白琥・白龍

捜猫記~八ヶ岳 海ノ口自然郷で猫を捜した1ヶ月~からはじまるブログ、
猫と絵と、そのほかと。

9.猫を捜す3 3日めの八ヶ岳の払暁より

2011年09月30日 | 捜猫記
目がさめると2時半 雨の音は止んでいました。
電気を消してベランダにでてみると
まるで大きな果物のような、みずみずとしたオリオン座の星々がのぼってきていて
東のからまつの樹々の梢に うるうるとまたたきながら かかっています。
8月のおわり もうこの時刻には空が廻り冬の星座が上がってきているのでした。

夜空の一番深いところには昴(すばる)の星の姉妹たちが 
ちいさいながらもくっきりと輝き
その脇には、おうし座の紅い眼、アルデバランがきらきらとまたたき

まだちょっと 人の歩く時間ではないので
夜明けにもうすこし近づくまで 鳥や花の辞典や写真集をみて待ち

3時半になって家を出ました。
やっぱりちょっとこわいけど 満天に星が満ち溢れて
小さい星々まであまさず見えるので
オリオンは宝石をちりばめた狩り着をまとっているよう、
腰の宝剣もきらきらとして先端の星雲も輝いています。

その足もとに 地味な うさぎ座
左のほうには雄々しいふたごの戦士
東の下からは 
あまりに大きいので、青いだけでなく赤やいろいろな色にまたたいて見える
賢治の「貝の火」の大きな宝玉のような おおいぬのシリウスがのぼってきています。

天頂ちかくにおうし座、すばる、そこから反対がわにむかって目を転ずると 
ケフェウス王がこれもまた細かい宝石をちりばめた絢爛たる衣装
そのへんから天の川の白い砂がきらめき カシオペアのW


その星々の下を、びゃっこの名をささやくように呼びながら歩く

ちょっとこわいときは、
立ち止まって星を眺めました。


やがて東の空が白みはじめ、ラヴェンダーと水色が空を包みこんでいきます。
星々はひとつ、ひとつと消えて
まわりの灰色だった樹々に くっきりと色がもどってきました。

すばるは夜のもっとも深いところにいたので ちいさいのに最後まで見えていました。
やがて空に赤みが増し  夜明け
夏の森や山に満ち溢れる色がもどってきます。

翼に青いすじのあるカケス?の夫婦と
首があかいのはウソでしょうか。
明け方と、夕暮れにも森に深くこだまする哀愁を帯びた声はアカハラ、
うぐいすに、ほととぎす。
カラ系(しじゅうから、ごじゅうから、こがら、やまがら)は
わたしにはどうも区別がつかなくて
晴れた日の夜明けに、kyoroon、kyrooon、tiii…というアカハラの声を先頭にはじまる、鳥たちの朝のコーラスは、いつもすばらしいのです。


薄紫の、首のながいほそほそとした秋美人の
まつむしそう
黄色い小さな花がたくさんつく可憐な 
あきのきりんそう
小さなちいさな蘭科の紫の 
みやま(深山)もじずり は岩のうえにも咲き

吾亦紅(われもこう)の紅
くるくると二重にまいてベルが下がるように咲く
薄紫のつりがねにんじんなど
夏の名残の花もまだある。

白くかわいい錨の形 りんどう科の 
はないかり

すぎごけの道

ななかまどの実が赤くなっている。

赤岳の稜線がくっきりと見え
昨年登ったときに泊まった頂上ちかくの稜線の山荘 展望荘と
頂上わきの頂上小屋が 朝陽にきらきら光りはじめました。
夏山は緑が頂上ちかくまで駆け上がっています。
ああ、あそこを歩いたんだなあと 横岳のほうまで目でたどり

モミやシラビソの細い葉のさきに 虹いろにきらめく朝露

びゃっこーーーーー
おかあしゃんだよーーーー
かえろうよーーーー

はくちゃん、まってるよーーーー
ささみもってきたよーーー

びゃこたーーーーん

夏のおわりの山は美しく
なにもかも置いて 家出をしてひとり ここにいたいのは 
私だったのかもしれないと思ったら、ほろほろと涙が出てきました。

でも 帰ってきておくれ
また、ちっちゃい頭でごつんごつんってして
おかあさんだいすき って
言っておくれ

寒くなってきたらまた、あったかいおふとんで一緒に眠ろうよ

おみやげにちいさい山のねずみをくわえて
おかあしゃん、たのしかったって 帰ってきておくれ


この日は午後には帰京しなくてはなりませんでした。
お午まえに疲れて戻り、
すこし眠りました。


「びゃっこのくれた ひとりの貴重な時間をだいじにね
 ちょっとこわくてさみしいかもしれないけど」
とYKちゃんは言ってくれました。
標高1800メートルの山のなかの 夏のおわりの
さみしいけれどうつくしい3日間でした。

