国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

寝台特急 なは 物語 第四話 〈最終回 (T_T)〉

2008-04-06 01:04:45 | 国鉄思いで夜話

前回は、JRに移行した事まで書きましたが、平成2年、日本は全国的にバブル景気の浮かれ、就職の内定を何社もらったかを競い合うのがトレンドのようになり、会社は引き止めるために海外旅行への招待など?という到底考えられないような破格の待遇を準備、土地はどんどん値上がりして右肩上がり、そんな時代の平成2年。

「なは」には、寝台だけではなく気軽に利用してもらって夜行バスに対抗するため、「レガートシート」なる車両が連結されました。
 これは、バスの3列シートになぞらえて、車内に3列のシート〈グリーン車のシートより少し狭め〉を配置した車両で、485系電車の改造で賄われたため、車体断面が異なるなど違和感はありましたが、国鉄時代と異なりJR各社の受持ちとなったことやJR他社を通過すると線路使用料が発生することなどから、積極的に新車を作るというところまでは行かなかったようです。

同時期に、JR西日本も「あかつき」用にレガートシートを導入していますが、こちらは14系客車の改造で最後尾に連結するようにしており、特長として最後尾の何列かを女性専用シートにするとともに、最後尾の洗面台は女性専用とすることで、女性も気軽に利用できるようにそれなりの配慮はされていた車両となっていました。

また、当時のJR西日本らしく、「あかつき」専用となったレガートシートは塗装も変更しており、ひときわ目立つ存在となっていました。

話を、「なは」に戻しますと、「なは」に連結されたレガートシートは寝台車との間に組み込まれたため、通り抜けは自由となっていました。

そうして、座席車も組み込んだ「なは」は新大阪~西鹿児島〈現在の鹿児島中央〉までを1往復していたのですが、それも安泰ではありませんでした。

九州新幹線が、開通することとなったのです。
実はこの九州新幹線、元々はスーパー特急〈在来線と同じ幅の狭軌を活用した新線をつくり随時在来線に乗入れる方式〉で当初計画されていたにも関わらず、鹿児島県の方から、どうしてもフル規格でないと困ると言われ、フル規格で新幹線が建設され、2011年でしたかには、博多まで開業するそうですね。
 そうなると、「787系つばめ」が余剰となってくるのは目に見えているのですがどうなるのでしょうね?

 またまた、話が脱線してしまいましたが、先行開業した2004年3月に、八代~西鹿児島間が経営分離されてしまい。基本的にはJRの列車は貨物列車以外乗入れなくなったため、「なは」も九州新幹線開業後は西鹿児島への乗入れは中止してしまいました。

廃止こそされなかったものの、運転区間は「新大阪~熊本」となってしまい、那覇市からは遠く離れた終着駅となってしまい、「なは」の廃止は時間の問題であろうと言われていました。

今年の改正では、九州新幹線の開業を待たずに列車自体が廃止に追い込まれましたが、乗車率の低さや「特急が特急に」抜かれるダイヤ、列車自体の老朽化など様々な要因が重なり合って廃止に追い込まれたのだと思います。

「寝台特急 なは」は走り去っていきましたが、この列車のルーツなどを知っていただければ幸いです。

さて、「なは」物語についてはこれでお終いです、次回の構想を練っていますので、今しばらくお待ちくださいませませ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寝台特急 なは 物語 第三... | トップ | 583系電車の思いで 前編 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国鉄思いで夜話」カテゴリの最新記事