アインシュタインメモ☆ブログ

 特殊相対性理論が発表され、はや101年。 新世紀の世に捧ぐ、愛と希望のサイエンス・ラプソディ☆

ICU(集中治療室)

2006-03-25 21:51:05 | こばなし


「産んで育ててやった親には、(子供を)殺す権利もあるんだ。あんまり、世話焼かすんじゃねえ・・」

 幼少時に於けるその教育方法は、以前の記事に記した。その後、思春期に突入した私は、それ故に派生する権威への反発、協調性への不和等の諸問題(具体的には教師他への反発、種々の集団活動への参加拒否等)を勃発させる度(学校側には母親のみが対応)に、上記のような不条理な恫喝を受けて育った(とはいえ、それを気にするほど、当時の私の神経も細くはなかった)。

 そんな父が以前、心筋梗塞で倒れた(私の心臓疾患は、その体質を継承している)。一時は奇特、ではなく(な、はずはなく)危篤状態であったため、二人姉弟の私は「小銭(保険金)が入るぜ」、と俄かな期待を寄せたりもしたが、結局、(生命力の強い彼は)賦活し始めてしまったため、母に勧められるまま、病院へ見舞いに行くこととなった(当然にしてその本質を見抜いていた母の口からは、若い看護士の存在が仄めかされていた)。

 二回曲がると来た道を忘失する、歳を負う毎にその深刻さを増す「方角不認知症」は、何の変哲もない収容所を模した建造物内に於いて、酷く私を疲弊させた。途中幾度もすれ違う看護士に心奪われながら、それでも何とか「ICU(集中治療室)」の表札の架かる一角にたどり着いた私は、その入り口へと歩を進めた。
 
 そこで、私の中に、はたと疑念が湧いた。眼前には、大きな、ツインベッドが丸ごと納品できそうな扉が聳えているのだが、その入室方法が不詳だったのだ。扉の表面にはどこにも取っ手らしきものが見当たらないし、その正面の床に何度も足を踏み込んだりもしてみた(自動扉イメージ)が、それはピクリとも反応しなかった。しばらく待ったが、声を掛けたくなるような人物との邂逅にも至らなかった私は、思い切ってその隙間に手を差し込んだ。

 意外なほど素直に扉は開いた(こじ開けた)。一般に、笑顔の素敵な女性にはしかるべき男性の影が想起されるのだが、ダメもとで自身を晒したら(タイミングが合致して)、想いのほか容易に食事に誘えた。そんな感慨を彷彿させる、開放だった。室内に踏み込むと、透明のカーテンに覆われたベッドが(確か)6つ見えた。順に覗き込んで行く私は、3つ目くらいで、人口呼吸器を装着した(あまり私と似ていない)見慣れた顔を発見した。

 彼は寝ていた。しかし、わざわざ彼の好物であるグレープ・フルーツ(ルビー)をスプーンとともに持参した孝行息子である私は、その肩を揺すってみた。すると、程なくして、彼は目を開けた(やはり、生きていた)。意識が朦朧としていたのか、その瞳はしばらく中空としていたが、やがて私を見据えると、何やらあえぎ始めた。

 当時、自宅に不審な電話があった。たまたま在宅していた私が、「はい、もしもし」と電話に出ると、相手はただ「俺だ」、と言った。不義を感じた私が「どちらさまですか?」と訊ねると、受話器の向こうの人物は(少し苛立った感を伴い)、再び同じ句を唱えた。間違い電話を確信した私が、「うちは○○ですけど」と(ぎりぎりの自制心を以って)答えると、男は、「ああ・・」と、低い吐息のような言葉を漏らし、一方的に電話を切った。後日、その不審電話の主が、会社に掛けるつもりで誤って自宅にリダイアル発信した(着信が受付嬢でないことに訝った)父であることが判明した。謎解きした母は笑っていたが、私はそれまで以上に、その接触を控えるようになった・・。

 入院(見舞い)時期、既述の親子関係にあった私は、呼吸器の向こうから発せられる、その「意図するもの」を理解することができなかった。

(遺言なら、しっかと聞いてやるぜ) 

 それでも、初めてその姿を見下ろすことの許された私が、楽勝なことを考え始めた頃、病室の奥に併設された詰め所から血相を変えて近付く看護士の姿が見えた・・(これ以降に、その少し気の強そうな看護士が、笑顔の私に対し、早口で捲し上げた内容を要約する)。

 あなたはどうしてここにいるのか。面会者は専用入り口から、両手の消毒、専用ガウン、スリッパを着用して初めて、入室することができる。そもそも、現在は面会時間に該当しない云々・・。

 つまりは、その時の父の言葉(あえぎ声)も、きっとそれを意味していた。そして、私はますます、自宅での居場所を萎縮させることとなった・・(もちろん、グレープ・フルーツを手渡す機会にも恵まれなかった)。


 彼は依然、よく食べ、よく忘れる男だ(この形質もまた、確実に私の遺伝子に継承されている)。成人以降、「おう」、以外のコミュニケーションを受けたことに乏しい私に、その正確な(彼に関する)分析が不可能なのは事実だが、どうやら、観察からはそう推される・・、と言うより、現在の(それ以降の、年に2度ほど顔を合わせる)私は、ただ、そうであろうことを願っている・・。