繁栄稲荷神社 江東区木場
繁栄稲荷神社の写真
平成27年2月撮影[Click here !↗]
【住 所】 東京都江東区木場2-18-11大丸コアビル敷地内 Mapion
【御祭神】
【由 緒】 境内掲示を写す
繁栄稲荷神社の写真 令和4年1月15日撮影
社号標 石造鳥居

本殿 繁栄稲荷神社本殿は江東区唯一の木造神社建築として江東区指定有形文化財
本殿の建築年代は虹梁絵様から19世紀中頃と判断(2014年4月4日指定)



由緒

繁栄稲荷神社の写真
平成27年2月撮影[Click here !↗]
【住 所】 東京都江東区木場2-18-11大丸コアビル敷地内 Mapion
【御祭神】
宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神、 (さたひこのおおかみ)
大宮能売大神 (おおみやのめのおおかみ)
【創 建】 宝暦7年(1757) 佐田彦大神、 (さたひこのおおかみ)
大宮能売大神 (おおみやのめのおおかみ)
【由 緒】 境内掲示を写す
当繁栄稲荷神社の祭神は京都伏見稲荷大社の御分霊にましまし乃古宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能賣大神の三御柱であります。古来五穀豊穣、商賣繁昌、藝能上達の神として世の尊崇敬仰をあつめております。
当神社の起源は今を距ること二百四年前、宝暦7年この木場の地に創祀されたのにはじまります。大丸の業祖下村彦右衛門正啓は享保2年 伏見に創業し寛保3年日本橋大伝馬町に江戸店を設けましたが 越えて宝暦7年深川木場4丁目即ち現在の繁栄橋々畔に貯木場を備うる別墅を営み、その一廓に社殿を造り伏見稲荷大社の御分霊を祀り繁栄稲荷と称したのであります。
祭神の霊験いとあらたかで、地元の木場はもとより江戸一円の信仰をあつめ、3月12、13日の例祭には門前市がたつの大賑わいでその側の堀に架せられた橋もいつしか繁栄橋とよばれて今に伝わっているのであります。
明治末年大丸が東京店(昔の江戸店)を閉じ木場の別墅も廃したとき社殿は先代根津嘉一郎氏の青山邸に移り同家の嘉栄稲荷の社殿となり、関東大震災、第二次世界大戦の空襲にもその災禍から免がれ二百年前のお姿そのままで残ってまいりました。
昭和35年5月たまたまその社殿が繁栄稲荷のものであったことがわかり、根津家の御厚意で大丸へ御返譲していただくこととなり、旧地に接したこの地に境城を卜して昔ながらのお姿を以て本殿、玉垣その他を移築し、あらたに伏見稲荷大社の御分霊を勧請してお祀りすることになったのであります。
由緒の数々を思い御神徳のいやちこなるに今さら心うたるる次第であります。
昭和三十六年十月吉日
当神社の起源は今を距ること二百四年前、宝暦7年この木場の地に創祀されたのにはじまります。大丸の業祖下村彦右衛門正啓は享保2年 伏見に創業し寛保3年日本橋大伝馬町に江戸店を設けましたが 越えて宝暦7年深川木場4丁目即ち現在の繁栄橋々畔に貯木場を備うる別墅を営み、その一廓に社殿を造り伏見稲荷大社の御分霊を祀り繁栄稲荷と称したのであります。
祭神の霊験いとあらたかで、地元の木場はもとより江戸一円の信仰をあつめ、3月12、13日の例祭には門前市がたつの大賑わいでその側の堀に架せられた橋もいつしか繁栄橋とよばれて今に伝わっているのであります。
明治末年大丸が東京店(昔の江戸店)を閉じ木場の別墅も廃したとき社殿は先代根津嘉一郎氏の青山邸に移り同家の嘉栄稲荷の社殿となり、関東大震災、第二次世界大戦の空襲にもその災禍から免がれ二百年前のお姿そのままで残ってまいりました。
昭和35年5月たまたまその社殿が繁栄稲荷のものであったことがわかり、根津家の御厚意で大丸へ御返譲していただくこととなり、旧地に接したこの地に境城を卜して昔ながらのお姿を以て本殿、玉垣その他を移築し、あらたに伏見稲荷大社の御分霊を勧請してお祀りすることになったのであります。
由緒の数々を思い御神徳のいやちこなるに今さら心うたるる次第であります。
昭和三十六年十月吉日
繁栄稲荷神社の写真 令和4年1月15日撮影
社号標 石造鳥居

本殿 繁栄稲荷神社本殿は江東区唯一の木造神社建築として江東区指定有形文化財
本殿の建築年代は虹梁絵様から19世紀中頃と判断(2014年4月4日指定)



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