちゃんYKさんは笑ってました。

その後 やっぱりひとりで間がもたくなったのか、
すこーし態度がフレンドリーになりました。

が、やがてまた食欲も戻り

いままでは、おっとり「あとにまた食べようかにゃ」と残すぶんを 
白虎に食べられちゃったりしていたのが
ひとりゆっくり思う存分食べられるようになり

しかも毎日、二匹で一緒に日に2度3度、プロレスと追いかけっこしていたのが
ベッドの下で寝てばっかになり


おおきなはつかねずみのお尻みたいに
下半身がたっぷりしてきちゃいました。

はくちゃん。
少しは心配して
山のびゃこたんに、
かえってくるようにって言ってちょうだいよ。
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11.パドアの聖アントニオ(神だのみ2) 

2011年10月02日 | 捜猫記
喜界島(奄美)の教会で神父さまの代理をなさっておいで(終身叙祭といいます、在家得度のようなもの??)のSJさんから
メールをいただいたので
猫のことをお話しました。
すると「捜し物はパドアの聖アントニオに祈ると見つかりますよ。」
とのこと。

そうか、パドアの聖アントニオさまがいらしたか。
失くし物の聖人といわれている方です。


世界中どこでも、
こういう、ちょっとした、けれども人々の日々の生活のなかでの切実な願いに対応する
場所や、神さまや、神さまに取り次ぎしてくれる方(生きているひととは限りません)はあるものです。
日本でいうと、まさに「猫返し神社」とか、
最近ブレイクの恋愛と縁結びの今戸神社のようなところ、
赤ちゃんを授かったときの「水天宮」とか、
「目病み地蔵」「刺抜き地蔵」とかね。

カトリックは日本の土着?の宗教ではありませんから、
こういう、「なにかのときにはここにお祈りすればよい」というのは
あまり知られていません。
マリアさまの奇跡によって病人をいやすというフランスのルールドの泉くらいでしょうか。

それと、小説のほうの「ティファニーで朝食を」にちょっとだけ出てくる(「グリーン・ノウのこどもたち」にも出てくるそうです)旅行のお守りの聖人、聖クリストファーくらいかなあ。
聖クリストファーのメダルは、ヨーロッパではよく、車につけているそうです。日本の車が神社の「交通安全守」のお札を貼っているのとおなじですね。


「パドアの聖アントニオさまとイエズスさまは、
失くし物だけでなくて猫も捜してくださるでしょうか」ときくと

「勿論、猫も見付けてくれますよ」とSJさんはお返事くださいました。


パドアの聖アントニオは、1195年リスボン生まれの方です。
アウグスチヌス修道院に入りますが
アッシジの聖フランシスコを知り、イタリアのフランシスコのもとに行きます。
その後フランシスコ会修道士として北イタリアやフランス、北アフリカにも派遣されて
最後はイタリア、パドアで没します。
この間、イタリアで高利貸しや不法な取立てをする金持ちをきびしくとがめ、
「人々の失われた金銭を見つけて取り戻した」と持っている本には書いてありましたが
ネットでは
「ずっと『自分』を捜し続けた聖人だから」
とも書いてありました。
これはなかなか素敵な理由ですねえ。



あとで思ったのですが先日書いた「立ちわかれ」の和歌も
失くし物捜しにも使うこともあるんだそうです。
どうも、「失くし物」と「猫」は、同じように扱われているようですね。
猫は犬のように帰ってこないので
偶発的にしか見つからないからかもしれません。


ともかく、すぐに四谷のドン・ボスコというカトリック関係のグッズのお店に行きました。
ここは、200円くらいでいろいろなお守り(メダイとわたしたちは言うのですがメダルや、ちいさい十字架など)、
そのほかカードや置物、本やロザリオをなどさまざまなものを扱っています。
とっても楽しくてこどものときから好きなお店でした。
そうそう、ルールドのお水や、ルールドのお水で作った薄荷のお菓子も売っています♪
そこでパドアの聖アントニオのメダルを買いました。

