先日、息子を膝に抱っこして食事していたら、
俄かに右足に熱さが広がり、「あちっ!!」と驚くと同時に、息子が泣き出した。
が非常事態発生との認識のみあって、一瞬、何が何だかわからなかったが、
息子を横に寝かす為、とにかく席から離れて居間の長椅子に移動する間に、何が起きたか把握した。
テーブル上の熱々スープが入った日本から持ってきたお椀を、
息子が手を伸ばし引っ掛けて倒したのだ。
私は左手に飯茶碗、右手に箸を持って口に近づけて、丁度息子が死角に入ったその瞬間の出来事。
長椅子に寝かせて息子の服を脱がせると、右足太ももが真っ赤。
私はタオル水に冷やし持って行くと、妻が冷やしてはダメという。
通常とは違う泣き方をする息子を前に、手当てすると、段々落ち着いて泣き止んでくれた。
その後、幸いきれいに赤味が引いた。
手当て途中、右腕に若干赤い部分があるのに気づいたが、気づくのが遅れたため、
今は見えなくなったが、そちらは数日少し赤い点が残った。
私自信は若干スープがかかったものの、やけどまではいかないくらいだった。
案外、息子の手が届いてしまったことに驚くとともに、自分の不注意を反省した。
しかし、「食事の時にやってくれたな!何なんだ。クソッ。」というような、
この何も判らない幼子に対して生じる恨み節。
ひどいものだ。
勿論、申し訳ない気持ちの方が強く、可哀相なことであったと思うのだが、
責める気持ちが湧いたのは事実で、我ながら恐ろしく感じる。
大阪で「ホストクラブで遊ぶのが楽しくて」「もっと遊びたくて」という理由で、2児放置死事件(育児放棄)があって、
「自分で何とかする」という様なことも言っていたようだが、
若い女手一つで育てようなど、古き良き日本のド根性母さんで無ければ、
よほどの気持ちが無い限り、現実的には無理だろう。
わが子に対する絶対的に崩れざる強靭な愛。子育てへの強い意志。
この事件の母親(下村早苗容疑者)のみならず、
愛人がどうだ、内縁の夫・妻がどうだとかで、
乳幼児・児童虐待で子殺しをするくだらない大人の気持ちの、ある部分に関しては、
理解できることが、息子のやけど事件を通して明白になった。
悲しいことだが、否定はできない。
自分の我がままと、愛情の浅さ。
今回は息子を通して顕現した私の内面だが、息子ではなくとも様々な場面で出てくることだ。
私が持つ、内在するもの。
ひとまず息子と妻に詫びつつ、何気ない日々を過ごす中で、
自分自身が更に変わって行くしかないのだ。
そういうことだ。
Cria Cuervos 「Porque te vas」 Jeanette
窓には光がふり注ぐけれど 街を眺める私の心は沈むの あなたが去るから
毎晩あなたを考えて 目を醒ますの 時計の針が虚しく時を刻むわ あなたが去るから
あなたと共に去りゆく私の恋 私のことなど忘れてしまうのね・・・
俄かに右足に熱さが広がり、「あちっ!!」と驚くと同時に、息子が泣き出した。
が非常事態発生との認識のみあって、一瞬、何が何だかわからなかったが、
息子を横に寝かす為、とにかく席から離れて居間の長椅子に移動する間に、何が起きたか把握した。
テーブル上の熱々スープが入った日本から持ってきたお椀を、
息子が手を伸ばし引っ掛けて倒したのだ。
私は左手に飯茶碗、右手に箸を持って口に近づけて、丁度息子が死角に入ったその瞬間の出来事。
長椅子に寝かせて息子の服を脱がせると、右足太ももが真っ赤。
私はタオル水に冷やし持って行くと、妻が冷やしてはダメという。
通常とは違う泣き方をする息子を前に、手当てすると、段々落ち着いて泣き止んでくれた。
その後、幸いきれいに赤味が引いた。
