とりあえず、第三の〈地想観〉までまいりました。
特にこの三番目は、なんとなく読み流してしまうような印象です。
やはり前の二つと比べて、具体性に欠けるからでしょうか。
しかしです。
ここで
まず第一段階での
「極楽を観る」
という修行は完結するのです。
今回は
〈大きく極楽の地を見る〉
と訳してみましたが
もとの表記は
「粗見極楽国地」
なんですね。
この「粗」という言葉ですが、
通 . . . 本文を読む
ちょっと、タイミングがずれてしまってますが、
〈日想観〉に関しまして
「これだけは言っておかなくっちゃ!」
ということがあるのです。
夕日をじっと見る修行なんですけど、
じっと見た夕日を、目を閉じても再現できるように、と言うことは
ありありとまぶたの裏に想い出せるように、想い描けるように
ということですよね。
その続きに、
「目を開いても」その夕日をはっきりと思い浮かべる
とあるんで . . . 本文を読む
さて、始まりました『観無量寿経』ですが、
極楽を見るための修行法の13を順々にご紹介します!
“もしかして、一週で1つ?”
と思った方。
ハイ!正解です!
いや、別に引っ張っているのではなく、
言ってみれば、一観づつ、丁寧にイメージしてみてほしいからなのです。
一週間単位で、一つの瞑想をおこなう、みたいな感じで。
(若干、手抜きしたい気持ちも混じっているかも!?)
でも「極楽の様子を一つづ . . . 本文を読む
去年もこの時期に、おバカなタイトルの記事をアップしたんですが、覚えてらっしゃいますか?
→こちら
さて、タイトルの歌ですが、ご存知の方もおありでしょう
かの西行法師の辞世の句なのですが、
お恥ずかしながら昔は上の句しか知らず、
“ああ、西行さんは恋多き、という噂通り、ロマンチックな人やったんやなぁ…”
ぐらいに思ってたんですけど…
では、いきます!
願わくば 花の下にて春死なん その如月の望 . . . 本文を読む
いかがでしたでしょうか?
お釈迦様のナマな言葉が、一番含まれている、と言われる『法句経』。
その全26章にわたっての、西川先生による抜粋を、
より噛み砕いて、さらにわかりやすくしてみました。
みずみずしく、また時に激しく、
そして諦観をもって世間の営みを冷静に見つめ…
昔、大学の先生に
「お釈迦様は何も“仏教”を始めようと思ったのではない。
“真実のバラモン教”を復興しようとしたのだ!」
と . . . 本文を読む