IKさん、TGさん、すみこさん、
心配してくださっているASさん、
ご近所のKNさん、SZさん、SMさん
行き会うと声をかけてくださったBRさんご夫妻、
YKちゃんと伺ったTKさん、
暗いなか、わたしがひとり歩いていたら
心配して懐中電灯を持っておいかけてきてくださったSZさんご夫妻、
行き会ってご心配くださった方がた、
管理事務所の方がた
ありがとうございます。

IKさんと、最後に目撃情報のあったF地区のTGさんに ご挨拶をして
家をざっと片付け
事故渋滞のなか
29日月曜の夜に帰京しました。

その日中に、娘の夏休みの課題のため
一緒に英語の映画のDVDを見なくてはなりませんでした。
翌日は登校日なのででおべんとうも。


けれども
わたしの魂のようなものの一部は
まだ
白虎と一緒に山に残ってしまっているようでした。


このとき、一番歩いた日は、ケイタイによれば3万3千歩。
20数キロでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8.猫を捜す2

2011年09月30日 | 捜猫記
2011年8月27日土曜日。
午後4時半ごろ 
ひとり山の家に着き 荷物を家にあげていると
YKちゃんが、わかっていたかのように「着いたー?」と来てくれました。
うん、ありがとう!点天の餃子とお菓子もってきたよー。

彼女と、
びゃこたんが二日続けて現れた、
一筋上の道沿いのIKさんのお宅に一緒にいきました。

その後連絡はなかったのですが、
二日続けて白虎が現れたその翌日
IKさんのお家の斜向かいのお家にお庭の笹刈りが入って
一日すごい音だったみたいでした。
びゃこたん、ちょっと、こわかったかな。


小雨が降り出しました。

それからYKちゃんんとふたりでF地区、S地区と歩きまわり
YKちゃんのおうちまで一緒にいき
とっぷりと暮れてから家にもどりました。



翌28日、日曜日は、朝5時と 7時に 
40分くらいずつ呼びながら歩き

帰ってきて熱いコーヒーをたっぷり飲み
ご飯を炊き、コンビーフの缶をあけ野菜をたくさん入れて炒めて 
朝ご飯を食べていると
IKさんがひょっくりと来てくださいました。

きのう一緒にホテルのバーで飲んだお友だちのひとりが 
昨日の午後1時ごろ、F地区でびゃっこちゃんを見たそうだ って
別荘地の地図に丸印してもってきてくださったのです。

頭の黒い白いコで、側溝に入って逃げてしまったそうだ って。

それなら間違いありません。
それで9時からまたF地区にいって1時間ほど呼びあるきました。

このときはなんの気配もありませんでした。

ところが、翌日の朝のことですが、
まだ暗いうちに、この丸印ポイントのまえあたりで
びゃこーーって呼んだら、
その前のお家の庭の木立の下の笹のなかで
ぎゃぎゃっぎゃーっ!って小さな獣の声がして、ふうーっ!と続き、
その後 しいーん となりました。

どきどきしながらも、もしや…とそのあたりの家のまわりをふぐるぐるまわりましたが
なにも、誰も出てきませんでした。

その後、一度家に戻りましたが、気になって朝のうちにまた行き
そこをお散歩中の方に声をかけさせていただいていたら
その目のまえのおうちから出ていらした長身の男性が
「白虎ちゃんの飼い主さんですか」と。
なんとそこが、管理事務所の貼り紙をみて
びゃこたんを探してくださっている、TKさんのお家のだったのです! 

猫4匹を一緒に連れていらしているんだそうです。
「ぎゃーって言ったのは、たぶんうちのクリスに違いないけど
言われたほうは…」
きつねだったか。
びゃこたんだったか。



さて話は一日戻って28日
だんだん徒労感がつのってきて
一度家に帰りましたが
お午に気をとりなおしてまたでかけて1時間半呼び歩き

帰って、インスタントラーメンに トマトとキャベツをたっぷり入れて
お昼ごはん

すこし寝ました。

そして午後4時ごろ、暮れ始めるまえからまた歩き始めました。
5時ごろ、YKちゃんが合流してくれ
7時半 真っ暗になるまで捜しました。
 
雨が降り出しました。

家に戻ると、雨はいっそうひどくなりました。

ビールをホテルまで買いに車を出そうと思っていたのだけど
ほんとうに疲れてしまって
のこりものを、もそもそと食べて 
8時すぎに寝てしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7.子離れ(親離れ)について。そしてひとり八ヶ岳へ、

2011年09月30日 | 捜猫記
本栖湖から、「希望」も一緒に帰ってきました。
パンドラみたいに。


翌26日は娘は登校日、わたしは年1回の婦人科検診でした。
そして両親はいったん、別荘を撤収し、ひと月の滞在を終えて帰京します。

27日は、中学1年の娘がはじめてお友だちとふたり、こどもだけで新宿に遊びにいく約束の日、
28日は親子で教会の夏のおわりの恒例のビアパーティ、
29日は婦人科以外の検診の予定。
わたしは手帳とさんざんにらめっこした挙句に
ついに決心して、
週末の予定をキャンセルもしくは延期して
ひとりでもういちど八ヶ岳に行くことに決めました。

