11月25日 今日は嫁さん(仲西実穂)の命日です。
去年の11月25日 来週から二人で石垣島へ旅行に行く予定にしていました。
彼女の病気(乳がん)は明らかに進行しており、肝臓に転移した癌が原因
で腹水が溜まる状態になっていました。彼女は相当辛かったはずなんです
けど、彼女はその日も「大丈夫だから仕事に行け」と私を送り出しました。
彼女は私に心配を掛けまいとしていたのでしょう、彼女の病状についても
大まかな事しか私は聞いていなかったので、そんなに重篤な状態だとは
思っていませんでした。ところが 19:00 頃、私の携帯に「やっぱり辛いから
病院に連れて行って」と本当に苦しそうな声で電話がありました。
すぐに救急車を呼び、いつもは彼女の両親にも連絡しないのに、あの日
だけは何故か彼女の両親にも一緒に病院に来てもらいました。
病院に搬送される時、救急車の中で私はずっと彼女の手を握っていました。
彼女もうなされながら私の名前を呼んでいました。
病院に到着しても、私も彼女の両親もこれが彼女の最期になるなんて思って
もみなかったのですが、担当医の先生から聞かされた言葉は「今晩が峠
だと思って下さい。」というモノでした。えっ?????最初は何を言ってる
のか訳が分かりませんでした。「痛みを抑える為に強い薬を投与するので、
意識は戻らないかも知れません。このまま入院になります。」と言われて
茫然としていたんですが、とりあえず薬を投与すると彼女は落ち着いた様子
になりました。救急の処置室から個室を用意してもらい病室に移動したら
両親が今晩は付添になるから晩飯を食って来い。と言うので、とても食事を
する心理状況ではなかったのですが、とりあえず自分自身の気持ちを落ち
着かせる意味でも外の空気を吸おうと近くのファミレスに移動していた時に
両親から電話があり「容体が急変したすぐに戻って来い」との事。
全力で走って走って病室に駆けつけると既に担当医の先生が彼女の胸を
押し、蘇生を試みているところでした。そのまま彼女は私と両親に見送られ
て旅立ちました。お義母さんの話では最期に手を握って名前を呼んでいたら
「あ・り・が・と・う」って口が動いたんだそうです。
人生であんなに涙が溢れて来た事は無いし、パニック状態でただただ泣き
続けました。他には何も出来なかったし、何も考える事が出来ませんでした。
本当に最期の最期まで負けん気が強いというか、家族に気を使ったまま
いなくなっていまいました。
「竹富島の西桟橋から全力で走って海に飛び込んで終わり。」って自分の
最期を彼女なりにイメージしていたみたいなんですが、本当にその通りの
あっけないというか、彼女らしい天晴な最期だったと思います。
こういう備忘的な文章を書けるようになったのは、一年が経ったからかも
知れません。今でも彼女の手や顔を撫でた感覚は私の手にしっかり残って
いるし、今、文章を書いていても涙が溢れて止まりません。
だた私も人間なので、この先時間の経過と共に彼女との色んな思い出や
彼女の色んな記憶がドンドン薄れていくのだと思います。
完全に忘れる事は絶対に無いんですけど、それが「生きる」という事なの
知れませんね…。
自分自身が忘れない為にも去年の11月25日の事を書きました。
本当にこの一年間は自分の中で時間が止まってしまっているような感じで
自分で生きているという実感が何もないまま、ただ過ごして来たような感じ
でした。最初の一ヶ月くらいは毎晩のように酒ばかり飲んで自堕落な生活
をしていました。仕事の面ではお陰様で良いお客様に恵まれて、何かと
毎日忙しく過ごさせて頂きました。彼女が作ってくれた縁で「新城幸也」選手
にも三年連続 全日本選手権でメカニックとして声を掛けて頂きました。
プライベートの面では趣味の方面で出会った方達に救われたり、大切な
友人達にも本当に何度も心を救われました。
この一年間、彼女が喜ぶ、彼女が安心する生き方とは何か?を自分なり
にずっと考えていたんですけど、やっと先日、その答えが見つかりました。
ただ現時点では、まだ答えになるかは分からないし、今後、自分自身も
変わっていくかも知れないけど、空の上から彼女が見ていても恥ずかしく
ないような生き方をしたいと思っています。
11/26(土)-11/27(日)仲西はメカニックピット不在となります。
お客様にはご迷惑をお掛けしますが、何卒、よろしくお願い申し上げます。
メカニックピットは丁稚の留守番で「物販のみ」で営業します。
11/26(土) 営業時間 ・・・ 13:00~20:00
11/27(日)営業時間 ・・・ 14:00~19:00
*仲西不在中、メカニック作業は一切受付・対応出来ませんのでご了承下さい。
