国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第五話 山手線に冷房試作車編成誕生(修正版)

2022-01-29 14:58:29 | youtube

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第五話 山手線に冷房試作車編成誕生(修正版)

現在も、JR西日本で活躍する103系のお話し、第五話今回は山手線に冷房試作編成が投入された際のお話しをさせていただきました。通勤形の冷房は、ドアの開閉などが頻繁に行われることや、混雑時には250%近くになることから冷房容量の増大が図られるなど、急行形のAU72と比較すると大幅な冷房能力の向上が図られました。試作冷房装置として、東芝・三菱・日立三社による試作が行われ最終的には三菱製のAU75Xが国鉄形として採用されることとなりました。ちなみに、東芝 AU73X 日立 AU74Xで、これと1本風道もしくは2本風道の組み合わせによる試作が行われました。 音声等に誤りがありましたので、全面的に差し替え版をアップさせていただきました。 お手数おかけ致しました。m(_ _)m 今回は、国鉄部内紙交通技術の1970年6月号の記事を参考にさせていただきました。 併せて弊サイトもご覧ください。

国鉄があった時代 昭和45年後半編 http://jnrera3.webcrow.jp/nenpyou/sho...

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鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 警察官僚と国鉄との人事交流

2022-01-24 07:34:49 | youtube

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 警察官僚と国鉄との人事交流

今回も鉄道公安官に関するお話し、第6回目になります。
今回は、公安機動隊設立とその後の警察官僚との人事交流と言うことでお話しをさせていただきました。

警察と公安は親和性が高いのですが、組織として他省庁との交流(警察と公安組織(国鉄))が行われるのは、1965年まで待たねばなりませんでした。
その後、国鉄から警察への交流なども行われていました。
私が和歌山県警察で勤務していた頃、国鉄からの出向で県警本部長になられた方が居られました。
その辺もアップしていますので、よろしければご覧くださいませ。

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国鉄形電車の代表?103系電車物語 第四話 京浜東北線にも103系誕生

2022-01-17 15:21:12 | youtube

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第四話 京浜東北線にも103系誕生

 

現在も、JR西日本で活躍する103系のお話し、第四話
今回は京浜東北線に103系が誕生した頃のお話しをさせていただきました。
当時の下十条電車区の関係で8連で投入、その後10連化されるのですが、Tcは500番代という偶数向き専用の形式が誕生しました。

今回は、500番代外昭和40年以降に製造された103系について概略をおはなしさせていただきました。

その一つが、超多段制御のCS30であり、その後301系で実用化されることとなります。
それ以外にも、常磐線への投入、波動用電車への投入など、純然たる通勤電車という枠組みから変更されていくこととなりました。

記述の正確を期するため、今回も当時の鉄道ファン及びピクトリアルなどの記事を参考に記述させていただきました。

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知鉄話 日本国有鉄道史 第19話 交流電化の夜明け

2022-01-14 21:05:36 | youtube

知鉄話 日本国有鉄道史 第19話 交流電化の夜明け

今回は、交流電化に関するお話になります。 詳細な技術的な分野は技術解説を今後並行してアップする解説などを参照していただくとして、概要だけに留めています。 関連blogも併せてご覧ください。

国鉄があった時代、日本国有鉄道史 https://jp.bloguru.com/jnrerablackcat...

#国鉄 #日本国有鉄道史 #交通 #昭和 #交流電化 #亜幹線 #ED44 #ED45 #水銀整流器

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国鉄形電車の代表?103系電車物語 第三話 量産車の登場と試作車の改造

2022-01-11 21:27:03 | youtube

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第三話 量産車の登場と試作車の改造

現在も、JR西日本で活躍する103系のお話し、第三話 今回は量産車が製造された頃のお話しを中心にさせていただきます。 試作車と同じく8両編成で製造されたのですが、今回は貫通8連と言うことで、中間車にサハ103が誕生しました。

お詫びと訂正 申し訳ございません、下記のように台車の解説で誤りがございました。 3:56〜 ❌TR69X→⭕️TR62X となっております。 今後は十分精査の上アップさせていただきますのでどうかよろしくお願いいたします。

