静岡ニューメディア研究会の今月の演者はサッポロビールの取締役相談役の福田貞男さん。福田さんが社長になって取り組んだのがスーパードライだった。商品化される前 社内でのお偉方の反応はさんざんだった。これはビールじゃない。ビールの魂が全然ない。これを出したら世間の笑いものになる。だが福田さんは今までと違ったものを作ったのだ。これまでと似たようなものにはお客様は喜ばないと言って反論して 何とか市場に送り出したそうだ。そしてヒットした。反対にあってもしり込みせず信念を貫いた話に感動した。
サッポロビールは日本で最初のビールだそうだ。黒田清隆が明治政府から北海道に派遣されたことや伊藤博文についで二代目の総理になったことは高校で学んだ。しかし薩摩から村橋久成と言う青年がきて最初のビールを作ったと聞いてうれしくなった。福田さんはその歴史を少し話した。それだけでは物足りなくて自分で調べてみた。1865年薩摩藩は幕府に相談せずこっそり将来ものになりそうな若い志士をイギリスに留学させた。その若き群像の中にいたのが村橋だった。ビール醸造所は東京に作ることになっていたが、北海道の開拓しに入って北海道の開発に奔走していた村橋は再三稟議を黒田清隆に提出した.その功あって札幌にビール醸造所ができた。ビールの大好きな僕にとってなんとありがたい話だろうか。
サッポロビールは日本で最初のビールだそうだ。黒田清隆が明治政府から北海道に派遣されたことや伊藤博文についで二代目の総理になったことは高校で学んだ。しかし薩摩から村橋久成と言う青年がきて最初のビールを作ったと聞いてうれしくなった。福田さんはその歴史を少し話した。それだけでは物足りなくて自分で調べてみた。1865年薩摩藩は幕府に相談せずこっそり将来ものになりそうな若い志士をイギリスに留学させた。その若き群像の中にいたのが村橋だった。ビール醸造所は東京に作ることになっていたが、北海道の開拓しに入って北海道の開発に奔走していた村橋は再三稟議を黒田清隆に提出した.その功あって札幌にビール醸造所ができた。ビールの大好きな僕にとってなんとありがたい話だろうか。