『金聖民(キム・ソンミン) 自由北朝鮮放送代表のお話 その1
通訳:西岡力氏』
もう一度ご挨拶を申し上げます。
私は脱北者であります金聖民と申します。(拍手)
実は私は北朝鮮で16年間将校として軍に勤務しておりました。
そして脱北してきたんですがそのあと西岡先生に会ったり、あるいは脱北者を助けていらっしゃる加藤博(北朝鮮難民基金・事務局長)さんのような方にお会いして、自分が北朝鮮で軍隊にいたと言うことは悪い事をして来たんだなと。
自分のやってきたことは悪い事だったんだなと。
そしてまた、こんなにたくさんの被害者が拉致されて来たと言う事を知りまして、金正日と言う人間は本当に酷い事をたくさんやっているんだなぁと言う事を、改めて感じました。
それが私の率直な告白でありますけれども、それにも拘らず皆さん方は金正日を降伏させた人たちだと言うことです。
実は金正日が皆様方の力でですね。
拉致を認めたわけです。
その時私はまずこう感じたんです。
あいつは悪い奴だなぁと、ずるい奴だなと、酷い奴だなと。
と言うのは拉致を認めたときすぐに感じたのは、朝鮮総連の人たちが酷い目に遭うんじゃないか?
自分達が利用してきた朝鮮総連の人たちが酷い目に遭うにも拘らず、そんな事お構いなしで自分の都合ででっち上げたと言っていた物を認めてしまう。
そういうふうにまず感じたわけです。
その背景はお金が欲しかったとか、圧力があったとかいろんな話がありますけれども、とにかく金正日を皆さんは降伏させたのです。
そのことは多くの人たちに希望を与えたと思います。
また今回のですね。
横田めぐみさんと金英男さんが夫婦であったと言う事実が明らかになった。
具体的なことは私は聞いておりませんけども、皆さん方の粘り強い運動のひとつの成果だと思います。
これはですね。
人間の良心を大切にする日本人・韓国人ばかりでない世界中の人たちに貴重なメッセージを発したと思います。
金正日が拉致をしているということは皆知っているんです。
世の中の人は皆知っている。
しかしその金正日をどうやったら屈服させる事が出来るのか?降伏させる事が出来るのか?と言うことは分からなかったんです。
私は北朝鮮で生活してきましたから動物的な感覚で分かるんですが、今回も金正日は絶対に最後までしらばっくれると思います。
ですから同じ事で思い出すのはですね。
日本人の拉致被害者は皆死んで墓に埋められたけど墓は流れて無くなったと、しらばっくれた事があった事を思い出します。
私は良く覚えていないんですが、確か94年95年に黄海北道の麟山(リンサン)と言うところの墓が洪水で流れたと発表したと思うんですが、実は私は当時すぐその横で部隊で勤務していたんです。
そして洪水の被害があったのは当時は黄海北道ではなくて平安南道だったんです。
私は皆様方にご忠告申し上げたいんでありますが、北朝鮮は国家レベルで綿密に嘘をついてくる。
国家全体が動員されて嘘をついてくる。
それに対して民間のNGOの力で対抗するのは非常に難しいんです。
ところがその様な北朝鮮に対して皆さん方は勝ったんです。
金正日政権の事を不良政権だと言うふうな呼び方もされるわけですけども、核問題・麻薬そして偽札、もうできる限りの悪事をずっとやっているような政権を屈服させて、拉致被害者を取り戻して北朝鮮の住民を助ける為には何らかの突破口がなければならない。
今回のめぐみさんと金英男さんに関する報道に接して私はこんな事を考えました。
拉致問題は人権問題である。
この拉致問題と言う人権問題が金正日政権を屈服させるのに突破口になるのではないか?
その様に思ったわけです。
例えばですね。
北朝鮮の人権問題にこれっくらい知らん振りをしていた韓国政権が、今半分くらいはこの問題に関与し始めました。
4月22日から28日、ワシントンで行われる北朝鮮人権週間の行事の日程を見たところ、横田早紀江さんがワシントンに行かれてあちらの下院の公聴会で証言をされると言うふうに出ておりました。
そして我々脱北者の代表がアメリカ議会の上院の公聴会で証言をする事になっております。
そのことを契機としてアメリカの世論に人権と言う、人類の普遍的な価値観から北朝鮮問題を訴えれば、アメリカも大々的にこの問題に関与してくるんじゃないか?と。
その様な契機になるんじゃないかと思います。
金正日の事を悪だと呼んでおりますけども、悪の金正日から降伏を引き出す一番良い手段は人権問題だと、いうふうに元労働党の黄長ヨプ(火へんに華)先生は、前から提議していました。
その人権問題の核心には実は拉致問題がある。
日本人拉致問題・韓国人拉致問題があると私は思っています。
それで放送の話を申し上げたいんですが、この様にですね。
皆さんと心を合わせて北朝鮮と闘うために放送を始めて、皆さんがこの放送のための支援委員会を作ってくださった。
このような席に私を呼んで頂く事は大変嬉しい、反面ですね。
実はこのような支援委員会が韓国でソウルで出来ていれば、私はわざわざ東京まで来る事は無かったんじゃないかと若干複雑な思いもするわけです。
私達がこのような対北放送を始めようとした大きな理由は、実は韓国のテレビや新聞を通じて、政府が今までやっていた北朝鮮に対する放送を中止すると言う報道を見てですね。
それならば我々の力でもやらなければならないと、そういう意見が集まって始めたのです。
実はですね。
理解できないような北朝鮮の体制が維持されている最も重要な秘密は、実は情報統制です。
もしも私が脱北していなくてまだ北朝鮮にいて北朝鮮の軍の大尉だったとします。
そして我々の偉大なる指導者の金正日同志が、日本から13歳の子供を工作に使うために本当に拉致していたということを聞いたら、本当なのか?と。