なお、総集編の際は、訂正版をアップさせていただきます。m(_ _)m

車両の話題として、量産化に辺り変更になった点や、試作車の量産化改造などのお話しをさせていただきました。 特に、電気系統が大幅に変更になったそうでその辺のお話しなども中心にさせていただきました。 今回も、より記述の正確を期するため、当時の鉄道ファン及びピクトリアルなどの記事を参考に記述させていただきました。

 

#国鉄 #電車 #103系 #MT55形電動機 #山手線 #社会 #103系チャンネル

 

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偉人伝 石田礼助総裁物語 第13話 武士の情け、急行停車と荒舩清十郎

2022-01-09 22:40:14 | JRと労働問題

世間を騒がせた、荒舩運輸大臣

昭和41年9月4日付けの新聞で、荒舩清十郎が運輸大臣に就任、選挙区で高崎線の深谷駅に急行列車を停車させたとして、問題になりました。
9月12日の参議院運輸委員会では、急行が上下四本停車することになった点について追求されることとなりました。
そのときのやり取りに関しては、別途blogに、やり取りをアップさせていただきますが、当時の世論は荒舩大臣には否定的であり、就任後三ヶ月弱で辞任に追い込まれています。

深谷駅は、当時急行列車は停車して居らず、運輸大臣の職権で停車させたと言うことで世間から非難を浴びたとされています。
当時の時刻表を確認しますと、確かに10月の改正で深谷駅に停車するようになっています。

上が、昭和41年1月号、下段は昭和41年10月の時刻表です。

上が、昭和41年1月時刻表/下が、昭和41年10月時刻表

この話で、石田禮介総裁が、武士の情けじゃと言ったことで、新聞にも大きく話題となったわけですが、その概要を簡単に記してみたいと思います。

荒舩清十郎運輸大臣が選挙区に帰った際、

「みなさまにお土産を持って帰りました」

と報告したことから、大臣の職権を利用した政治駅であるとして騒がれることとなったわけですが、当時の議事録から少し抜粋して見たいと思います。

以下は議事録からの抜粋になります。

○国務大臣(荒舩清十郎君) この問題は、もちろん国鉄自身がきめる問題でございます。・・・・中略・・・・、それが昭和三十六年の二月ごろから、これが出なくなりました。ストップしなくなり、あるいは出なくなりました。私も埼玉県でございますから、しばしば、国鉄に何回も陳情をして、ぜひ、隣の本庄市は相当多数の急行がとまる、上りも下りもとまると、しかも本庄市は、四万六、七千の人口であり、深谷は五万七、八千でございまして、なお首都圏整備法による工場団地が設定されておる現状から見まして、ぜひ何本か、ひとつ急行もとめてもらうし、始発電軍も出してもらいたいということで、数回にわたりまして実は国鉄に陳情に代議士当時参りました。・・・・中略・・・・、、たまたま、六月の下旬か七月初旬かと思いますが、もちろん運輸大臣になるとも私は存じてない、想像もしておりませんでした。陳情に参りましたところが、まあそれは昭和三十一年ごろからそういう陳情もあるので、今度はダイヤ改正のときにはまあ前向きで何本か相談いたしますよ、前向きで考えますよと、そのことばははっきりいたしませんが、そういう返事でございました。したがって、これはもちろん運輸大臣がどうするというわけではございませんし、また代議士である荒舩がどうするという問題でもございません。したがって、私は六月の下旬か七月には、これはもう何本かとまるものだろうという想像はしておりました。
 新聞等によりますと、何か一つくらいおれの言うことを聞いてもいいじゃないかと言ったように新聞には出ておりますが、全くそういうことではございません。・・・・・中略・・・・、たまたま私が運輸大臣になったからということでありまして、決して強圧をしたとか私がきめたとかという考えはございません。ことばのニュアンスにはいろいろ違いもございますし、私が運輸大臣になって埼玉県に帰ったときの発言したことに誤解があったようでございますが、いま考えても、深谷駅に急行が何本かとまるというようなことは国鉄自身がおきめになったことであって、私の代議士中に陳情したことがあるいはは功を奏したかしないかそれはわかりませんが、そういうことであって、誤解を生じたという点については私は遺憾千万だと考えております。
 以上私の考えを申し上げて答弁といたします。

と有るように、本人は最終的に国鉄が決めたことであり、決して運輸大臣になって圧力を掛けたわけではないと発言しているのですが、これに対して、石田総裁は以下のように発言しています。


