都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

赤羽八幡神社

2012-12-15 16:04:11 | 都内散歩
赤羽八幡神社
【住所】東京都北区赤羽台4-1-6  Mapionで地図を表示
新幹線が境内の下を走る珍しい神社です。
赤羽八幡神社は赤羽台と言われる高台にある神社ですので、表参道からは段数の多い階段を、裏参道を使う場合には急勾配の坂道を上ることになります。裏参道の方は新しく整備がなされた様子です。おそらくこの裏参道は新車の厄除祈願などの時に車がこの急勾配を昇るのでしょう。
私は表参道で参拝することにしました。表参道は鉄道の軌道の下をくぐり、その奥の左手に急階段でのぼる道です。その階段を昇ると確かに高台になります。周りには遮るものがなく遠くまで見渡すことができます。この階段を上ると正面の鳥居の先に白木の大きな社殿が見えてきます。立派な社殿です。一休みを兼ねて周りを見渡すと境内が整然と整備された境内です。右手の一段高いところにあるに社務所は小さな学校と思えるような大きな建物です。
北区教育委員会掲示による赤羽八幡神社の由緒によるとが大概次のようなことが記されています。「赤羽八幡神社と俗称され、祭神は品陀和気命(応神天皇)、帯中津日子命(仲哀天皇、日本書紀によれば応神天皇の父)、息長帯比売命(神功皇后、日本書紀によれば、仲哀天皇の皇后、応神天皇の母)です。江戸時代、この神社は岩淵郷5ヶ村(赤羽根村・下村・袋村・稲付村・岩淵宿)の総鎮守であり、現在もその地域の総鎮守となっています。
創建年代等は不詳ですが、伝説によれば、延暦年中(782-806)坂上田村麻呂(758-811、平安初期の武将。蝦夷地平定に大きな功績を残す。その一生は模範的武将として崇敬され、征夷大将軍の職名は永く部門の栄誉とされた)が東征の途次このあたりに陣を敷いてこの三神を勧請したのにはじまり、長徳年中(995-9)源頼光が社殿を再興し、久寿年間(1154-56)源頼政が修造を加え、応永(1394-1428)正長(1428-29)の頃、地頭であった太田資清(太田道灌の父)が社領として1貫文の地を寄進し、文明元年(1469)太田道灌が社殿を再建したといいます(岩淵町郷土誌)」。ここ記されていることから古くて歴史のある神社を長い間、相当に名のある人が関わり守ってきたことがわかります。
現在の社殿は昭和6年改築されたものだそうです。どのような手入れをしているのでしょうか、外壁の板部分など、汚れたところはありません。綺麗に拭き掃除がなされているように感じました。
神社境内地下の新幹線の通過神社HPを参考にしています)
新幹線ですが、神社ご本新幹線の地下通過の発表に際して「御神域の下を新幹線が通過するという前代未聞の設計に、地域氏子住民とともに強く反対しましたが、最後には承認しました」。本殿の下を通過はしておらず、社務所の下を通過しているそうです。その様子は確かに裏参道でもある坂道から確認できます。また、その設計上、「裏参道に設置されている大鳥居の間を新幹線が通過して見える様子は、まさに日本全国ここだけの景観であり、テレビでも放映されるなど、鉄道愛好家の撮影ポイントとなっています。過去にはドイツテレビや南ドイツ新聞の取材も受けており、ドイツ国内で放映されたようです」と神社の説明にもあります。
境内の南端からは、埼京線がトンネル内に進入していく様子が見られます。運よく境内から新幹線がトンネルに入るところや電車がこの神社の事路で左右に分かれ右側の軌道は神社下のトンネルに入る電車の写真を撮りました。(2018-01-03写真アップ)












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