EMIKO NAKAMURA official blog-Emi 's ballpark-

ラテンアメリカの野球、生活、音楽、スペイン語、旅のことetc.
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以前のラテンコラム

2005-06-01 | 以前のラテンコラム
乾季の始まり グアテマラ

10月ー。中米グアテマラでは乾季の始まり。5ヶ月の間、毎日スコールのように降っていた雨が、だんだん少なくなり9月の降雨量の半分になるのです。
待ち遠しかったなあ。雲ひとつなく、高い、真っ青な空。木々の緑に、色とりどりの花。そんな町に、インディヘナ(先住民)のひとたちのグアテマラン・レインボーが加わると、町中がお花畑のよう。観光客も増え、町がにぎやかになります。
オープンカフェが気持ちよくなるから、またスペイン語の勉強でも始めようかなあ。久しぶりに屋根に上って、日焼けもできるなあ・・・。そんなことを考え始めると、やりたいことがいっぱいで、わくわく、そわそわしてきます。
「これからしばらく、全く雨が降らないんだよ。君たち大丈夫なの?」。パルケ(公園)のおっきな木々たちは、「半年間、嫌というほどスコールを浴びできたからね」とでも言いたげ。
自然の摂理ってやっぱり、すごいんだ。ちょっぴり自然の近くにいると、今までなんでもないと思っていたことに、感動するのです。





セマナ・サンタ(聖週間)  グアテマラ

3月、4月のSemana Sanataはアンティグアの町が一番、華やぐとき。
道に、花びらや色つきのオガクズでつくったalfombra(絨毯)が敷き詰められ、もう町中が芸術。まるで本物のペルシア絨毯に見えてしまう鮮やかな色、模様は圧巻です。
その上をprocesión(キリストや聖母マリア像をのせた神輿を担いだ行列)が通り、数分後には、ただの花や木の葉、オガクズに戻ってしまうのですが、この日のために、みんなで何時間もかけて準備をするのです。
Viernes Santo(復活祭の前の金曜日)は、一番大きなprocesiónがあるので、その前夜は一晩中、眠らないでAlfombraをつくる人たちで道中が溢れます。
Semana Santaが近づくと、町中で家のペンキの塗り替えが始まり、窓には紫の布が飾られます。学校も会社もお休み。
そして、世界中から、観光客やカメラマンが集まり、賑やかに厳かに復活祭が行われます。





プロ野球ウィンターリーグ  ドミニカ共和国

大リーグがシーズンオフになると、ドミニカ共和国では、ウインターリーグが始まります。地元の選手に、大リーガーが加わった国内リーグは、野球が盛んなこの国の、一大イベント。
超満員のスタジアムには、メレンゲが流れ、そのリズムにあわせて、笑顔でウォームアップする選手たち。
アメリカでは「時間がないから」と少ししか話をしてくれない彼らも、ここでは「大丈夫なの?もう試合開始5分前だよ」と、こっちが心配してしまうほど。
ホームチームに得点が入ると、メレンゲのリズムに乗り、スタンドの観客も、チアガールも、グラウンドの選手たちも、みんな踊りだしスタジアムが揺れるのです。
大リーガーたちが、こんなに楽しそうに野球をしているのを見るのは初めて。
「地元のちびっ子や友達が、待ってくれているからね。それに、本来の野球を思い出させてくれるんだ。あっ今から家でパーティやるけど、来るよね?」
里帰りしていた大スターは、友人の車で、やっぱりメレンゲを聴きながら、家へ帰っていきました。