○説明員(石田禮助君) 深谷の駅に急行列車をとめることにつきましては、これは運輸大臣からもただいま御説明がありましたが、要するにこれは運輸大臣から私に向かっての指示でもなければ命令でもない。国鉄総裁といたしましては、その希望に従って私の責任において決定したのであります。

深谷というものは、これはただいま運輸大臣からも御説明ありましたが、人口においても相当のものであるし、その将来性から考えても相当のものだということは、国鉄としても承知しておったのであります。ただ問題は、これまでとめた駅と深谷との間の距離があまり短過ぎるというその他の点から考えまして、実はダイヤを編成するときに左すべきか右すべきかちゅうちょしておった。

そこへ運輸大臣からの御希望があったのであります。実はこれまでに、これは新聞に出ておることでありまするが、もうすでに私のほうの今村常務が新聞に説明しておるのでありまするが、それまでに運輸大臣から四つか五つのいろいろ御希望があった。でもこれは国鉄としてははなはだ困ろということで実はお断わりした。そこでそのあとに深谷の問題が出てきた次第。これは理屈詰めにいけば断わるのがしかるべきだと思うのでありまするが、実はこれは情に流れて、私の責任においてこれを決定した、こういうことでありまして、もしも責任を問われるならば国鉄総裁であって運輸大臣ではないということを私はこの際はっきり申し上げる。ということは、これは新聞にありまするように、運輸大臣の命令であるとかあるいは指示だとかいうようなことは絶対ないのでありまして、その点は私はこの際はっきり申し上げておきたいと存じます。

ここで、石田総裁らしいと言えるのは、最終的な判断は石田総裁自身がその責任において決めたと明言しているところでしょうか。
特に、

「運輸大臣から四つか五つのいろいろ御希望があった。でもこれは国鉄としてははなはだ困ろということで実はお断わりした。そこでそのあとに深谷の問題が出てきた次第。これは理屈詰めにいけば断わるのがしかるべきだと思うのでありまするが、実はこれは情に流れて、私の責任においてこれを決定した、こういうことでありまして、もしも責任を問われるならば国鉄総裁であって運輸大臣ではないということを私はこの際はっきり申し上げる。」

このような発言は中々出来ない人が多いのではないでしょうか。

これが後に、有名になる「武士の情け発言」と言えそうです。

粗にして野だが卑ではないからこの時の事情が詳しく書かれていますので少し引用してみたいと思います。

この委員会でのやろとりを「サンデー毎日」【昭和41年10月2日号】が克明に記録しているが、それによると石田白地ぶるをぐっと噛みしめるようにして言い、その石田の発言に対して野党席からは「正直だ」「正直すぎるぞ」の声が出た、という。

と書かれています。

その後も少し続くのですが、石田総裁にしてみれば、荒舩運輸大臣からの要望は以下の内容であったそうで、その中で一番問題が少ないのが、急行列車の一部を停車させることだろうと意言うことで、決定したとされています。

その条件とは、急行列車の停車以外にも以下のようなものがあったと書かれています。

  • 深谷駅からの始発列車を設けること
  • 深谷駅に裏口を設けること
  • 八高線の輸送力を増強すること
  • 新駅を作ること

等であり、予算等がが伴わず最も実現可能と思われたのは、急行列車の一部停車であるから、それを総裁の権限で認めたというものでした。
議事録全体は、別途下記のblogに掲載しておきますので、併せて当時のやり取りをご覧いただければ幸いです。

第52回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号 昭和41年9月12日

石田総裁にしてみれば、大変心苦しかったであろうことはよくわかる内容であります。
更にこの辺の事情について、国鉄部内紙「国鉄線 1966年11月号」では以下のような記述を認めることが出来ます。

 九月三日から四国、山陰方面出張中の総裁も、行く先々で記者団からこの問題を尋ねられ、「一般的に は国民に対して申し訳ない気持だが、民主主義社会では多少のポリティックス」が介入するのはやむを得ない。
 彼も政治家だし、私も最近ぐっとものわかりがよくなってきたし、いわば武士の情けといったところだ」という趣旨の発言をした。この総裁談話も投書をはじめとし、問題を践す事となったが、つくづくマスコミのこわさを実感すると同時に、現職大臣にかくもはなばなしい論陣をはった言論界の勇気をたたえたい。