白虎はいま、あの場所のどこかにいる。



問題なのはわたしの留守の間です。
高度成長期とバブル時代の申し子のようなオットは、
「なければ買えばよいではないか。
コンビニにはなんでもあるしね」という生き方が身にしみついております。
それではよくないこともあるので、小さい娘を置いていくとき、
いままでは出来るだけ食事に困らないよう、できるだけ作り置きしてきました。
しかしことしの夏はいま、きびしい暑さ。
しかも、2泊3日です。

わたしはついに決意して、娘に自炊させることにしました。

もう13歳なんだから出来るにきまっているのですが
心配で仕方ないのは、
わたしが子離れしていないからです。

おりしも女の子の思春期、反抗期で
この5月はひどいもんでした。
しかし、親が五月蝿(うるさ)くかまうからよけい反抗するので、
つまり自立していないのは、わたしなのだと気がついていました。


びゃこたんのおかげで、ママは子離れ、娘は自立の一歩です。


わたしは、先に八ヶ岳からたくさん買ってきた野菜と一緒に野菜炒めを作るようにとコンビーフとツナ缶を買い、
ご飯の炊き方(うちは土鍋で毎日ご飯を炊くのです)、
それから、冬瓜のスープの
レシピと注意を書いて、
敢然と(のつもり)、娘に向かって言いました。

「いい、人間、自立の一歩は
 まず自分の食べるものを作ることからよ。

 それが一番だいじなのだから、
 パパが「買おう」とか「食べにでよう」とか言っても
 とにかくご飯を炊き、自分でなにか、つくってごらんなさいね」

「あーい」と、最近は相変わらず無愛想な娘。
レシピと、ごみ出しなどの注意書きを手にとり、
「わかりました。がんばってね、ママ」

しかし、なかなか頼りになることを
ほんとうはわたしは知っています。


思春期の娘とそろそろ更年期の母。
娘が青春の入り口なら
母は白秋の入り口で、
春と秋、ともに不安定な季節です。
でも、春も秋も、さまざまに移り変わっていく、うつくしい季節であって
その季節の入り口で足踏みしていては、もったいない。
ともに次の季節に、自分を探しながら踏み出さなくてはならないときだと思います。


26日金曜日。
立派なアニメオタクに育ちつつある(~_~;)娘は
教会の中学生会のお友だちと、
はじめてこどもだけで、新宿に繰り出します。
まず新しく新宿にできたアニメイト(アニメ関連商品で、少年少女からオトナまで
オタクなコアなファンの心と、お財布をしっかりつかむお店)にいき、
それからお昼を食べて、
アニメ映画を見て、
そのあと教会のお当番にふたりで行くのです。

その間、両方の母親がスポット的に付き添い、最後に教会に行く予定でした。

まず朝、娘を送り出し、
その後、車に荷物を積み、
前夜に40分ほどかけてゆっくり焼き上げた鶏のササミのジャーキーも持って、
伊勢丹に向かい、
伊勢丹の駐車場に車を入れました。

娘とお友だちのSちゃんと落ち合って
無印良品のデリでお昼を一緒に食べ、
紀伊国屋のマンガコーナーとサーティーワンの場所を教え、
ふたりに、サーティーワンのアイスと映画の飲み物代
(娘はすっかりアニメイトにやられてしまい、少ないお小遣いを散財してたので)
を渡して

そしてふたりと別れて、伊勢丹の地下で
別荘地のYKちゃんやIKさんやおとなりのすみこさんにと
お菓子やデリカテッセンのお惣菜などを買って

外苑まえから中央高速に乗り、
一路 八ヶ岳へ。

昨日帰京した両親に、山の家の電気や冷蔵庫や
いくつかのものをそのままにしておいてもらっています。
夕方まえには山に着く予定です。


高速をひとり、ひた走っていて、ふと
いつもは、小さかった娘が必ず一緒に乗っていたのに
往復ひとりなんだなあ 
と、すごくさみしくなりました。

一緒にお話したり、歌をうたってくれたり
春も、夏も、秋も、冬もこの高速を一緒に乗せて八ヶ岳にいき、
そして沢山の楽しい思い出と一緒に東京に帰ってきました。

子供がいるまえにも、こうして、ひとりで八ヶ岳に行くことはよくあったのに
たった10年かそこらで、ひとりの往復がさみしいなんて
いつのまにかわたしは娘の存在にすっかり頼っていたのだなあと
若いときはこども嫌いで有名だったわたしが
いまの自分に驚くのでした。

こどもってすごいなあ と思うのでした。

でも猫だって、すごいかも(^_^;)。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6.2度目の目撃 彼はたしかに、別荘地の「どこか」に…

