以前NHK教育の番組で、「生命の誕生」を「目覚まし時計」を使って説明した生物学者(か何かだったと思う)がいた。彼は透明のアクリル板でできた箱の中に、分解した目覚まし時計のパーツ(表面を覆うプラスチックパーツから秒針、ネジの一本に至るまでの全て)を入れ、ガラガラと振って見せると、
「これを何億回、はたまた、その何十乗分回振っていると、いつか偶然に(全てのパーツがそのものピタリ合致し)目覚まし時計が完成する可能性があります。生命誕生の瞬間とは、譬えればこういうことです」、と言った。
番組を観ていた時は然したる感銘も受けなかった(ただボーっと観ていた)が、その後しばらくして、模倣に用いたのが「目覚まし時計」だったことといい、素晴らしい解釈だということに気付いた(日本人だったが、残念なことにその名字すら記憶していない)。何より私が着目したのが、「偶然」という表現だった。その学者が何を意図したのかは、今となっては知る由もないが、この世の全てを「必然」と捉えている私にとって、その意義は軽くない。量子学的観点での「確立と兆候」にも通念する、「生命誕生に於ける偶然」とは、いったい何を含蓄しているのだろうか。
アインシュタインの果たせなかった「統一場理論」を完成させ、二十一世紀最高の物理学者と謳われるスティーヴン・W・ホーキング氏は、同時に、「ビッグ・バン理論」でも有名だ。聖書にも「最初に光ありき」とあるが、彼はそれを科学的見地から事実上、立証(当然、異論、反論的学説は浜の真砂)したのである。以降はその理論を基軸に記述される。
地球は誕生後間もない、宇宙の塵(超新星の残骸)から生まれた。地球は太陽の引力圏内に於いて比較的小さな惑星だが、それより更に小さいものは小惑星帯(岩屑)として、宇宙空間を浮遊している(つまり、地球は「運のいい」惑星だった)。しかし、その誕生に至る過程は、決して穏やかなものではなかった。衝突、崩壊、溶解が絶えず繰り返され、表面に追突する隕石の存在も助長して、全てが不安定な状況にあった(隕石そのものも破砕、溶解して、その成分のひとつとして吸収された)。
まだ若い地球は、その成長とともに内部の温度を上昇させた(ウランその他の不安定な元素が、放射性崩壊していた)。ここで、地球の大きさとその内部からの熱量とは、絶妙のバランスを保つ必要があった。もっと小さければ燃え尽きてしまっただろうし、大きすぎれば生命を育む適温まで上昇することもなかった。また、太陽との距離関係も、実に好都合に調整された。焼け焦げてしまうほど近くもなく、(生命の素材とも言うべき炭素を始めとした原子の)化学反応が発生しないほど遠くもない。それに地球自体の自転という要素が加わったことで、表面の全ての空間が程よく、その恩恵に授かれる(生化学反応の生じやすい)環境へと徐々に変移していった。
十九世紀のイギリスの生物学者チャールズ・R・ダーウィンは、友人に宛てた手紙にこう記している。
「もしも仮に、有機化学物の溶け込んだ暖かい水たまりに、光と熱と放電が作用することでタンパク質が合成されれば、もっと複雑な変化でも容易に進行するであろうし、生物形成以前の太古では、それらが捕食、吸収されることもなかったであろう(要約)」
慎重派であった氏が、「もしも仮に」と前置きして提唱した「原始スープ説」は以降、一部の科学者に継承された。そして、ドイツの動物学者エルンスト・ヘッケル、ロシアの生化学者A・オパーリン等を経た後、1950年代初頭、S・L・ミラー、H・C・ユーリーの実験に於いて、終にそれが証明された。二人は原始大気を組成した「還元型大気」と呼ばれる混合気体に、(稲妻の代わりに)放電することによって、様々な有機化合物(主にタンパク質)の形成に成功したのだ。このことから、生命の素となる単純な有機化合物は、原始の地球で自然に合成されえることが証明された。炭素化合物は互いに結合して長い鎖状に重合する自律的性質があり、あとはエネルギーさえ存在すれば、自己複製能力の付与された最初の分子(生命)の発生が、理論上可能となる。
しかし、仮に必要な分子全てが生成できたとしても、そこから「生命」が生じる保証はない(ここでやっと、冒頭の「目覚まし時計」の例が引き合いとして出てくる)。それ以降、(化学合成を繰り返し行う)煮え滾る釜が創造力を発揮するまでに、何億年もの時を必要とした。更に、何億分の一の確立でしか起きない化学反応が運良く生じた後でも、現在に至る途方もなく永い経緯(道のり)には、想像を絶するほどの苦渋が満ちていた(例えば、生命がエネルギー摂取機構が確立するには、熱力学の法則に反しなくてはならない。この他にも、幾何級数的な障害の発生が憶測される)。兎にも角にも、「生命」がその貴重な第一歩を歩み始めたのが今から40億年近く前であったろうことは、間違いないと考えられている。
現在、最も太古の生物とは「超好熱性化学合成無機独立栄養生物」と呼ばれる、数千分の一ミリ程度の細菌であると考えられている(現存する彼らの種は、沸点近くで最多に増殖する)。そして、昨今の遺伝子分野に於ける科学進歩により、彼らから始まるあまたの生物は、全て同じ遺伝子(リポソームRNA)構造を共有していることが判明した。この発見は、単純且つ明確な「一確定論」を帰納する。つまり、「絶滅種を含む全ての種は、たった一己の生(個体)に帰属する」という事実だ(リボソームRNAはその複雑な構造故に、独立した複数の類似はありえない)。
前述のホーキング氏は(生命を含む)宇宙の創世に関し、「そこに何らかの意思・因果関係・必然性を前提とすることが、より科学的だ」と述べている。現役で活動している他の科学者の中にも、その始まりには何か「サイコキネシス」のような意志(念)が介在したと考えるのが妥当である、とする者も(依然、少数派だが)存在する。そして、かくいう私も、地球以外の惑星に於ける生命体の存在を信じていない。「奇跡の星」という表現が大好きで、また私は、我々とは全て「その存在自体が奇跡なのだ」と信じている。
最後に。宇宙を周期的に移動する流星群(彗星等)が、ゼロではないにせよ、どうして嘗て(きっと、これ以降も)それほど何度も地球を危機的状況に陥らせなかったのか(小型のものは大気圏で焼失するにしても、その他が衝突しないのか)ご存知であろうか。それは、衛星である「月」の存在のおかげだ(その引力を以って回避、または月自体に衝突させている)。地球を包括する宇宙とは、「間然するところのない取り合わせの妙」の裡に成り立っているのだ。
※生命の起源に関しては、他に「粘土論」もあり、かなり興味深いものです。また、今回の記事に於いては、イギリス古生物学会の会長も務めたリチャード・フォーティ氏著作の、「生命40億年全史」から多くを抜粋しています。関心のある方は(単行本しかない故に少し高価ですけど)一読してみて下さい(他に氏の専門である「三葉虫の謎」なる書籍も存在します)。