1966年11月 国鉄線 

結果的にマスコミが、忖度せずに政治家に対して厳しく迫った結果、辞任に追い込まれることになるわけですが、この時の「武士の情け」発言は、一部国民からは石田総裁に失望したという投書もあったそうですが、ここまで世論が沸騰した背景には、この問題が発覚する前の8月5日に、自民党政界を揺るがした田中事件で国民の怒りが高まっていたこともその背景にありました。

代議士の田中彰治衆議院議員による詐欺や恐喝を行ったといわれるもので、これ以外にも公私混同と言われるような事例が、この深谷駅急行停車以外にも事件とした有ったわけで、こうした連続して起こった不祥事を指して、政界の「黒い霧事件」と言われたそうです。

そうした中での急行停車に関する事件だったわけですが、荒舩大臣が自身の弁明に終始しているのに対して、堂々としている石田総裁の態度は尊敬に値するものが有ると言えます。

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知鉄話 日本国有鉄道史 第18話 昭和30年代にも問題視されたローカル線問題

2022-01-09 12:07:01 | youtube

知鉄話 日本国有鉄道史 第18話 昭和30年代にも問題視されたローカル線問題

国鉄では、独立採算制の建前から、昭和30年頃からローカル線の経営について色々な方策が検討されました。その一つが管理所制度で、線区管理の所長の権限を大幅に強化して独自の運営を行うというもので、一定の改善効果を上げることが出来ましたが、仙石線では大きな成果を出せたものの、十分な成果を出せない路線もあったりして、昭和45年頃には管理所制度も廃止されてしまいました。 ローカル線問題は、国鉄改革時の問題と思われがちですが、昭和30年代初頭から一貫して、問題とされてきたことであり、今後更に議論していくべき大きな問題であると言えます。 関連blogも併せてご覧ください。

国鉄があった時代、日本国有鉄道史 https://jp.bloguru.com/jnrerablackcat...

 

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国鉄形電車の代表?103系電車物語 第二話 試作車の話を中心に

2022-01-07 07:47:33 | youtube

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第二話 試作車の話を中心に

現在も、JR西日本で活躍する103系のお話し、今回は試作車として8両が製造されたのです103系について、お話しをさせていただきました。 車両の話題と、弱め界磁の話なども簡単ですが、解説させていただきましたが、私自身電気系は専門ではないので、間違い等があればコメントにてご指摘の程よろしくお願いいたします。 改めて、この動画を作成するに当たり、他の方のbloga等も参照させていただき、改めて103系が当時の技術では、最も経済的な車両であることが理解できた気がします。 まぁ、その辺は技術解説でもう少し掘り下げてみたいと思います。

お詫びと訂正 動画で 昭和37年3月25日となっていますが、昭和38年3月25日が正しい日付となっております。 お詫び申し上げます。動画の方は差し替えると全部消えるのでそのままとさせていただきます。

 

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東北・上越新幹線開業までの話 紆余曲折有った開業まで

2022-01-04 23:12:05 | youtube

東北・上越新幹線開業までの話 紆余曲折有った開業まで

東北・上越新幹線は昭和57年に大宮までの暫定開業となり、東京までやってきたのは昭和60年、国鉄末期の出来事でした。
東京に乗り入れるのは更に後で、JR発足後となりましたが。
今回は国鉄時代のお話しとして、大宮開業までの話を中心に語らせていただこうと思います。
#新幹線 #国鉄 #鉄道 #新幹線整備法 #整備新幹線 #ゆっくり解説 #社会問題 #反対運動 #東北新幹線 #上越新幹線 #大宮 #反対運動 #埼京線 #交通 #東京駅

 

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国鉄形電車の代表?103系電車物語

2022-01-03 21:11:03 | youtube

国鉄形電車の代表?103系電車物語

現在も、JR西日本で活躍する103系のお話し、今回は103系導入までの検討段階の話が中心のため、車両の話題を期待された方にはちょっと物足りないかもしれませんが。 次回は、103系電車のそうした違いなどをアップさせていただきます。 101系の失敗からより経済的な電車として開発されたわけですが、決して短距離専用電車というわけではありませんが、定格速度が低いため、どうしても高速運転は苦手と思われてしまうようです。

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