カトリックの聖人や神さまは、わたしには、なじみ深いので、
お祈りがしやすい気がします。

イエズスさま、
アントニオさま
びゃこたんが帰ってきますように。

もちろん友人のYKちゃんが言ってくれたように
びゃこたんがにゃーんって帰ってくるイメージも繰り返し思い浮かべました。



結局、
いまのわたしには、もうそのくらいしか
できることがないのでした。










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10.猫返し神社(神だのみ その1)

2011年10月01日 | 捜猫記
帰京の翌々日
予定していた用事がふっと なくなったので
午前中洗濯や用事を片付けてぼーっとしていましたが
午後 思い切って
ちょっと遠いかな…と思っていた立川の「猫返し神社」に行ってきました。
「猫がかえってくるおまじない(まつとしきかば)」を調べたとき
ネットで一緒にみつけたのです。
http://www.azusami-suitengu.net/
http://www.zoeji.com/01meguri/01meguri-toka/01-ty2-azusami/01-ty2-azusami.html

立川駅からバスで15分くらいでしょうか。
阿豆佐味天(あずさみてん)神社という
立派な神社でした。

この境内に、本殿と並んで
立川水天宮と、蚕影(こかげ)神社というお社が一緒に祀られています。
蚕影神社のほうが「猫返し神社」なのです。
ですから境内に、水天宮の安産祈願の戌(いぬ)と、猫が一緒に仲良くいるのです^.^)
(良く見ると、後ろの水盤のうえにまるっこい戌がいます。)

このコ、「お帰り猫ちゃん」らしいです。
なでなでして、お願いしてくるみたい。
神社の石像としてはかなりかわいらしいですね。

なんでも、30年くらい前にジャズピアニストの山下洋輔さんが
18日ばかり猫を捜しまわっていて、ふとここに入りお願いしたところ
翌日ひょっくりとご自宅に帰ってきたんだそうです。
それをエッセイにお書きになったのが大評判になり、

宮司さんが調べてごらんになったら、ここは蚕(かいこ)を守る神さま、
(八王子あたりは昔、絹の大きな産地のひとつでしたから、
蚕がどこでもたくさん飼われていたのですね。)
その蚕の天敵がネズミ。
お蚕さんを守るので、本尊さまは猫のかみさまということらしいです。
「猫を返す」神社として由(ゆえ)あることだったといので
お詣りされるようになったようです。

境内には、雅楽「越天楽」が、
山下氏が奉納なさったという、なんと珍しいピアノ演奏で流れています。

そして絵馬もまた、

この三毛猫ちゃんがなんとも、いいですよね。

切々とした、いろんなおうちの猫ちゃんのことがお願いされていて
みんな、愛されているんだなあ(:_;)と思いました。

バスを降りた頃から雨がしとしとと降り出しました。

涙雨

わたしも、白虎が帰ってきますように と絵馬に書いて下げ
お帰り猫ちゃんを いいこいいこして
お守りも買いました。

そしておみくじをひきました。
どきどきして、涙目になりそうでした。
末吉、いやそれより「待ち人」は…(>_<)

「来れど、おそい」。!!!!

来る!!!ヽ(^o^)丿よかった!(T_T)

念のため「失物(うせもの)」は…
「出る、高い処」!

「唯(ただ)御助を祈って 心平らかな授けられた自己の職務を熱心につくしなさい」
(T_T)はい!!!神さま、なんでも、やることは一生懸命やります!
猫のかみさま
どうか びゃこたんを返してやってくださいませ。

雨のなかを帰りました。

その夜は大雨になりました。  

深夜のそのすごい雨音を聞きながら寝ていて

自分がその雨の中の外に立っているような
夢か現(うつつ)、夢のような、夢ではないようなかんじでした。

びゃこたんが、この雨のなかでだいじょうぶかなと
心配しながら寝たからみたいです。
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