2011年09月30日 | 捜猫記
翌24日、朝8時半の高速バスに乗り、お昼に本栖湖につきました。
青少年スポーツセンターから本栖湖を見下ろすバス停まで
先生とYさんが車でむかえに来てくださいました。

娘はひとりへこたれているか、しおれているかな?と心配していましたが
高校生のクラブの女子のお部屋に入れていただいて
しっかり「後輩」していて、
まじめな顔をして、淡々と練習していました。

スポーツセンターのグラウンドがぐうっと広がるその向こうに道路が通っていて
その道路のむこうに、涼やかに豊かな水をたたえた大きな本栖湖がひろがっています。


中学生から大学生まで、若い子たちがたくさん来ていて
広い芝生のフィールドや体育館で朝から夕方までトレーニングをしていました。
東京の暑さがうそのように涼しく、
いろいろな意味で気持ちのよい、とても良い場所でした。

午後は、練習をみたり、ほかの団体の様子をみたり
すぐ目のまえの湖の湖畔にいってみたりして過ごしました。


その日(8月24日)の夕方、そとはすごい夕立でした。
八ヶ岳もこんな雨かな…

そのとき、またIKさんからお電話がありました!

ドキドキしながら電話に出ると、

「さっき、またびゃっこちゃん、来ましたよ!
 もう間違いないです!」とIKさん!
「びゃっこちゃん、びゃっこちゃん!って呼んだけど、
 上の家のほうに行っちゃいました!
 
 でも二日続けて来たから、餌付けしてみますよ!

 うまくつかまればいいですね。
 そしたらうちの猫のケージもリードもあるからだいじょうぶですよ」
と、どこまでもご親切なのでした(T_T)

IKさんのおうちの猫ちゃんが、電話の向こうでにゃーん、にゃーんって鳴いていました。



二日間、同じおうちに行ったのなら、たしかにまた来るかもしれません。


山の家に滞在中のYKちゃんが両親のところまで来てくれ、
猫缶や、ハクちゃんの匂いのする猫の保定の網などを
IKさんのおうちに持っていってくれました。
そのYKちゃんからメール。
「IKさんは、東京でお隣から殺処分に出されてしまった「てっちゃん」という犬を探しにいって連れ帰って、
 山のおうちで、てっちゃんは、昨年亡くなるまで幸せに一緒に暮らしてたの。
 すごく心やさしい方だから、白虎はまた、IKさんちに現れるかもしれないね。
 IKさんちでご飯を食べてくれたら、一前進。
 IKさんはずっと住んでらっしゃるから、焦らずに行こう」


父がびゃこたんを呼びながら歩いていたら、
むこうからIKさんがやっぱり「びゃっこちゃーん、びゃっこちゃーん」と呼びながら歩いていらした  と母が笑っていました。 

父も、やさしいひとなので、散歩しながらずいぶん探してくれたようでした。

YKちゃんも「道で探索中のパパにお会いしたよ」って言っていました。

その両親も、あと二日で帰京です。
うちの山荘もいよいよ無人になってしまいます。

おとなりの猫のプロ(?)、バレリーナのYちゃんも
「住んでいる人が餌付けしてくれるなら、
寒くなるまでにきっと、びゃこたん、帰ってくるよ」と言ってくれました。

希望と不安。
びゃこたんは、間違いなく別荘地のなかのどこかにいるのです。



わたしはその夕方、手帳をみて、考え込んでいました。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5.最初の目撃(8月23日)

2011年09月28日 | 捜猫記
娘は週があけて22日月曜日から、本栖湖の青少年スポーツセンターに合宿に行っていました。
個人でやっているスポーツで、
はじめての合宿のうえ中学生女子が彼女だけ、
さらに登校日のために一日早くひとり帰る予定なので、
お迎えがてらわたしも
24日水曜日に本栖湖に行き一泊することにしていました。

そのわたしの本栖湖行きの前日、
23日の夕方ちかく
思いもかけぬ電話をいただきました。

それは別荘地の知らない方からの電話でしたが

「Aさんですか?ぼくIKといいます、びゃっこちゃんがさっき、うちに来ましたよ!」

文字通り、とびあがりました。



IKさんのお庭をおうちにあがっていく小径に
白くて頭が黒く、背中に黒いもようのある猫がきて
座って見上げたそうなのです。
でもすぐ、行ってしまった と。
その後IKさんは管理事務所で貼り紙をみて、すぐにわたしのケイタイにお電話くださったのです。

お互いに家の位置を確認すると、
IKさんのお宅はうちの家の一筋上の、赤岳にむかっての右方向に
だいぶ歩いた位置のようでした。

すぐに両親に電話すると、両親は急いでIKさんのお宅に行ってくれました。
するとIKさんはすぐにうちに向かってくださったために行き違いになってしまいました。
なんていい方なんでしょう。


ともあれ、
無事だった!!!(>_<。)゜。!!!!


