**馬耳東風**

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超常現象・超能力者・・(痕跡はあるようです)

2015-12-20 | 世事諸々
超能力や超常現象を信じないまでも興味は持っている人は少なくなさそうです。イギリスやアメリカでは19世紀末に超能力・超常現象ブームがあり、降霊、ラップ音、騒霊、透視、念力、などという言葉もこのころ生まれ、体験者も多く、広く世間に知られるようになったのです。その余韻が20世紀のにつながり、アメリカのいくつかの大学では大真面目に科学的検証を試みるところまで現れました。

カリフォルニア大学デイビス校もそのひとつで、一般に呼びかけて、超能力があると思っている人のための能力検証・公開調査を行ったのです。(現在もまだ続行中かも知れません)

超能力を持っている(と思う)人は誰でも、いつでも大学を訪れて(検査)を受けることが出来るというものです。一例をあげると、透視能力検査では、一室に被験者が座り、壁の向こうの隣室の様子を透視して、見えた(と思う)ものを紙に書くというものです。隣室の様子は毎回変えて、人が(いるとしたら)男女の別、めがねの有無、服装、と透視できたものを書き、テーブルの上の備品、照明器具なども解れば全て付記するというものです。

これまで数百人の被験者がありましたが、結果は、ウイリアム・ジエームズの法則(超能力があると思う人にはその証拠が見つかり、ないと思う人にはいつも証拠不十分)の再確認で曖昧さ残すものでした。被験者の多くは隣室の男女の存在を正確に言い当てた場合でも、部屋の構造を正確に述べることが出来ず、部屋の形状が矩形なのを長方形と誤認したり、まその逆に部屋の様子には詳しく迫りながら人物の透視ができなかったり、眼鏡や服装に該当性がなかったり、机上のものや備品について正解率が少なく、よく出来たものも曖昧さが奇禍となって総合点数が50ポイントを越えることが出来なかったというものでした。

サイコキネシス(念力)、テレフォーカス(遠視)などの一般公募テストでも特に際立った超能力者の出現はなかったようで、過去数十年間に公表された調査結果のいずれもジャーナリズムに取り上げられるほどの(ユリゲラーのような)ものは一人もなく、やや期待はずれに終っているとのことです。フォキャスト〔予知能力〕に至っては現代社会の凡庸な関心事を過剰に反映したものが多く、近未来は多雨による陸地の水没、大地震による文明世界の破滅、といった想像力に欠けたものが多く、後に検査の対象から外されたということです。

しかし、視点をかえてみると、超能力とは言わないまでも、非凡な能力というものはあるかも知れません。普通人の理解を超えた能力というものはあるようです。その一例はフラッシュ暗算という能力で、今ではよく知られているものですが、ブラウン管に連続して十分の一秒で瞬く3,4桁の数字を十数個、瞬時に暗算するというものです。日本の小中学生のそろばん塾などで訓練しているというので、もはや稀少とも言えないかも知れませんが、それでも過去にはなかったものです。

上級者の中には4桁以上の数列数十個を一秒以内という早さでブラウン管にフラッシュされる問題を殆ど瞬時に算出する複写コンピュータのような人もいるとのことです。どのように計算するのか、計算の経緯は詳らかではありませんが、回答者の子供に問うと、計算の過程は判らないが解答の数字が頭の内側の(額の辺り)に見えるとのことで面妖な話になります。

通常人には想像も付かない才能というものは他にもあります。それは通常人からみるとハンディキャップを持っていると思われる人々の中に多く芽生える才能で、重度の自閉症の一つにサヴァン症候群という病気がありますが、その患者の中には障害の代償に(神に)与えられたのかと思われるほど稀有な才能がたまに見受けられるのです。

ハリウッド映画の「レインマン」という作品に実在の人物として紹介されていますが、主人公はサヴァン症候群患者で、知的障碍者でありながら、フラッシュ計算以上の不可思議な能力を見せるのです。正常者の兄と一緒にレストランで食事を済ませ席を立ったときウエートレスが楊枝入れをフロアーに落とすのですが、それを見て瞬時に、「98本」とつぶやくのです。それはフロアーに撒かれた楊枝の数を言い当てていたのです。この病気の特徴は異常な執着心(強いこだわり)といものだそうですが、それが時に不思議な才能として顕現するするというものです。

サヴァン症候群に限らず、自閉症者に画才に恵まれた人が多いのは周知のことですが、その中でも人間の脳機能の範囲を越えた(と思われる)記憶力を駆使して風景描写をする青年がアメリカの地方都市に居住しているとテレビで紹介されたことがあります。建物が林立する街の景色をを走る電車の中から眺め、目に映った全てを記憶して自宅に戻り、翌日鉛筆で巻紙式のロールペーパーにスケッチするというものです。建物の配列や樹木、交差する車両、煙突や特徴のある警察署などまで詳細を極め、一点の誤りもなく数メートルの用紙に活写するというものです。高低様々な建物、その窓の形状、細部に至る写生は後に写真照合されてその精緻さは証明されているということです。不可思議ですが、もしかしたら、人間誰にでもある秘められた能力なのかも知れません。

