EMIKO NAKAMURA official blog-Emi 's ballpark-

ラテンアメリカの野球、生活、音楽、スペイン語、旅のことetc.
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Hasta luego...Mondesi !

2005-05-05 | Baseball
「モンデシー解雇!」
そのニュースを、私は皮肉にもサントドミンゴで知ることになりました。

翌日、地元の新聞の「Adios,Mondesi」という見出しを目にしたときは、やっぱり悲しくなりました。
そんな記事を読むために、スペイン語勉強したんじゃないよ~。

昨年シーズン中のドミニカでの裁判。日常茶飯事のような暴言。数年前の自らの引退宣言、、、。
いろいろあったけど、もうメジャーにモンデシーがいなくなるなんて信じられない。
帰りに寄ったヤンキースタジアムの、青空と緑の芝生が、痛かった、、、です。

またどこかで、あのバックホームを見ることができますように!

JFKで思ったこと

2005-05-04 | Dominican Republic/ドミニカ共和国
どうも私は、JFK空港と相性が良くないようです。

ロストバケージはもちろん!?、乗り継ぎギリギリでヒールを脱いで裸足で空港内を走る羽目になったり、タクシーの運ちゃんに違うターミナルで降ろされ重いスーツケースを引きずり泣きそうになったり、、、と、必ず小さなトラブルにあってしまうのです。

でも今回は、あまりにもひどいdiscriminacionに、本当に気がめいってしまいました。
サントドミンゴからの便は、私たち数名を除いて、ほとんどがドミニカの人たちでした。
inmigracionに着くと、なぜかvisitanteかresidenteではなく、係りの人が顔を見て「あなたは右の列、あなたは左」と振り分けているのです。
ちなみに私たちは「どちらでもいいわよ~」と言うことだったので(どっちでもいい!って、後から考えると変な話ですが、、、)、サントドミンゴから一緒だったドミニカ人の男性と同じ列に並びました。
すると、3分4分5分、、、経っても全く列が動かないのです。列の先頭を見ると、ひとりの女性が「ハイ、次!」と指示を与えていて、私たちが並んだ方でない方の列の人たちだけを入国させています。

私は、その時点でやっと、何が起こっているのかを把握しました。
後から来たのに、どんどん先に入国している人たちは、いかにも「ヨーロッパ人」という顔をした人たちでした。
私は、中途半端だから「どちらでもよい」と言われたのでしょう。
10分、15分、20分、、、私たちの列は一向に進みません。
結局、後から到着したヨーロッパ便の人たちが全て入国するまで、ひたすら待たされていました。

最初私は、明らかに不公平なのに、文句一つ言わずじーっと待っているドミニカ人のことを「バカなんじゃない」と思っていました。
でもそうじゃなく彼らはみんな知っていたんですね。わかっていても、ただひたすら待つしかなかったんでしょうね。

ずいぶん待たされた挙句、やっと順番がまわって来ると「あら、どうして?あっ、サントドミンゴから来たの?だからこの列にいたのね~。待たなくてもよかったのに」とのこと。
・・・・・・・。
アジア人の私も、いろんな場所でdiscrinamicionを受けているし、泣きたくなることも多々あるけれど、こんなにやるせない思いをしたのは初めてでした。
今回もサントドミンゴで、本当にいろんな人たちに親切にしてもらったこと、そして、「ハイ、次!」と偉そうに指示を与えていた女性が、どうみてもラティーナであったことも手伝って、怒りがおさまりませんでした。

今思うと、あの列の中で一番腹を立てていたのは、私たち、そして他の外国人でした。
当事者の彼らにとって、空港で数十分待たされることぐらい問題のうちには入らないのでしょうね。

憧れのLas Americas空港

2005-05-03 | Dominican Republic/ドミニカ共和国
7年ぶりに、サントドミンゴ・ラスアメリカス空港に降りる瞬間は、もうドキドキでした。
カリブ海の湿気を含んだ生ぬるい風も、入国審査のための長蛇の列も、相変わらずのデカ過ぎる荷物たちも・・・すべて心地よいのが不思議です。

あまりにも列が長いので、待っている間に、少しだけ両替することにしました。
実は、ドミニカンペソを大量に持っていたので(といっても、700ドルぐらい)、慌てて両替する必要はなかったのです。
7年前、最後に出国したときは、1、2ヶ月、長くても半年で戻ってくるつもりだったので、ペソを持ったままグアテマラに向かったのでした。

すると、お札のデザインが変わっているではありませんか!?
念のために、古いお札を見せて使えるかどうかきいて見ると「大丈夫」とのこと。でも「使えないと思ってるひとも多いと思うので、運次第ね!」
運次第!って、あんた。

そんないい加減な受け答えにも腹を立てることなく、このお札で何かを買おうとした時、どんな反応が返ってくるのか楽しみ~と微笑んでいる寛大?な私がいたのでした。

変わったことといえば、スタンプを押してもらう台に「どんな場合も、審査官に金銭を渡さないように~」って紙が貼ってあったこと。
どんなinmigracionやねん。
8年前から貼ってくれていたら、初めて来たとき10ドル騙されずにすんだのに。
あの時は、片言のスペイン語が災いし、入国時と出国時にダブルで騙され20ドル払わされてしまったのです。

結局、出国するのに30分以上かかってしまいましたが、再びここに降りることができた幸せが、全てを感激に変えてくれました。

サントドミンゴに行ってきました!