「元気そうで、毛並みもよかったですよ!」
とIKさん。

IKさんは、お会いしたこともない方なのです。
両親をわざわざ、尋ねてきてくださったTGさんもです。
貼り紙してくださった、管理事務所の方、ありがとうございます!
IKさん、TGさん、ご近所のみなさん、
なんて有難いのでしょう、
でもとにかく無事で元気でいてくれたのです。


そしてまだ山でお散歩のたびに探してくれている、友人のYKちゃんにもすぐ電話しました。
「ここのところ毎日ひどい雨ばかりだったのが、ひさしぶりに雨が上がった午後だったから、
 里心がついたのよ。
 帰りたいと思い始めたんじゃないかな」
とYKちゃん。

そしてなんと幸いなことに、IKさんはいま別荘に常住しておいでなのでした!

「またなにかあったら連絡します」とIKさんは、おっしゃってくださいました。


一筋上のだいぶむこうにいるということは、
やっぱり上のほうに上がって、もとにもどれなくなっているのでしょうか。

とにかく、自活していることはたしかなようでした。

両親の帰京まであと、3日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4.なすすべもない  そして猫の名前に関する考察

2011年09月28日 | 捜猫記
帰れば帰ったでいろいろな楽しい約束もあり、娘の予定もあり
しなくてはならないこともたくさんあります。

でも
いつも胸がつまっているようなかんじ。

母もそう言い、おとなりの美人バレリーナちゃんも
そのほか白虎を探してくださった方々がみんな
みつかる日まで、ずっとそうだった、と言ってくださいました。


別荘地は無人の家もあるので、居場所にする軒下や縁の下には困らないだろうけれど
標高が1700から1800あればすでに山の雲のかかる高さで
平地よりずっと雨も多いのです。
雨の日はやっぱり濡れていないだろうか。

猫のあの小さな頭のなかには
「取り越し苦労」とか「この先の心配」とかはないらしいから

そりゃ人間たちが避暑に行く快適な環境で、さしたる危険も害獣もなく
いまは猫にとっても、涼を得てたのしいかもしれないけれど

でもわたしは知っているのです、
山は秋になればたちまち零下の日も来る
おりしも大型の駘風も近づいてきている…

ちゃんと食べてるだろうか?
小鳥とか山のねずみとか?
水はどこで飲んでいるのだろうか?
こわい思いしていないだろうか?

まだ山にいる両親からは、
近隣の方々が気にかけていてくださること、
管理事務所の貼り紙を見て、F地区のTGさんという方がわざわざ訪ねてきてくださり
自転車でよく別荘地内をまわっていらっしゃるので探してくださると言ってくださったことなど、しらせてくれ
また父は散歩をしながら呼んで歩いてくれているようなのでした。

猫に詳しい複数の方たちや、
ネットで猫を捜した方の記事をみると
逃げていなくなってしまったコは、
だいたい1週間から3週間くらいのあいだ、ほんとうになんの音沙汰も気配もなく
その後 ひょっこり現れたりすることが多いようなのです。


だけど、なすすべもない…


なにもないとただただ凹んでしまうし
知り合いのイラストレーターさんたちが柴又の「寅さん記念館」隣で
すでに8月恒例の「寅さんイラスト展」(略して寅スト展)を開催中なので、
ちょいと飲み会に参加しにいってきました

そして柴又帝釈天さんに よーくお願いし
「ペット守」も買い
(すでに神頼みの域にはいってきました)

その飲み会でビャコたんの話になったところ
いぜんに「とら」と「さくら」と名前をつけた2匹の猫のうち
「とら」は出奔してしまったという方が…!

「いやいや寅さんは48作中48回家出して48回帰ってきてますよ」と
主催のイラストレーターMJさんがナイスフォローでしたが、

じつは、昨年の夏のはじめに、まだ若い猫を一匹亡くしていました。
うちのベランダ(5階)から、早朝おそらくスズメでも追ったのか
飛び出して転落してしまったのです。
それでひと夏 過呼吸になったりしてしんどくって悲しい想いをしたあと
9月にひきとった2匹の兄弟が、白虎と白龍でした。

その亡くしたコはコトラという名前、
今回、家出したのは2匹のうち白虎。

もしかして、猫に「トラ」という名前をつけると勢いがつきすぎてしまうのかしら?

