Blue jewel

拉致の解決を願って
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よど号犯人と拉致問題 東京集会3 斉藤文代さん

2006-01-23 | 東京集会

『斉藤文代さんのお話』 



同じくよど号犯人によって拉致されました松木薫の姉の斉藤文代です。
今日はありがとうございます。(拍手)
私の弟も1980年に拉致されまして、それから音沙汰無く、88年に先ほども申し上げましたように手紙が届きまして、その後何もまたずっと無くて音沙汰無くって。
父は全力を尽くしてあちこち駆けずり回ったと思いますけども、父の願いも悲しく会えないままに父は亡くなりました。

それで私の弟は先ほど言いました「宿命」(高沢皓司著)って言う中で、騙されて連れて行かれたものですから。
森(順子=よりこ)に向かって「騙したな!」って言って殴ったそうなんです。
あの手を出した事のない弟がおとなしい弟が、本当に悔しかったんだと思います。
それでその時に「騙されたあんたが悪いのよ」って事を言われて、随分向こうの方に叩かれて連れて行かれたそうなんですよね。
そこに行くと向こうの人の話では、もう二度と帰って来られないっていうようなお話だったんです。

だから私は本当にその時は、弟は本当に殺されたのかなぁ?あの国だから殺されちゃったのかなぁ?と思ったんですけども。
第一回目第二回目の時に、弟さんの骨ですよと言う事で持って来た時に、写真を第一回目の時に見ました時に、その写真が随分(時間が)経った写真だったんです。
だからその時に、あぁ薫は生きているんだと私はすぐ思いましたので、私がこんなにくよくよしていたらいけない。
何としてでも助けなければ、向こうで帰りを待っているんだと。
弟だけじゃないんだと、皆帰りたい帰りたいと思って、辛かったでしょうねって写真を見ながら思ったんです。

何でも言う事を聞かないとあの国では殺されちゃう所だから、本当に自分の意思を曲げてでも従って生きて来たのかなぁ?と思うと、その写真を見たときには本当に涙が出ました。
可哀想だったなぁと思ってですね。(文代さん涙ぐみながら)
でも私は何にもして上げられないんです。
でも何としてでも、家族会にも私が入りまして私が一生懸命頑張っておれば、何か連絡が付くはずだと思ってずっとやって参りましたけれども。
今日も申したんですが、今年こそは今年こそはと言う事で、本当に今年こそはという事を書きたくないけれども今年こそはって言う事を願いをかけなければと、今日にずっと至って来た訳です。

そして今までよど号犯も子ども達は帰って来ました。
ずっと帰って来ております。
裁判の時も有本さんと一緒に一回行かせて頂きましたけど、本当に向こうの方は私たちが出来ないような表情をするわけですね。
含み笑いって言うか何か変な顔で、目と目で合図していて本当に日本の国を馬鹿にしたような態度で、悪い事をした方が威張っててですね。
私たちの方が何かしゅんとしているような、そういう雰囲気なわけです。
だから何と情けない国になってしまったんだろうと、私たちが大声を上げて怒鳴る事も出来ない国になったんだなぁと思いながら聞かせて頂きました。

よど号犯たちも子ども達は続々と帰って来ておりますけれど、今度は薫たちを連れて行った森(順子)、黒田(佐喜子)が帰ってきますので、私も森、黒田に刑事告訴をしたいと思いますという事を、今日警察庁の方とお会いした時に申し上げました。
本当に今まで耐えて耐えてきましたので、旅券法だけで済まされると言う事は私たちは許されませんし、またたくさん残っている家族、たくさんまだ北にいるわけですから、全員助け出すと言う事を頭の中に入れてもらって、今までの気持ちでは私は取り組んで欲しくないと思っておりますので、何としてでも今年、今年って言わなくていい様に。
ひとつでも解決の糸口が解ければ、ずるずるずると解けていくと私は信じておりますので、何としてでも救い出して上げたいという気持ちで。

有本さんのお母さん、早紀江さんたちを見ていると本当に胸が痛くなります。
動けなくなったのは私の母だけでもういいって私は思っております。
母も会わせて上げられたら本当に嬉しいだろうなって思いながら、私も思っております。
病院でですね。
ノートとペンを貸して頂戴って言うから、貸しますとですね。
私の事は忘れてますけども、文字も震えながら書くんですが、「薫、会いたい、スナヨ」って書くんですよね。(文代さん声を詰まらせながら)
こういうような事をですね。
毎年毎年、うちの母だけでなくて、他のお母さんたちにも味わいさせたくありません。
ですから何としてでも今年中に、政治家も警察も立ち上がって、拉致問題を解決して頂きたいと願っております。
これからもどうぞ皆様方のご協力を得て、皆が帰って来られる様に頑張りたいのでどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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■関谷俊子さんの失踪について

2006-01-23 | 記録
■2006/1/23の記者会見での発表

 調査会では本日17時より、産経新聞朝刊に掲載された記事に関し臨時の記者会見を開きました。発表した内容は以下の通りです。なお、発表文中Bさんは産経の記事では実名になっていますが、調査会のリストはAさんとともに2000番台(非公開)リストにあるため、実名は伏せてあります。

● 関谷俊子さんの失踪について
                              2006.1.23
特定失踪者問題調査会
――――――――――――――――――――――――――
失踪日      1974年(昭和49年)7月11日  1957年生まれ
失踪当時の年齢  17歳
失踪当時の職業  県立千葉商業高校学生 夜間部(学年は不明)
         千葉市内のスーパー・マーケット勤務
失踪場所     千葉県千葉市内
失踪の経過

