文 美 禄 ( bunbiroku )

美禄にはいままで一切縁が無かった。かといって、決して大酒飲みでもないし美酒を求めてきたこともない。忘備録になればと。

岡潔の言葉 ( その22 ) 

2017年02月14日 05時32分19秒 | 岡潔
 人の情緒は固有のメロディ—で、 その中に流れと彩りと輝きがある。 そのメ口ディーがいきいきしていると、 生命の緑の芽も青々としている。 そんな人には、 何を見ても深い彩りや輝きの中に見えるだろう。 ところが、 この芽が色あせてきたり、 枯れてしまったりしている人がある。 そんな人には何を見ても枯野のようにしか見えないだろう。 これが物質王義者とよばれる人たちである。 生命の緑の芽の青々とした人なら、 冬枯れの野に大根畑を見れば、 あそこに生命があるとすぐわかる。 生命が生命を認識するのである。 こうした人にはまた、 真善美の実在することもわかる。 しかし、 物質王義者には決してわからない。
  「 春風夏雨 」 ( 情緒と日本人 27頁)



岡潔の言葉 ( その21 ) 

2017年02月12日 20時41分19秒 | 岡潔
 情と愛 ( 欧米でいう ) とは違う。 愛も情にちがいないがごく浅いのであって、 情は心が通い合うのであるが、 愛は自他対立する。 愛を連続的に変化させるといつの間にか憎しみに変わる。 それで仏教では愛憎というのである。   「 一葉舟 」 ( 情緒と日本人 27頁)


岡潔の言葉 ( その20 ) 

2017年01月05日 05時39分34秒 | 岡潔
 情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。 社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう。 そう考えれば、 四季の変化の豊かだったこの日本で、 もう春にチョウが舞わなくなり、 夏にホタルが飛ばなくなったことがどんなにたいへんなことかがわかるはずだ。 これは農薬のせいに違いないが、 農薬をどんどんまいてはしごをかけて登らなければならないような大きなキャベツを作っても、 いったい何になるのだろう。 キャベツを作る方は勝手口で、 スミレ咲きチョウの舞う野原、 こちらの方が表玄関なのだ。 情緒の中心が人間の表玄関であるということ、 そしてそれを荒らすのは許せないということ、 これをみんながもっともっと知ってほしい。 これが私の第一の願いなのである。
   「 春宵十話 」 ( 情緒と日本人 26頁)


岡潔の言葉 ( その19 )  

2016年12月30日 09時00分08秒 | 岡潔
 あなた方にぜひおすすめしたい本に、 フランスの作家 サン=テグジュペリ の日本語訳 「 星の王子さま 」 というのがあります。 童心を知るまことによい本です。
 そうすると、 きっと気づくでしようが、 日本人と情緒がまったく同じであること、 ただちがうのは、 表現がひどく歯切れがよい、 ということです。
  「風蘭」 ( 情緒と日本人 127頁)

 文美禄 : 本は誰でもご存知でしょうから、ここではリンクしません。 もう、 ずいぶん前に映画館で見たミュージカルで、音楽がとてよくて、 サウンドトラックのLPを買い、 何度も聞きました。 その後しばらくして、 発売されたDVDを買って、懐かしく見ました。 それが、 このDVDです。

星の王子さま [DVD]

星の王子さま [DVD]

  • 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
  • メディア: DVD





岡潔の言葉 ( その18 ) 

2016年12月21日 07時25分56秒 | 岡潔
 どの曲がだれのものだとか、 そんな知識は全然ないが、 ともかく音楽を聞くのは好きである。 数学と音楽が特に縁が深いというのも一般にいわれていることである。 道元禅師は 「 はじめ身心を挙 ( こ ) して色 ( しき ) を看取し、 身心を挙して音を聰取せよ 」 といっているが、 それがすんだらこんどは 「 身心を挙して色を聴取し、 身心を挙して音を看取せよ 」 といっている。 芸術の鑑賞はやはりこれが本当なのではなかろうか。 それからみると一般に考えられている芸術鑑賞というものは、 すべて芸術を浅く見すぎているのではないかと思う。
   『春宵十話』 ( 情緒と日本人 112頁)


岡潔の言葉 ( その17 )

