国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

幻の和歌山駅改良計画 第2話

2018-04-24 00:09:33 | 国鉄思いで夜話

思わず多くの方から反響をいただき、びっくりしております。 簡単にまとめるつもりだったのですが、多くの方から知らなかったと言う声も多かったので、私も手元の資料しかありませんが、判る範囲で記述をさせていただこうと思います。 ご存じの通り、ここで計画されていた、和歌山駅東側の貨物駅の開発は行われず、和歌山駅から1.5kmほど南の和歌山県道135号和歌山海南線【通称国対道路】の手平出島付近に建設されました、実は計画は昭和40年度に見直されていますので、次回のお話で昭和40年の計画をお話しさせていただこうと思います。 なお、このような計画がなされたのかと言うことを考えると、和歌山市の急激な人口増があったと言われています。実際に、戦後の人口を見ていますと下図のように、

昭和20年には160,000人ほどだった人口が昭和25年には20万人弱、昭和35年には30万人弱まで人口が増えて昭和55年には40万人となっていました。 当時の和歌山市の都市計画事業資料が手元の無いのですが、交通技術によりますと、和歌山市の都市計画では、東和歌山【現・和歌山】を中心に開発を進めたいという意向を持っていたようで、昭和22年の美園地区を中心とした付近をみると、
昭和36年には更地が増えていることが確認できます。
昭和36年航空写真

昭和22年航空写真

なお、この計画では和歌山地区にあった電車区も鳳に統合すると共に、貨物ヤードも売却する予定にしていたと言われています。 実際に当時の乗降客数を国鉄の資料で更に参照してみますと、 和歌山市と東和歌山で乗降客を二分していることが判ります、更に紀勢本線の開通などで更に今後は、東和歌山が発展することが予測できることから、何らかの抜本的対策が必要になったことは十分窺えます。 また、国鉄としては、和歌山線も全て東和歌山に乗り入れさせることで、和歌山線の利用者を全て東和歌山で受けることを考えていたようです。 その辺は、交通技術の昭和37年9月号で下記のように書かれていました。 少し引用してみたいと思います。



旅客輸送の大部分は、東和歌山駅及び南海電鉄と国鉄共用の和歌山市駅の両駅で受け持っており、和歌山駅は路面電車及びパスの便が悪く、利用者は少ない。従って国鉄としては、東和歌山駅中心に和歌山線列車の輸送経路を整備し輸送の合理化を計らねばならない。

ということで、この措置により和歌山駅は拡張され、現在ホテルグランヴィア和歌山並びに裏の駐車場付近の貨物発着場があり、現在JR和歌山支社が入っているあたりに鳳電車支区がありました。 計画によりますと、次のように交通技術には書かれていました。 再び引用させていただきますと。


これらの改良計画に必要な買収用地面積は、約37,000㎡であるが、不要となる土地は約16,000㎡あり不要地は表駅側にあるため、買収用地とほぼ等価である。

ということで、東側の土地は面積は大きくなるが、売却する予定の西側の土地の方は町の中心部であるため土地価格的には相殺されるとしています。 さて、ここで当時の計画、東和歌山駅に関する部分について,少し長いですが全文引用させていただきます。


改良計画の概要

1) 東和歌山駅改良東和歌山駅は地区改良の中心駅であり、当駅の諸設備は大幅に改良せられる。先ず当面問題となっている貨物集約に対応する新貨物設備(年間取級屯数50万トン)を貨車ヤードと都市計画道路との間に新設し、現在設備は撤去する。 和歌山線列車輸送経路の変更に伴い、旅客ホームを1本増設するとともに、現在ホームの改築を行い 、旅客列車着発線を6本(現在4本〉とする。
また阪和線電車着発は現在位置とし、電車支区は本区(鳳電車区)へ統合する。貨車ヤードは、相接して貨物設備が設けられるので、将来690車/日の取扱ができるように、構内の配線変更と側線の増設を行なう。 一方駅本屋は旅客ホームの増設のため、訳本屋側へ移動させなければならず、都市計画関連の駅前広場造成とマッチした民衆駅として生れ変る予定で、民衆駅には駅設備のほか鉄道公安室及び駐在運輸長を収容する予定である。

ここで、「貨車ヤードと都市計画道路との間に新設し」という文言が気になったのですが、この都市計画道路とはどれを指すのか、ちょっと気になります。


また、この計画では阪和線ホームが引き続き,ちょうど今近鉄百貨店が立っているあたりに乗り口がありました。



下記の写真をご覧ください。 天王寺鉄道管理局30年史の写真から抜粋したものです。



民衆駅は完成し、和歌山駅【紀和駅】の規模縮小化は行われ、紀和~紀伊中ノ島を経て和歌山機関区まで進む線路も廃止されましたが、売却は進められず、紀和駅用地は紀勢本線電化の際は資材置き場になり、その後和歌山市に売却されて市営住宅が現在は建っています。


紀伊中ノ島付近も長らく遊休地となっていましたが、その後国鉄官舎【社宅】が建設されて現在に至っています。


ただ、ここで書かれた計画案はこの計画時点では、計画が流動的であったようで、下記のように書かれています、再び引用させていただきますと。


和歌山地区改良の目的は、上述のように輸送力の増強と経営合理化及び都市計画関連がからみ合ったものであるが、地元との話合いもつき、貨物設備の位置が決定すれば、当地区の改良も大きく進展するものと思われる。

なお、この計画費用は,約15億円、土地売却収入が9億円としています。【価格はいずれも昭和37年当時の金額】



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