 親戚の男性(A)と幼馴染の友人女性(B)と3人で、Aの兄妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。Aが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と兄妹に言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。Aの車(赤いマーク�)も未発見。失踪の当日は、関谷さんの引越しの日だった。引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。

――――――――――――――――――――――――――
★他の事件とのつながりについて

 藤田進さんの拉致を手伝わされたと証言した男性が、藤田さんの事件(1976年)の2年後に、二人の女性の拉致も手伝わされたと証言していた。その男性は「顔を見ていないので誰だか分からない」と証言していた。

 古川了子(1973年失踪、1955年生まれ)さんと、同じ県立千葉商業高校である。同時期に、同じ高校に通っていた。関谷さんの職場は、古川さんの職場の近くである。

 また、産経新聞の記事に、山本美保さんの失踪について「警察が『自殺の可能性』と結論づけ、拉致の過程での死亡の疑いを事実上置き去りにしている」という記述があるが、山本美保さんのご家族ならびに特定失踪者問題調査会ではこの山梨県警の発表を認めていない。

★AさんとBさんの非公開について

産経新聞の記事では、Aさん、Bさんが特定失踪者であることが曖昧であるが、以前より特定失踪者問題調査会の非公開リストには掲載されていた方々である。

 調査会は、AさんとBさんのご家族とは接触をしていたが、ご家族が公開を希望していなかったので、公開を差し控えていた。当面、AさんとBさんのご家族は非公開のままを希望している。

 公開を希望されたご家族は、本人に危害が及ぶ可能性を覚悟して公開をされているが、 非公開の失踪者をこのような形で、事実上の公開になると、本人の生命にも危害が及びかねないものであり、ご家族としてもそれに耐えられない状況がある。したがって、このような形で事実上の公開をされることのないよう、マスコミ関係者には厳に慎んでいただきたい。

★総合的な記事への評価について

 この記事の内容をもって、この三人の失踪者を1000番台とすることはできないが、今後あらたな情報を得るなどの進展があれば、1000番台としていくよう、今後とも注視していきたい。

●峰島栄子さん(関谷俊子さんの実姉)のコメント

 今日の記者会見は、急なことで、また仕事の都合もあり、欠席させていただきます。

 今回のことで、警察をはじめとする関係当局が、捜査・調査をもっともっと全面的に進めていって下さることを期待しています。

 他の二人の公開については、今後、家族と特定失踪者問題調査会との相談の上、検討してまいります。


―――――――――――――――――――――――――――――――

●調査会
〒112-0004 東京都文京区後楽2-3-8 第6松屋ビル401
Tel 03-5684-5058 Fax 03-5684-5059
email:chosakai@circus.ocn.ne.jp
調査会ホームぺージ
戦略情報研究所ホームページ
資金カンパのご協力をよろしくお願いします。
ストラップ

郵便振替口座 00160-9-583587 特定失踪者問題調査会
(ポスターの代金・ストラップの代金と混乱する可能性がありますので、通信欄に「調査会へのカンパ」「家族支援基金へのカンパ」「ポスター代金」など、使途をご記入下さい)
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■北朝鮮で外国放送の受信急増

2006-01-23 | 記録
調査会ニュースから
■北朝鮮で外国放送の受信急増

 韓国のインターネットサイト「Daily NK」は1月20日付のニュースで脱北者からの情報として、最近北朝鮮で外国のラジオを聴く人が急増していると伝えています。「しおかぜ」についてではありませんが、放送が受信される可能性が高いことを示すものとして注目されます。

 Daily NKの原文(韓国語)は下記にあります。
http://www.dailynk.com/korean/read.php?cataId=nk04500&num=17631

 また、韓国保守派の論客である趙甲済・元「月刊朝鮮」編集長のサイトにも「北朝鮮、海外対北放送聴取者大幅に増加」との記事が掲載されています(下記アドレス、韓国語)。
http://www.chogabje.com/board/view.asp?C_IDX=11737&C_CC=AZ


 Daily NKに書かれている脱北者(複数)の証言の要点は以下の通り。

・国境地域の都市は外国ラジオを聴く人間が10軒に5~6軒程度いる。

・KBS(韓国放送公社、日本のNHKにあたる)とFENが良く受信され、短波ラジオを持っている人は自由アジア放送(RFA)をよく聞く。

・昨年12月10日頃「開かれた北韓放送」(韓国のNGOが「しおかぜ」と同様の方式で行っている対北短波放送)を聞いて、その中で北韓人権大会を(ソウルで)開催すると聞き、信心が生まれた。

・VOAも聞いた。「米国の声」と言ったが朝鮮語で行っていたので大変驚いた。諜報放送(宣伝放送の意味か?)だと思ったが、内容は良かった

・自分が大学に通っていたとき、寄宿舎の同室8名の中で私1人を除いた残り7人全てが国境地域出身者でラジオを持っていた。血書を書いて杯に血を注いで一緒に飲み秘密を守る誓いをした後に皆で聞いた。ある友人は日本製短波ラジオを持っていたがそれが一番よく聞こえた。

・脱北してから北朝鮮に戻った人間は外部の情報がいつも欲しくなるため、ラジオを聴かなければ我慢できなくなる。

・ラジオを聴いて摘発されれば電子製品を没収される程度で終わる。テレビ、冷蔵庫、ビデオなどすべてのものを没収されて罰金も課される。これも重い処罰だが、かつてのように厳重ではない。ただ、聞いている現場を摘発されれば、そのときは無条件で政治犯になる。

・罰金は時によって異なる。「コヤンイ」(猫)煙草何箱かやって、15万ウォン位渡してやれば大体処理されると思えばいい。「これからはやるなよ」と、咳払いをして見逃す。
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