鋭幸の庵

寺なし坊さん四苦八苦

木曜夕方鯛焼き屋さん@一ノ宮

2011年12月29日 | 日記
今日も夕方から一宮で鯛焼き屋さん。今年ラストの営業で、ご新規さまがお二人ご来店下さいました。有り難うございます(^-^)/。

と、5時頃にある異変。

ボンベ切れた(・_・;)。

急遽ガス屋さんに駆け込んで来週の営業に間に合うよう手配して頂きましたが、年末年始をはさむこのタイミングに奇跡でした。年の終わりに仏天のご加護を感じたハプニングでしたが、いつもより30分早く切り上げてしまい、もしご来店の方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。

お店は、国道128号線の一宮橋と宮原交差点の間(金沢輪業さん隣)で夕方五時半までの営業、鯛焼きは羽根つきシンプルな小豆あんで、一枚100円也。来年も宜しくお願い致します。皆さまどうか良いお年を。

合掌

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水とカイロを送りました。

2011年12月29日 | 日記
水とカイロを送りました。
水とカイロを送りました。
本日、南相馬市原町区の萱浜青年団休憩所からのリクエスト(お正月用品をと思っていたのですが、お正月が迎えられる状況ではないとのお話しが胸に痛かったです…)を受けて、カイロと水を送りました。改めて皆さま有り難うございました。

出納をご報告しますと、予算は7182円。貼るカイロ150個=2175円、貼らないカイロ150個=2025円、水2L×48本=2832円、送料=2520円。赤字でしたが、そこは妻と私の貧者の一灯です。

来年も南相馬市への支援を続ける所存ですが、今年一年、皆さま有り難うございました。

合掌

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最終火曜日、募金の日。

2011年12月27日 | 日記
今日は最終火曜日で募金の日。中学時代の恩師の出身地でもある福島県南相馬市(あるいは周辺地域)の避難所で必要とされる物資を購入・送付するための募金を呼びかけました。

今日も皆さまのご声援と募金に感謝。お久しぶりにお越しの方からも励ましのお言葉を頂きました。来る年のご多幸をお祈りしつつ(^m^)。この一年も本当に皆さま有り難うございます。この場をお借りして御礼申し上げます。

本日の集計は4447円。これに今月の通常托鉢の募金2735円を合わせた合計7182円で物資を購入・送付致します。

物資の選定は、被災地で不足している物資の情報をアップするサイト「ふんばろう東日本プロジェクト」で南相馬市の避難所からの情報を調べます。

なおお悩み相談は、私のアドレス

beshi@dk.pdx.ne.jp

までメールを頂ければ、お答えないし各種電話相談窓口(千葉県内の行政および民間)をご案内致します。ご質問と回答は、ホームページにアップする場合もありますが、年齢性別など個人を特定できる要素は公開致しません。

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クリスマスの物語

2011年12月24日 | 日記
イルミネーションに浮かれる気分にはなれませんが、「いと小さき者の中に私はいる」と語った聖者ゆかりの日に、今年起きてしまった事や、今なお心安からぬ日々を過ごされている人を思い、来る年の平穏を祈りたい気持ちです。

素敵なクリスマスのお話しを伺ったので、以下にシェアさせて下さい。

■□■クリスマスの物語■□■

先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

 ある時、少年の一年生の記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強も良く出来、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

 二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で居眠りする」後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう。」


 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決め付けていた子が突然、悲しみを生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔をみせた。

 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で、少年が初めて手を上げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。

少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。後であけてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていた物にちがいない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ」

 六年生では少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして今また出会った中で一番素晴しい先生でした」



それから六年、またカードが届いた。

 「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することが出来ます。」



 十年を経て、またカードがきた。

そこには先生に出合えた事への感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を神様のように感じます。医者になった僕にとって最高の先生は五年生の時に担任して下さったせんせいです」



 そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座って下さい」と一行、書きそえられていた。



出典:「心に響く小さな5つの物語」http://goo.gl/BEn7y



ところで何でお坊さんがクリスマスって? いえいえブッダは「私が語る事は、みんなが心穏やかに幸せに暮らすための道具に過ぎません。みんなが幸せになれたら、私の言葉はそれ以上要らないのですよ」と語られました。たぶんブッダもキリストも、ただ人の幸いを切実に祈られた方だと思うのです。

この世のありとあらゆる者に、心穏やかな日々がありますように。

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木曜夕方鯛焼き屋さん@一ノ宮

2011年12月22日 | 日記
今日も夕方から一宮で鯛焼き屋さん。ここ暫くの常連のご婦人がお越しになりました。今年は来週の営業がラストです。一年早いですねぇ…。

お店は、国道128号線の一宮橋と宮原交差点の間(金沢輪業さん隣)で夕方五時半までの営業、鯛焼きは羽根つきシンプルな小豆あんで、一枚100円也。宜しくお願い致します。

合掌

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