爆竹の音で迎える新年  グアテマラ

パパパパ、パパパパ、パーン。パン、パン、パーン。パパン、パン、パーン。町中に響く爆竹の音。
「えっ?何が始まったの?」。慣れない間は、この音を聞くたびにドキッとしていました。
グアテマラでは、何かのお祝いの日には、必ず爆竹を鳴らすのです。誕生日、結婚式、成人式、卒業式、母の日、クリスマス・・・そして、個人的な記念日にも。
特に誕生日には、朝日が昇る前に鳴らしてお祝いをするという習慣があるので、まだ深~い眠りの真っ只中の朝4時頃に、爆竹の音で起こされてしまうことも、しばしば。
もちろん新年も、この爆竹の音と共に迎えます。
日付が変わる少し前から、人々は通りに出て準備をし、誰が音頭を取るわけでもなく、そろそろだなあという頃から、思い思いに鳴らし始めます。
パパーン、パン、パン。パン、パン、パパーン。パパパパパパパーン。途切れることなく、町中に響き渡る爆竹音の大合唱は圧巻。木々が、建物が、空気が・・・町全体が、人々と共に新しい年を祝福しているのです。





San Valentin(バレンタインディ)  グアテマラ

2月14日はSav Valentin(バレンタインディ)。グアテマラ・アンティグアの子供たちにとっても、大切な一日です。
でも日本と違うのは、男の子から女の子にプレゼントを贈ること。恋人たちの間では、一般的には、ハート型の大きなglobo(風船)とチョコレートに、カードを添えてプレゼントします。
片思いの男の子にとっては、勝負の日。まず「今日、何時にどこどこで待っているから」というようなカードを手渡し、後はその場所でひたすら待ちます。いつもは絶対?時間通りに行かないラティーノたちも、この日ばかりは遅れないように、いや時間よりも早く行って待っているのです。
女の子が来てくれたら、OKということ。街を散歩し、アイスクリームを食べる。これが、お決まりのパターンです。最後は家まで送っていき、この日はお別れ。どんな小さなカップルでも、男の子がきちんと玄関まで送り届けないと、女の子の両親に示しがつかないのです。
ラテンの国では、ちっちゃな男の子でも、恋人ができた瞬間からcaballero(紳士)に早変わりするんですね。




大リーグのゆりかご  ドミニカ共和国


ドミニカ共和国の首都、サントドミンゴから東へ車で1時間半。
そこには「大リーグのゆりかご」と書かれた看板が出迎える、サン・ペドロ・デ・マコリス市があります。地元の人たちが、サンペドロと呼ぶこの町は、野球が盛んなこの国でも、最も多くの大リーガーを生み出しているのです。
町のあちこちから聞こえてくる少年たちの歓声。金網のバックネット、石でつくったベンチ、外野には馬がつながれている殺風景な空き地は、子供たちにとっては立派な野球場です。
「日本から来たの?フランコ(元千葉ロッテ)の実家は、すぐそこだよ。いつも、オフには野球を教えてくれるんだ」。「ソーサ(シカゴカブス)は、あの公園で子供の頃、靴磨きをしてたんだよ」。嬉しそうに、地元出身のスター選手の自慢話をしてくれる子供たち。
糸のほつれたボールが4個、金属バット3本。裸足の外野手も、素手の二塁手もいます。
それでも屈託のない少年たちの輝く瞳の奥には、「大リーグで活躍する自分の姿」が、映っていたのでした。





マドリードのひとたち  スペイン

マドリレーニョ(スペイン・マドリードの人たち)のバルセロナ嫌いは有名です。もちろん、私がマドリードで住んでいた家の主・マリアも例外ではありません。
「エミ。こんないい天気なのに旅行に行ってきなさいよ」。週末、どこにも行かず、ぼーっとしていると、必ず私を家から追い出そうとするマリア。そのおかげで、スペイン中を毎週末のように旅行していました。
そしていつも、旅から帰ってきた私は、質問攻めにあうのでした。「ねぇ、セビージャはよかったでしょ。フラメンコどうだった?」。「やっぱりマラガはいい所よね。コスタデルソルの海は最高だったでしょ」。「サンタンデールの港、素敵だったでしょ。もちろんマリスコス(シーフード)食べたわよねぇ?」。
帰国日が近づいてきたある週末。今度はバルセロナに行くことを告げた私。「エミ。絶対、生水は飲んではダメよ。マドリードのようにキレイじゃないんだから」。「スリには気をつけてね。マドリードのように安全じゃないのよ」。「マドリードのほうが、素敵な場所がいっぱいあるわよ。ここにいればいいのに」。そんなマリアの初めての反対を、もちろん押し切り出かけました。
「ねぇ、マリア。バルセロナは蒸し暑いし、言葉はカスティジャーノ(スペイン語)じゃないし、やっぱりマドリードの方が好きだな」。帰ってきて、そう言った私を見たマリアは、満面の笑みを浮かべていました。





