昨日、今日と高校時代からの友人二人と、御宿の海と養老渓谷(もちろん千葉の)に行って来ました。一人は福島から埼玉への帰省中。もう一人は埼玉からはるばる運転。…ありがとう。m(_ _)m
こないだ大網白里の海にデビューしたばかりですが、海なし県出身者としては海はテンション上がります。まして夏休みの大半をお盆に費やす身としては、いい気分転換ですね。感謝です。
そして写真は養老渓谷。新婚旅行に岐阜の養老渓谷に行って来たので二ヶ所制覇。次回は妻と来たいと思います。
「和尚さんの師走」…お盆のシーズンが終わろうとしています。あまりに慌ただしくて、記事を更新する余裕もありませんでしたが、そもそもお盆の行事とはどんなものなのでしょう。
お盆を、正しくは盂蘭盆といいます。語源には諸説あるようですが、最近では霊魂を表すイラン語の「ウルヴァン」が元ではないかといわれているそうです。そういえばお盆でお供えするのは、茄子やキュウリ、スイカ…かつて「胡」といわれた西域原産のものですね。
お釈迦様のお弟子だった目連尊者は、亡くなったお母さんが餓鬼道に堕ちて苦しむ姿を目の当たりにして悲しみます。そこでお釈迦様は「あなたのお母さんは、幼いあなたには優しかったけれど他の人には冷たかった。今からでも生きとし生ける全てのものを平等に供養すれば、その功徳でお母さんは安らかな境地に入れるでしょう。」とアドバイスをしたといわれます。これがお経に登場するお盆の起源。お盆はすべての命を平等に慈しむ時間です。
お盆ではお施食といって、その家のご先祖さまと一緒に、ご供養を受けられない霊もお招きしてご供養します。これは古代インドの王侯が、身分を問わずに人々に食事を提供した「無遮大斎会」が起源とされています。
日本では室町時代の飢饉の際、願阿弥という僧が炊き出しの援助と餓死者と供養を併せた施食会を行い、戦国時代には多くの武将が、敵味方双方の戦死者を供養として施食会を行いました。
仏さまから見れば、きっと愛憎も敵味方も、立場が近いか遠いかも仮のもの。まして世界が小さくなり、地球全体が運命共同体となった今、地球の裏側の貧困や紛争も他人事ではありません。
お施食では、全世界の戦争犠牲者、天災人災の被害者、事故や公害や差別の犠牲者など、あらゆる悲惨によって命を落とされた方のご供養も、併せて行います。血の繋がるご先祖や、文化の繋がるシルクロードの彼方の人々に感謝を捧げると同時に、次の世代に明け渡す世界を、どうより良いものにするのかを考えるためにも、この祈りの時間がとても大切な意味を持つように思います。