宮城野貨物支線

「宮城野貨物のブログ」の別館。

仙台臨海 謎のDL 補遺

2021-08-29 13:06:11 | 仙台臨海鉄道研究
前回の記事についての追加情報。

鉄道ピクトリアル2003年11月号「民営の貨物鉄道」より。
この表によると、仙台臨海に来る以前のDD3501の車歴は曹和金属→岩手セメント(筆者注:東北開発岩手セメント工場のことか?)→三菱マテリアルとなっている。
曹和金属(現・パシフィックソーワ)が専用線を利用していたという情報は得られなかったが、同社Webサイトによると大平洋金属の子会社として設立されたようなので、同機も太平洋金属専用線で使用されていた可能性が考えられる。太平洋金属の鉄道貨物輸送については以下のページが参考になる。
http://butsuryu.web.fc2.com/steel.html#taiheiyokinzoku
東北つながりでは本八戸駅接続の専用線が気になるところであるが、「トワイライトゾ〜ン・マニュアル 6」付録の昭和58年版全国専用線一覧表によると、八戸通運機による作業となっている。

私がDD3501について調べるきっかけとなった波浪規定様のブログ記事
http://yoneyamaexp.livedoor.blog/archives/7139047.html
についても、追記をいただいているので参照いただきたい。

「DD3501」のナンバープレートがオークションに出品されていたようだが、同機のものだとすると実車の現存はあまり期待できないかもしれない。

仙台臨海 謎のDL

2021-07-03 22:24:08 | 仙台臨海鉄道研究
以前、波浪規定様のブログ記事
http://yoneyamaexp.livedoor.blog/archives/7139047.html
を拝見させていただいた際に気になる写真を目にした。
ゆめ博号が運転された1997年の仙台臨海鉄道機関区の写真なのであるが、青系塗装のDD55、SD55の他に、見慣れぬ塗装のDL(秋田臨海DD56の塗装に似ている)が車列にいるのである。

最初は秋田臨海の車両が何らかの理由で回送途中なのかとも思ったが、どうも塗り分けや形態が違うようだ・・・
一体この車両は何者だ??
ネットサーフィンでは、手がかりとなりそうな情報はほとんどない。
謎はこのままお蔵入りかと思われた。

ところが、とある調べ物のために入手した鉄道ピクトリアル(以下「P誌」)の新車年鑑に手がかりがあった。


P誌新車年鑑1998年版の、民鉄形式別両数表。
仙台臨海鉄道の欄に「DD35 1両」とある。
仙台臨海鉄道のDD35形と言えば、常磐共同火力→仙台臨海→衣浦臨海と渡り歩いた35トン機(仙台臨海では1984年廃車)が知られているが、それより後の時期に、別の「DD35」が在籍していたのか!?

追加調査のため、他年度のP誌新車年鑑を入手し確認を行なった。
新車年鑑1996年版で、この「DD35」が新形式として紹介されている。
車番はDD3501、1970年川崎重工製の35トン機で、1996年4月入籍とある。
掲載されている写真を見る限り、塗装の塗り分けや形態が先の写真のDLと酷似しており、これが同機の正体である可能性が高い。
外観は、日立セメントDD352や日本セメント高麗川D35Tに酷似しているが、キャブ上部にも左右1灯ずつ前照灯が設置されている点が異なる。
同記事では東北石油専用線の入換機と紹介されており、移籍元は三菱マテリアル岩手工場とある。
陸中松川のセメント輸送廃止後、仙台臨海に移ったということだろうか。

さらに、P誌鉄道車両年鑑2002年版によれば、2001年9月をもって同機は廃車され、産業振興(株)へ譲渡とある。
産業振興は鉄スクラップ事業を手がけており、仙台港へ廃車回送される貨車の荷受人にもなっていた会社である。この譲渡は産業振興が自社で使用するためとは思われず、解体または第三者への売却を前提としたものと思われる。

その後、同機は次の活躍の場を見つけられたのだろうか?
ネットサーフィンで、鉄貨丼様のサイトに行き着いた。
http://tekkadon2.web.fc2.com/nakazyou1.htm
2005年の中条クラレ専用線のようすが紹介されており、その中で化成品貨車を牽いている「DD3501」は、その車番・塗装・キャブ上に設置された前照灯など、仙台臨海DD3501に酷似している。

さらに、奥野様のブログ記事
http://okunokun.ikora.tv/e191210.html
によれば、2007年頃も同機が使用されていたようである。
オレンジ色の日通凸型機と共に?あるいは後継機として?専用線廃止まで活躍したのであろうか。