2016年12月19日 07時37分22秒 | 岡潔
 たとえばモデルを女性として尊重しないような絵かきが多い。 そういう人の絵は人類にとつてプラスとは考えられない。 随所に間違いがあらわれている。 すべてのことが人本然の情緒というものの同感なしには存在し得ないということを認めなくてはなりません。 女性のモデルを女性としてよりも妙に取り扱う、 けもの的に取り扱う。 そういう状態でよい絵がかけたら、 絵について考え直さなければいけないが、 幸いよい絵はかけていない。 そのことに気づかないということはいけない状態です。
  「 対話 人間の建設 」 (人間と人生への無知) 49頁


岡潔の言葉 ( その16 ) 

2016年12月15日 07時35分50秒 | 岡潔
 フローベルは、 悪文は生理に合わないから、 息苦しくなると言っておりますが、 絵も同じです。 自我が強くなければ個性は出ない、 個性の働きを持たなければ芸術品はつくれない、 と考えていろいろやっていることは、 いま日本も世界もそうです。 いい絵がだんだんかけなくなっている原因の一つと思いいます。 坂本繁二郎という人は、 そんなにたくさん絵をかいておりませんけれども、 あの人が死んだら、後継ぎは出ないでしょうし、 高村光太郎の彫刻もそうです。 こういうのを美というのだと思います。 今の芸術家はいやな絵を押し切ってかいて、ほかの人にはかけないといって威張っている。
 「 対話 人間の建設 」 (無明ということ) 11頁 ※ 岡潔の言葉 ( その15 ) の続き


人間の建設 (新潮文庫)

人間の建設 (新潮文庫)

  • 作者: 小林 秀雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/02/26
  • メディア: 文庫





岡潔の言葉 ( その15 ) 

2016年12月14日 05時29分48秒 | 岡潔
 それほど私はピカソを高く評価しておりません。 ああいう人がいてくれたら、 無明のあることがよくわかって、 倫理的効果があるから有意義だとしか思っておりません。 ピカソ自身は、 無明を美だと思い違いしてかいているのだろうと思います。 人間の欠点が目につくということで、 長所がわかるというものではありませんね。 とうてい君子とはいえない。 小人にはいるでしょう。 アビリティはあります。 ピカソの絵の前にながく立っていると、 額から脂汗が出る感じです。 芥川がどこかの絵の展覧会で、 気に入った絵を見ていると、 それまで胃の全面にひろがっていた酸が一瞬に引くように感じたということを言っておりますが、 絵の調和とか不調和とかいうものは、 生理、 とくに胃の生理と結びついているように私は思うのです。 ピカソの絵は、とうてい長く見ていられない。 あれを高い値で買って居間に掛けようというのは、妙な心理です。    「 対話 人間の建設 」 (無明ということ) 10頁


岡潔の言葉 ( その14 )

2016年12月09日 07時38分24秒 | 岡潔
 吉川英治という小説家のことですが、 あの人とは三、四日会っただけですが、 非常によい友人になりました。 あんなに直観の働く人はめったにいない。 どんなふうな直観の働き方かというと、 人の心がわかってしまうのです。 それで私の家内は、 吉川さんくらい話しやすい人はないといいます。 そういうふうに直観が働く。 つまり相手がこういいたがっているなといち早く知って、 それがいいやすいように仕向けてくれるから、 ひどく話しやすいのです。 その吉川さんが小学校までしか行っていない。 だから、 あんな直観のよく働く人がなぜできたかというと、小学校までの教育しか受けなかったからだといえるんじゃなかろうかと思います。 実に人の心がよくわかる。 女性に、あの人は話しやすいといってほめてもらえるようなたちの直観のよく働く人になってみたいですね。
    「 岡潔集 」 ( 第五巻 ) ( 情緒と日本人 125頁)


岡潔の言葉 ( その13 ) 

2016年12月08日 05時12分10秒 | 岡潔
 よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、 私は野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。 咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、 それはスミレのあずかり知らないことだ。 咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。 私についていえば、 ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。 そしてその喜びは 「 発見の喜び 」 であって、 平生の喜びは甘さが淡く、生甲斐 ( 生命の充実感 ) である。     「春宵十話」* ( 情緒と日本人 101頁)