(この話をしたら、おばさまが くろこ、うしこ、とらこ(柄でつけた名前らしい)という猫を飼っていたら
とらこだけいなくなった、という方もおられました!しえええーー)

そこで娘と相談して、改名することにしました。
白虎の虎を違う字に。
珊瑚の瑚 も 掌中の珠というかんじでいいかしら と思ったら
娘は 琥珀の琥 は?という
玉のなかにはいれば守られていいかもと
本人不在で勝手に白琥と改名
まあしかし音(おん)が同じなら 猫にとっては問題ないであろう。

そんなことしかできることもなく…
もうすぐ2週間がたとうとしていました。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3.猫一匹がいない帰京 (I miss YOU)

2011年09月26日 | 捜猫記
2011年8月20日
白虎がいないまま帰京しました。
娘と、めだか(娘の小学校4年生の課題の3代目)と、白龍を乗せて
車で中央高速渋滞4時間の運転。

娘の夏休みの予定があるので
ともかく帰らなくてはなりませんし

いずれにしても別荘地というのは基本的には長くはいない場所です。


両親は26日までの滞在ですが
ビャコたんにとって、うちの両親はほぼ他人…(T_T)なじみのない人です。
でも、あいかわらず歩きながら呼んだり、
ご近所に引き続き声をかけたりして
心配してくれています。

帰ってこれないのか。
帰る気がなくなっちゃったのかな。

きれいな月夜の晩だったし
彼には、うちは窮屈だったのかなあ…(T_T)

すりすりくんだったけど、気をつかっていて、いやになっちゃったかな。


入れ違いに別荘にいった、わたしの体を整えてくれている先生でもある友人も
探してくれています。
彼女はときどきうちに来ているので、彼女の声ならわかるかな…と
一縷の希望をかけています。
動物が好きでよく歩く彼女、
探してくれてありがたいです。

管理事務所に似顔絵の貼り紙もしてきました。

名前 びゃっこ。
頭と足の付け根に黒い模様、目は金色。
銀の首輪に青い鈴。
しっぽはカギで黒いです。
って、その場でこんなような絵を描いてきました。
見かけたらご連絡くださいと、わたしのケイタイの番号も。


ともすると、水に…車に… 最近多いというヘビに…
といやな画像が浮かんできそうですが
友人である体の先生の言葉を思い、
とにかく悪いイメージは思い浮かべないようにし
あの、なつこい びゃこたんが、にゃあーんって寄ってくるイメージを
繰り返します。


おとなりの猫のプロ(?)の美人バレリーナちゃんは
「もう東京に向かって歩き出しているかも…
びゃこたんは、なつこいから、だれかいい人になついて
首輪の電話番号に電話してくれるといいけど。
でも、なついた人がすごいおばあさんで、首輪の名札の字が小さくて読めなかったら、どうしよう…」とまで心配してくれてます(>_<)




のこってる白龍は、ビクビクのひきこもりくんなので、
いつも、にゃあーんって寄ってくるびゃこたんがいないと
家が しいん としていて

なんだかがっかりしてしまって
思わず半日ぐったり寝込んでしまいました。

びゃこたん。
びゃこたんのいない家はさみしいよ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2.猫を捜す1 立ちわかれ いなばのやまの峰に生(お)ふる

2011年09月25日 | 捜猫記
最初は、甘くみていました。
「ちょっと、遊びにいっちゃって、怒らないで、おかあしゃん、えへへ…(^^♪」
と彼が帰ってくると思っていたのです。

もちろんその一晩は(2011年8月12日の夜)、ほとんど眠れませんでした。
起きては呼び、呼んではうとうとし

0時半ごろ(標高1800近いうちのまわりでは、0時半はもう完全な深夜なのです)
遠くの、上のほうから、にゃー、にゃー、にゃーというかすかな猫の声がきこえてきたのです。
はっ!と飛び起き外に出て、大きな声でまた呼びました。
でも、いつものビャコたんの甘えるような声ではなく
よその猫の声かなあと思って、
外に探しに出るまでではないかなあ、と思ってしまったのです。

あとで思うと、
12日金曜はお盆休みの金曜日、夜中じゅう、下から車が上がってきていました。
都会は暑い日が続き、また節電の夏、
ことしはとくに夏の入荘率が多く
11日から数日のあいだ、なんとはじめて別荘地の上のほうで断水したほどでした。

そのひきもきらず道をあがってくる車に
いそいそと出た彼は思いもかけず
どんどんこわくて上に追いたてられていってしまい、
そのとき、もう場所がわからなくなっていたのかもしれません。

そのうち声はやみ、わたしもまた、部屋にもどりうとうととしました。

その後もう猫の声はしませんでした。

そしてまた起きては呼び、またすこし寝る。

でも朝、ご飯の時間になっても戻らない。



それから、毎日、夜の10時過ぎに月明かりのなかの別荘地を呼んで歩き
暁どき、日の昇るまえに起きて呼びました。

「たぶん、しばらくは昼間はどこかにじっと身を潜めて隠れてるから、
猫は暗くなってから動くから、夜になったら呼んでみて」と
仲よしの東京のおとなりさんの美人バレリーナちゃんが
メールで教えてくださったからです。


でも、なんの気配も、なんの声もせず、
首の鈴の音のちりんもころんもなんにも聞こえません。


ダンナと父は、近隣の家をまわり、自分の家ももちろん
あちこちの縁の下をみてまわってくれました。
両親で近所じゅうに、捜索願いをしてくれ、
「ご近所と、ちょっと散歩で顔があうというのではなくてちゃんと知り合いになったよ」
と父は笑って言ってくれました。


いつもわたしと娘の体をみてくれている先生であり、友人であるYKちゃんからは
「悪い想像やイメージを口にしないで
そして白虎が無事に帰って喜ぶイメージを持ち続けて」と 。



ずっと好きで見ていたHNKの朝の連ドラの「ゲゲゲの女房」に
質屋に出す大切なお着物に戻ってくるようにとおまじないの和歌をはさんだら
それはじつは猫が帰ってくるおまじないだった!という話があったのを思い出し
スケッチブックの紙を一枚やぶって筆ペンで書いて貼りました。

わたしが書いたのは「瀬を早み、岩にせかるる滝川の」という崇徳上皇の歌で
「別れても末に逢はんとぞ思ふ」という下の句でした。
ふつかほどたって、ネットで調べてみたところ、あらら、わたし歌間違ってました(~_~;
正しいのは(「ゲゲゲの女房」に出てきたのも)
在原業平(ありわらのなりひら)卿の

「立ちわかれ 因幡の山の峰に生ふる 待つとしきかば 今 かへりこむ」
(赴任で因幡に行くことになり、別れ別れになってしまったが、その因幡の山の峰にある松=待つ、といっているときくならば、いま、帰ってきてください(T_T))
という歌でした。

全部を玄関の戸の内側に書く、とか
上の句を猫の茶碗の下におき、帰ってきたら下の句を書き添えて燃やす、とか。

両方やりました。




近所の方たちもみなさんが
気にしてくださっていて、ありがたいです。


17日木曜日。ダンナと帰るはずでしたが
ダンナだけ帰ってもらって、わたしは娘と残りました。
その晩、東京は27度から気温が下がらぬ熱帯夜(ひえーーー)
その酷暑をまぬがれたのはビャコたんのおかげでしたが…


そして19日金曜日。

一週間たちました。

白虎を見た人もいないし、家のまわりに気配もありません。
明日20日には、娘の予定の都合でどうしても帰京しなくてはなりません。

夕方から、
いつものうちの2にゃんのご飯の時間の夜7時すぎかけて
別荘地のなかを呼んで歩きました。
とっぷり暮れても戻らないで、母が「道に迷ってない?」とケイタイに電話をくれました。

それから、9時すぎからまた周りを30分くらい、まわりました。

ここのところずっとよい月夜で、月影が文字通り清か(さやか)でしたが
この最後の夜は月が雲にかくれていて、歩いていて
やっぱりちょっとこわかった。

最後の明け方は、
日の昇るまえから日が昇るまでの、いつもうちの猫たちが遊んで走り回る時間帯に
40分くらい歩きました。
晴れていれば空がだんだん明るくなりさまざまな色が満ち溢れ
朝のオーケストラ山の小鳥隊が目覚めて啼き始める心楽しい時間帯なのに
この朝の、お天気も気持ちも雨降り。

そして朝8時、残っている相方の白龍が「ごはんにゃー」ってなくので
いっしょにおなかが空くのではと、
そのときにも呼びました。


かえっておいでーーーー

「びゃっこーーーー!かえってきてーーーー」
娘はもう時間がないと、おこったように呼ぶ。
おこらないでやって。
あの、シッポをたてて、うきうきと出ていくうれしそうな後ろ姿が何度も目に浮かびます。

ふしぎ(というか、なんというか(~_~;)…)なのは
ひとり残った相方の白龍です。

心配して鳴いてくれれば、その声で白虎が帰ってこないか…と思うのに
相変わらず昼間は「コワイコワイ」とベッドのお布団のなか。
人が部屋に入ると後ずさりして、反対側から落ちるほどのボケっぷり。

そして、朝「ビャコたーーーーーん」と、お茶碗をかんかーーん!と打ち合わせる私の耳に
「にゃーーーーん♪」と嬉しげに返事をするのは
部屋の中のハクちゃん(~_~)

でも、彼が泰然としているのは、相方が無事だから…と思いたい。



そして、帰京の日がやってきました。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1.家出 8月12日金曜日 月夜の晩に。

2011年09月25日 | 捜猫記
八ヶ岳高原海の口自然郷は、八ヶ岳連峰の東山麓、赤岳の中腹にある
標高1500メートルの八ヶ岳高原ロッジを中心とする、約200万坪の広大な別荘地です。
自然ゆたかでひじょうに美しい場所です。

ブリティッシュなテイスト、というのでしょうか。
造られていなところが良しとされている自然環境で

夜がほんとうに暗く、星がたくさん、たくさん大きく見え
作庭される方もおいでですが、
大半のおうちは
高山の草花が、
からまつやこなら、だけかんばや、ななかまどなどの下に生い茂る、
ターシャのイングリッシュシュガーデンのようにしておいでです。

