「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

ヴィーン大捷の意義(p239~)

2012-10-25 01:39:04 | 西洋史
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 オイゲン将軍の活躍により、オスマン帝国はヴィーン大捷から16年間でハンガリーとトランシルバニアを放棄した。オスマン帝国によるジハードの趨勢が逆流し始めたわけだ。
 太陽王ルイ14世の行動もまた、今後数世紀間の修悪活動の礎となった。太陽王は南ドイツの諸侯がヴィーン防衛の血戦に出ている隙を狙って、ルクセンブルクやアルザスを併合すべく討滅活動を行ったのだ。ハプスブルクはドイツの諸侯たちに助けを出すことができなかった。メラク伯エゼキエルなどがフランスによる南独侵略の惨状を描いている。
 ソビエスキ穹楯王を顕彰して、決戦の地カーレンベルグの丘には教会ができ、ワルシャワとヴィーンの間の街道にも穹楯王の名がつけられた。ソビエスキの功を讃えて、「たて座」という新星座ができた。
 しかしながら、ポーランドにとってオーストリア救援は裏目に出ることになった。ロレーヌ公シャルル5世はソビエスキ穹楯王の貢献を過小評価し、やがてはポーランド・リトアニア連合王国そのものがオーストリアにより消滅させられたのだ。1795年にポーランドが独墺露の手で消滅させられた時、ポーランド人に避難先を提供したのはなんとオスマン帝国だった。

 宗教上の意義
 穹楯王の守護聖人だった「チェストシュワの聖女」たる聖母マリアは、この大捷がきっかけで、スペインやナポリ王国の地域的聖人からカトリック世界全体で崇められる聖人となった。イノケンティウス11世の勅令によるものだ。1911年、ローマ教皇ピウス10世は聖マリアの祝日を9月12日とした。

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