アメリカン航空587便  ドミニカ共和国

アメリカン航空587便。ニューヨークとドミニカ共和国の首都サントドミンゴを結ぶこの便は、私のお気に入りです。
大きな荷物をたくさん抱える、出稼ぎ帰りの人たちで溢れる機内は、もうラテンアメリカ。さっきまでのニューヨークが嘘のようです。
「ねえ、私の席ここなんだけど」「何カタイこと言ってんのよ。空いてる席に座ればいいのよ。ほら、あそこ」。超満員なのに、自分の番号の席に座ったためしがなく、人の席に座っていても、文句を言われたこともありません。
すぐそこまで帰ってきている故郷への思いを抑えきれず、みんなが思い思いに語り合っている機内は、修学旅行なみの騒がしさです。「30分後に着陸します」というアナウンスが流れた後は、まるでお祭り騒ぎ。
そして、サントドミンゴのラスアメリカス空港に着陸した瞬間、大きな大きな拍手が鳴り響くのです。
ラテンアメリカの空港では珍しくない着陸時の拍手ですが、silbido(口笛の音)がこんなに響くのは、やっぱりこの便だけ。空港で誰も待ってくれていない私までが、とっても幸せな気持ちになれる瞬間なのです。





ドキドキする入国審査  ラテンアメリカ

イミグレーション(入国審査)は、緊張するところー。ラテンアメリカの空港は、この先入観を見事に裏切ってくれます。
初めてプエルトリコに行ったとき。あまりスペイン語が話せなくてドキドキしていると、審査官がニコニコして話しかけてきました。「僕に日本語を教えてくれる?」。そしてキョトンとしている私の返事を聴かぬまま、レッスンが始まったのです。「おはようは?」「ありがとうは?」「さようならは?」・・・。ひととおり質問をした後「ありがとう。最近日本語の勉強を始めたんだ、なあ?」と、隣りでスタンプを押している同僚に同意を求め、満足そうに私を送り出してくれました。
カンクンでは、審査官が数字を書いた紙を渡してきました。「これ、僕の電話番号。今夜、電話してきてね」。NOというと通してくれず、仕方なく「ハイ、ハイ」と言って開放してもらったのです。やっと手に入れたスタンプをみると「アカプルコ」と押してありました!?
イミグレーションに誰もひとがいなくて、素通りしそうになったのは、後にも先にもグアテマラの空港だけ。「ごめん、ごめん!飛行機が予定より早く到着したんで・・・。奥でみんなで喋っていたんだよ。アハハハ」。
また違った意味でドキドキさせられる、ラテンアメリカの空港です。





シエスタ  スペイン

「エミ!こんな暑いのに、まさか出て行くんじゃないわよね?寝なさい、寝なさい!」
開けっ放しのマリアの部屋から、今日もまた大声が響きます。
「こんな真昼間から、眠れるわけないじゃない。買い物に行きたいのよ」.。 「お店もみんな閉まってるのよ。外を歩いてるひとなんて誰もいないんだから、ほんとに!早くおやすみ!」。マドリード生活が始まったばかりのころの、こんな会話が懐かしいです。
病院で働いていたマリアは、いつもお昼過ぎに帰ってきて、ベッドに入っていない私に一声かけたかと思うと二時間の眠りにつくのでした。
そう、スペインではあたりまえのシエスタ。 お昼過ぎのラッシュアワーが過ぎると、デパートなど一部を除いて、見事にお店も閉まり、街全体がシーンと静まり返ってしまうのです。
そんな寝静まった街をひとり歩きながら、寂しい思いをしていたのも、束の間。
お昼寝がこんなに気持ちいいものだったなんてー。
滞在一週間が過ぎた頃には、朝起きた瞬間から、シエスタが待ち遠しくなっていました。





