国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

昭和30年代のマナー向上運動

2018-06-26 11:20:25 | 国鉄思いで夜話
本日は、昭和30年代の国鉄部内誌の記事からです。
東京鉄道管理局【当時は3つに分割されていなかった】が実施した、エチケット向上運動(【現在流で言えばマナーアップキャンペーンと言ったところでしょうか)に関するお話です。
現在も継続してこうした取組は行われており、最近であれば、「優先座席等を必要とする方に座席を譲りましょう」、と言った類いや、「ながらスマホによるホーム転落防止」といった内容が多いように見受けられますが、当時のエチケット向上運動とは、どのようなものであったのか、見ていきたいと思います。

2017年に国交省の統一キャンペーンの報道資料から抜粋

昭和20年に終戦そして、戦後の混乱期を経て、経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述したのが昭和31年であり、戦前並みの経済まで復興した日本(にっぽん)では、高度経済成長のまっただ中にありました。
神武(じんむ)景気、岩戸(いわと)景気と途中に鍋底不況という一時期を除けば経済活動は活発化し、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三種の神器」と呼ばれた全体に活気がある時代でしたが、その頃の鉄道マナーと呼べる者はお世辞にも良くはなかったようです。

昭和34年9月号の国鉄線という部内雑誌を参照しますと、東京鉄道管理局の施策として、旅のエチケット・モデル列車、電車を指定したという記事が出ていました。
少し引用してみたいと思います。
東鉄では、さきに旅客サ一ピス向上運動期間中、一部国電区聞にエチケット模範電車を指定し、泥酔客の追放に重点をおいて実施したところ、相当の成果を収めましたので、このたびの「旅のエチケット向上運動」を機会にモデル列車、電車をきめ、去る7月20日から車内でのエチケット向上運動を繰り広げている
ということで、わざわざ「旅のエチケット・モデル列車、電車」と言うことで列車を指定して行ったそうです。
下図参照

東海道線に限らず東北本線、中央線等や、山手線、京浜東北線、赤羽線なども含まれており、エチケットモデル列車では特に、乗客に対して下記の行為をしないように呼びかけたそうです。

1)座席の先取りはやめる。
2)携帯ラジオはイヤホンで聴く
3)整列乗車を励行する。
4)弁当の食べがらや紙屑(かみくず)は屑(くず)かごに入れるか、座席の下に入れる。
5)デッキには危険だから立たないこと。

また特急に対しては、以上のほか、ステテコ姿をやめる、ホームや食堂車は、寝巻き姿で歩かないことなど多少高度のエチケットを要求している

ということで、今から考えますと、本当にそんなことがあったのでしょうか? と思わせる内容です。
しかし、実際に当時の世相を概観してみますと、経済的には豊かになっても戦後の混乱期を経て、道徳心が著しく停滞していた部分も多くあったことも事実でした。
今以上に自己中心的な人が多かったと言えるかもしれません。
なお、5)に関しては、今では走行中にドアが開くなんて事はありませんが、当時の客車列車は20系客車を除けば全て手動ドアでしたから、走行中でもドアを開けることができましたし、夏場などは。ドアを開けて涼む人も多く、走行中にデッキから転落するなんて事例も少なからずありました。

まぁ、少し今では考えられない話ではありますが、当時は今以上にマナーと呼べる者に関する意識が低かったことの記録として知っていただければ幸いです。
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