鋭幸の庵

寺なし坊さん四苦八苦

兵士たちの魂は?

2006年08月14日 | 坊さんはこんな風に考えた

ここ数年、お盆が近づくとニュースになるのが首相のヤスクニ参拝。しかしお盆の行事に関わる中で、こんな疑問を感じます。

旧日本軍の侵略性を否定する論調で「兵士たちは、愛する人を守るために戦場に向かった」っていう声がありますね。私はあの戦争は侵略だと思うし、兵士たちの多くは「何のために」以前に赤紙の強制で身柄を拘束されていた訳ですが、

兵士たちは明日の死を運命づけられた状況下で、家族や愛する人のために死地に向かうのだと自分に言い聞かせていたのではないかと思います。その祈りの切実さは、たとえ国がどんな思惑で起こした戦争であれ、決して軽んじられてはならないものでしょう。

であれば、そうした兵士たちの魂は、愛する人たちの元に帰ったのではないかと思うのです。

ヤスクニは「祀られた魂は一つにまとまるので今さら個人をわけられない」という論理でA級戦犯の分祀を拒絶していますが、これに則れば、ヤスクニに祀られた魂はお盆やお彼岸に生まれ育った家に帰って来ることもできません。

でも「愛する人のために」死地に向かった兵士たちの魂が、望んで愛する人の元に戻れなくなる所に入るでしょうか?  そして生身ではない魂が、国家権力の強制を受けるのでしょうか?

伝統的な神道の考えでも、味方よりむしろ敵として亡くなった死者の魂鎮めに力点がおかれますし、遺族の鎮魂があって死者は祟りを起こさなくなるとされるので、祭祀対象を味方に限って、さらに死者を家族から引き離すヤスクニは、日本人の伝統的な宗教感情からもズレたものだと言えそうです。

さてここまで「死後も魂は存続する」論調で書きましたが、お釈迦様は死後の魂うんぬんについてノーコメントの立場をとっています。私自身も霊視ができる訳でもないので、死後の霊魂存続についてコメントできません。

でも例えば、私たちが好きな人の写真をその人のように大切にしたり、その人ゆかりの場所で思いを馳せたりすることは、魂があるかないかの議論ではなく、個人(または故人)に対する切なる思いの問題です。お盆お彼岸や法要は、そうした思いの表現として意味あるものだと思います。

私たちは幸いにして平和な時代に生まれ、そうした経験をせずに済んでいる訳ですが、私たちがどんな世界を望むかを考える上で、戦争で青春をすり減らして亡くなっていった兵士たちや、襲撃を受けて殺されていった人々の記憶を、風化させてはならない筈です。

そして人が個性を持つ以上「どっち側で戦死した」かだけで誰も彼もを一緒くたにまとめられるものではなくて、どう生きようと望んだか、それでも果たせなかったか、といった個別なドラマによってしか、その人の歩みやその時代の重みを味わえないと思うのです。

終戦記念日がお盆中にやってくるのは、たまたまなのですが、私は特別な意味を感じます。どうかご家族の体験された戦争を、語り継ぐ機会とされては如何でしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

送り火

2006年08月14日 | 日記
送り火
師匠のお寺では年に二日、本堂(普段は土足厳禁)にお檀家さんや信者さんに靴のまま上がって頂く日があります。

8/13の迎え火と8/15の送り火です。間の8/14は各ご家庭にご先祖さまが帰っているので、その日にお棚参りのお経に伺うのです。

迎え火では、お参りにいらっしゃった方が、写真の大きなロウソクから盆提灯に火を移し、各家のお棚の灯とします。ご先祖さまに早く帰ってきて頂くために、お昼過ぎからお参りの方がいらっしゃいます。

送り火では、各家でお供えした灯を再び盆提灯にお寺に持って来て頂いて「万灯供養」を行います。この日はご先祖さまになるべくゆっくりして頂くために夜遅くまでお参りの方が続きます。

