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拉致の解決を願って
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藤沢集会(2005/1/7)よど号関連資料

2006-01-07 | 記録
第13回藤沢集会8
『パネルディスカッション「よど号と拉致」 資料』

※今回の藤沢集会ではお一人お一人の講演の後、川添救う会神奈川会長と登壇者全員揃ってのパネルディスカッションがありました。
その内容をご紹介する前に、会場で配られた資料をまずは一通りご案内いたしますので、ご一読ください。

――――以下、資料の紹介―――――――――――――――――――― 
★資料1

よど号拉致事件・資料 ・ 作成 救う会神奈川 川添友幸

3つの拉致事件

(1)福留貴美子さんの拉致事件 1976年6月 「政府未認定」  

福留さんは1970年に高知県内の高校を卒業して、大阪万博の警備員などをしながら上京してアルバイトをしながら保育士の資格をとった。福留さんは高校時代からモンゴルに行くことを熱望していた。しかし当時モンゴルに個人で旅行することは不可能だった。しかし、1976年7月18日頃、急にモンゴルへ行くと言って羽田から出国した。1979年8月には東ベルリン消印の手紙が実家に届いた。この手紙は福留貴美子が、ある共産圏の国にいること、もう少し外国に滞在しなければならないこと、生活には困っていないことのほかに、いとこの結婚式にお祝いを送ることはできないのでよろしく伝えてほしいとの内容が書かれてあった。いとこの結婚式は同年の4月に行われたもので、何らかの方法で福留さんは周辺の情報が同人に伝えられていることを示すものである。1980年3月11日、突然貴美子さんは日本の友人宅に現れた。このとき、すでに子供が生まれていたはずであるが、子供とは一緒ではなかった。その様な中でよど号メンバーの岡本武は結婚相手が朝鮮人とされてきたがジャーナリストの高沢皓司が1995年春、北朝鮮で田宮高麿にインタビューした際、岡本武は日本人と北朝鮮で結婚しており、二人の子供も設けている、さらに岡本武と結婚した日本人の女性というのは高知県出身であること、東京に滞在していたこと、剣道の県大会に出席したことが出場したことがあること等を田宮は語った。この時の田宮は、岡本夫妻が生存しているとの前提で話しをしている。この時の日本人妻の特徴が福留貴美子さんと一致し、96年8月の朝日新聞の報道となったのである。
96年8月7日付け『朝日新聞』社会面に、次のような衝撃的な見出しが躍った。
「『よど号』事件/岡本容疑者、妻は日本人/高知県出身で20年前失踪」

この朝日新聞の報道の3日後の8月10日、『中日新聞』は共同通信の配信で、さらに衝撃的な記事を掲載する。
「『よど号』岡本容疑者と妻/8年前に死亡?/北朝鮮で作業事故」
報道の直後、国内のよど号グループ支援者が高知の福留さんの実家を訪ね、貴美子さんの母の福留信子さんに「1988年夏に北朝鮮側から岡本と福留貴美子とが土砂崩れで死亡したとの通知を「よど号」グループになしたこと、朝鮮に来て遺骨のことや子供たちの今後の相談をしてもらえないかと」の内容の北朝鮮のよど号グループからの手紙を持参した。
 1996年11月25日に、福留貴美子の死亡ということについて信子さんは代理人を通じ、その死亡の日時、場所などの基礎的事実についての知らせがないという、あまりにも納得のいかないことに関し、「よど号」グループに質問状を出して回答を求めた。これに対し、北朝鮮の小西隆裕より第三者を介在させたくないので直接母親と話をするとの回答が1997年11月15日付けであった。1997年3月に平壌の小西から母親のもとに電話があり、「娘(貴美子)さんの死亡届が出ていないのではないか」といわれた。福留貴美子さんのお母さん、信子さんは2002年1月12日、娘の身を案じながら亡くなった。2004年1月に福留さんの娘が帰国したが現在も国内で他のよど号グループメンバーの子ども達や支援者と共に暮らしている。
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(2)松木薫さん・石岡享さん拉致事件 1980年5月 「政府認定」  

1980年にスペインのマドリードで石岡享さん、松木薫さんの2名が、それぞれ消息を絶ちました。石岡さんは日本大学卒業後、チーズ職人になるために欧州を旅行中であり、松木さんはスペイン語の論文執筆のためにスペインに滞在していた。石岡さんは松木さんと知り合う前のスペインのバルセロナの動物園で一枚の写真を撮った。写真には石岡さんと一緒によど号妻の黒田佐喜子と森順子が写っていた。その後、三人はマドリードに向かい松木さんと出会った。4人以外も旅行中の姉妹も加わり、黒田佐喜子と森順子の滞在先で一緒に演劇を見に行ったり、アパートで森順子の手料理を食べたり、深夜までトランプなどで遊んだ。その様な中で森順子は「婚約者がウィーンまで出張してくるから遊びに行かないか」などと、石岡さんらを誘ったとされる。若林、森両と石岡さんらは80年5月中旬~6月に東欧へ旅行し、石岡さんと松木さんは、そのまま北朝鮮に連れて行かれたとみられる。ただし、北朝鮮への入国の経路が明確でない為に捜査当局も黒田佐喜子と森順子に対する拉致容疑での手配を行っていない。
 ただ元よど号グループ支援者等の話を総合するとウィーン経由でモスクワから北朝鮮に入国したと考えられ入国後、騙されたことに気がつき、二人とも相当、抵抗したそうであった。