2005-05-02 | Dominican Republic/ドミニカ共和国
とにかく充実のひとことでした。

駆け足だったけどサンペドロにも行けたし、サントドミンゴの街をゆっくり散策することもできたし、毎日ドミニカ料理をおなかいっぱい食べることができたし、久しぶりにいっぱい踊ったし、素敵なドミニカーナのダンスも見れたし、、。

スペイン語やっててよかったなーって久々に感じました。
7年ぶりに会った人たちに「スペイン語話せるようになったんだね~」って言われ、そうか前に来たときは挨拶程度しか話せなかったんだ、だからその後泣きながらグアテマラに行ったんだったなーって、しみじみ涙、涙のマイアミ空港を思い出しました。

でも「メレンゲ踊れるようになったんだね~」って言われ、グアテマラに行ったから踊れるようになったんだから結果的にはよかったのかなーなんて思ったり。
すっかり忘れていたけど?、私がスペイン語を勉強したのも、メレンゲのレッスンに行ったのも、全てここで話したり踊ったりするためだったのだから。

町並みも、風も、空気も、ひとも、音楽も、食べ物も、子供たちも、やっぱり今まで訪れた何処とも比べられない、、、心安らぐ空間でした。

ほんとに楽しかった。

デジカメが壊れて思うように写真が撮れなかったのと、NYに置き去りにされてしまった荷物がまだ届いていなくて、いっぱい買ったCDをまだ聴けていなくて残念なのですが、無事届いたら、徐々にUPしていきますね。

MLB観戦紀行 “メジャーの風に吹かれて”

2005-05-01 | 以前の野球コラム
なんだか懐かしいような芝生の匂い・・・。
スタジアムに一歩足を踏み入れた瞬間、ドキドキ胸が鳴る。そこには、違う時間が流れているのだから。
昨夏、初めて観たメジャーリーグ。
その時感じたボールパークの空気に誘われて、また来てしまった。

ゲームの2時間前。
みんな自分の時間を楽しんでいる。
練習している浅選手のボールがバットに当たる音。
「ピーナピナピナ・・・」と独特の声を響かせる、ピーナッツ売りのおじさん。
クラブを手にわいわい騒いでいる子供たち。
こんな喧騒の中、ゆっくりと流れている時間が私は大好き。
プレーボール前から、音や色や香りや風や・・・
ボールパークの総てが「Welcome!」と迎えてくれているかのようだ。

高いフェンスがないスタジアムは、楽しさを何十倍にも膨らませてくれる。
ボールを手渡してもらった女の子。
フェンスに肘を掛け、選手と長話していたお父さん。
サインに応える選手の前には、子供も大人も列を作って待っていた。
憧れの選手をすぐ近くに感じた子供たちの瞳は輝いている。そして童心に戻った大人たちも。

ふと気付けばプレーボールの時間。
もう少しこの空気を感じていたいな、と思ったのも束の間。
「星条旗よ永遠なれ」を歌い終わるのが待ちきれないのは、子供たちでけではなかった。


さっきまでの、ざわめきが嘘のように、シーンと静まり返ったスタジアム。
星条旗を見上げ、胸に手を当てると鼓動が速くなっていく。
いよいよ、始まる。
いちばん緊張する瞬間かもしれない。
アメリカ国歌が終わるか終わらないかのうちに、球場は拍手と大歓声に包まれる。
プレーボールが待ちきれないのだ。

ボールパークには、みんな自分が楽しむためにやってくる。
お揃いのユニフォーム姿で声援を送る四人家族。
オールスターの投票用紙を手に議論している、知り合ったばかりの大人と少年。
子供とのファウルボール争奪戦に勝ったお父さんは、ガッツポーズを繰り返していた。
七回には「私を野球に連れてって」を大合唱する。
選手を含めた、そこにいるみんなと一緒に、いつも間にか私も“少年”になっていた。

トランペットや太鼓のないスタジアムでは、つまらないプレーにブーイングが起き、好プレーには敵味方関係なく、拍手が起きる。
得点が絡まなくても球場が揺れたとき、とっても幸せな気持ちになるから不思議。

「メジャー?マウンドに立ってみないと分からない、ことばでは言い表せない雰囲気があるんですよ」
野茂投手が言った、そんな夢空間が、スタンドにも存在していた。


*このコラムは1996年に「ぴあ」に掲載されたものです