なお、専用線廃止後の消息については、手がかりとなる情報を見つけられていない。
まだ、どこかに眠っていたりするのだろうか・・・

(余談)
先日中条駅を訪問し、中にスイッチャーが眠っているらしい庫の中を覗いてみました。

まあ、違うなあ・・・
JR貨物の動車のようです。
このスイッチャーについては、ブログ本館の方で改めて紹介しようかと・・・

<2021.8.29 > 本記事の補遺を投稿しました。
<2021.8.29 > 本館に「中条のスイッチャー」を投稿しました。  








仙台港駅のク5000 その2

2021-05-01 12:26:23 | 仙台臨海鉄道研究
前回の記事は、旧自動車荷役線の陸前山王方に取卸用の舗装等があったか?という疑問で締めくくらせていただいたが、当該部分の写真が見つかったので報告する。


2004年に撮影した写真。
道路側の線路のみ、レール間に枕木があり、隣の線路との間は舗装されている。
この部分にトラバーサ(移動式スロープ)を据え付けて自動車を取卸していたのだろうか。
一方で、取卸した自動車を奥のホームまで移動させるためには、ホームまで舗装等が連続している必要がある。この舗装等が自動車取卸用のものだとすれば、ホームまでの舗装等は輸送終了後に撤去されたことになる。


こちらは2008年の撮影。仙台港駅正門側から旧自動車荷役線を見る。
一番右手の線路は自動車輸送の終了後に増設されたもの。
増線の際に、道路側を残して他の線路の舗装等は撤去された、という可能性も考えられる。

最後に、上述のトラバーサについて、貴重な写真が掲載されているブログ記事を紹介させていただく。
http://ef58176.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/153-fc6e.html
仙台港駅で使われていたものだろうか?

地理院地図より 仙台港駅のク5000

2020-04-25 14:48:54 | 仙台臨海鉄道研究
空中写真の出典:地理院地図
http://maps.gsi.go.jp/?#18/38.277388/141.015548/&base=std&ls=std%7Cgazo4%7Cgazo3&blend=00&disp=111&lcd=gazo3&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0&d=vl

地理院地図の空中写真を見ていて、仙台港駅の現コンテナホームの北側に、
怪しげな貨車の編成がいるのに気が付いた。
最初は1両ごとの車長からワキ車かと思ったが、どうも色が鮮やかすぎる。
編成の陸前山王方にはスロープのようなものが据え付けられ、
現コンテナホームには乗用車のようなものが並べられている・・・。
(拡大画像は上記リンク先の地理院地図でご覧ください)

これは、車運車ク5000ではないか。
仙台港駅でかつて自動車の取扱があったのは知っていたが、
このような形で取卸を行っていたとは知らなかった。
仙台港駅の自動車取扱については下記のサイトに詳しい。
http://butsuryu.web.fc2.com/jidousha-yusou2.html
上記サイトによると、仙台港駅における自動車取扱開始は1972年とあり、
それに合わせて用地を確保し、積卸線3線を新設したとある。
すると、現コンテナホームの北側線路は、元は自動車輸送のために整備されたものだったということになる。

地理院地図の単写真情報によると、空中写真の撮影年月日は1984年11月10日とある。
一方で、上記サイトによれば、仙台港駅における自動車取扱の廃止は1984年12月とある。
すると、これは仙台港駅における自動車取扱最末期の姿ということになる。

仙台港駅のコンテナホーム北側線路は、現在は2線となっているが、震災以前は4線あった。
空中写真を見る限り、当時の北側線路は3線で、それは上記サイトの記述とも一致する。
ということは、のちに1線が追加で敷設されたということになる。

上の写真は、2004年に北側線路の終端部分からコンテナホームを写したものである。
4線のうち、手前の3線だけ、終端部に踏切様の舗装と枕木の敷設がなされたいた。
この舗装と枕木の敷設が自動車取扱と関連していたかは不明だが、
手前3線が自動車取扱に合わせて敷設されたもので、コンテナホームに面した1線がのちに敷設された
ものではないかという推測ができる。

一方で、空中写真の自動車取卸用スロープと思しきものの位置からすると、
自動車取卸のためのレール間の舗装等が陸前山王方にもあって良さそうである。
これについては、残念ながら空中写真では不鮮明で判別できない。
仮にそのような舗装等があったとして、それの遺構が残っていたかというと、筆者にはその記憶がなく、
当該箇所の写真も見当たらない。

今後も当該箇所の写真の探索しつつ、仙台港駅の歴史に関する調査を継続していきたい。