国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

寝台列車の存続について真面目に考えてみる 第10話

2015-09-06 23:32:17 | 寝台列車論

寝台列車の存続について真面目に考えてみるということで最終話としてひとまず締めてみたいと思います。

まず、寝台列車す。
鉄道の理想条件は
乗車すれば乗り換えせずに目的地の駅まで移動できる。
特に夜行列車の場合はそれに次のようなメリットが加わります。
夜の眠っている時間を使って長距離を有効に移動することが出きる。

ということでしょうか、昔は飛行機の運賃に関しては、鉄道の利用者を奪わないようにということで保護政策的な措置が講じられて、飛行機運賃は比較的高めに設定されていました。

例 として、昭和30年代の運賃を紐解いてみますと、昭和30年代で東京~大阪間が5500円(ちなみに、昭和38年の国鉄運賃は特急の1等車を利用した場合  3950円、パーラーカーの場合は別に1800円【通行税2割その後1割に下がって1650円】を足してほぼ飛行機と同額になりますので、いかに当時の 飛行機運賃が高かったかを物語っています。
というか、今の運賃が50年前と殆ど変わっていないほうが驚かされるのですが。(^^ゞ

また、東海道新幹線も開業していませんので東京~大阪間の距離でも十分に寝台列車などが成立する時代でありました。

そこで、改めて本題に戻るのですが、夜行列車【寝台列車】存続するためには理想的な条件は、
1 目的地まで乗り換えなしで行けること。
2 有効時間帯に目的につけること【朝一番の飛行機なり新幹線が到着するよりも早く目的地に到達すること。】
3 現在の動力分散式列車全盛の中にあって、そうした既存のダイヤを痛めずに走れす高速性能を持つ車両の開発

以上3点に尽きるのではないでしょうか。
特に3番目の理由から、下記のような列車が必要ではないでしょうか。

客車列車では起動加速度の問題などから苦しいものがあるので、電車もしくはハイブリッド方式の車両が必要になってくるでしょう。
ハイブリッド車のメリットは、電化非電化を問わず入線が可能な点、ただし重量的には不利になりますが自由度は増すかもしれません。
更に目的地まで行けるためには、国鉄時代に行っていた多層階建て列車で単行・2両・4両といった短編成が目的地の駅まで走るというのは必要かと思います。
例えば複数の観光地を抱える場合は、その観光地ごとに列車を走らせるといた具合です。

さ らに、寝台列車を昼間に走らせる、もちろん座席に戻すということもあるが、むしろベッドのままでも良い場合もあるかもしれませんし、福祉の現場などでよく 使われる介護ベッド(ベッドを起こすことが出来るタイプ。これを応用したカウチソファータイプの座席を昼間にセットしておき、利用者は必要に応じてシート の角度を変更してベッドにすることもできるといったものは不可能でしょうか?
逆に、そうしたより昼間の生活にも可能なベッドが開発されれば新たな福祉用具としてフィードバックすることも可能ではないだろうか?

また、目的地の多様化ということでは、大阪発仙台行だったり、盛岡発熱海行きなどという旅客流動があっても良いのではないだろうか。
特に、本州JR各社の場合は、クルージングトレインで需要を探った上で廉価版の夜行寝台列車として需要を開発していくことで全体の底上げを図るということも可能ではないだろうか。

これは別の例かもしれませんが関西空港なり、成田空港に寝台付き列車を乗り入れさせてそのまま目的地まで
例えば、座席列車を使って関西空港発下関行きと言った列車は不可能であろうか?

画像はwikipedia


新大阪からは、北方貨物線を経由しますが、このルートは、ウエスト関空(1995年12月から臨時列車として運転されていた方法で可能ではないでしょうか。

福島駅付近にて


同じく、成田空港から長野や東北仙台方面など・・・。

こうした多様化も必要ではないでしょうか?

他にも色々書きたいことがあるのですが、ひとまず筆を置かせていただきます。

ラピートとサンライズの並びを見てみたい。笑


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