厚48の続きです。
前回はこちらの厚木高校入口交差点まででした。道が左右に分かれていて、左が今回目指す毛利台団地や七沢方面、右が緑が丘&工芸大学方面…
左行くと南毛利中学校…毛利って地名はこの辺りからすでに始まっているんですね。でも、まっすぐ進みます。
…渋滞長っ!
日立オート…長っ!!
日立ナントカ辺りから下り…緑が増えてきました。
片側だけでも切通っていうのかなあ?
その片側の先に石碑みっけ!
「さるげいと」…「猿」+「谷戸」=「さるが谷戸」転じて「さるげいと」だそうで、南毛利中学校入口から片岸にかけての辺りだそうです。あと、
「去る峠」「猿峠」とも呼ばれていたそうで、婚礼の際にお嫁さんはこの道を通らなかった…って、幸せが「去る」からってこと?
ちなみに、南毛利中学校入口ですが、同名の交差点が厚木高校入口の少し先にありました。
そして、前述の「さるげいと」の先にあるのが片岸交差点。
そうなんですよ。この辺から急に水田地帯になるんです。
ファミリー花園だそうです。
歩道から色とりどりの花々を狙ってみたんですけど…
欲張り過ぎたのでこれだけ…
この交差点から先しばらくは、以前取り上げた厚44ルートと重複します。なので、歩くだけで画像は割愛しようと思ったのですが…
温水橋で、今回初めて気づいたんです!
これって鉄琴ですか?
下にバチがぶら下がってる!…鉄琴の下にロープが通っているから、叩きながら移動できるってことですか。
鉄琴の隣りに楽譜があったので、楽譜見ながら叩こうと思ったら、隣同士がどっちも「ソ」!…どうやら、左から右に順に叩けば、曲が完成するパターンのようです。あ、忘れてましたけど、曲名は「夕焼け小焼け」でした。あと、なんで「夕焼け小焼け」なのかと言いますと、作詞の中村雨紅という人が
厚木で高校の先生をしていたからだそうです。あと「夕焼け小焼け」と言えば、橋25ルートの時にも中村雨紅が住んでいたところの前を通りました。
高坪入口交差点。ここで厚44の時は直進でしたけど、今回は右折です。あと、チラッと見えているのが右折待ちの毛利台団地行き。
…というわけで、今回はここまで。ちなみに、毛利という地名ですが、源頼朝の側近として幕府創設に貢献した大江広元が領地として与えられたのが
「相模国毛利庄」すなわち現在の厚木市で、その子が毛利姓を名乗り、さらにその子孫が広島に移り…そうなんです! 実は今回毛利台団地へ向かうこの系統をチョイスした時に「毛利元就と関係あるのかな? まさかないだろう…」と思ったら、大アリどころか、ルーツがここにあったんです! あー驚いた。