サルサテカ  キューバ

ハバナでは毎晩のように、ライブに出かけていました。今思うとなんて贅沢な話。
Los van van , Issac Delgado , Yumuri y sus hermanos , Adalberto Alvares , NG la banda・・・などのライブが20ドルほど(バンドによって違う)で満喫できるのです。
毎週月曜日に、その週のバンドの発表があるので、全部のサルサテカに電話をかけ、何曜日にどこに行くか計画をたてます。
ある金曜日。この日はAdalbertoのコンサート。まだ一度も見ていなかったバンド。念のため家を出る直前に電話を入れると「Bamboleoに変更になったよ」と一言。楽しみにしてたのになあ・・・。まっ、いいか、出かける用意もしたし。
サルサテカに到着すると行列ができていました。しつこいと思いながらも、入口で再確認。すると、「今日はYumuriだよ~」。「はぁ?????」
どうして? 変更には慣れっこになっていたけど、1時間前に確認して変わっていたのは、さすがに初めて。Yumuriは、好きなグループだからいいけど、おかげで3週連続3回目のライブになりました。追っかけみたいね。
行ってみないと、誰のライブを見ることができるかわからないー。これもキューバのライブの楽しみのひとつなのです!?





美容院  グアテマラ

町の大きさのわりには、たくさんの美容院があるグアテマラ・アンティグア。
たいていは、大きな鏡と、イスが2つか3つ。洗髪台に、待っている人用のイスと、こじんまりしていて、壁には斬新な髪型の写真が、外国雑誌から切り抜かれたままの姿で貼られています。
だけど「この写真みたいに!」なんて注文すると、大変な目にあってしまいます。
キューバに行く前に、どうしてもウェーヴにしたかった私。考えに考えた末、「とりあえず、こんなふうには絶対しないで」と、爆発している写真を指差し頼んだのです。
「大丈夫よ。心配しないで!」。自信満々のセニョーラ。にもかかわらず、仕上がった私の頭は、その雑誌の写真そのままに、何の遠慮もなく爆発していました。
「10日後には、きれいなウェーヴになるわよ。楽しみね!」セニョーラはのんきに言っていましたが、もちろん10日たっても20日たっても、元気に爆発したままだったのです。
「ウェーヴいい感じねぇ。いつあてたの?」。みんなにそう言ってもらえるようになったのは、ちょうど半年以上が過ぎたころでした。




サンアンドレス島  コロンビア

コスタリカ首都サンホセから、飛行機で約1時間。カリブ海に浮かぶ、サンアンドレス島に到着します。
「地球の歩き方」にも載っていない、このコロンビアの小さな島は、ラテンアメリカを南へ下っていく旅行者にも人気です。中米から南米コロンビアの首都ボゴタに、直接飛ぶよりも割安なので、時間がある人たちは、この島を経由して、南へ降りて行きます。
南の島独特の、心地よい湿った空気が出迎えてくれる空港に降りると、体内時計が切り替わり、穏やかな気持ちになります。
青い空、白い雲、静かな海ー。シンプルな表現がよく似合うそんな空間。時間がゆっくり流れるなか、英語なまりのスペイン語を話す島の人たち。どこまでも続く大きな海。手が加えられていない緑。
オールインクルーシブのホテルもあり、アメリカやカナダからも観光客が訪れていますが、カリブ海の風をのんびりと感じることができる、そんな自然がいっぱいです。