本当なら酷いじゃないか?と、体制に対する反感までは行かないまでも疑いを持つようになると思います。
ところがその様な外部の情報を北朝鮮は100%、外からの情報を、テレビやラジオを通じて入ってくる電波の情報を遮断しているから、だから体制が維持出来ている。
ところが北朝鮮の内部に対して外部の情報提供をしていた韓国政府が、ある日突然それをやめると宣言したんです。
そこで私たち脱北者が知恵を集めてお金を集めて、2004年に最初のインターネット放送を始めたわけなんです。
今はですね。
随分私たちの放送も知られるようになり、また西岡先生も来て出演してくださったりしているんですが、しかし始めたころはどうして良いか分からなかった。
2004年に最初のインターネットを通じた実験放送を、2004年の2月16日金正日の誕生日に合わせて実験放送をしました。
そしたらそれが朝鮮日報と言う韓国の新聞を通じて報道されました。
そうしましたらですね。
その年の4月3日にあった南北会談で北朝鮮の代表が、まだ実験放送しかやっていない段階なのに「脱北者たちの放送を中断しろ」と言ってきた。
またですね。
その年の3月に金正日が指示文を出したんです。
後でその内容を日本のマスコミを通じて私たちは入手したんですが、それによると「祖国を裏切った黄長ヨプ脱北者たちがラジオ放送をやっている」と。
「それは人民の名前で許す事はできない」と。
「しかし我々が直接出て行くといろいろ問題があるので第三者を使って粉砕せよ」と、金正日の指示が2004年の3月に出たということを後で知りました。
5月18日にですね。
私たちはスタジオ全部設備を入れて準備をして本格的な放送を始めようとしていた段階で、家主が突然「出て行ってくれ」と言って来て、私たちは追い出されてしまった。
平壌でなくソウルで、北朝鮮(向け)の放送をしようと思ったら、2月に始めて5月には追い出されて行くところがなくなってしまう。
白昼ソウルで茫然自失して仲間たちと涙を流した事を覚えています。
皆さん方はご承知かもしれませんが、実は韓国には金正日の指示に従って動く団体が大変多いんです。
その代表的な団体の事務局長は、実はスパイ罪で捕まって実刑を受けて刑務所に入って出てきた前科を持っている人ですが、統一連帯と言う組織があるんです。
統一連帯と言う組織は、韓国の中の親北運動・反米運動に殆ど参加して指揮をしているような団体ですが、その統一連帯の人間が5月に30人、私たちの事務所の前に来て「ラジオ放送を中断せよ」という路上記者会見。
その時警察が間に入って止めたわけですけども、もしも間に警察が入らなければですね。
南の中で一番親北で一番極左のグループと、金正日を一番憎んでいる脱北者の我々一番右のグループが対峙していたわけですが、警察がもしも取り締まりをしなければ朝鮮戦争以上の乱闘劇になったんじゃないかと思われます。
そしてその中で実は私は救急車に乗せられて病院に運ばれました。
私たち脱北者は絶対に譲れない一線と言うのがあるわけです。
肉を食べないでお粥をすすってでも絶対にそれはやらなくちゃいけない。
それは北朝鮮にいる私たちの同胞に、今食べ物を与えるよりもまず自由を、民主主義の風を、情報を送りたい。
そのことについて私たちは何があっても絶対に譲ることは出来ないと思っております。
その後には韓総連と言う日本で言えば全学連みたいな学生運動の全国組織が200人、統一先鋒隊という過激な団体が奇襲デモで放送局を襲ってきたわけですが、その時我々の側は3人しかいなかった。
その時機動隊がバス2台動員されたんですが、それが無ければ私はここにはいられなかったでしょう。
しかし私はこのように生きております。
そして自由北朝鮮放送も今でも健在です。
私たちは誰がどのような事をして来ようと正しいと信じる道を歩んでいきたいと思っております。
私たちの放送局にかかってくる脅迫電話、これまでに数千件の脅迫電話がかかってきて、また脅迫メールは数える事が出来ないくらいたくさん来ております。
また、祖国統一戦線の北朝鮮のいろいろな組織の代理人談話とか、あるいは論評とかそういう物で我々を批判して、許す事は出来ないと、爆発するとか粉砕するとかそういう事をどんどん談話で出しております。
私たちは誇りと決意を持ってこの仕事をしているので、私が倒れても別の脱北者が出てきてこの旗を上げ続けるだろうと信じております。
そしてまた今日この様に同じ志を持つ家族会・救う会の皆さんに呼んでいただいて、このような集会で話す事が出来てより一層この戦いをやめるわけにはいかないと、堅い決意を固めた物であります。
私達が短波放送で引き続き電波を送り始めたときに、北朝鮮は大変強い妨害電波を出して来ております。
また私たちのインターネットサイトに対しては北朝鮮が中国政府に依頼したんでしょう。
中国政府は接触を遮断しています。
それに対して私は実は大きな表彰だと思っています。
また報告を差し上げてはいるんですが、4月20日からはですね。
北朝鮮が妨害電波を出していない新しい周波数で、かつ1時間に延長して放送します。
6月20日からはそれに加えて中波放送を始めて3つ(電波を)維持します。
北朝鮮がまた妨害電波を出してくればもっとやります。
最後まで戦い続ける覚悟ですし、また皆さん方が絶対に解決しなくてはいけないと思っている拉致問題についてもこの放送を通じて、小さなしかし確実な貢献をしたいし出来ると信じております。(拍手)
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