都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

姥ヶ橋延命地蔵尊 〈東京都北区上十条〉 

2012-12-19 08:52:51 | 都内散歩
姥ヶ橋延命地蔵尊

 赤羽八幡神社
 区立赤羽自然観察園
 浮間公園・浮間ヶ池
 木造太田道灌坐像

【場所】北区上十条4-12-4 Google地図

延命地蔵尊、子育地蔵尊の写真





延命地蔵尊、子育地蔵尊
夕方で暗くなり始めた頃に環七通りの姥が橋陸橋の過ぎると左手にお地蔵様が視野に入ってきた。交差線近くの騒がしい場所に立つ延命地蔵尊」と「子育地蔵尊」そして「大きな石碑」に延命地蔵尊姥ケ橋と赤い字が鮮やかに描かれている。先に急ぎたい気持ちも抑えて、延命地蔵尊にお参りをすることにした。お線香も使えるように準備されていると勝手に思い、手向けさせていただいた。
延命地蔵尊の左隣には延命地蔵尊よりは小さな鞘堂があり子育て地蔵尊がいる。両地蔵尊とも立派な花が手向けられていた。この地蔵尊のインターネット上の写真を見ても花がきれいに映っている。地蔵尊を敬う人も気持ちを強く感じる花である。
私たちの前にもお参りをしていた人がいた。私たちのあとには自転車に子供を乗せてきた母子、それと散歩で歩いてきた人も私たちのお参りの終わるのを待っていた。近隣方々だけでなく道を通りかかる人もお参りをしたくなる地蔵尊である。
石碑の前には板橋区の説明看板がある。そこにはこの地蔵尊は今の陸橋のしたにあった稲付川で子供を死なせてしまった乳母が責めを負ってこの橋から身を投げたという伝説があり、乳母の供養のため建立されたという伝説があるというようなことが記されていた。

北区教育委員会の掲示記載は次の通り
「この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖(しゃくじょう)を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像です。台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘文が刻まれています。向かって左側の堂内は石造の子育地蔵尊がまつられています。説明板の横には、道しるべでもある小型の文字庚申塔と地蔵尊の由来碑があります。
像は、「姥ヶ橋の地蔵様」と呼ばれて親しまれています。姥ヶ橋とは、稲付川に架かっていた橋の名称です。稲付川は石神井川の支流であり、根村用水とも北耕地川ともいって農業用水として利用されていました。姥ヶ橋には、誤って川に子どもを落して死なせてしまった乳母が、自ら責めを負ってこの橋から身を投げて命を落としたという伝説があります。そして地蔵尊の造立は、乳母の供養のためと伝えられていますが、銘文によれば川に架かる石橋の安全供養のためによるものです。
また、地蔵尊は、2つの道が出合う地点にあったことから「出合・地蔵」とも呼ばれています。橋のたもとは、川口ヘの交通路としても利用された十条・板橋道と中山道から分かれて王子稲荷へ向かう王子道とが合流する交通の要所だったのです。
現在は環状七号線の建設で川は暗渠となり、姥ヶ橋も姿を消しました。しかし、延命地蔵尊には参詣者の絶えることがなく、毎年8月24日の縁日には多くの人々で賑わいます。
北区教育委員会


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