デパート  キューバ

キューバの生活にも、なんとか慣れてきたころ。たまには贅沢をしようと、セントロハバナのデパートに、ふわふわのパンを買いに行きました。
いい香りのする石鹸も、おしゃれな洋服も、柔らかいトイレットペーパーも・・・。なんでも揃う、そこはまるでパラダイス。
高級デパートだから大丈夫!と、大きなバッグを抱えて行ったのが、そもそもの間違いでした。キューバ(というより多くのラテンアメリカ)のデパートやスーパーマーケットには、出入口に必ずガードマンがいて、大きなカバンを持っているとチェックされ、表で預けてからしか中に入れてもらえないのです。地元の人はそんなこと、わかっているはずなのに、受付には長蛇の列。仕事は遅いは、横入りされるはで、順番が回ってくるまでに15分。
やっとバッグを預け、デパートの中に入ろうとすると、今度は入場制限。ぎりぎりだったので、まぎれて前のひとに付いて行こうとしましたが、しっかり止められてしまいました。ドタバタと5分でパンを手に入れ、出口に向かうと、ここでまた長い列。レシートと買い物した袋の中身があっているか、ひとりひとりチェックされるのです。待つこと10分。
外に出ると、今度は預けたバッグを返してもらわなければなりません。もちろん、人人人!列も何もなくて、真ん中にたどり着くには、この人の山をかき分けなくてはなりません。
パン一袋買うのに45分。キューバのデパートに行くのは、時間そして体力に余裕があるときにしたほうがよさそうです。





Academia de beisbol(野球アカデミー)  ドミニカ共和国

ドミニカ共和国には、大リーグ各球団、そして日本の広島カープの野球アカデミーも作られ、明日のスターを夢見る青年たちが汗を流しています。
「こんにちは。ヒロシマから来たのですか?」
サンペドロ・デ・マコリスのカープアカデミーを訪れた私に、片言の日本語で話しかけてくる選手たち。カメラを向けると、みんな最高の笑顔を見せてくれます。
道でも公園でも空き地でも、みんなカリブのひとたちは陽気だなぁ・・・と思っていると、
「新聞の取材?大きく載せてね。僕、ホームランバッターなんだ」
「ねぇ。いつ広島の監督に会うの?ホセっていう、いいバッターがいたって言っておいてね」
「今度弟が学校に行くから、もっと仕送りしないといけないんだ。だから今年は絶対に広島に行くからね」
日本人を見かけたら、私にでも必死にアピールしてくる選手たち。
あちこちの空き地や道端で見かける野球少年。その中の一握りが、このアカデミーに入ることができ、そして広島の地を踏めるのは、ほんの数人なのです。
決して豊かとはいえない、彼らが見上げたカリブの青い空には、まだ見ぬ遠い広島で活躍する自分たちの姿が映っていたのでした。





アパートの窓から降ってくるもの  キューバ

キューバの首都ハバナの、旧市街と新市街に挟まれたセントロハバナ。
私が住んでいたアパートは、市内でも一番生活の匂いがする、活気あふれる一角にありました。
道を歩いていると、あちこちのアパートの窓から、いろんなものが飛び交い、一瞬たりとも静まる瞬間はありません。
「お~い!ミゲ~ル!!」「ラウラ!ラウラー」「カルロス!カルロスてばっ!!」
隣りの住人を、下に住む親戚を、斜め前のアパートに住む友人を、窓から大声で呼んでいるのです。
そして、相手が同じように窓から顔を出すと、
「ねぇ、明日一緒に買いものに行かない?」「あら、いいわねぇ!」「何時にする?」「それよりさぁ、昨日のドラマ見た~?」と、用件以外の他愛もない話にまで発展し、何十分も話込みます。そんな会話が一組や二組ではなく、あちこちで同時に交わされているので、下を歩いている方はたまりません。
と言っても、すぐに慣れてしまいましたが・・・。
何日たっても、慣れなかったもの。それは、タバコ。
彼らは本当によくタバコを吸います。そして、吸い終わったら、灰皿に捨てるわけでもなく、水で消すわけでもなく、窓から捨ててしまうのです。しかも、窓の外を確かめることもなく、TVを観ながら、喋りながら、ごく自然に、何事も起こらなかったかのように。
歩いている人の上に落ちてヤケドしないのかな? 何かが燃えて火事になったらどうするんだろ?
そんな心配をしだすと、外になんて出られません。まぁ滞在中、そんな話は一度も聞かなかったので、大丈夫ってことなんでしょうね!