手当て途中、右腕に若干赤い部分があるのに気づいたが、気づくのが遅れたため、
今は見えなくなったが、そちらは数日少し赤い点が残った。
私自信は若干スープがかかったものの、やけどまではいかないくらいだった。
案外、息子の手が届いてしまったことに驚くとともに、自分の不注意を反省した。
しかし、「食事の時にやってくれたな!何なんだ。クソッ。」というような、
この何も判らない幼子に対して生じる恨み節。
ひどいものだ。
勿論、申し訳ない気持ちの方が強く、可哀相なことであったと思うのだが、
責める気持ちが湧いたのは事実で、我ながら恐ろしく感じる。
大阪で「ホストクラブで遊ぶのが楽しくて」「もっと遊びたくて」という理由で、2児放置死事件(育児放棄)があって、
「自分で何とかする」という様なことも言っていたようだが、
若い女手一つで育てようなど、古き良き日本のド根性母さんで無ければ、
よほどの気持ちが無い限り、現実的には無理だろう。
わが子に対する絶対的に崩れざる強靭な愛。子育てへの強い意志。
この事件の母親(下村早苗容疑者)のみならず、
愛人がどうだ、内縁の夫・妻がどうだとかで、
乳幼児・児童虐待で子殺しをするくだらない大人の気持ちの、ある部分に関しては、
理解できることが、息子のやけど事件を通して明白になった。
悲しいことだが、否定はできない。
自分の我がままと、愛情の浅さ。
今回は息子を通して顕現した私の内面だが、息子ではなくとも様々な場面で出てくることだ。
私が持つ、内在するもの。
ひとまず息子と妻に詫びつつ、何気ない日々を過ごす中で、
自分自身が更に変わって行くしかないのだ。
そういうことだ。
Cria Cuervos 「Porque te vas」 Jeanette
窓には光がふり注ぐけれど 街を眺める私の心は沈むの あなたが去るから
毎晩あなたを考えて 目を醒ますの 時計の針が虚しく時を刻むわ あなたが去るから
あなたと共に去りゆく私の恋 私のことなど忘れてしまうのね・・・
なんと言っていいのかわかりません。
虐待され育ったひとはまたそれを繰り返し我が子に虐待してしまうのが、とても怖いけど。
愛情に飢えてる分、子供が欲しくなるんだろうな。
あたしの代で断ち切る。
来世ではこんな関係作らないように、さとりたいですね。
なるほど。
虐待されたとしても、普通は優しい気持ちをいくらかはもって育つし、
「この優しい私が大事にしてあげるから子供が欲しい」
という具合に思って、あまり考えんないで結婚したり出産するのかもね。
現実はやはり厳しく、赤ちゃんの世話(昼夜問わずのオムツ・おっぱい/ミルク・抱っこetc)と同時に、
自分と夫や恋人/愛人etcとの生活が大事で影響を受けたくないから、段々疎ましくなるという具合か。
多くの場合、女は夫(舅姑)の為の家事で、自分の生活に変化が男よりも生じるだろうし、その上での子供だからね。
自分や相手の親・兄弟・親戚・友人知人・近隣、また社会制度として暖かい支援が乏しければ、きつい面が出てくるのは当然。
我侭しないつもりでも、所詮我侭ですからね。
結婚して子供が生まれるとなると、自分は死んだつもりで(自分自身も生まれ変わって)
「新しい人生が始まるのだ」という具合に、考えて行くと良いのではと思いますね。
自分の今までのライフスタイルへの執着を取ってお別れするという感じでしょうか。
僕は執着在りまくりの我侭人なので、やはり不満が生じることもしばしばですけど。
ただ、当然ながら息子の日々の成長は楽しく嬉しく面白いし、可愛いものです。
自分の相手と話し合うことは勿論大切で、「こんな夫婦・家庭になりたい」
という理想が無かったり、夫婦で違っていたら、うまく行かなくなって当然でしょうね。