アインシュタインメモ☆ブログ

 特殊相対性理論が発表され、はや101年。 新世紀の世に捧ぐ、愛と希望のサイエンス・ラプソディ☆

平和の象徴≠ハト?

2006-03-15 22:19:19 | こばなし


「若い頃はな、暴れた馬(飼っていたらしい)が出ると、竹ざお握り締めて、がんがんにシバキ倒してやってもんよ云々・・」

 私にはちょうど三十歳、年の離れた父がいる。幼少の頃の私はよく、田舎育ちの彼の事実確認しようがない(親戚に訊ねようにも、同席する父のオーラの前に硬直)自慢話を聞かされて育った。「やめちまえ、ばっきゃろう」が口癖だった彼は、芸人並みの話術を保持するだけでなく、同時に、「ハンター」でもあった。

 小学校に通い始めたある日。私が家に帰ると、二匹のハトがいた。母に聞くと、父が会社近くの小川で捕まえてきた、とのことだった。その罠とは、捧で立て掛けたひっくり返した笊(ざる)の下にパン屑を置き、タイミングを見計らって、結んであった紐を引っ張る(棒を倒して、笊の中にハトを捕獲)という古典的なもの(何時間待ったのか)で、勝利者たる彼は、勇み気に微笑んでいた。

 日本では新沼謙治(演歌歌手、ご記憶であろうか)等が有名であるが、ハトなる鳥は世界的に最も愛されているペットのひとつである。現在でも主にヨーロッパでは、熱烈な飼育者たちが、パウダー、ファンテール、ラント、バーブ、ドラゴン、タンブラー等と呼ばれる諸品種を飼育し、その美しさ(特質的形状)を競っている。とはいえ、もちろん当時の私に斯様の知識はなかったし、その上、二匹は子供目にもただの野バト(首の辺りが緑色のやつ)にしか見えなかった。

 また、以前の我が家では、一時、鶏を飼育していたことがあった。夜祭りの屋台で、「雌鳥だ」と騙された私が持ち込んだものだった。

(今度はこいつを飼う気かな・・) 私はぼんやりと考えていた・・。

 その時だった。研いでいた出刃包丁を手におもむろに振り向いた父は、(まるでそんな私を嘲笑うかのように)もう一方の手で逃げ惑うハトの一匹を捕まえると、まな板の上に乗せ、その首を刎ねた(と同時に、私は以前飼っていた鶏の最期も同様だったことを思い出した)。

 耳にしたことは覚えていない。だが、ハトは確かに断末魔の叫びを上げたはずだった。暫く痙攣した小さな体躯はやがて動きを止め、それを待っていた父は、血みどろの手でその胸元に包丁を突き刺した(ジーザス・・)。内臓を全て取り出し満足(?)した彼は、次に毛を毟り始めた(子供心に、手くらい洗えよ、と思ったのは記憶している)。

 二匹目も同じ運命を辿った。気付くと既に、母と姉の姿はなかった(密かに外出済み)。そして、約一時間後。男二人の食卓には、それまでに(それ以降にも)見たことのないサイズの、鳥の丸焼きが置かれた。

(喰え・・)

 彼の意図することは分かっていた。何よりも、その視線が物語っていた。とはいえ、ついさっきまでラブリーにポロポロ鳴いてた生物を、やすやすと食す気にはなれなかった。しかし同時に、(柔道をかじったこともある彼に)矮小な私が逆らえるはずのない事実も必至であった。そして。(当然、カットする食器もない)私は、その少し体毛の残存する肉塊を手で掴み、口へと運び始めた・・。

「つまりな、こいつらは不味いから『平和の象徴』なんてことになってんだよ。これでもし、美味しかったりしてみろよ。滅んでるか、家畜になってるかのどっちかだわな。分かるか・・。まあ、残さず全部喰えよ」

 私は自身のノルマである一匹を、懸命に、できるだけ噛まずに呑み込んだ(呑み込めないほど不味くもなかった)。そもそも味付けしてんのかよ、とも思ったが、口は災いのもと(再チャレンジされても困る)であるが故に、私はただ寡黙に義務を果たした。
 
 彼のコレクションは他に、つぐみ、ひよどり(かすみ網使用、共に捕獲禁止動物)、へぼ(地蜂)、うなぎ等、多岐に亘った。彼にとって自然はイコール「恵み」であり、そこに存在する全ては「食材」だった(節足動物及び、図鑑にも載ってないようなシダ類は勘弁してほしかった)。

 かくして。私はハト(学名:Columba livia)なる種の存在意義を知った。ただ、今なお軌跡する疑問は、当時まだ七歳だった私に、そこまでした彼の意図とはいったい何だったか、ということだ。無論、本当に意図なるものが存在したとしての話しだが・・。