去年の11月25日 来週から二人で石垣島へ旅行に行く予定にしていました。
彼女の病気(乳がん)は明らかに進行しており、肝臓に転移した癌が原因
で腹水が溜まる状態になっていました。彼女は相当辛かったはずなんです
けど、彼女はその日も「大丈夫だから仕事に行け」と私を送り出しました。
彼女は私に心配を掛けまいとしていたのでしょう、彼女の病状についても
大まかな事しか私は聞いていなかったので、そんなに重篤な状態だとは
思っていませんでした。ところが 19:00 頃、私の携帯に「やっぱり辛いから
病院に連れて行って」と本当に苦しそうな声で電話がありました。
すぐに救急車を呼び、いつもは彼女の両親にも連絡しないのに、あの日
だけは何故か彼女の両親にも一緒に病院に来てもらいました。
病院に搬送される時、救急車の中で私はずっと彼女の手を握っていました。
彼女もうなされながら私の名前を呼んでいました。
病院に到着しても、私も彼女の両親もこれが彼女の最期になるなんて思って
もみなかったのですが、担当医の先生から聞かされた言葉は「今晩が峠
だと思って下さい。」というモノでした。えっ?????最初は何を言ってる
のか訳が分かりませんでした。「痛みを抑える為に強い薬を投与するので、
意識は戻らないかも知れません。このまま入院になります。」と言われて
茫然としていたんですが、とりあえず薬を投与すると彼女は落ち着いた様子
になりました。救急の処置室から個室を用意してもらい病室に移動したら
両親が今晩は付添になるから晩飯を食って来い。と言うので、とても食事を
する心理状況ではなかったのですが、とりあえず自分自身の気持ちを落ち
着かせる意味でも外の空気を吸おうと近くのファミレスに移動していた時に
両親から電話があり「容体が急変したすぐに戻って来い」との事。
全力で走って走って病室に駆けつけると既に担当医の先生が彼女の胸を
押し、蘇生を試みているところでした。そのまま彼女は私と両親に見送られ
て旅立ちました。お義母さんの話では最期に手を握って名前を呼んでいたら
「あ・り・が・と・う」って口が動いたんだそうです。
人生であんなに涙が溢れて来た事は無いし、パニック状態でただただ泣き
続けました。他には何も出来なかったし、何も考える事が出来ませんでした。
本当に最期の最期まで負けん気が強いというか、家族に気を使ったまま
いなくなっていまいました。
「竹富島の西桟橋から全力で走って海に飛び込んで終わり。」って自分の
最期を彼女なりにイメージしていたみたいなんですが、本当にその通りの
あっけないというか、彼女らしい天晴な最期だったと思います。
こういう備忘的な文章を書けるようになったのは、一年が経ったからかも
知れません。今でも彼女の手や顔を撫でた感覚は私の手にしっかり残って
いるし、今、文章を書いていても涙が溢れて止まりません。
だた私も人間なので、この先時間の経過と共に彼女との色んな思い出や
彼女の色んな記憶がドンドン薄れていくのだと思います。
完全に忘れる事は絶対に無いんですけど、それが「生きる」という事なの
知れませんね…。
自分自身が忘れない為にも去年の11月25日の事を書きました。
本当にこの一年間は自分の中で時間が止まってしまっているような感じで
自分で生きているという実感が何もないまま、ただ過ごして来たような感じ
でした。最初の一ヶ月くらいは毎晩のように酒ばかり飲んで自堕落な生活
をしていました。仕事の面ではお陰様で良いお客様に恵まれて、何かと
毎日忙しく過ごさせて頂きました。彼女が作ってくれた縁で「新城幸也」選手
にも三年連続 全日本選手権でメカニックとして声を掛けて頂きました。
プライベートの面では趣味の方面で出会った方達に救われたり、大切な
友人達にも本当に何度も心を救われました。
この一年間、彼女が喜ぶ、彼女が安心する生き方とは何か?を自分なり
にずっと考えていたんですけど、やっと先日、その答えが見つかりました。
ただ現時点では、まだ答えになるかは分からないし、今後、自分自身も
変わっていくかも知れないけど、空の上から彼女が見ていても恥ずかしく
ないような生き方をしたいと思っています。
11/26(土)-11/27(日)仲西はメカニックピット不在となります。
お客様にはご迷惑をお掛けしますが、何卒、よろしくお願い申し上げます。
メカニックピットは丁稚の留守番で「物販のみ」で営業します。
11/26(土) 営業時間 ・・・ 13:00~20:00
11/27(日)営業時間 ・・・ 14:00~19:00
*仲西不在中、メカニック作業は一切受付・対応出来ませんのでご了承下さい。