ここには八ヶ岳高原の自然に魅せられた方々が、毎年春から秋まで
とくに夏の都会の暑さを避けてやってきます。

わたしの祖母もそんなひとりでした。
祖父亡きあと
母の兄弟姉妹と祖母、わたしの父と一緒に信州じゅうをめぐったふた夏を経て
祖母が一番好きになったこの地に家を建てました。
ですからわたしは、小学生の頃から、祖母やおじ、おば、両親とここで夏の何日かを過ごしてきて、
そしてわたしの娘も1歳のときから、夏に、春に、秋にとここで過ごしてきました。
ここが大好きだった祖母が亡くなったあとも…



ことしの夏は、1歳3ヶ月の猫の兄弟を連れていきました。

昨年の秋、近隣の地域猫ボランティアさんの手で
環境のよくない場所からレスキューされてきた兄弟です。
保護され、去勢手術とワクチンをうけたあと、「もしよかったら」とうちにやってきて、
うちのコになりました。

助け合ってきたらしく、すごく仲のよい兄弟で
白龍と白虎という名前にしました。

「人になれていないから、こわがって家のどこかに入り込んでしまうと、みつからなくなるから」と
猫ボランティアさんがケージ(おり)を貸してくださって、
まずはそこからはじめました。
暑い暑い残暑だったのに、羽二重もちみたいにくっついて、コワイコワイで、
目つきがわるくって、がりがりでおなかばっかりおおきくて、
どっかのお稲荷さんのきつねさんみたいでした。

これは、羽二重餅!こんなんでした、ホント↓




それが昨年の9月。10月、11月と、すこしずつ、すこしずつなついてくれて
やがてケージもいらなくなり
家猫修行もだいたい完成。
なんと、ふこふこで、まっしろの家猫になりました。

白龍はそれでもかなりのビクビクさん。
白虎は、とってもフレンドリーでなつこい子で、
わたしたちに好き好き、って、お顔をごっつんごっつんしてくれたり、
冬はしょっちゅうお布団にきていっしょに寝ていました。


その、なつこいビャコ(白虎)たんが、家出。




別荘地には毎夏、猫を連れてくるおうちもけっこうおいでのようです。
外飼いするおうちもけっこうあります。

おとなりさんは、もう歯もないシニア猫ちゃんのタンタン氏を
毎年ひと夏連れておいでです。
タンタンは、飼い主さんが亡くなってしまっておとなりのすみこさんにひきとられたときは
カリカリしか食べないシティボーイだったそうですが、
山に来るたびに、
首輪の鈴をちりんころんと勇ましく鳴らしては
うちの先までをなわばりに歩き、
山のかわいい、小さい、きれいなねずみ(あかねずみとか、ひめねずみとか、森に住むねずみ)をとっては、おかあちゃまに持って行く、
八ヶ岳ライフを毎年満喫しています。


ことしは仲良しのIZAさまのお宅でも
おじょうさまが拾ってきたばかりのきれいな子猫ちゃんのむーちゃんを連れていらして
すぐにお庭にお出しになったそうで、
むーちゃんはすぐに山のおうちになじんで、じょうずに車の下をよけながら、おうちのまわりで楽しそうにしていました。

「だからだいじょうぶ、猫は意外に賢いから」と言われていたのですが
決心がつかず、山に家についてから
一部屋に3、4日ほど閉じ込めていました。
一応、逃げないように柵もつくっていました。

うちは、ちょっと変わったつくりの家で
各部屋のドアが野外とダイレクトなのです。




2011年8月12日、満月の二日まえの夜でした。
きれいな月影(月あかり)でした。
どこか遠くの上のほうで、ふくろうが「ほうほう、ごろすけほうほう」と鳴いていました。
わたしはあまりここでふくろうの声を聴いたことがなくて
なんだか不思議な夜だなあと思っていました。


用事があってあけたドア、気をつけていたはずなのに
振り向いたら、目をきらきらさせていたビャコたんが
するりと出ていくところでした。

あっ、
と叫んで部屋を出ると
月明かりの夜のなかに、ビャコたんがうきうきと、カギのシッポをたてて、
でていくうしろ姿

相方のハクちゃん(白龍)は、目をまんまるにしていましたが
コワイコワイのコなので、ちょっとビクビクしている間に、兄たん(どっちか兄だかわからないので、両方兄たんとよんでいる)は出て行ってしまい、
彼ひとりが残りました。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エピローグ 白琥(びゃっこ)、別荘地での家出

2011年09月18日 | 捜猫記

これが、我が家の兄弟猫、白龍と白琥(白虎から改名)の、
びゃっこのほうです。
白くて金色の目。
あたまと足のつけねの背中よりに黒いもようがあり、
小さな青い鈴のついた銀の首輪をしていました。
性格はとてもひとなつこい。

ことしの夏、つまり2011年8月の12日の夜、
八ヶ岳高原ロッジを中心とした海ノ口自然郷の、標高約1750メートルの両親の家から、うきうきと家出してしまいました。


満月のふつか前の月の夜でした。



猫を捜し求めた1ヶ月を、ここに綴ります。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする