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熟年オジサンの映画・観劇・読書の感想です。タイトルは『イヴの総て』のミュージカル化『アプローズ』の中の挿入歌です。

泥花

2008-01-26 | 演劇
去年初めて劇団桟敷童子の舞台『しゃんしゃん影法師』(感想はこちら)を観て、すっかりファンになってしまった。
今回、雪の中を出掛けたのは、JR中野駅から徒歩5分の「中野光座」。古い建物の1階部分は小さな店舗が軒を連ねたレトロなマーケットで、劇場は狭い階段を上った元映画館だった2階部分。
階段下には、昭和時代の映画館の面影を残す、タイル張りの小窓のチケット売り場の跡がある。客席はざっと数えても100席弱。平日のマチネーで、しかも雪にもかかわらず満席の盛況だ。
前回同様、今回も感激したのは出演者全員が、出演衣裳のままで客を迎える徹底したホスピタリティ。元気で明るい出迎えに寒さに凍えた身体もホッコリ!

さて、『泥花』の舞台は、劇場の雰囲気そのままの昭和30年代の筑豊の炭鉱町。
狭い舞台の上手には、落盤事故で多くの犠牲者を出した炭鉱から逃げるように親類を頼ってきた、ヤマ主の子供たちの姉弟3人の住まいになる炭住。下手には、町の人々の憩いの場である食堂。
安保闘争や三池闘争が吹き荒れる前の小さな炭鉱町での、姉弟3人の家族の絆と、彼らを取り巻く人々のお話。
主演3人が何とも言えず良い感じだ。長女役の板垣桃子、次女役の川原洋子、末弟役の外山博美、ともに少し間違えば、お涙頂戴の臭い家族悲話になりかねないところを、シッカリとした演技力で踏みとどまっている。

生と死の端境でしか観ることができないという「泥花」は、古生代の植物が堆積し石化した「石炭」の暗喩としてキーワードであるが、舞台と客席一面に咲き乱れた希望の象徴「向日葵」のイメージにも重ね合わせている。
石炭が担ってきた役割は、時代の流れの中で大きく変化し、筑豊の人々の生活にも大きな影響を与えて来たことは歴史的な事実。
アダバナとしての泥花=石炭と人間の関わり…、聞こえは社会派演劇であるが、劇団桟敷童子の芝居の特色は、やはりそんな事とは関係なく、アングラ劇の高揚感であり、子供(少年)の目を通した純粋な世界観、つまり一種のファンタジーだと思う。
ラストで小さな舞台の奥から現れる、少年の希望である幻想の機関車は、スペクタクルを超えた感動もので、涙でぼやけてしまった。
この感動は、上野・不忍池畔の紅テントが開くと水面からプロペラ機が浮上した、あの状況劇場の『唐版・風の又三郎』の高揚感に繋がるものである。
劇団・桟敷童子の芝居は、そんなアングラ感覚を呼び覚ましてくれる懐かしさに満ちている。
(2008-1-23、中野光座にて、butler)


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