小さな町にだんだん定着してきた、夏の風物詩です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意志の力

2006年08月12日 | 日記
一昨日のNHK夜9時のニュースで、戦時体制真っ只中の昭和20年(!)に翼賛選挙の無効を裁決した裁判官の特集がありました。

翼賛選挙とは政党を解消・統合して戦時体制に協力する政治家候補を国家が支援し、そこに組みしない候補には妨害が加えられる選挙です。

決して民主主義とはいえない明治憲法の精神からしても、この選挙は違法であるとした裁判官。特高警察の尾行など極めて厳しい状況に立たされながら、司法の独立と己が正しいと信じた判断を命をかけて守りました。

翻って、今を生きる私。

監視社会とか改憲や共謀罪が通りそうとか、個人の意志を砕くヤバい力を感じるものの、そのヤバさが具体性をまだ持ってないのに、怖じ気付きそうな私がいます。

正しさを信じる強さ、そこに向かい続ける意志の力を、問われている気がしています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆お施食うんちく集。

2006年08月09日 | 日記

前回書いた「お施食」はあちこちのお寺でするものなので、近所のお寺やお世話になってるお寺11箇所ハシゴしたり、その他お檀家さんに棚経のお参りしたりで、忙しさは落ち着いたものの20日近くまでお寺に篭りっぱです。

さてネットで色々見てみたら、お盆お施食、けっこう深い。

韓国のお盆は旧暦の七月十五日に行われるそうですが、日本のお盆に近い行事に「秋夕(チュソク)」というものがあるそうです(今年は10/6)。こちらの起源は「中秋の名月」らしいのですが、一般家庭には仏壇&お位牌ないものの、ご先祖を食事の振る舞いでお迎えする茶礼(チャレ)があり、親戚訪問、お墓参りで帰省ラッシュになるのだそう。ただしご先祖は日帰りみたいです(2008・8・28に修正・追記しました)。

台湾も旧暦盆で呼び名は「中元節」。テーブル一杯のご馳走の真ん中に線香を立て、軒先で紙のお金(金色=仏様用、銀色=ご先祖用、無地=無縁仏用)を燃やすそうです。お金ってあたりが中国文化な感じですが、無縁仏のための準備を欠かさないのはしっかりお施食してますね。

隅田川の花火もお施食の儀式にゆかりとか。享保18(1733)年、前年の大飢饉とコレラによる死者の霊を慰めるお施食があり、将軍吉宗が大川(隅田川)の畔で花火を打ち上げたのが始まりだそうです。そういや長崎の精霊流しにも爆竹がつきものですし、お盆ってもともと賑やかで楽しいものだったんでしょうね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆&施食会

2006年08月07日 | 日記
お盆&施食会

前回の記事を書いて間もなく成田の師匠のお寺へ。電波が届かずメールもブログもチェック滞りがちですみませぬ。

昨日はお盆の行事・施食会(せじきえ。お施餓鬼=「おせがき」とも言いました)。年間通してのお寺最大の行事です。

お盆というと、ご先祖さまが各家に帰る行事ですが、同時に施食会ではご先祖のみならず家が絶えてしまった霊など、私たちにゆかりの薄い方にもご供養をします。

戦国時代には武将たちが、この施食会で敵味方の区別なく死者を弔いました。この世で対立があってもゆかりが薄い者でも、共に大きな命の繋がりの中に生かされる者同士であるという平等観があったのですね。

ちなみによく棚に上がるナスやキュウリの原産地は西域といわれるエリア。実はお盆はイラン発祥の行事といわれ、民族は違えどもシルクロードを通じて仏教を伝えた先人たちを偲ぶ意味もあるようです。

血縁の、精神・文化の、恩恵をもたらしてくれた全てのご先祖さまをウェルカムする…ってすごくピースフルで素敵だと思いません?

生前にはいがみ合ったり出会う事もなかった人や生き物たちが、食を共にする場(残念ながら私には霊視能力ありませんが)をセッティングする事で、こんな平和を手に出来るかも知れないという希望を育み合うのが、お盆の意味なんじゃないかなと思っています。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする