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2007季のアルビレックス新潟

2020年06月17日 18時00分00秒 | アルビレックス新潟
サッカー専門新聞「エルゴラッソ」の回顧特集に倣って。

2007Jリーグディビジョン1第32節を終えて、アルビレックス新潟の順位は5位。
それが第33・34節を連敗、画竜点睛を欠いて6位に転落しましたが、新潟史上最高のリーグ成績を残したのが2007シーズンでした。
第8節の対横浜F・マリノス戦で0対6、第24節~第27節で4連敗と、酷い結果だった時期もありました。
第13節の対ジュビロ磐田戦では、鈴木淳監督が前半の不出来に激怒し『サッカーやめちまえ』と痛罵もしました。
天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会でサガン鳥栖に負けて、この敗戦に憤った人間が選手バスを襲う事件が起こりもしました。
しかし、総じて順調なシーズンでありました。

エジミウソンが、自身のJリーグ歴最多の19得点を挙げて、それが新潟6位躍進の主因となりましたが、彼よりも衝撃を新潟応援者に与えたのがマルシオ リシャルデスでした。
エジミウソンの19得点に対して、マルシオのそれは9得点。
数字は劣りますが、技術と運動量と献身ぶりは、エジミウソンを上回っていました。

マルシオの新潟加入は、第1節直前でした。
そんな開幕寸前で移籍してきた選手に、新潟応援者はそれほど強い期待は抱いていなかったというのが、筆者の印象。
かくいう小生もそうでした。

しかし、第2節の対浦和レッドダイヤモンズ戦で彼は、0対2の劣勢から土壇場で追いつく立役者となります。
ゴールネットを揺らしたのは河原和寿と田中亜土夢でしたが、お膳立てしたのはマルシオ。

それからJリーグ適応まで時間を要した感じで足踏みしましたが、第13節の対磐田戦でフリーキック得点を奪ってから台頭。
なお、マルシオの得意技のFK得点が日本で初めて披露されたのは、その磐田とのゲームでした。
そして翌第14節の対ヴィッセル神戸戦で同点弾と逆転弾をお見舞い。
この試合ころから、マルシオの存在は広くJクラブ愛好者に知れ渡ったような感じでした。

で、第18節の対サンフレッチェ広島FC戦でもまた同点ゴールと逆転ゴールを叩き込み、新潟サポーターのマルシオ熱は最高潮に。
第18節を以て、J1リーグは中断期間に突入したのですが、そのとき新潟は3位。
「3位で終えられたのはマルシオのおかげ」と神様扱いでした。
で、件の広島とのゲーム中に、マルシオのチャント/応援歌が急遽お披露目されるに至ったのでした。

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