その他に、同じサヴァン症候群患者に語学の天才というのもいるようです。リトアニアの小都市に赴任して一ヶ月でその国の言語をマスターしたと、サヴァン症候群患者自身が自己紹介しています。読み書き会話から文章の構成に至るまでリトアニア人と変わることなく話し書くことが出来るようになった、と長年強度の自閉症に苦しんだ本人が自伝風に本にして出版しているのです。自分でも思いがけない能力に驚いているということでした。

数学者の藤原正彦さんが日本にも紹介しているインドの天才数学者、ラマヌジャンの事例は世界的に有名でご存知の方も多いと思います。南インドの貧しい家庭で育ち、高校卒業程度の教育を終えて、地方役所の事務員をしながら独学で高等数学を(理解)し、さらに自己発展して高等数学の新領域に踏み入り、新しい定理や公式、無限級数などといった複雑な数式を、三十二才で他界するまでの短い生涯に、三千以上も作ってみせ、欧米の数学界を驚倒させたという、今も語り草になっている人物です。

遠い昔から天才は百年に一度、千年に一度、必ず世に現れて偉業をなしているという説があります。ピラミッドの建築は高度な数学力が不可欠なはずで、古代人の能力でも可能であった、などと現代人の学者の一部が推論していますが、そうであったとしても、それを設計し石材運搬し積み上げて構築した技量は推論すら及ばないものに思えます。未だ誰にも推測できない、われわれの物差しにはない重量と寸法の巨大構築物で、それを設計し指揮して建造した古代の天才は必ずいたはずで、それゆえ現代人の科学力をもっても容易にはリプロデュース出来ないという事実があるのです。予想外の何らかの方法がこの建造には用いられていたと推論されているのです。

ペルーの古代遺跡は神秘のベールに包まれています。なかんずくクスコ周辺はマチュピチュやナスカの地上絵が観光名所ですが、それ以上に神秘的なのは、実は現代の先端技術でも解明出来ないと言われているクスコの街の土台石、礎石群です。スペイン人の教会やその他の建築物の全てはその礎石群の上に建っていて、それは巨大な石組みの構造物なのです。インカの建築物をことごとく破壊したスペイン人も、これらの礎石の堅牢優美さには魅了されて一箇所も壊すことはしなかったと言われています。その当時の先進国、スペイン人達の目にも、その石組みの非凡な技術は見て取ることが出来て、破壊することはなかったのでしょう。それは現在でも理解し難い精密な石組みで、様々な形状と大きさの(数十トンに及ぶ)巨石の接合面をヤスリを掛けたような緻密さで重ねてあるのです。溶接されたようだ、と感想を述べる観光客も少なくないそうです。数十トンの巨石を数百個並べて数段積み上げ、それらを一ミリの誤差もなくピッタリと組み合わせているのです。ジグソーパズルのような自在な形の凹凸のある石も多くそれぞれの石の組み合わせは優美ともいえる完成度で、仮に手仕事だとすると途方もない手間ひまを掛けたことになります正四角形・長方形で積み上げる容易さを捨てて、あえて凹凸形を選び、それをピタリと組み合わせる高度な技術、どこにそこまで過剰に精密に作る必要性、必然性があったのか、現代人は理解に苦しむことになります。

標高4000米の市街地クスコから、バスでさらに一時間ほど上に登ったところにサクサイワマン遺跡という、インカ文明より遥かに古いとも言われている年代不詳の巨石長壁が大地にわだかまっています。観光名所のひとつです。巨大石組の中には百トンを越える切石もあると言います。この城壁跡のような巨石の石組み一個も一辺が5メートルを越えるものが多く、方形でありながらわざとのように窪みや凹凸をつけて組み合わせているのがクスコ市街地の礎石群を思わせ、おそらく同時代のものと思われています。溶接したかのような石組みの密着度も共通したものです。丹念に時間を掛けて注意深く調べても、石組みのどこにも隙間を見つけることは出来ません。それを剃刀の刃も通らない、と現地のツアーガイドは誇らしげに解説します。

さらに驚くことは、その石材の供出先の石切り場が深い谷を挟んだ遥か向こうの尾根に見えているということです。そこからどのようにして数十トンから百トン超の巨石をこのストンウオール(石壁)の現場に運び上げたか、それにはいまでも誰にも答えることが出来ない謎なのです。

人類の足跡には、いつもどこかに古代の天才の出現を思わせるものがあるようです。超能力ともいえる力が人類史のところどころに現れ、明らかな痕跡を残しているかに見えるのです。人類の文明も文化も、技術も科学も、刻苦勉励と試行錯誤で進歩を続けている反面、歴史の要所要所では途方もない天才の出現で、天狗飛びのような跳躍をしている痕跡を目にしない訳にはいかないようです。そんな痕跡がいたるところに残っているのです。

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