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消えた277人より 平本兄弟

2007-08-25 | 記録
(17)平本兄弟

「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

    

平木和丸(ひらもと かずまる)さん
昭和 3(1928)年1月2日生れ。身長165~7センチ。
昭和23(1948)年7月、九州で失踪。当時20歳、終戦後は大洋漁業のトロール船乗務、
   昭和23年頃から本社勤め。
7月20日以降、和丸さんは「船で遠洋に出るため当分会えない。お別れに来た」と、当時広島県安芸郡に居住していた実弟・敏昭さん(後述)を訪ね、そこに7~10日間滞在した。
 その後、大分県中津市の朝鮮在住時代の友人宅に行き何日か逗留したのち、行方がわからなくなった。
勤務していた会社にも何の連絡もなかった。
和丸さんは朝鮮からの引き揚げ者で、中学まで朝鮮半島北東部の威鏡南道成興に居住してい
たが、親の反対を押し切って海軍予科練に日本で人隊し、終戦を迎えている。


平本敏昭(ひらもと としあき)さん
  昭和 4(1929)年6月19日生れ。身長180センチ。
   昭和25(1950)年9月21日、大分県中津市で失踪。
   当時21歳、広島県内の小学校教諭。

8月17日午後10時頃、小学校に向かったまま行方がわからなくなり、9月7~8日頃、学校からの電話で敏昭さんが出勤していないことを家族は知った。その後しばらくして、大分県中津市の朝鮮在住時代の友人宅に9月21日頃まで逗留していたことが判月。前述の兄・和丸さんを捜していたという。


「お願い この呼び力けにこたえて!」--平本和丸さんと平本敏昭さんへ、末永直子さん(姉)から

私は姉直子です。貴方達が昭和二十三年より二十五年、忽として姿を消してより昭和も終わり平成も十八年たちました。和丸も敏昭も七十をとぅに過ぎ、最後まで二人を案じた父も母の許に旅立ちました。お浄土で貴方達を見守っているか、それとも親子でかたらっているか、私には不明です。
両親の写真の前で夢ででも知らせてと幾度念じた事か。北鮮に眠る母を思ぅと、つれて帰りたいと胸が痛みます。
生きていたら、せめて声だけでも聞かせて! 私も八十です。貴方達を見つけるまでどうしても死ぬわけには参りません。私は今大阪府寝屋川におります。呉市吉浦町の村田松若、呉市音戸町の大盛干佐子、二人とも貫方達を忘れられない人で、皆捜しています。
お願い、この呼びかけになんとしても答えて下さい。寒い北鮮でどんな生活をしているかと、私に出来るのはただ祈るだけです。体に気をつけて生き抜いてください。

――――――――――――――――――――――――――――――――
和丸さん  失踪当時20才  失踪から  59年  現在    79才
敏昭さん  失踪当時21才  失踪から  57年  現在    78才
 
     

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