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(3)有本恵子さん拉致事件 1983年7月 「政府認定」  

有本恵子さんは1983年に神戸から語学留学のためにロンドンに滞在していた。有本さんの通っていたロンドンの語学学校で1人の日本人と知り合い。その人がよど号妻八尾恵であった。八尾は有本さんに日本に帰国したくなく、外国で仕事をしたい様子であることを聞き出し、八尾は外国での「市場調査」の仕事があると騙しデンマークのコペンハーゲンまで連れ出し、よど号メンバー安倍公博と北朝鮮大物工作員キム・ユーチョルと共謀して北朝鮮に連れ出した。その際、デンマークの空港で連れ出される場面をデンマークの情報機関が写真撮影していた。よど号グループは北朝鮮においては朝鮮労働党内に56課というよど号グループを担当する課があって、よど号グループは56課との討論によって具体的な実践活動を決めていました。その副課長がキム・ユーチョルでした。キム・ユーチョルは78年からデンマークの北朝鮮大使館員として勤務。80年秋から旧ユーゴスラビアの在ベオグラード北朝鮮大使館に異動。81年には旧ユーゴスラビア、在ザグレブ北朝鮮総領事館副領事になった人物でした。そんな彼の地位から、よど号メンバーが彼と一緒に活動することが数多くありました。先ほども触れましたが当時、北朝鮮大使館員などは西側情報機関や各国秘密警察の監視対象になっており写真もキム・ユーチョルを監視している中で撮影されたようである。8月9日、ロンドンの語学留学から帰国する予定の当日実家に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」と言う電報が実家に届いた。その後10月中旬にコペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶える。

拉致事件の浮上・拉致認定までの足取り

石岡さん・有本さん・松木さんの家は3人が外国で失踪したと見て警察に捜索願を出したり、外務省などを訪れたりしていたが、情報が足取りはまったくなかった。しかし、88年9月、札幌の石岡さん宅に3人(石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん)が平壌にいる事を伝える手紙が届く。

手紙には北朝鮮入国後の有本さん・石岡さんと赤ちゃんの写真があり、有本さんと松木さんに連絡をとってくれるよう書いてあった。石岡さんのご家族は記載どおりの有本さんの家に電話した。松木さんに関しては住所が熊本市内としかなくわからず、その後1990年になり松木さんの家に連絡がいった。その様な中で有本さん・石岡さん両家族は警察から外務省さらには自民党や社会党まで救援要請に赴いた。特に「社会党なら北朝鮮とのパイプがあるそうだから、なんとかなるのでは」と石岡さんに言われて有本さんご夫妻が思いついたのが、土井たか子氏である。まさに有本さんの地元の有力議員だった。西ノ宮の事務所に足を運び秘書に救出を御願いをするも、まったく何の反応もなかった1991年1月、石岡、松木、有本の3家族は記者会見を開いて氏名を公表して救出を訴えることになった。1月15日夜、NHKの記者(山本浩氏)から「記者会見の前にぜひ会ってほしい人がいる」と言われ、翌16日、NHKの崎本利樹氏(東京)・田村啓氏(神戸)の2名の記者に、ウニタ書房の遠藤忠夫氏を紹介される。遠藤忠夫・ウニタ書店経営(当時)氏が、恵子さんらは生きている、自分が金日成の侍医につながるコネクションがあるから会見を中止すれば助けてやる、と語って会見を事実上中止させた。その後、有本さんのご家族は家族会結成までほとんど単独で救援活動を行うようになった。そのような中で1995年によど号グループの田宮高麿が急死し、それまで田宮氏と親交があった作家の高沢皓司さんが田宮を含めたよど号グループから有本さん・、松木さん・石岡さんの拉致事件の詳細を聞き、まとめて1998年に「宿命」と言う本を出版した。有本さんのご家族は政府の認定がない状況で1997年の拉致被害者家族連絡会の結成に参加しました。石岡さん・松木さんの家は非公開の方針を2002年9月17日まで続けました。

(注:明らかな誤字脱字と思われるところは、管理人の判断で訂正を加えてあります)

★資料2

よど号グループ一覧表

↓こちらのサイトに掲載されているのと同じ一覧表が集会でも配られました。
ご参照ください。

無限回廊様より
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yodo.htm

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